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a lively time

ハラハラドキドキ、ワクワクソワソワの毎日。

お葬式について考える(6)

2012年08月03日 | 生と死
ことの事態は具体的かつより現実性をおびてきてしまいましたねぇ~。

〈終末期を考える〉専門医や看護師が自宅へ http://iryou.chunichi.co.jp/article/detail/20120801135824146 @chunichi_mediさんから

こうなって参りますと、どーでもいいことに対しましては何らかの結論を早めに出しておいた方が良さそうだ、と思ったわけでございますよ。
まずはその第1弾として、
お葬式の【結論】…一切のプロデュースはせず、おかーこと子どもらを含め家族にすべて一任いたしますです、はい。
斎場も戒名も決まっておるのですから今更…の感否めませんし(笑)
どーいったスタンスでわたくしとの別れを設えてくれるのか、を楽しみに(?)したいと思う境地に至っております。

今日は一日、在宅にて入院状態。
お昼の訪問マッサージを待ちながら午前中はベッドに横になったままうつらうつら。マッサージが終ると往診の点滴。うつらうつらのまま点滴も終る。点滴効果の大量の放尿快感を味わって(笑)またまた一休みしてしまいました。

これまでの、こんなに少ない文章も、今のわたくしの頭の回転速度からして口述にしたら何分掛かることか?
恐るべき昏睡に対する予防的なリハビリの意味も込めまして、わたくし、たとえボキャの捻出にこと欠こうとも出来る得る限り想いが伝わるように頑張って少しずつでも書き記すつもりでございますゆえ、なにぶん、よしなによしなに・・・。

お葬式について考える(5)

2012年06月13日 | 生と死
4月に(4)を喋って以来、雑事多忙などで間が空いてしまったのでございましたが「お葬式はするからね!」という連れ合いの思いをどう具体的にしようかなど、それなりに行く先のことはチラチラわたくしなりに考えておりましたのですよ。

当初は、お葬式について考えるのも(5)ぐらいであっさり終らせるつもりでおりましたが、(4)で一反さんから頂いたコメントに、わたくし新たな境地を得たのでございますよ。
死を「個」と捉えようとするわたくしの思考がもたらした論考の浅はかさに気付いたのでございますね。そしてこれこそが、ことお葬式を考える上で最も重要な要因であるわけなのでありますね。

お葬式の主役はどなたになるとお考えでしょうかね?
今更このようなことをお尋ねすると笑われそうで恥ずかしいのでございますが、わたくしはやっとここに来て思いあたったのございます。主役は、喪主・遺族なのですね~。
逝く者は表象であり、役をこなさないでございますよね。寝てるように横たわっているだけでございますから(笑)
その表象である故人との別れの悲しみを一身に引き受けて、お葬式を執り行う!と決めた者のその想いこそが、お葬式の要なのではないかと思ったのでございます。

わたくし既に逆修を戴いた檀家につき一般葬になることは必定でございます。従って、細々な未練がましい要望はございますが(笑)本格的に自主葬的な趣は取り入れられないでございますですよ。
となると逆に、話しは早い。
連れ合いとともに葬儀社・斎場を決めることから始めようじゃないか、ということになったのでございます。縁起でもないなどと言っておりますと、いずれ自身が困ってオロオロしてしまうだろうという不安が分かっている連れ合いでありましたから迷わず賛成でございましたよ(笑)

葬儀社直営斎場に出向きまして施設を見学してサービスの説明も充分に聞いて、連れ合いもここなら満足というところが決まりました!もともと互助会でありますから会員になるとメリット大と聞き、いま連れ合いが正式に入会手続きの書類を書いておりますよ(笑)

わたくしも、わたくしがいなくても此処ならば連れ合いも大丈夫だろうと思いましたですね。
対応してくれたのが、この道32年というベテランのおばさんだったのでございますが、「何でもお任せください。その通りにいたします!」ではないのが気に入りましたですね。
「あれこれすべて事前予約で決めるというは如何ですかね?」と問いましたところ笑いながら“あと一週間ももたないでしょうと言われた方でも何ヶ月か存命されますよね、そうすると事情も変わってくる場合がございますからね。ご親族の方々もおられるので、ご希望通り出来るとは限りませんし・・・微に入り細に入り決めてしまうは、私はお薦めできないです”
とても素直なお答えでございましょう?

