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a lively time

ハラハラドキドキ、ワクワクソワソワの毎日。

12月25日(日)のつぶやき

2011年12月26日 | 病状経過
09:02 from Seesmic
入院して四日目にして2度目の採血。自慢の肝機能に副作用が行ってないことを祈るぜ!
10:58 from Seesmic
ここの大学病院に都合7回目の入院で、主治医が病室に顔を見せなかった日は一日たりともない。今日もXmas・日曜日だけどさっき来て診ていってくれた。初診で診てくれた教授がNHK「仕事の流儀」に出演した時のサブタイトルが"365日24時間医師"…本当に頭がさがる。
14:58 from Seesmic
そう言えば、お医者さんに薬のメニューってないね。「どれになさいますか?」ってない。処方されて薬局行って突然請求さる。バラクルードを始めた時は「止めるとリバウンドの危険性があるので飲み続けないといけない。1ヶ月約1万円かかります」と聞かされた。ネクサバールは?いくらかな??
16:50 from Seesmic
カラヤン広場前のいつものお店なう。超満員なり。かろうじてカウンターに立てるスペースがあってホッ(笑)
17:14 from Seesmic
所場かえて、パン屋さんでサンドイッチセット http://t.co/VzfC1ouB
21:15 from Seesmic
サントリーホールのパイプオルガンを初めて聴いた。バッハ2曲とヘンデル。ヘンデルに神の倍音。
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12月24日(土)のつぶやき

2011年12月25日 | 病状経過
10:53 from Seesmic
副作用予防に保湿クリームをひたすら手足に塗り込むだけ。注射もないし検査もない。副作用の現出を待つだけの、かつてなく暇な入院生活。ネクサバール「服用ハンドブック」に…日常生活ではストレスをためないように、普段通りの生活を…とある。明日は予定通り、佐渡裕&東フィルの「第九」に行く!
13:01 from Seesmic
お昼は選択メニューからコロッケパンとホットドック☆彡。食堂から戻ると病室前が満員電車…教授回診。ちゃんと手を診て(?)見てくれたよ。午後のひと時は堤智恵子のDVD。可哀想に智恵ちゃん、ココのテレビだと、かなりふくよか、よ(笑)
http://t.co/lR3vLfVf
15:05 from Seesmic
2時の検温、午前と同じ36.5℃、を済ませてからいつもの時間割通りシャワー。「入浴後はどんどん乾燥するから直ぐにクリーム塗ってね」という看護師さんに従い、パンツ履く前に(笑)手足スリスリ。シャワー後にはおやつ。いつものコーヒーとミックスナッツに加え、今日はニセコ土産の六花亭!
17:43 from gooBlog production
すべてを受け入れられれば http://t.co/oTppMemO
18:06 from Seesmic
見えるかなぁ~?病院の食堂から見た、Xmasイブのスカイツリー http://t.co/4SoMjnEx
18:32 from Seesmic
イブのディナーは(笑)ケーキ付き(^_-)-☆ http://t.co/GyX2FRR3
by kappapa39 on Twitter

12月23日(金)のつぶやき

2011年12月24日 | 病状経過
08:00 from Seesmic
スタッフステーションからも離れてるし二人部屋にぼく一人なのに相変わらずよー眠れんなぁ~。寝汗をかいた。保湿のための手袋・靴下のせいかな? …娑婆は寒そうだなぁ~ http://t.co/f5OFei6P
19:34 from Seesmic
なには ともあれ 「ふぁいと!」(^_^) っていうクリスマスカードを持ってカッパ君が来てくれた!よう来たよう来た、ありがとうo(^o^)o。一緒にお薬飲んでくれるって(^_-)-☆
http://t.co/U6saMCar
by kappapa39 on Twitter

12月22日(木)のつぶやき

2011年12月23日 | 病状経過
09:27 from Seesmic
副作用予防のためにケラチナミンとウレパールを手足に塗り込んで、2011/12/22AM9:15 ネクサバール200mgx2 服用開始。
20:42 from Seesmic
薬剤師さんが副作用のコントロール方針をこと細かに教えてくれた。発疹系はステロイド軟膏。運良く万が一、退院前に症状が出現しなくても処方してくれるようにお願いする。ただホント新しい薬なので副作用を把握しきれない。気になることは何でも言って、とのこと。とにかく夜の200x2を飲む。
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意地と誤解の終末期

