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a lively time

ハラハラドキドキ、ワクワクソワソワの毎日。

しっかりCRP

2012年02月02日 | 病状経過
皮膚科医の所見が書かれた電子カルテを読み、Dr.AKは改めて症状を見ようとしない。・・・ズボン下ろして診てもらおうと一張羅のパンツを履いてったのに(笑)

「血液検査で出るような内臓への副作用は一切ないですね。さすがに皮膚の炎症のせいでしょうね、CRPが高くなってるだけです」
・・・「血は正直ですよ」と以前Dr.SNが言っていたように、副作用の揺るがぬ証拠のように炎症反応が基準値の3倍以上だ。
「治まるのをしばらく待ちましょう・・・え~と、次回は23日でどうですか?」
・・・服用中断から約1ヵ月後だ。今回は三週間後に再開してこのザマだから、うん、AK先生、いい判断でしょう!(爆)

再来週予定しているスキーも心置きなく行けそうだにゃ(^^)v

皮膚科医診察

2012年02月01日 | 病状経過
海外出張(ヨーロッパへ四日間というハードな日程らしい)の前日に突然診察することになった患者にもかかわらず、皮膚科のDr.ANは文字通り頭の天辺から足の先まで丁寧に診てくれた。
「すべて薬によるものですね」との診断。
新たに顔用の軟膏と今使っている薬を追加で処方した上で
「症状が治まるまで塗ってください」と保湿クリームとステロイド軟膏の併用を指示される。

薬の副作用なら薬をやめたのだからほっといても治るんじゃないかな?と思わんでもないが、Drの口ぶりから・・・なるほどと思えたこと。それは「チーム医療」
皮膚科は皮膚症状をいちはやく改善するための治療を施すことによって、主治医の進める治療(=ネクサバール投与)を速やかに再開できるように支援するというミッションがあるのだろう。同じ症状でも、その治療法を選択する時にチーム医療としての関わり方は大きいのかも知れない。

いずれにしても、患者としてはDrの言うとおりにすれば、たとえば保湿クリームを塗ってからステロイド軟膏を使った方が吸収も良くなり効果がある、などの指示に従うことで目に見えて良くなるのだから喜ばしい。まずは素直に症状の改善に努めよう。

そして、次回の再々服用までのスパンは自分で決めよう、と思う。

チーム医療

2012年01月30日 | 病状経過
よく見ると、発疹が広がっている。
痛くも痒くもないけれど、胸、腕は二の腕から手首まで、脚は膝小僧が赤くなって太ももにかけて、背中にもあるようだ。
矢張り皮膚科医に診てもらった方がいいだろうと思う。

月曜日だ。Dr.AKは手術日だから連絡しづらい。
直接、再診予約をとっちゃえとセンターに電話をした。が、回線混雑でなかなか通じない。
皮膚科外来に問い合わせてみた。
またも、Dr.ANが電話口に出てくれた。
先週の電話で指示して頂いたお陰で頭・顔は快方に向かっている礼を述べてから今の状態を話し再診をお願いしたい旨を告げる。Dr.ANも「一度診た方がいいですね」と即答。

来月2日の肝外検診日を希望するも
「1日から海外出張なので、明日なら・・・」
・・・明日は月末。行けても夕方4時ごろか?
「予約は3時までしか受け付けられないんですが4時までに来れるようなら大丈夫ですよ、3時に予約を入れておきますから4時前に来てもらえれば」という返事。

ソラフェニブ副作用対策にはチーム医療が欠かせないと聞いた。
患者として、その意を汲んで積極的に動いて良かったなと思うし、まさにその体制で臨んでくれているのを、とても有難く思う。

猿面河童

2012年01月27日 | 病状経過
服用中にじわじわ出てきた副作用が、止めて2日目になって一気に表出した感じ。
10本の手指すべて先端は痺れて力が入らないし、関節も痛くて曲げるのが容易でない。痛みを少しでも和らげるために手袋は欠かせない。
足の裏は、さすがに日常的に負荷がかかっているせいか、左の母指球と指先の痛みが特に強くなってきた。

困ったのは頭皮と顔面の赤み・腫れ。
ズキンズキンする頭と火照る顔。
もともとが河童面の猿だから見てくれに気を病むことはないけれど(笑)初めて現出した症状だけに、どーしていいか?
まずは病院の薬剤部に電話して薬剤師さんのアドバイスを受けることにした。
素人にもなるほど・・・と思える説明の後「それで様子を見て改善しないか悪くなる場合は皮膚科医に連絡してください」とのこと。・・・とは言っても今日は金曜日だし・・・と考え、早々に皮膚科医に電話を入れてみる。

先週診察をしてくれたAN先生が対応してくれた。
ネクサバールの服用期間や止めた日などを確認したあと「副作用に違いないでしょう」という見解。その上で「この薬の副作用に対する処置は強めにした方がいい」というガイドラインがあるらしく「頭皮はステロイドローションを、顔にはステロイド軟膏を塗るように」との指示。
保護軟膏を塗ることを勧めてくれた薬剤師さんの対処法の方が、もっともかな?と思っていたけれど「それでは治療にはならない」らしい。「短期使用であれば顔につけても問題はないです。治まってきたらヒルドイドに替えて下さい」とのこと。

「何かあったら連絡下さい」と言われ、連絡するとしっかり応じてくれる病院で助かる。

予感では、今日あたりがピークではないか・・・と思う。てか、そう思いたい(笑)
晦日納品分の最低限の仕事は今日中に全てまとまったし、この土日は来週のことなど考えずにゆっくり休もう。ケーセラーセラだ。
極力手を使わず、トイレ以外は歩かず(笑)きっと良くなるはずさ!