一旦入会すれば一般費用の半額ほどの負担で出来るそうなのでありますが、万が一6ヶ月以内に使いたいとなると追加負担が必要なのでございますが、これとて当たり前と言えば当たり前で、満額納めてずっと使わない方とたった2,3ケ月納めて同じ待遇では、逆に納得できませんですよね。連れ合いの入会プランでは、その額にして、20人分のお清め料理代程度とか・・・
まぁいずれにいたしましても、わたくしが6ヶ月以上もてば払わずとも良いわけですから、目指せ12月13日!ってことになりますか!!(笑)

不虚作住持功徳成就

2012年05月17日 | 生と死
過酷な道を歩んできた者たちよ
その重い荷物をおろし
この大きな船に乗るがよい

東西南北上下をこえて
7番目の方角を目指すのだ
君が会いたがっている人は君のなかにいるのだから

静かな風をうけて
感じるがいい
すぐにわかるさ
真実の出会いには
別れなどないことを

君と出会えたから
時はむなしく過ぎていかない

この海からの光をうけて
むなしく過ぎることはないさ
( マーヒー加藤 )

5月8日(火)のつぶやき

2012年05月09日 | 生と死
20:46 from Tweet Button 特集ワイド:先人に学び、備える 対談「理想の死に方」 鷲田小弥太さん/福田和也さん- 毎日jp(毎日新聞) mainichi.jp/feature/news/2…22:54 from Seesmic 鷲田小弥太さんと福田和也の本。読んでみたいなぁ~と思うのは、「死ぬことを学ぶ」の方だ。福田さんの発言の〝現実〟という言葉にのみ 〝 〟が付いているのが、彼の要請なのか構成者の意図なのかは分からないけれど、ぼくはそこに大いに共感する。心という仮想回路では「死」とは向き合えない。by kappapa39 on Twitter

お葬式について考える(4)

2012年04月21日 | 生と死
「釈迦といふいたづらものが世にいでておほくの人をまよはすかな」と、詠まれたのは一休禅師でございますとか。
あれやこれやの「教え」と称する説を弄して「悟り」とは縁遠い今の葬式仏教にたどりついた仏教が、二言目にはお釈迦さまを引き合いに出しますし、葬式が釈迦入滅のしきたりに沿っているとまで言われる僧侶さえおられるのですから、まぁ確かに・・・と思う節もないこともございませんなぁ~。

「恐れとかは、ないですか?」
緩和ケアの先生に、わたくしの思い描く死に際の在り様を淡々と語りましたところ、そう訊ねられたのですよ。
これには一瞬、言葉につまりましたですね。
・・・そのご質問の意味がわからなかったのですよ、わたくし。
で、わたくし「べっつにぃ~」って、いやいや決してエリカ様風ではないですよ!(笑)

何が、死への恐怖心を引き起こすのか?
ずっと考えていたんですよ、わたくしなりに。

ひとつには、死に際の苦しみに対する恐怖が大きいですかね?
意識があって、痛みとかあったらつらいんでございましょうね、きっと。
でもやがて意識は薄らぎ昏睡状態に陥ることは必定でございましょう。昏睡に入ってもなお苦しみの表情は消えない、かも、知れませんが、それは単に身体反応だけではないのか?と思うのでございますよ。
ひゃっくりみたいに、自分の意志では止めることができない身体反応のようなもの、と言ったらよろしいんでしょうか・・・その時、ご本人は、意外に、というか、ほぼほとんど、苦しみは感じていないと思うのですよ。
昏睡という死を迎える準備ができ、いよいよその時が訪れた途端にエンドルフィンとかいうモルヒネ様物質が脳内に分泌されて苦しみを消し去ってくれるだろう、と思うのですよ。少なくともわたくしはその説を信じておるのですよ。
ですから、連れ合いにも言っておりますし、改めてリビングウィルにも認めるつもりでございますが「一切の延命措置はしないでね」
大丈夫!下手な延命治療はしない方が、かえってランナーズ・ハイみたいな(?)陶酔のうちに死ねるはずだからね、って。

来世への恐怖心ってのもございますよね?
あの世の地獄は何とも恐ろしいところで、血の池、針の山・・・いかに恐ろしい世界なのかを強調して、何としても極楽浄土に往生したいという気持ちを人々に刷り込んだのは、浄土宗や日蓮宗などのルーツでもあります比叡山天台の恵心僧都源信だそうでして、その後、親鸞も「地獄は一定」死すれば必ずや地獄に堕ちる、めいたことを仰るものですから、たまったものではありません。あの世の地獄は「当たり前」のこととして、その恐ろしさが衆生に印象づけられたのでございますね~

三途の川やお花畑を見た!という「臨死体験」をそのまま、さもありなん死後の世界のとば口だ、と信じる方はよもやいらっしゃいませんですよねぇ?
臨死体験は、生きてる方が語ることですから・・・外国人の臨死体験に、三途の川はないですから!
現世の人間が勝手にこさえて信仰している宗教による死生観はさまざまですから、その刷り込まれ方によって死後の世界は違って当然なはずですが、死後の地獄も天国も宗教宗派別、な~んて考えている方は・・・マジでおりますかね~?
死という事実に宗教宗派は関係ない、のでございますよ。