2011年12月22日 | 病状経過
ネクサバール(ソラフェニブ)投与説明文書と治療同意書がベッドに置かれてあった。80%に何らかの副作用がある、というのは覚悟はしていたし、出現したらマトモな生活は厳しいかも?とも思っていた。それは当然書かれてあったが、更に予防のためのセルフケア…ありゃまぁ、これじゃこの薬を飲み始めた時点で生活が制限されちゃう、ってことじゃないか!
…聞いてねぇよ。
…仕事も普通に出来るし、スキーだって出来ちゃう現状を今捨てる?

ここで突然、終末期の話しになり、
…自覚症状がでるまで今のままってダメか?
…どうしても今!ってんだったら今はもう終末期に入ってるってことだろ?
…終末期だったら余計、延命の為に普通の生活を捨てたくない。
…明日からの投与は中止してもらおう!
と、なる。
延命治療拒否、最期どう生きるかは自分で決める、というこだわりへの意地、か?
おかーこが居なかったら、突っ走っていたかも知れない。

説明に来た若いNM医師に対して開口一番「明日からの投与、止めて下さい」と言い放つ。
…これはぼくへの説明文書じゃない。今のぼくの肝臓にはがんはないし。
言いがかりから始まって、末期がん患者としての想い、終末期の持論を繰り出す。
…どっちにしても延命が目的の薬なのだし…
おかーこもこちらのスタンスで臨む。

結局、NM医師の辛抱強さに負けた(?)。…いや、助けられた、か?
局所療法不可の肝がん患者は、緩和ケアしかない…とは、ぼくの完全な誤解だったようだ。延命と緩和、末期と終末、同じ意味ではないようだ。
ネクサバールは、まさにぼくのような症例のために出来た薬だということだ。決して治りはしないがQOLをギリギリ確保できる可能性があるという薬なのだ。

7年前の初発時にはB型の抗ウィルス薬はなかった。3度目の肝内新発後に飲み始めて、副作用も再発もない。「2度目の手術後に飲み始めてれば…」と、AK先生は悔やんだ。

ぼくの想いに頷きながら、時にぼくの為に良いことであることを、投げることなく辛抱強くNM医師は対応してくれた。「経口薬とは言え抗がん剤です。ネクサバールは新しく出来たばかりの薬ですから特に安全に使うことが大前提です」

迷っていると、おかーこが口を出した。
…通常の生活ができないほどの副作用が出てきた場合、服用を中止してもリバウンドみたいな悪影響はないんですね?
「それはないです。使えなくなるだけです」

先生が、再考を促して、同意書まで詰めずに去ってから
…おとーはこれまで結構、運が良かった、でしょ?今度も、ちょうど運良く新しい薬が出来たし、きっと大丈夫だよ!飲んでダメなら…
…そこからかな?!ホントの終末期は…(笑)
…飲んで辛い思いするのはおとーなんだけど…
…どっちにしても最後のチャンス。乗ってみるか!行けるとこまで…
…運良く、いいこともあるかも?

…バーカ!希望もちすぎるなよ~~
と言いつつ、改めて、気合い入れだ!

12月21日(水)のつぶやき

2011年12月22日 | 病状経過
10:46 from Saezuri
出発前に堤智恵子の元気印のサックスを聴いて気合入れだ。先生に任せるしかなかった手術入院の時とは違う高揚感・・・これからは自分で何とかしなくてはいけない。どうなりどうしてどうしたいかどうすべきか、自分で決める。
20:59 from Seesmic
明日からネクサバール(ソラフェニブ)の投与を受ける。懸念の副作用と、その予防の日常生活注意に駄々をこね、一時は服用拒否を口にする。が、若いNM医師は粘り強くじっくりとぼくの想いを聞いてくれた。おかーこも居てくれてホントに良かった。「おとーは今まで運良く来たじゃない!」うん(笑)
by kappapa39 on Twitter

