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a lively time

ハラハラドキドキ、ワクワクソワソワの毎日。

母の健診

2006年11月17日 | がん患者学<Ⅲ>
76歳になる母の健康診断結果・・・肥満・甲状腺異常・糖尿気味などなどの中で、私が気になったのは腫瘍マーカーCEAの値が高かったこと。大腸や胃などの癌ので高値を示すといわれています。
糖尿は幸いにも治療するほどでも無い数値だそうで、甲状腺は欠かさず薬を飲みはじめました。肥満には運動、ということで、私の妹の勧めで週1回プールで歩くようになりました・・・これは本人も楽しいらしく助かります。
問題のがん検診。甲状腺の薬を飲み始めて1クールしたところで、やっぱ調べてもらおうよ、という私たちの提案に、バリウムはヤだからと胃カメラを、ということになりました。
胃カメラでは、友人が太鼓判を押し、カミさんも通う胃腸科の先生にお願いすることにしました。私自身は最初の胃カメラではかなりシンドイ思いをしたので心配でしたが「だいじょぶだったよ。最初だけであとは平気」という母の言葉にホッとしながらも、結構な数のポリープがあったらしく細胞診をしたそうです。その結果が今日、妹から知らされました。
良性、ということでした。便の潜血反応もなく、先ずはひと安心です。でも、CEA高値には妹も気になるらしく(早く次の検査・・・)と思ったらしいのですが、内科・胃腸科の医師、TB先生は「この甲状腺の薬がなくなったらもう1回血液を調べてみて、それでも高いようだったら他の検査をしようね」と母に語りかけたそうです。

患者は、安心感を得てから聞く医師の言葉や指示には素直に従います。脅されるように告げられると不信感が芽生えます。たとえ名医と言われる医師であっても患者との信頼がなければ治るものも治らないのではないか・・・逆に、治らないものであっても、医師との信頼関係が希望につなげる力に成り得るのではないか、と思うのです。

現代のがん医療を問う【柳原和子・著“がん患者学 Ⅲ”(中公文庫)】の「希望」という(うんざりするほどひどい医師のことが書かれていた)章があったのですが、そこに記されていた、著者の想いを感じる一節です。
「ねぇ、ここのところにがんがあるみたいなの。触ってみて?」・・・私は首を振った。
ミュージカル『キャッツ』のクライマックスの歌「メモリー」の歌詞を思い出した。

真夜中
街角に人影も消え、足音も聞こえない
月灯りが思いでを消し去ったのか
彼女は一人、微笑を浮かべる
街頭の灯り
彼女の足元に舞い落ちる枯葉が積もりゆく
風がうなりはじめる

思い出
月光を浴び、ひとりぼっち
彼女は過ぎ去りし日々をたしかめる
あの頃・・・・・
私は美しかった
幸福とは何かを知り、酔いしれていた日々
思い出よ、私をあの頃によみがえらせてほしい

街灯の瞬きが宿命の警告を告げる
誰かのつぶやきが聞こえる
街頭の灯りが流れてゆき
まもなく、あの朝が訪れる

夜明け
日の出を待ちこがれる
新しい人生を夢見よう
あきらめない
夜明けの到来とともに、今夜もまた思い出の一夜となって消えてゆく
新しい日々を迎えよう

くすんだ日々をすべて燃やしつくしたとき
朝の、あのわびしい冷たい香りに包まれる
街灯は消え、夜も終わる
新しい夜明け

おねがい、私にさわってくれないだろうか
私をおきざりにしてゆくのはたやすいこと
輝ける日々の思い出とともにひとり
私にふれてみたら、あなたはきっとわかるはず
幸福とは何か、を・・・・・
ごらん
新しい一日がはじまってゆく
(翻訳 柳原和子)

街娼として生きた老雌猫が歌い上げるあの歌だ。うす汚れ、誰一人、だきしめてもくれなくなった雌猫の孤独。
究極の医療とは、もしかしたら・・・・・。
ふっと、私は思いなおし、そして彼女の導くままに腋の下の突起に触った。