そもそも「死」という事実を確認することが出来るのは、生きている人間、しかおりません。
屍を目の当たりにして、その人の死を知るわけですね。
それが古典的な死に方にせよ、脳死のような法律的な死でも、そこに死体があって死を確認できるのです。
ですから不幸にも戦争や災害などで亡くなられて、目の前にご遺体がない場合は、時にはいつまでも生き続けておられることもあるわけでございますね・・・

ですからつまり、死んだ本人は自分の死を確認できない、ということです。
自分が死んだかどうかなんて、死にそうだな~という意識まではあったとしても、死んでも死んだとはわからない。
自分の死体を自分で見るなどということは古典落語の世界でしか起こらない(笑)。それほど滑稽で有り得ないことだということででございますよ~。
川柳ですら「人は皆自分が死んだこと知らず」(諏訪弘史@万能川柳)と詠まれておりますよ~(笑)

ありゃりゃ、緩和ケアの先生の問いからこんなとこまできてしまいました。
閑話休題。
これも一休さんが詠まれたそうですが、
「ゆく水の数書くよりもはかなきは仏をたのむ人ののちの世」
まぁ、流れ行く水に数々書きつらねたところで意味もないじゃぁございませんか、それよりも更にむなしいのは死んだ後のことを仏様に頼むことだよ、ってなことでございましょうが、これはまさに、死後のことになど言及していない釈迦の悟りそのものだと思うのでございますよ!
悟りを求めるはずの仏教が、逆に衆生の迷いを生むに至ってしまったという矛盾が、いまの葬式仏教の矛盾そのものなのだと強く感じざるを得ないのでございますよね~、わたくしは。

葬式仏教の在り方に信心もなく「のちの世」を仏に頼むつもりは毛頭ないわたくしではありますが・・・戒名を授かってしまった!(笑)

理由は、ふたつ。
わたくし自身の祖霊信仰を拭えないのが、ひとつ。
ご先祖を護ってくれているお寺への感謝の気持ちは、ただ単に墓守としてのわたくしの立ち位置だけでなく義務感にも近いものが、わたくしの中にどうしようもなく存在していることを、葬式というものを考える中で気付いたのでございますよ。
もうひとつは、遺る者たちへの想いでございますね。これは結構キツイです。
死んだ本人は死んだのも分からないんだからいいとしても、わたくしの死を目の当たりにする人たちの気持ちを思うと、死んでも死に切れないかも?(笑)と考えたのでありますよ。
残された人たちは、宗教が何であろうが happiness in the other world と逝く者をおくる。
星になれ、風になれ、土に還れ、と菩提を弔う。
祈ることでしか、悲しみを遠ざける術をもたないのですから…

わたくしが愛し、わたくしを愛してくれた人たちのためにも・・・
そして、わたくしの葬式無用論へ向かおうとする論考を引っ込めた決定打は、
連れ合いの「お葬式はするからね!」のひと言。
わたくし、負けながら、うれし涙を流してしまったのであります。。。

【お葬式を考えるにあたって参考となった文献】
五木寛之『大河の一滴』
池田晶子『死とは何か』
入川保則『自主葬のすすめ』
内田樹『ひとりでは生きられないのも芸のうち』
梅津時比古『フェルメールの楽器』
エマニュエル・レヴィナス『困難な自由』(内田樹・訳)
笠置さおり 『「いいお葬式だったね」といわれるために』
島田裕巳 『葬式は、要らない』
島田裕巳 『浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか』
菅純和 『葬式のはなし』
田中治郎『折れない心をつくる名僧の言葉』
土岐佳子 『悲しみの中の静かな笑い』
中川恵一『死を忘れた日本人』
中村仁一『大往生したけりゃ医療とかかわるな』
村越英裕 『ほんとうは大事な「お葬式」』
柳田邦男 『僕は9歳のときから 死と向き合ってきた』
レイチェル・ナオミ・リーメン『失われた物語を求めて』(藤本和子・訳)

改戒名

2012年04月21日 | 生と死
かなり年長のお上人の「本人の希望だから!」にご住職、反論できなかったのかな?
正式に生前戒名(「逆修」というらしい)の授与に伺うも、ご住職はまだ書いてくれていなかった。
「『淡雪』はそのまま春の季語なので院号にするのは避けた方がいいのではと思いまして・・・」
どうやら、本人に直に話そうという腹だったのだろう(笑)
「お名前を生かして峰にのぼるという意から『峰雪』あるいは『渓雪』など、如何かと思いまして」
なるほど!と納得しながら聞くぼくらに、お上人もにっこり笑う。

峰と渓では・・・おかーことも息ぴったりで(*^_^*) 即答!『渓』
三水には、こだわる!…河童だもん(笑)

で、この逆修の授与を正式として受けることになった!