12月20日(火)のつぶやき

2011年12月21日 | 病状経過
17:27 from gooBlog production
なんともグットなタイミング http://t.co/GNSxV6kz
21:00 from Seesmic
そうだ!NPOキャンサーネットジャパンの講演を10月に聞いたんだ。分子標的薬の話しがあったような…化学療法を含む延命治療はしない!という思い入れが強すぎてスルーしてた。CNJサイトのビデオを見る。まさに、ソラフェニブについてだったのだ。入院前に思い出して良かった!
23:11 from Seesmic
経過時間の期間の違いはあっても、エビデンスに沿った経緯(?)で終末期に入ったということか。まだ自覚するほどの末期症状がないのが幸いだ。冷静に考え続ける為にも、今のうちに緩和ケアチームの応援を頼もうと思う。
by kappapa39 on Twitter

なんともグットなタイミング

2011年12月20日 | 病状経過
病院の入退院センターから連絡がきた。
「お待たせしてすいませんでした。突然ですが明日なのですがいかがでしょうか?」

・・・スキーはしてきたし
・・・明日が年内最終納期の得意先への発送も責任もって今日できるし、問題なし!
・・・若干、筋肉痛が残ってるけど(笑)
いつもの外科病棟に入ることになった。

昨日のスキーもなんというタイミングだったろう。
ナガピーがチェアスキーヤーのレッスンに来ていた。
挨拶をして格好つけて滑り出しフーフーしながら一気に降りてきたら、チェアスキーがスーっと脇を通り過ぎた。後ろからナガピー「上体突っ込まずにココ、ココ」と腰をギュッ!ギュッ!っとジェスチャーでワンポイントアドバイスをしてくれた。お~、その後の滑りのなんといいこと!<自画自賛(爆)
風もなく時折粉雪舞う絶好のスキー日和に恵まれビンビン滑る。

帰りしなの駐車場で、やはりチェアスキーヤーをサポートしてた人に声を掛けられた。「おつかれさま~」
・・・あ、どうもこんにちわ
「あれ?オレ知ってるよ」とぼくを指差しゴーグルをはずした。
「ジェイです。覚えてる?」
・・・ありゃぁ~~!一本足スキーのターンを最初に教えてくれた先生を忘れるはずないですよ!!20年経った今でも「タマゴタマゴ」忘れませんよ!!!と握手握手。
「さっき見たけど、気持ち良さそうに滑ってたね~。良かった良かったずっと続けていてくれて!」
・・・ウルウルしちゃう。何と嬉しいことを言ってくれるんだろう。もう!

最後になってしまうかも知れないスキー場での新旧の恩人との出会い。・・・望外のことが起こりうるのも、人生なんだ!

2011年12月8日(2)

2011年12月18日 | 病状経過
診察室で読んでいなかった【放射線レポート】を引っ張り出す。

Impression:縦隔、腹部に多発リンパ転移が明瞭化しています。所見:肝門部や腹腔動脈周囲、両側腎門部を含む傍大動脈領域、気管分岐下レベルの食道背側にリンパ節転移性腫大が明瞭化しています。いずれも低分化型肝細胞癌の転移として矛盾しない形状、分布です。・・・

CTの画像を見た時よりも、数段おそろしい・・・条件反射のようにオーダーしてしまったグラスビールを干した。

・・・去年肝内にできたがんは高分化、3年前のは中分化と言われた。初発のがんが低分化だった。そうだ!で、血管浸潤の疑いがあってステージⅢだったんだ。ということは、そのがんが7年かけて徐々に広がった?
・・・それにしてもたった4ケ月だぜ!8月の【放射線レポート】の所見は腹腔内に新たな有意なリンパ節腫大の出現認めません。だったはず。
・・・なんだよコレ!たった4ケ月の間に一気に肥大化したって、どういうことよ!?

