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a lively time

ハラハラドキドキ、ワクワクソワソワの毎日。

癌⇒死⇒敗北

2004年11月22日 | がん患者学<Ⅰ>
“ 治れば勝ち。死ねば負け・・・ ”

私の病気の診断書は、保険請求にしか使われていない。
自営業の強み(笑)。誰にも見せる必要がないのだ。
だから、私が癌であることを知っているのは数人の友人と家族だけ。
うすうす気付いたヤツが訊いてきたら「そうだよ。」と答えるつもりではいるものの、
いまいち、こちらからの「公表」はためらってしまうのだ。

日本経済のバブルがはじた頃から、ビジネス用語(?)として「勝ち組み」という言葉が使われ始めた。「勝ち組みに残れるように全社一丸となって・・・」って感じ。
右肩上がりの経済成長を続けていた時代のような
♪勝つと思うな 思えば負けよ~、なんて悠長なこと言ってられない。
会社の存亡を賭けた時代になってしまったのだから、まぁ仕方がないと言えば仕方がないのかなぁ~と、その頃は思っていた。
だが、今はもっとひどくなって来た。
企業再生の為の伝家の宝刀=リストラを御上も公然と推奨。有無を言わさぬ首切りやサービス残業は、仕方ないでは済まされなくなってきている。
もうこうなってくると「勝ち組み」意識は会社だけでなく、ジワッと個人に向けられる。
(会社に、社会に)生き残れる人間だけが勝ち、という意識。。。

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『考えてみれば、医療現場では死は敗北として扱われている。勝利は治る、ことにある。そうした価値観はじつは社会全体にある。だから、がん患者は必要以上の複雑な悲しみと苦痛を耐えざるをえないのだ。しかし、これは怖いことだ。病むこと、死ぬことを排斥して成立する社会、元気であることだけが勝利と扱われる社会はじつは恐ろしいのだ、と私は直感した。』

【 柳原和子・著 “ がん患者学 Ⅰ”(中公文庫) より 】

尊厳を知る

2004年11月20日 | がん患者学<Ⅰ>
“ がんは不思議な病気だ・・・ ”

性格の不一致、ってよく聞くけど、これはまぁ価値観の不一致ということでしょう?
価値観というのは、生きて生活していく上で、自分の置かれた環境に大きく作用されるわけで、一生涯不変とは言い切れないでしょう?
だとしたら、今の時点で価値観を共有できない、ってことじゃないだろうか?
性格だって変わると思いませんか?
生まれつきの性分だから、なんて言ってた人にしばらくぶりに会ったりして、変わったなぁ~って思うことありません?
性格や価値観が変わっていくんだもん、嗜好品はなおのことですよね?
命より好きだったものと決別した人って、案外多いんじゃないですか?

じゃぁ、プライドは?
これも、、、って、私は思います。
逆に、中途半端なプライドはかえって邪魔なくらいだ、って言いすぎですかね?

私の好きな映画「ジャイアンツ」で、ロック・ハドソンが最後に、やっとのことでプライドをかなぐり捨てるんですよね~。感動しました。
その時に、そこにあった価値観は何か?
・・・究極の価値観って言ってもいいんじゃないでしょうか?
尊厳。そう、人としての尊厳!

癌はほんとに不思議な病気ですね~
あんな昔の映画まで思い出させてくれるんですから・・・(笑)

長期生存患者に学ぶ

2004年11月19日 | がん患者学<Ⅰ>
“ がんになる生活だった・・・ ”

医師が書いた治療の本を2冊、復習のために目を通しながら、
並行して読んでいた“ がん患者学 Ⅰ ”(中公文庫)が間もなく終わる。
まるで短編小説のような筆致で綴られた体験談は、とても読みやすく興味深い。
それぞれの人がそれぞれのスタンスで自らの病、癌と向き合う姿を真正面から捉えた、
ノンフィクションの真骨頂ともいえる貴重な本だと思う。

この本は、様々な代替医療を実践した人だけの記録ではない。
「なぜだろう?なぜ癌になってしまったのだろう?」
「再発を防ぐためにどうしたらいいんだろう?何をすべきなんだろう?」
この問い対する答えは、患者一人ひとり皆それぞれに違うことを教えてくれる。

洋の東西を問わず、がん治療にベストはないのだ、きっと。。。
精神的にも肉体的にも、自分にとってベターな方法はなにか?ということなのだろう。

私も病を得てから、多少とはいえ生活がかわった。
○早寝早起き○夕食後の飲食禁止○酒量激減○多量の飲水・・・
今のところはこんな程度。^^;
でも、以前の生活に比べりゃ、私にとってはかなりスゴイことなのですよ~(笑)

食生活の改善

2004年11月12日 | がん患者学<Ⅰ>
“ 全てのがん患者に共通の原因・・・ ”