渓雪を逆さにすると「雪渓」・・・あとで調べたら夏の季語、だったけど(笑)
でもそれにしても善い意味で、夏でも消えない高山の雪だし、
谷川の渓谷には河童が隠れているかも知れないと思うと
うんうん!更に良き戒名になったではないか(^o^)/

戒名を授かる

2012年04月09日 | 生と死
淡雪院信覚日昇信士
たんせついんしんがくにっしょうしんし

「お葬式について考える」シリーズもまだ完結していないというのに
戒名を授かってしまった!
ということは・・・
「葬式をします」と宣言してしまったようなものだから(笑)
シリーズの今後は、何故するのか?の言い訳になりそうだなぁ~

ところでこの我が戒名、なかなか良いではないか!
○○に入った「信覚」をなんと読む?
ぼくはこう読む。

・・・自らの覚(さと)りを、あるいは、自らを覚りと、信ずる者・・・

いやぁ~、いかにも、勝手なカッパザルそのものじゃないの!(笑)
余は大満足なり(*^^)v



優しさにつつまれて(2)

2012年04月07日 | 生と死
いつもの道で帰らないことにする。
大学構内を通らず、いつものレストランにも古書店にも、処方箋はでていたけど駅前の薬局に寄ることもせず、8年間利用していた地下鉄の駅とは逆方向へ向かうバスに、病院前から乗り、振り返ることなくT大病院とお別れをした。
いつもと全然違う景色をバスの窓から見ながら、終わりと始まりを想う。

さてと、次は日暮里だ。
お寺に着くも、山本上人に会えなかった。
80歳も半ばで、左耳が聞こえず右耳も補聴器を使わないと聞こえないお上人は寝入ってしまっているらしく、お寺には居るらしいのに呼んでも応えず携帯にも出ない。山門が閉まる5時まで待ったが応答なし。
仕方なく駅前のレストランで本を読みながら時間をつぶす。
7時近くなって駅前から再び電話を入れてみる。
出ないや。諦めて携帯をポケットに入れた途端に着信。山本上人だ!

生前戒名のお願いにあがって、今もまだ日暮里に居ることを話すと
「まだパジャマだから、着替えて出ますよ。どこに居るの?」
お寺に伺いますと告げると「急がないでいいですからね。木戸を開けますから」

レポート用紙とボールペンを持ったお上人が木戸から出てきた。
「前もって言ってくれればいいのに…」と叱られる。
今日はもう遅いですし、お上人のご都合に合わせてまた改めて参ります、と謝るも
「折角、しかも夕方から来てくれてたんでしょ。お話し伺いますよ」と言ってくれる。
閉門後は寺内の立ち入りは禁止されているとかで
「どこか、お店に入りましょう」

入ったお店は、ルノアール(!)
まいったなぁ~、耳の遠いお坊さんと戒名の話しをする場かなぁ~(笑)
幸いにも空いていた店内にほっとしながら隅っこの席をとる。

「生前戒名の話しは聞いていたけど、お盆に行くんだからその時でいいと思ってたのに、なんで?急いでるの?」
いきさつを話す。
会う時はいつも明るいし今日も元気そうなのに、とお上人が目を丸くする。

親父の「慈春院」は春に亡くなったから「誠山」はお上人が感じた親父の人柄「日進」は文字通り日蓮宗と俗名の進に「信士」がついて、九文字戒名。
字数が多くなったり「居士」が付くと、戒名料が高くなる…
親父と同じグレードでお願いする。
「そうだね、高い戒名が付くと、その後のお布施も弾まないといけないからね」と笑う。

戒名に入れたい字を尋ねられ、あれやこれや上げる。
戒名にふさわしくないと思われるものは遠慮なく却下される。
お上人も次々を候補をあげる「あなたはまだ若い、青春で清春はどう?」
勘弁してくださいよ、お上人に比べれば若いですけど、もう還暦じじいですよ、と笑い合う。
「春あわくと書いて、淡春とか・・・文学的であなたらしい」
ちょっと照れますね、でも親父も春だし、第一、来春まではもたない…それにしても、その淡いはいいですね・・・淡い雪はダメですかね?スキーが大好きなんで、雪山の「雪」。
「淡雪院?」
ええ、人生も淡い雪の如し・・・(笑)
「あはは、じゃぁ、雪の降るまで生きなきゃいけませんよ!」とお上人は微笑む。

『淡雪院○○日昇信士』と決まる!
○○はお上人にお任せすることにした。
「分かりました。住職に諮って決めておきましょう」

爺や親父の思い出話しをしながらの雑談で
おふくろより早死にしてしまう親不孝を嘆く。
ややおいて、お上人が目を細めてつぶやいた「ろうしょうふじょう」
ロウショウフジョウ?
「人の寿命に老少の定めはない、ということですよ。寿命、天命に老いも若いもない。だからあなたもあなたのせいではない・・・親不孝などと自分を責めてはいけません」