よく生きる。

2006年03月30日 | がん患者学<Ⅲ>
『将来何が起こるのかは、誰もわかりません。先のことばかり不安がっていては、今日、負けてしまうかもしれない。お茶を飲む楽しさを失い、楽しいおしゃべりの相手も失ってしまうかもしれない。一年後に起きて欲しいことで頭がいっぱいになって、庭に咲きかけた今日の蕾の美しさ見逃してしまうかもしれません。
このようにして人生で失うことはたくさんあります。将来に焦点を会わせ、集中しすぎるあまり、隣に居る人との友情を分かち合うことができなくなる。
生命を脅かす病を得て初めて、どうしたらよく生きられるか、に気づく、発見することがたびたびあるのは、そういうことだからではないでしょうか?』(医師レイチェル・ナオミ・リーメン)【柳原和子・著“がん患者学 Ⅲ”(中公文庫)】より
15歳の時にクローン病を患い「40歳まで生きられない」と宣告されながらも、その後50年以上も生きる小児科医師レイチェルの、この言葉は、深い。

人間だからこそ、生と死を考えることが出来る。
でも、多くの人は漠然と生と死に悩み恐れながら今を生きているのではないだろうか。
もし、私自身ががんと診断されなかったら、
レイチェルの言葉に決して巡り会うことはなかったと思う。
まさに「気づく、発見する」機会を与えてくれた病に、感謝したい。

今は、生きている。

2006年02月11日 | がん患者学<Ⅲ>
4年前に父が肝臓がんで他界した後も、母は父とふたりで過ごした家で独りで暮らしています。父の写真を家中のいたるところにおいて・・・。私の家からは車で15分ぐらいのところなのですが、私の家の周りは田んぼ、母の住む所は町の中です。4車線の幹線道路に面していて、近くにはスーパー・ファミレス・コンビニ、JRの駅も近くにあります。「お前のとこみたいな田舎に行ったらボケちゃうよ」と言って、今のところ私達と一緒に住むつもりは毛頭ないみたいです。それどころか、70歳半ばになりながら、昨年は家をリフォームしました。外装を整え、廊下を張替え、ふすま・畳も新調しました。塗り直して明るくなった壁に、まず最初に掛けて欲しいと持ってきたのは、父の、遺影でした。

一週間くらい前、浴室の電球が切れてしまったという母から電話で、修理に行った帰りしな、母の家の二軒隣りのリサイクル・ショップにふらっと立ち寄ったのです。中古の本やCD、衣類まで売っているお店です。これといった目当ても無く本棚を眺めていると、「アジアンタムブルー」という背表紙が目に入ってきました。(ん?あ、コレかぁ~。またまた、短命もの?死んじゃうんでしょ、癌かなんかで・・・)と思いながらも、ブログ「珈琲を飲みながら♪」で、ゆいさんが「究極の恋愛小説だと思っている。この本に比べたら、セカチューなんて・・・・。」と、入れ込んで書かれていたのに惹かれて買い求めました。

なんとも優しい。みんな優しい。主人公と主人公を取り巻く人たちの優しさに、嬉しくて泣けてきました。
正直に言うと、私はこの手の本は嫌いでした。積極的に読んだり観たりしたことがありません。あえて不快な言い方をさせてもらうと、恋人を癌で殺してお涙頂戴的な物語はここにも書きましたが、がん患者にとって罪悪とすら思っていたのです。
そんな訳で、同種の他の作品のことは分かりませんが、こと「アジアンタムブルー」に関しては、私の先入観念を突き崩すほど力強く優しい作者の意図が窺われました。この物語のモチーフは「死」ではなく「生」だ、と感じたのです。
がん患者のみならず世界中の誰もがいつかは直面しなければならない死というものを、どのように受け止めて生きるのか。逝く者への優しさとは何なのか。
私は「優しい人でいて・・・安心して死ねる・・・」「今は生きているんだ」という言葉に生きる勇気をもらいました。

そして何よりも、がん患者の、少なくとも私にとって嬉しかったのは、私が欲している言葉を、決して裏切ることなく語ってくれているのです。主人公はもちろん、主治医の患者の気持ちに寄り添った姿勢に涙がでました。すべてが理想的すぎる、かも知れません。でも私はこの本を、また読み返したい本の棚に仕舞うことにしました。
『私は思うのです。どんな人生であれ、一人きりで立ち向かう必要はないのだ、ということです。あなたがその患者と二人で散歩している姿を想像します。身体だけではない、こころとこころ、魂と魂を触れ合わせて歩いているのです。彼女に何が起ころうと、一緒にいてくれる人がいる、それが大事なことなのです。これは他人が与えうる最大の贈り物です。』(医師レイチェル・ナオミ・リーメン)【柳原和子・著“がん患者学 Ⅲ”(中公文庫)】より

人は石垣、人は城、情けは味方、仇は敵

2006年02月08日 | がん患者学<Ⅲ>
突然ですが、小泉総理大臣の言う「自助自立」の意味が分かりません。
自助とは他の力に頼らない、自立とは独立(自ら帝王の位に立つ、の意もあるらしい)。小泉氏の民活論の根っことも言える「自助自立の精神」を強要する「構造改革」によって自助自立の道を断たれる危機に瀕している人がいないだろうか?