スパゲティーを半分残し食後のコーヒーも断って店を出た。
夕方からの予報だった雨が落ちていた。
マフラーをほっかむりして歩く。
メールの着信、おかーこからだ
「どうしたの?まだ病院なの?心配よ」
いつもの薬を処方してもらうために薬局に寄る。
返信「こちらは雨。いま薬局。」

2011年12月8日

2011年12月18日 | 病状経過
大学構内を出て、正門前のいつも寄るレストランでAK先生とのやりとりを反芻する。

「術後3ケ月のCTにまったく異常がなかったので安心してたんですが、その後4ケ月で、こんなになってるんですよ」
CT画像を上から下へ、下から上へと何回も移動する。
「これが、これも、ここも・・・リンパ節です」
「胃の裏側の大動脈に沿ってずっと腫れています」
「手術で取ることはできません。全身療法しかありません」

・・・もしかしたら先月からあった背中の圧迫感は?
「・・・自覚症状、かもしれません」

・・・そんな!自覚症状がでたらもう長くないじゃないですか!?
・・・外科のAK先生が手に負えなければ諦めます。
・・・延命治療で残された時間を潰したくありません。
・・・外科的治療成績の向上で伸びた生存率の後追いで行われている化学療法は未だに試行錯誤の状態ではないんですか?
・・・先生、このまま何もしなかったらどのくらいですか?

「そもそも何もしないというのはもったいないな。この状態で、この病院での唯一の選択肢は新しい抗がん剤(分子標的薬)ソラフェニブしかありませんが、ソラフェニブは経口薬で、始める時に一週間入院してもらうことになってますけど、その後何度も入退院を繰り返すようなこともない。定期的な通院だけなので時間を拘束されることは少ないと思いますよ。他にもJ大病院などではリンパ球療法も行われてますしね。何もしないというのはもったいない」

うつむいて、成績優秀な血液検査結果表に目をやりながら再度訊いた。
・・・このまま何もしなかったらどのくらいですか?

AK先生は優しい。ほんとに優しい。
こともなげに余命宣告する医師が多いと聞くが、先生はそうじゃない。
「早急に入院して薬を始めましょうよ」と繰り返す。

さらに訊く
・・・父は手術不可の肝がんで塞栓を何度かして1年でした。ぼくの場合は?

頭の上を通り過ぎた先生の小さな声がこだまのようによみがえる。
「自覚症状が厳しくなるのに数ヶ月・・・」

一週間過ぎても

2011年12月17日 | 病状経過
一週間前の、12月8日の検診日までは、
今日17日のこの時間につぶやくひと言は決まっていた。
「羽田空港なう。これからニセコにGO!」

「う~ん、来週入院して薬を始めましょうよ。スキーは落ち着いてから・・・」
これまで5回の入院では、ほぼこちらの都合を聞き入れてくれた主治医の、いつもとは違う強い言い回しに驚き素直に従うことにする。

帰り道、近々の予定を全てキャンセルし、とっかかりの案件を保留してもらわなければ・・・と、電話をしまくりメールを打ちまくった。
この大学病院に通いだして7年。毎年見てきた構内のこの時期の銀杏も、これが見納めかな?なんて思いながら・・・


そして今日、
白銀への機中ではもちろんないが、はたまた白衣の天使にかこまれた病室でもない(笑)
入院連絡がこないまま一週間が過ぎてしまった・・・^^;



後遺症だと思う

2011年12月16日 | 病状経過
11月の検診から、HBV-DNA値以外にこれといった所見もなく異常なしと言われた検診から、一週間ほどしてのこと・・・

その頃入院中のばぁは、二週間の食止めの後お粥を食べ始め「貧血は進んでいないけれどHb数値が低いので輸血をして再出血がなければ退院」までこぎつけていた。小腸からの出血は、造影CTやカプセル内視鏡、苦しい苦しい2時間以上もかかったダブルバルーン内視鏡の検査をもってしても部位が特定できぬまま自然治癒したことになる。食道から肛門までの消化管すべての検査に耐えたばぁを褒めてやる。そしてその全てに病変がなかったことを喜ぶ。