『老少不定』

ありがとうございます、の言葉がつまる。。。

お葬式について考える(3)

2012年03月11日 | 生と死
「夜中に爪を切るもんじゃないよ!親の死に目に会えなくなるよ!!」
わたくし幼少のみぎり、ばぁちゃんによく叱られたものでございます。
昔は、夜に爪を切ることのリスクが大きかったのでございますね。
まずは灯りが暗い・・・わたくしらの時代ですら居間でも40W程度で便所などは二燭の球が当たり前でしたから、それ以前からの言い伝えだとしたら蝋燭の灯りでしょうから、そんな中での爪切りは危険極まりないでございますよね。切るための道具も今のような爪切りはございませんでしたから、わたくしの頃は裁ち鋏、それ以前は小刀みたいなものだったのでございましょうね。そうなると、指先を傷つけたり深爪のリスクがあるわけでございますよ。
でもって「夜中に爪を・・・」は合点がいくのでございますけれど、問題はその後の脅し文句なのですね~。

「親の死に目に会えない」というのが、禁止事項を正当化するための最も強力な根拠となっているところなのでございますよ。
このことに、何とわたくし、ふと気が付いたのでございますよ!
すると途端に、ですね、あまた葬式本に書かれている諸説がここに集約されることを発見したのでありますよ。
我ながらスゴイ!あはは
言い換えれば「親不孝者になっちまうよ!」ということではないのかと・・・

民俗学の柳田國男先生が、日本人の信仰の根本は「祖霊信仰」と仰っておりますよ。しかも、その祖先崇拝は日本固有の伝統で、仏教の影響はないと断じておるのですよ。
まぁ確かに、歴史小説など読んでましても、と言ってもわたくしが読みますのは武士台頭以降のもが多いので尚更かも知れませんが「家」を守る戦いでございますよね。
時代背景として宗教の描写はあるものの、もともと日本人に規範となるような宗教観がないことを裏付ける物語ばかりで、信長をして「我こそが神」と宣うヒーローが登場する歴史だったわけでございますから、神仏より「家」つまりご先祖様大事という日本人の祖先崇拝論は理解できますですね~。
その「祖霊信仰」が脈々と今に伝わり、最も近しいご先祖となる親をないがしろにするでないという思想の一端として上のような言い伝えが残っているのではないかと思うのでございますよ。
もちろんそこには儒教なら何やらの影響云々もあろうかとは思いますが、その点はわたくし寡聞にて多く語らず(笑)

祖先崇拝と仏教が見事にマッチングしたのが江戸時代の「寺請制度」でございますよ。
キリシタンなどの禁教信者ではない証拠として、村の者は揃って村内の寺の檀家になることを強制されたのですね。そして村内の者が死ねば戒名を与えて仏式葬式をして過去帳に記すという、お寺が幕府行政末端の戸籍係りの役割をしいたわけでございますから、否が応でも、仏教は葬式仏教となり習慣化したというお話しとなるわけでございます。

が、そこにはその前段となるお話しがあるわけでございまして、学問としての仏教が如何にして大衆化され如何にして今のような仏式葬式が定着したのか?ということでございます。
仏教の大衆化に道を開いたのが親鸞であることには世に異論はなさそうですな。
難しい書物も辛い修行も要らないし、いかなる者でも念仏を唱え阿弥陀仏に救いを求める他力本願で西方極楽浄土への往生ができるという浄土教の教えでございますから、念仏信仰として仏教がまたたく間に広がったのは推論を待ちませんねぇ~。
でもまだここでは葬式は形式化されてませんでございますよ。念仏行だけで浄土往生できちゃうんですから葬式なんか不要なわけでございますよ。

ここで登場するのが神秘的な力を持った僧侶。疫病を追い払ったり加持祈祷を行なう密教なのですね~。これも大衆に受け入れられて仏教界を席捲するわけですね。
まず禅宗が加持祈祷やら祭礼を取り入れるんですね。
そしてもともと出家得度した者に授ける戒名を僧侶になりきっていない修行途上の者、立場的には在家に近い者が亡くなった折にも与えたそうなのですね。それの延長線上で、まったくの在家にも一旦出家したものとして戒名を授けるという今のような葬式のやり方が定着したのだそうでございますですよ。
念仏・加持祈祷・祭礼と、これまた見事なマッチングでございましょう!