「民間企業は自らの力で業績を上げようと努力している。成果を挙げるための努力が報われる社会」小泉氏は国会答弁でそのような事を、あの独特な言い方で論じていました。トヨタ・日産はバブル期以上の最高益。FF暖房機回収で私達が想像できないくらいの費用を投じた松下電器も業績見通しを上方修正して15年ぶりに営業利益が4000億円になるという。「日本の企業はスゴイ、です、ね」小泉氏の笑みが目に浮かびます。
今日日、企業努力と言えばリストラ。つまり、事業の統廃合の下での首切り、人員削減に伴う重労働・サービス残業の押し付け、下請けへの脅迫めいたコスト削減圧力、採算性のみを考えた海外生産・・・。これが企業の「自助自立」の正体ではないだろうか?
そこに、企業としての社会的責任感って存在しているのでしょうか?
「国も自治体も企業も個人も自助自立の気持ちが必要」と説く小泉氏自身がなさっていることは、米国から自立できない日本をさらけ出し、権限委譲の題目を添えて住民無視の市町村合併を奨励し、企業の不当な解雇には目をつぶり、増税と「自立支援」という名の弱者切り捨て。
一番、大切な、なにかが、置き去りにされている気がしてならないのです。

病院も例外ではないと思います。
今や病院は設備産業です。より良い検査設備を備えていなければ患者を集められない、と病院経営者は思っています。そのための莫大な設備投資のツケは、結局、患者に回ってくる・・・ことはないでしょうか?
・・・医師は、患者ではなくパソコンの検査結果から目を離さずに診察し、患者の顔色を見ることもなくパソコンに向かってカルテを書き込み、看護師は、取り付く島もないくらい忙しく動き回りマニュアル通りの説明しかせずに注射針を刺す。
・・・患者という人間ではなく、患者の病気にしか興味を示さない医療。
幸いにして、私の主治医も主治医の指示に従って診てくれている近くの病院も、これほどのひどさはありませんが、ややもするとそれに近い状況にならないとも限らない要素は、どこの病院にもあるのではないかと感じています。
「医療制度改革法案」なるものが、その傾向に歯止めをかけるどころか、かえって助長しそうな気がして不安でなりません。

もちろん、国や自治体や企業、医療・福祉の分野でも、人間性豊かで他人への思いやりを大切にされている方がたくさんいます。でも、その方々までもが、トップダウンの「自助自立」におしつぶされてしまいそうな・・・そんなことを恐れているのは私だけでしょうか?
『科学は、医学の最新の道具に過ぎません。医学は科学よりもずっと古くからあるものです。仕事としての医学は数千年間、変わらずに在り続けている。その意味とは、奉仕なのです。他の人々の生命を助け、生命を強め、他者のために存在する。特権を持って、人が生命と死についてとても大事な何かを発見する瞬間を傍らでともに過ごす、患者と共有できる能力なのです。私たちは科学という存在によって、医学、医療の目的と意味から目をそらせています。』(医師レイチェル・ナオミ・リーメン)【柳原和子・著“がん患者学 Ⅲ”(中公文庫)】より

栄養補助食品について

2006年01月29日 | がん患者学<Ⅲ>
錠剤やカプセルのような薬の形をした食品=サプリメントについては、
以前ここでもちょっと触れましたが、その後も、私は飲んで(食べて?)いません。
いただきもののアガリスク粉末とプロポリスのカプセルも、もったいないことに1年半前から放置してあります。もちろん服用(?)しても害はないだろうなとも思うし、健康のためにはいいのかなとは思いながらも、どうもその気にならないのです。

先日、私の病気を知っている友人が○○○○というサプリメントを勧めに来てくれました。
「学術論文もあって効果は学会でも認められているし特許も持ってるサプリだから間違いないよ」と力説しています。友人の前でそのメーカーのホームページを開いてみました。
彼の言う学術論文とはそのサプリの主成分○○○○を取り上げた研究発表であり、学会とは医学博士をトップにして予防医学的な立場で活動する健康管理士さんの協会のようなもの、特許とは○○○○をどう液化するかなどの製造方法なのです。