癌に侵されて、民間療法を考える人は多い。
アガリスク・プロポリス・サメのなんとか・・・ガンに効くと言われるサプリメントを
片っ端から飲んで、ガンにいいという温泉にも行き丸山ワクチンも試した私の知人がいたが、二度目の手術をすることもなく他界してしまった。
自らの癌を知って、彼を思い出した。
見舞いに行くと、ベットの上にプラスチックの容器をズラッと並べて、ひとつひとつ説明してくれた。そのくせ食事は病院食を一切食べずに、好きなものばかり奥さんに運ばせていた。(あのなぁ、ちょっと違うんでないの!?)と思ったのを覚えている。
私はもともとサプリメントには興味がない方なので、いままで何も服用していないし、今後もよほどの事がない限り積極的には飲むつもりはないが、新聞広告などで「ガンに効く・・・」と書かれた広告などを見ると、矢張り気にはなる。

そこで、さりげなく医師に訊いてみた。「再発を防ぐ方法ってあるんですか?」
「う~ん、ないですね。」と、私の主治医はそっけない。(笑)

がんほど個性的な病気はない。
それぞれの患者さんにはそれぞれの癌相(?)があるらしい。
それは、その発生の原因が分からないのが原因、ということなのだろうか。
細胞が勝手気ままに分裂増殖しはじめちゃって腫瘍をこさえる。その悪性が癌。
じゃ、なんで細胞が突然暴れだしたのか?その原因は・・・不明。
酒・タバコ・食い物や紫外線などなど発がんの危険性があると言われるものはあまたあるが、すべての患者さんにあてはまるものではない。原因というより要因だろう。
となると、原因は、一人ひとりの過去の生活習慣の中に潜んでいる!と考えるのは
しごく当然であり妥当だと思う。
そうした考えから、病前の生活の一切を改めて再発・転移の危険を回避し、末期と言われながらも奇跡的な回復を遂げた人が実際に居る。
その生活習慣改善の最たるものが食生活。いわゆる自然食療法ということだ。

これも、さりげなく主治医に訊いてみた。
「普段の生活で気をつけることありますか?例えば食べ物とか?」
答えて曰く「特にはないですね。何でも食べていいですよ。」

(こりゃぁダメだ。民間療法とか代替医療というのは西洋医学の先生の範疇ではないらしい。自分で勉強しなくっちゃ。サプリメントはともかく、食生活改善かぁ~。徹底した自然食っていうのも難しそうだなぁ~)と、タバコをふかしながら考えている私なのである。
ん!?あのなぁ、ちょっと違うんでないの!!(笑)

がんで即死はなかんべぇ

2004年11月10日 | がん患者学<Ⅰ>
“ ある意味、がんは人間的な病気だと思う・・・ ”

「自然に死にたい」にコメント下さいましたうらおもてさんも書かれてますが、
「死にたくなくても1分後に事故で死ぬかもしれない。」
病気で突然倒れて、何の意思表示も出来ないまま亡くなってしまうケースもある。


がんは早期に発見され適切な治療を受ければ今や不治の病ではない。
数え切れないほど多くの方々が、癌と診断されながらも、再発することもなく完治しているのである。積極的にがんの告知を、する医師、望む患者が増えてきているのも、がん=死の病、ではなくなってきているからでもあるのだろう。
詳しくは帯津良一著 ・“ 決定版 がんを治す療法事典 ”にも記されている。

がんの疑いがあると言われて、私が最初したことは保険証券の整理。
(お付き合いで入ったけど役に立ちそうだわい)ほくそ笑みながら、入院・手術などの特約も調べてリストアップする。あれ?今年解約しちゃったのがあったなぁ~、残念!などと、いたって現実的(笑)。
いよいよ入院して手術することが決まると、今度は仕事の段取り。
お得意さんには2週間程度の検査入院と告げる。癌とは言えない(今も言っていない)。
当座の仕事の遣り繰りだけはして入院したものの、退院後は三日目から仕事。^^;
術後の治療は一切ないのだから、徐々に普通の当たり前の生活に戻っている。

再発⇒死、という観念が消えたわけでは、もちろん無い。
だが、万が一再発を告げられ、たとえ余命宣告を受けたとしても
(再発したがんで即死!ってことはなかんべぇ~)と思えるようになってきた。
死を間近に考えてしまったら何も出来ないことに、今更ながら気付いたのだ。
私は自営で町工場をやっているのだが、
先ず、工場で使っていた有機溶剤・・・以前から発がん性や環境汚染が指摘されていた・・・をキッパリとやめ、より安全な物にと、装置も買い替え、工場も一部改修することにした。
癌にならなかったら思い切れなかったことかも知れない。

今どうする・・・これからどうしよう・・・と思う時、
癌が私をより人間的に育ててくれているんじゃないか・・・?
いやいや、癌は私の人間性を試しているのかな~(笑)

プレッシャーを吐き出す

2004年11月09日 | がん患者学<Ⅰ>
“ 死を突き抜けて、生に戻る・・・ ”