こうした謂れをみてきますと、葬式の合理性みたいなものは理解できたとしても、どうもでっちあげの感が否めない気がしますですよねぇ~(笑)
もう少し、(5)あたりまで、引き続き考えてみようと思っておりますところです。はい。
【参考文献】島田裕巳『葬式は、要らない』

今日3月11日。
自分の葬式をどーするべか?などと雑文を記せる境遇に感謝しつつ、14時46分には謹んで黙祷を捧げたいと思っております。

お葬式について考える(2)

2012年02月19日 | 生と死
どうにも困ったことにですね、お葬式にまつわる本をば乱読しておりましたら、葬式などどーでもよいのではないかと思うようになって参りましたですよ(笑)

わたくしの葬式となりますと、もちろんのこと仏式でございますから、仏教の開祖であられますお釈迦さまのお考えから知りたいものでございますが、これがまた諸説紛々あるのでございますですね。
死んだ後のことは死んでみなきゃ分からないんだから生前に死後のことを考えたり語ったりするのは無駄だとお説きになりまして「私の葬儀に関わるな」と仰られたという説が主流ではございますが、自らの葬儀を弟子に指示して、それが原型となってですね「お釈迦さまをお送りするのと同じように」今の葬式は執り行われているのだと言われる御仁もおられますですよ。
でもまぁ、わたくしめら素人が考えましても、仏教の悟りとは「無常」でございましょう?あらゆる執着を捨て去ることを悟りと考えますれば「死んでみなきゃ分からない」というのが「葬式仏教」となる前の仏教の本義のような気がしますですがね~。

死者を葬ることを第一の使命とするのが「葬式仏教」なわけでございますが、日本に仏教が伝来して以降、飛鳥時代とか奈良時代に多くのお寺が建てられまして今も現存する法隆寺や薬師寺などにはお墓や檀家がないそうでございますね。さらに驚くことに、それらの寺の住職やらが亡くなってもそのお寺では葬儀をしないで別の宗派のお坊さんにお任せするそうですよ。今日でもそーだと言いますから、本来の仏教は葬式仏教とはまったく無縁であった証しでございましょう。

はてさて、いかにして仏教=葬式となり、はたまた日本にしかないという「戒名」なるものが出来上がったか?といことにつきましては次回、お葬式について考えるのココロだぁ~(笑)

【参考文献】
島田裕巳 『 葬式は、要らない 』
菅純和 『 葬式のはなし 』
村越英裕 『 ほんとうは大事な「お葬式」 』

お葬式について考える(1)

2012年02月05日 | 生と死
まぁナンでございますね。
「死ぬ死ぬ」と騒いでた人が案外長生きしたり「死ぬもんか!」と言い張りながらポックリ逝っちゃう方もおりますですね。どちらにいたしましても、また、その死にかたの幸不幸と申しますか、不本意な突然の事故死から大往生まで様々ではありますが、人が死ぬということに関しましては“絶対”という言葉が堂々と使えるほどに確かなことでございますですよね。

人が死ねば当然のこと常識的に葬式が執り行われてきた訳でござますが、今日日の、ナンと申しましょうか、価値観の多様化とも経済の梗塞的不景気のせいとも言われておりますが、お葬式を見直そうなんて輩の話題が取り沙汰されておりますですね。
葬儀屋さんなんぞも家族葬やらなんやら小さなお葬式の新企画を盛りだくさん売り出しておられますから、まぁ時代の趨勢なのでございましょうね。

確かに、かく申すわたくしめもこれまで数知れずの葬儀に出向き、あるいは喪主なども務めた経験から、お葬式とはナンだろべか?と考えさせられることが多々ございましたでございますよ。でもってですね、ここで改めましてお葬式について考えてみたいなどと考えたのでございますよ。

その切り口なのでございますが、これが結構難しいのでありまして、フツー亡くなった親族を送るために遺族がどーゆーふーなお葬式をしようか?という、あるいはどーするのが妥当なのかとのお話しになると思われるのでございますが、わたくしめはナント、わたくし自身の葬式を如何せん?という下心ゆえ、長丁場の論考も覚悟の上で思いをめぐらせてみたいと思うのでございます。はい。
では、そろそろ始めさせていただきますです。

まずはお葬式の意味づけから参りますか。

古来、人間は対象喪失のショックと
悲しみをくぐりぬける方法として、
みごとな宗教的儀式を慣習化してきた。
仏教で言えば、通夜、葬式、埋葬(納骨)、初七日、三十五日、
四十九日、一周忌、三回忌・・・等々である。
そうした「喪の作業」を一つひとつ経るにつれて、
愛する人の死という現実を受け入れ、
悲しみを胸の奥に秘めつつも、
日常を生きる心の平静を取り戻していく。
(柳田邦男『僕は9歳のときから 死と向き合ってきた』)

宗教行事が日常的だった大家族の形態が維持されていた頃はでございますね、こうしてグリーフ・ワーク(悲嘆を癒やす仕事)は葬式によって充足されていたのでございましょうし、送る側の根っこを想えば今もそうなのかもしれないなぁ~とは感じられますですね。