・・・ばぁの病状にほっとして油断したせいか、軽い鼻風邪をひいた。と同時に、腰の張りと胃部膨満感、背中も時折圧迫される感じを自覚する。
生まれて初めて歩きだした時からびっこをひいてるんだもの腰の張りはいつものこと。
過去4回の開腹で「どうしても癒着がありますから胃の動きは悪くなります」と、すでに聞いている。一種の後遺症だと思う。
背中の圧迫感も、腎臓結石が尿管出口に詰まった時に似てるけど、それほどでもない。

ばぁの入院で思いのほかストレスがたまっていたのかな?
それが風邪で一気に出ちゃったんだべ。
まぁどっちにしても検診したばかりだし、来月はCT検査だし、何かあれば分かるべ。

まずはこの程度の認識だったことを
今後の“今”の記録の手始めに記しておこう。

病院三昧の一日

2011年11月23日 | 病状経過
ばぁが消化管出血による貧血で入院。胃・大腸の内視鏡に異常はなく、小腸からの出血らしい。カプセル内視鏡かダブルバルーン内視鏡検査ができる病院に転院。
丁度その日が、今月のぼくの検診日だった。

朝っぱら入院先の病院に駆けつけ、退院手続きを済ませてからばぁを乗せて転院先の病院へ。
入院手続きをして病室に落ち着くのを見届けてから、おかーことスミに後を頼んでT大病院に向かった。

いつもと違う順路だし、気分的にも優れなかったけれど、肝機能・エコーともに異常なくホッとする。
ただ、HBV/DNAの数値が<2.1+から2.6に上がっている。
「この検査は以前は院外委託だったけど、院内検査になったんですよ。基準単位とか変わったのかな?」と、AK先生は院内各部署に問い合わせてくれた。
結果、同様の検査基準で同様の検査方法だという。
「バラクルードを服用してて上がることはないと思うんですが、耐性ウィルスも考えられないわけでもないし・・・」ということで…来月、再検査をしてもらうことになった。

バラクルード以前のラミブジンでは高い頻度で変異ウィルスが出現してウィルス量の再上昇を引き起こしたという。バラクルードはその耐性ウィルスにも効果があるとされているけれど、同じ抗ウィルス薬な訳だし(そんなこともある)ってのも服用を決めた時点で覚悟はしてたんだから、ここはもうその時の「賭け」を信じるっきゃない、てとこか。。。

こっちの検診が終って、またばぁの病院に戻る。
転院前の病院での輸血の処置や経過報告が適切だったらしく、早々に検査日程が決まっていた。
全身状態も良くすこぶる明るい・・・呆れるほど入院中のぼくそっくりだ(笑)
今更ながら・・・オレはばぁの子だよ!(爆)。

腫瘍マーカー

2011年10月13日 | 病状経過
親父が肝臓がんで死ななかったら
ぼくはもう、
とっくの昔に、この世とおさらばしていただろうと思う。

9年前に肺がんで左下を切除した知人の話し。
2ヶ月に一度、手術した医大の医療センターで検診していたが
マーカーの値に異常がないと言われ
尚且つ定期的なCTにも所見なく安心していたそうだ。
1年前、近くの開業医で一般健診をうけたところ
レントゲン写真を見たその医師から
右肺の精密検査を勧められたとか。
しかもご丁寧に
その知人の主治医である医療センター宛に
レントゲン結果の所見を認めた書類も書いてくれたらしい。
当然ながら、知人はそれを主治医に託した。
が、医療センターでは改めてCTをすることもなく
直前(どのくらい前のものかは聞かなかったけれど)のCT画像を見ただけで「腫瘍マーカーも異常ないですし、大丈夫」との診断。
そして、今月のCT定期検査の結果「ほぼ99%間違いないです。右肺に新発の病巣があります。入院の手続きをします」と告げられたそうだ。

ぼくの場合、4回も切除手術を受けていながら
腫瘍マーカーが異常値を示したのは初回の1回しかない。
マーカー値どころか、肝機能の数値だって手術直後に上がる以外は、ほぼ正常値をキープしているし肝硬変もない。
だから、血液検査だけで発癌の診断はできない。
根拠は画像診断しかない。