病は気からと言うが、その気持ちに大きく関わっているのがストレスだろう。
そしてそのストレス、これがまた厄介この上ない。
三省堂『大辞林 第二版』によると
『ストレッサーが原因で引き起こされる生体機能の変化』とある。
ストレッサーとは
『精神緊張・心労・苦痛・寒冷・感染などごく普通にみられる刺激』のこと。
つまり、普段の生活の中のありふれた刺激がストレスの原因だと言うことだ。

「今思えば、きっとアレがストレスだったんでしょうねぇ・・・」
本人も気付かないストレスをみんな背負い込んでいるに違いない。
私にとって最も疑わしきは、テクノ・ストレスか?
仕事で、いわゆるハイテク機器装備のマシンを使いながら、よせばいいのに遊びでもパソコンから離れられないのだから、そのストレスは否めないだろう。
パソコンや携帯電話をはじめ情報機器が高度化し便利になればなるほど、
より良い使い方をしよう、あるいは、より良いモノを持ちたいと思う人の欲に
ますます拍車が掛かる。
精神的肉体的に強いられて自覚するストレスの他に、
気付かぬストレスのストレッサーは、欲?

今までに来たことがない斜面を見下ろしていた。
ゲレンデを滑り降りる時のワクワク?ドキドキ?の緊張感は好きだ。
でもこれは、この斜面は緊張しすぎてオシッコがチビりそうだ。
「cefiちゃん、いいかい!息は吐くんだよ、吸うことは考えなくていいから
とにかく吐くんだ。フーフーフーって!」仲間からのアドバイス。
スキーは好きだけど初心者の私が、初めてのゲレンデで転ばないはずはない。
でも、転ぶ時には上手く転ばないと危険だ。「危ないと思ったら時は余計だよ。息は絶対に止めちゃダメだ。吸ってもダメ。がんばって吐く!」

“ 無用な欲は死への恐怖心を生む。欲を捨てておだやかな生に戻る。”

難しい。逆に、ある意味、欲も必要ではないかとさえ思ってしまう。

大事なのは、それをプレッシャーにしないことではないだろうか。
プレッシャーを感じたら息を吐く。緊張を感じたら息を吐く。
そして、欲張りすぎてるな、と思った時も息を吐く!(笑)

自然に死にたい

2004年11月03日 | がん患者学<Ⅰ>
“ がん患者の価値基準は、治るか治らないか、だけではない・・・”

特に肝臓の場合、
(今までに知り得た情報では)肝臓に単独で効く抗がん剤は無いらしい。
しかも再発する確率も高く、私のように血管侵襲があったとすれば転移もある。
だから私は、たった1度の手術しかしていなくても、
病期ステージⅢと知って“不治の病”であることを自覚した。
まず、「治る」ことはないのだ、と。

でも、幸か不幸か、
抗がん剤が無いおかげで、術後の治療も一切無いから、
「手術したって治療も何もしてないんだぜ。大丈夫さ!」などと
思い切り元気ぶって、周りの人に心配かけずに済むのがありがたいし、
なによりも、(今のところ)抗がん剤治療の苦痛も知らず、
普通の生活に支障なく、生きているのが実感できている。

治らないとすれば、死ぬまで生を実感したい。

がんの手術を受け、抗がん剤の治療もして退院した元刑事が
再び体調に変化を感じて医者を訪れるが、主治医はハッキリ病状を言わない。
その主治医の不倫をネタに、脅すようにして病期を知る。
手術の時点で、末期だったと言う。
「あの手術と治療は無駄だった」と元刑事は悟り、以後一切の治療を受けない。
「自然に死にたいから・・・」と。

がんの告知を受ける前に読んだ桐野夏生の小説“柔らかな頬”の話。物語は多分、その元刑事の死の瞬間まで書かれてあったと思うが、「自然な死」という言葉は覚えていても、死に際がどんなだったか記憶にない。

いま読み返すと、今の私は、どう思うのだろうか・・・?

【追記】11/8
カテゴリー「がん患者学<Ⅰ>」における冒頭の“ ”は、柳原和子著“がん患者学 Ⅰ”(中公文庫)から、その内容の一部を要約して引用させていただいているものです。

無知な患者

2004年11月02日 | がん患者学<Ⅰ>
私は今、がん患者なのか?
胃も腸も肺も調べて、そこには無かった。肝臓だけにあった癌細胞は切除した。
「今、お腹の中に悪いものは無い」のだから・・・
仕事だって普通どおりにしてるし・・・
便の薬以外には治療の為の薬を飲んでいる訳じゃないし・・・病気ではないのだ!
なのに、私はがん患者になろうとしている。
いや、なろうとしてなりきれない。
(今はこれでいいじゃないか。ホラホラ、こんなに元気じゃないか。
先のことは誰にもわかりゃしないんだかしさ・・・)と思う自分にイライラする。
それは、
「再発」あるいは「転移」と告げられることへの不安感。
先日の検査結果を聞きに行く日が迫っている。
もしや・・・?という怖さ。。。

その時、私はどうすればいいのだ!?

柳原和子さんの“ がん患者学〈1〉長期生存患者たちに学ぶ ”(中公文庫)を読み始めた。
身震いすら覚える。

私は、あまりにも無知な患者であった。