「正しい葬送儀礼を行わないと死者が祟る」という論もございます。

正しい喪の儀礼とは、
「死者があたかもそこに臨在しているかのように
生者たちがふるまう」ことなのである。
手を伸ばせば触れることができるように、
語りかければ言葉が届くかのようにふるまうことによって、
はじめて死者は
「触れることも言葉が届くこともない境地」に立ち去る。
死者に向かって
「私たちはいつでもあなたとコミュニケーションできるし、これからもコミュニケーションし続けるだろう」と誓約することによって、
死者は生者たちの世界から心安らかに立ち去るのである。
(内田樹『ひとりでは生きられないのも芸のうち』)


死んじゃうちょっと前の昏睡の中でも耳は聞こえているのではないかと言われておりますですし、わたくしめもそのように思うのではございますが、息をひきとった後は分からないでございますよね。
でも逝くときに、言葉が届いているという安心感?は何となく分からないでもない気がしますですね~。

祟りとといえば、葬式無用論者の白洲次郎は

死の五年前に残した遺書が、
一、葬式無用
一、戒名不用
であった。
これが彼の遺言のすべてで、生前の白洲は、
知りもしない人間が義理で葬式に来るのを嫌い、正子夫人に
「葬式をしたら化けて出るぞ」と脅かしていたという。
(島田裕巳『葬式は、要らない』)


何も告げずに逝く人よりも我が身の死後の段取りまで語る御仁のなんと怖ろしいことか!(笑)
白洲の葬儀は遺族の酒盛りだけで、さらに正子夫人が亡くなったときも葬式や告別式は行われなかったそうでございますですよ。

死んだら遺族にお任せすりゃぁよござんしょ、という気持ちもなきにしもなのではございますが、死ぬ時ぐらい、しかも死が予想できる境遇にある身の上を考えますれば、人生のフィナーレのプランを練ることを楽しむってのもアリではございませんか。
もちろん、そうならなかったからといって「化けてでる」という罰当たりなことをするつもりは更々ございませんが!はい(笑)

すべてを受け入れられれば

2011年12月24日 | 生と死
神の子が人として生まれる日のイブに、一編の小説を読み終えた。
そのラストシーン

「投げた、のではない、委ねたのだ、と萌は意識の残る最後の瞬間に思った。
風が耳元で渦を巻いた。落下していく幸福感が飛翔につながる。肉体は落ちていくのではない、舞い上がっているのだ、と感じたその直後、萌の意識のシャッターがおろされ、一切は幸福な無に帰した。」

(小池真理子『瑠璃の海』より)

海に身を投げる気なんて更々ないけれど、その瞬間、あるいはその瞬間が近づいたなと悟った時に、こんな風に思いたい。

贖いは永遠の命のためでなくていい。人の死が幸せであるならば…

最期の言葉

2011年04月26日 | 生と死
おふくろに会いに行った。
「連休明けに病院に入るからさ」
病院までの交通費だよ、って一万円!もらった(笑)
「でも、いつ行くか決まってないし」
予約じゃないの?って問いに
「ベットが空いたら連絡来るはず。直前なんだ・・・」
おふくろは(?・・・)
手術入院とは思ってないようだな、と察する。
が、(実はネ・・・)とは言えなかった。

優しさ、って
相手を思いやる気持ちだよね。
だとすると、
ぼくの今日の対応は間違って、ない、よ、ね・・・?

ぼくはぼくという固体の死に対して
何の怖れもない。断じて言える。
ぼくが怖れているのは「死の予感」だ。
そう!
縁起でもない・・・
もしかしたら、これって、虫の知らせ・・・
みたいなものに対峙した時の心持ちが
異様に気味が悪いのだ。

60歳で死んだ森鷗外が49歳の時に書いたという『妄想』の一文が
『人間臨終図巻Ⅱ』(山田風太郎著・徳間文庫)に引用されていた。
死を怖れもせず、死にあこがれもせずに、自分は人生の下り坂を下って行く
ついでに調べてみたら
その前段はこうだった。
人は最初に遠く死を望み見て、恐怖して面を背ける。次いで死の廻りに大きい圏を画(ゑが)いて、震慄しながら歩いてゐる。その圏が漸(やうや)く小くなつて、とうとう疲れた腕を死の項(うなじ)に投げ掛けて、死と目と目を見合はす。そして死の目の中に平和を見出すのだと、マインレンデルは云つてゐる。 さう云つて置いて、マインレンデルは三十五歳で自殺したのである。自分には死の恐怖が無いと同時にマインレンデルの「死の憧憬」も無い。