知人が手術・通院している医療センターとは、
ぼくのマーカー異常値を指摘してくれたZ医大。
7年前にこのブログにも書いた通り
マーカーが高いことを指摘しながらも
その根拠を確認するための画像検査結果に対して
「何か?あるようだ・・・」程度の説明しかなく
業を煮やしたぼくは転院を決めた訳だけれど、
ホント、今も、7年も経つのに
この病院、ナンも変わってないのか?・・・と思う。

今ぼくが通うT大病院では画像診断はダブルチェック。
放射線科医と主治医のカンファレンスによるが、
Z医大では読影医の所見はない、と知人は言っていたし。。。

「なんでコレでわからないのかなぁ~?」
Z医大で撮ったエコーの画像を見ながら
T大のM元教授が溜息をつきながら
「この時点で切っときゃなぁ~」というつぶやきが
ぼくは今も耳から離れない。

癌は早期発見すれば「死の病」ではない。
治療法は日々進歩しているのだから。
が、本当の意味で臨床的に早期発見につなげられる医師がどれだけいるのだろう?
当今、必要性が云々されているレントゲン健診のモノクロ写真からも直感的に異変に気付くような医師は希少なのではないだろうか?
聴診器も下げず、ディスプレーの数値にしか感心を示さないマニュアル化された医師が大多数を占める、特に大病院において、我々患者は、そこの医療体制と信頼すべきものの存在をしっかり認識すべきなのではないだろうか、と思う。

今日4回目の手術5ヶ月後の検診をうけた。
数値は全て正常。
エコーも「新しいものはありません」との診断。
でもぼくはエコーはさほど重きに置いてない。
だって、2回目以降、エコーで発見されてことは1度もないんだから!(笑)
エコーには映らないほどの小さな病巣をCTが写してくれたお陰で、ぼくは今日まで生き永らえているのだから。

そして何よりも
「お前もな、肝臓だけはしっかり診てもらえよ」
Z医大医療センターの病室で、肝性脳症で昏睡してしまう前に親父が言ったこの言葉。
ぼくを助けてくれた、とても大事な遺言だと感謝している。

八日目の蝉

2011年09月16日 | 病状経過
がんを患ったら5年で死ぬの?
がん治療の評価基準みたいに言われている「5年生存率」なんて何の意味もないのに、まるで「地上に出たセミは七日で死んでしまう」という迷信のような俗説の如く、まことしやかに語られているのが残念でならない。

肝臓癌の病期も遂に最終ステージⅣとなって4ヶ月。最初に癌が見つかって摘出後の病理検査でステージⅢと診断されてからは7年と2ヶ月が過ぎた。
再発・転移の度に根治治療をしてもらって、今、昨日の検診の時点では、がんは確認されていない。
がんはおろか、肝機能を含め血液検査の全ての数値は標準値内で懸念材料は何一つとしてないのだ。

にもかかわらず、
ぼくは、ずっと死を考えている。
それこそまるで「七日目に死にそこなった蝉」のように…これって「5年生存率」の呪縛みたいな気が・・・?

とは言えぼくは、この7年の間でそれなりに
「『私』を引き受けること」( 角田光代『八日目の蝉』中公文庫 ) に慣れたから
「どうして。どうして。どうして。どうして私だったの。ねぇ、どうして私だったの。」(同)
などという不毛な嘆きはもうすっかりない。
あるのは
「死が避けられないものとして目前に迫ったとき、自分なりに納得できる生き方を最後までできるのかどうか」( 柳田邦男『僕は9歳のときから死と向きあってきた』新潮社 )
という想いだけ。

「死ぬときは皆同じ。何を誇ったところで、同じ赤い血が流れ、その血圧が最高値50を下まわったら、終わりだ。」( 荻原浩『誰にも書ける一冊の本』光文社 )
この当たり前の現象を、自らの死として身近に意識し考えると結構おもしろい。この想いが、今を楽しく生きる力になっているのだと素直に思えるのだ。

死から生をとらえるならば、蝉は七日で死ぬことは決してない。
死ぬまでに、何年も何年も生きてきたのだから。