「○○でがんが消えた!」(医学博士・△△著)みたいなもんでしょうか。
さらに、その原材料はと見ると「○○○○濃縮エキス・アガリクス・霊芝・高麗人参・冬虫夏草・田七人参・プロポリス・ロイヤルゼリー・椎茸エキス・大豆サポニン・杜仲葉エキス・梅肉エキス・アップルフェノン・ブルーベリーエキス・ビタミンC・アルファリポ酸・アスタキサンチン・オリゴ糖」コンビニにずらっと並ぶドリンク剤でよく見かける成分ですよね。
そしてその販売方法がネットワーク商法というんですか、私の感覚では、いわゆるマルチ。販売者に利益が還元されるというやつなんです。

友人の善意には心苦しく思いながらも、きっぱりお断りしました。
サプリメント自体に、あるいはそれを愛用されている方にとやかく言うつもりはありませんし、健康が気になる方が使われる分には百害なくて一利あり(?)かなとも思います。
ただ、病の人、特にがん患者の場合「『がんなのよ』笑って語る友に泣く」(毎日新聞「万能川柳」より)というように、たとえ笑って語っても、同情と偏見は今の社会では避けられないのです。癌よりも不治の病は山ほどあるのに・・・。
そこに「このサプリで治せます!」という情報が押し寄せて来た時に、全く無視できる患者さんがどれだけいるでしょうか?
絵門ゆう子さんは前出の著書の中で、そうした業者を「がん患者を狙う『がんドラキュラ』」みたいな言い方をされていました。

臨床的なプラシーボ療法や西洋医学だけに頼らない代替医療の必要性は理解しているつもりですが、代替療法にどのサプリメントをどのように使うかということが自分自身で判断できない以上、やみくもにそれを使おうとは思わないのです。

先ず、自分の体の中にあるはずの自然治癒力というものを信じたい。そして、その力を高めるために出来ることがあるならば実践していきたい。そう思っているのです。
昨日、K病院でミノファーゲンの注射をしてもらいました。西洋医学で実証されている薬の助けを借りながら、今朝は、免疫力を高めるための呼吸法というのから勉強し始めているところです。
『あらゆる健康食品が、その効能書きにがんをあげている。誰もが決してなりたくない病気の筆頭にあげるからだ。社会において数少ない人が抱く恐怖心は異常、神経過敏として排斥され、多くの人が共通に抱く恐怖心はビジネスになる。』『ブラジルでたった二百円のプロポリスが日本では五千円で飛ぶように売れている。同じ健康食品が四倍の値段をつけて金色の包装にした途端、売り上げが極端にあがった、という嘘か真か判じがたい、まことしやかな嘘が患者の間でささやかれている。』【柳原和子・著“がん患者学 Ⅲ”(中公文庫)】より

呑まない理由(わけ)

2006年01月27日 | がん患者学<Ⅲ>
宴たけなわの頃を見計って、昨日の飲み会には車で乗りつけた。
「なんだよ、遅かったなぁ~。ま、ま、一杯・・・」
「まいったよ、仕事終わらなくって。・・・ダメダメ、車。」
「代行使えばいいんじゃん。」
「いやいや、帰ってからまだ一仕事あるんだよ~」
「なに言ってんのぉ~」「お前が飲まないなんてヘンだよ」「赤い雪でも降らせるつもりか~」仲間たちの一斉射撃をくらった。
「俺だってマジやんなくっちゃいけない時は我慢するよ~」と口をぬぐってみせた。
本当は、我慢してる気など更々ない。今日の今日、あの検査結果を知って酒によだれなど垂らすほどの豪快さは、私にはない。
飲まなくても盛り上げるのは得意だ。「お前、飲まなくてもうるさいなぁ~(笑)」と言われるほどに、いつもの私でいた。
カラオケが始まったのを潮に引き上げようと思ったが、そうはさせてくれない。
「一曲歌ってから!」「赤色エレジーがいいな~」仲間の幸子さんのリクエスト。
「ちょっと暗いな~」と言いつつも、今日は結構上手く歌えるかも、とも思う。
♪愛は愛とてなんになる・・・幸子の幸はどこにある・・・

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『健康こそが最高、長寿こそが最高という価値観の社会・・・そうした文化においては、病者と死者は否定的に扱われる。敗者とされる。』『がん患者を見つめる世間の目には、おびえまじりの同情と、時として蔑みが混ざっている。』

※カテゴリー「がん患者学<Ⅲ>」では【 柳原和子・著 “ がん患者学 Ⅲ”(中公文庫) 】より一部引用させていただきます。