「病気を直すのは人間のヴァイタル・フォースだ」と言っていた鷗外は、死と目と目を見合わせるに至って
「コレ(最後の著『元号考』)ヲヤメテ一年長ク呼吸シテイルト、ヤメズニ一年早く此世ヲオイトマ申ストドッチガイイカ考物デアル」といって、「ドンナ名医ニモ見テモラハナイト云(いう)結論ガ生ズル」
と言って、やっと医師の診察を受けたらしい。
更に同書には、鷗外の最期の言葉が記されている
「馬鹿馬鹿しい」という呟きであった
因みに同書より、鷗外と同じ60歳で没した方々・・・
日蓮上人が病にて・・・
『カラマーゾフの兄弟』が完成し3ヶ月後にドストエフスキーが・・・
明治天皇も・・・
あまりイイ死に方じゃなかったみたいなスメタナとクラーク博士・・・
そして、ぼくの事務所にデンと額装された
親父の遺品でもある版画の作者、谷内六郎は、自死らしい・・・

STARLIGHT NIGHTS

2010年02月07日 | 生と死
電気も水道もガスもない100年前のアメリカ・オハイオ州。
ラジオもテレビも映画もレコードも自動車すらない世界・・・(略)・・・私がまだ幼くて一家の牛番だった頃、ずっと夏の日々を過ごしたのが、このあちこちに散らばった牧草地や林だった。・・・(略)・・・泳ぐことを覚えたのも、三キログラムもある鯉をつかまえたのも、まるまる一分間水に潜っていたのも、よく噛みつく亀を、眠っている間にしっぽをつかんで生け捕りにしたのも、青りんごを食べ過ぎたのも、死についての考察を心に刻んだのも、横笛を吹いたのも、すべて、牛の朝食時間中のことだった。
(L.C.ペルチャー@鈴木圭子:訳『星の来る夜』地人書館)
素晴らしい時の流れの中で、やがて彼は星と出会う。
北斗七星しか、ぼくは分からないけれど、100年後の今の科学は
夜空のどこかの星の死によって、宇宙空間にまき散らされた元素が、今の私たちの命を支えています。そして私たちの死によって、それらの元素は大地や空気の一部に戻ります。
(中川恵一@毎日新聞『Dr.中川のがんから死生をみつめる』)
彗星の76年周期を予測したハレーも、予測どおりに彗星が出現し、その論が証明される前に没してしまったとか。更に宇宙ですら
100億年以内には、私たちの天の川銀河と、お隣のアンドロメダ銀河が衝突すると予想されています。・・・(略)・・・地球と人類の歴史、そして宇宙にも寿命があるのです。
(中川恵一@同)
立山で見たような星空はこの辺じゃ観られないけど、時には夜空を仰いでみよう。

存在(2)

2009年12月20日 | 生と死
昭和19年の軍国青年が21世紀にタイムスリップ。
五十年後の日本は、多すぎる物質と欲と音と光と色の世界だった。誰もが自分の姿を見ろ、自分の声を聞けとわめき散らしている。謙虚も羞恥も謙譲も規範も安息もない。
 これが、自分たちが命を捨てて守ろうとしている国の五十年後の姿なのか?
 予科練でも航空隊でも、吾一たちは皇国を守る盾になれと教えられた。
 何を守るために?
 国土か?
 天皇陛下か?
 芳子がいなくなってしまった自分の家か?
 色とりどりの髪と服で着飾って街を歩き、あらゆる品々を買いあさり、あらゆるものを食い尽くすこの者たちの親や祖父母か?
 服を着せた犬をか?
命がけで守ろうと必死こいたところで・・・こんなもんじゃん!・・・などと思っていたら
 二十一世紀の日本の自堕落で無秩序で、道義も節度もなくした現状を、吾一のように知ってしまったら、ミッドウェーで、ガダルカナルで、サイパン島で、あらゆる場所で御国の為に命を散らした多くの英霊たちは、さぞや嘆くだろう。
 しかし、戦争に負ければ滅亡すると教えられた祖国は、なぜか戦争前より富み、多くのモノと情報と利便にあふれている。飢えて死ぬ者も、戦争で死ぬ人間もいない。吾一には生きづらい時代だが、この時代の人間が、この世の中で幸せなのであれば、それで別にかまわない。
・・・その時代に、自らが存在する意味。。。
そして更に、吾一と入れ替わって昭和19年にタイムスリップしてしまったけれど、どうしても21世紀に戻って恋人・ミナミに会いたい健太は思う。
 そうとも、特攻なんてまっぴらだ。俺は自分のために、イクんだ。自分の意思で突っ込むんだ。十死零生とやらはくそくらえだ。ほんのわずかとはいえ、生きる可能性があるから、こんなことができるんだ。きっとそれは最初から死ぬつもりの覚悟より強いはずだ。
(荻原浩『僕たちの戦争』双葉文庫)
・・・最初から死ぬつもりの覚悟より強いはずだ・・・