お疲れ様でした

2012年01月26日 | 病状経過
・・・お疲れさん、もういいでしょう。と、自分に言ってやる。
減量したネクサバールも昨日をもって中止することにした。
服用期間は、たったの6日。

我慢と工夫で仕事をこなしてきたけれど、そろそろヤバい。
手の指は何もしなくてもズキンズキンする。
初回服用時は病院で寝てたから発症しなかったが、今回は仕事をしながらだから、当然のように足の裏が痛くなる。
頭と顔に火照るほどの発疹が現出。
そしていよいよ口内炎。予防のためにとビタミンB剤を飲み続けていたのに出てきた。
毒を制するための毒の強さはすごいもんだ。

それと、この6日間の疲労感・・・これは薬の直接的な作用なのか?それとも副作用の諸症状に対する心理的な疲れなのかは分からないけど、いずれにしても、普段の生活をしながらの服用はつらいものがあるなぁ~と実感する。

その後の異常

2012年01月22日 | 病状経過
今日は孫たちも居るしのんびりブラブラ・・・


・・・でも、
ネクサバール錠(ソラフェニブ)服用の副作用かな?と思われるその後の異常。
①指のガサつき(角質化)がひろがる。左右人差し指と左親指の第一関節あたり。
⇒デルモベート軟膏の本格使用。まだ箸は持てる。
②右耳の鼻管狭窄症状。鼻抜きをしても鼓膜が戻らない時がある。
③のどが痛い。熱はない。⇒イソジンうがいで凌ぐ。
④急な腹痛。便通は今のところ大丈夫。
⑤普段は90~100程度の血圧が125→130台に。

気にし出したらキリがないのは分かっているけど気になるんだから仕方ない。気になってることが昨日と今日とどう違ってるのか?・・・お~気にならなくなったじゃん、と思えればめっけもんだ。自然に改善するものとひどくなるのと、よ~く見極めなくっちゃ。

1日目の異常

2012年01月21日 | 病状経過
1月20日7:00AM、ネクサバール服用再開。
飲んだことを意識せずにさりげなくいつもどおり仕事をこなすが
①疲労感が否めない。
思えば初期服用時は病院でごろごろしながら過ごしてて手術入院の時ほど動かなかった。動こうとしなかったのは、こんな気付かぬだるさがあったのかもしれない。
午後、雪の中をフノ子がちーとたまを連れてやってきたので早めに仕事を切り上げた。


②胸に赤い斑点多数現出。痛くも痒くもないが念のためヒルドイド軟膏を塗る。
③前回の副作用後遺症が一番酷かった右親指付根、白い粉がふいたようになりガサつく。早くもデルモベート軟膏使用。
④夜中のおしっこ。22時に寝て、23:30・1:00・4:00おしっこが我慢できずに起きる。

つべこべ言わずに減量再開

2012年01月19日 | 病状経過
皮膚科医の診断は「順調な回復」
酷い時を診てないくせに(笑)。
いずれにしてもネクサバールを減量しての投与再開に向けた診察。こちらは出来得る限りのネクサバール副作用対処法を根ほり葉ほり訊く。対策ではない。副作用が現れるのは当然の前提として、ごくごく普通の生活をするつもりだから、予防的対策などするつもりもないから。必要な情報は対処法のみ。
でも大したことはなかった。
「紅班が現れたらステロイド軟膏のデルモベートを日に2~3回塗る。頭皮の炎症・湿疹用にも同じデルモベートのローションタイプを日に2回程度。口内炎にはうがい薬。他に目立った症状が出たら連絡ください」程度。

早速、AK先生に所見が転送される。
「明日から半量で再開しましょう。1日1回2錠(400mg)。どうですか?」
・・・つべこべ言わずに(笑)飲んでみます。皮膚科の先生も「副作用が出るのは効いてる証拠。期待しましょう」とおっしゃってましたし。
「先生方はみんなそう言いますよ」とほくそ笑む。
・・・ですよねぇ~、先生方はホントに痛いのが分からないですもんね~、と返す。
先生はニヒッと笑いながら
「半分なので、いくらかいいかなとは思いますよ。次の診察は二週間後でいいですか?」
・・・結構です。でもそれまでに症状が出て酷くなりそうだと思ったら止めていいですね。
「もちろんです。ダメだと思ったら止めて、次の検診日に事後報告してもらえばいいですから」

当然ながら、来月はスキーの予定がある。あわよくば今月も、と機会を狙っている。減量とはいえ、ソラフェニブの作用がどう出るかは予断できないけれど、自分が納得できる時間を大切にしていこう。
「・何もしないと 1年もつかもたないか。」の脅しに負けての分子標的薬服用治療ではない。まともな細胞にも影響がある毒を飲むのを承知したのは、自分の身体・心理状況を限界まで追い込まないところで今の西洋医学の限界に付きあうつもりなだけだ。
あくまでも、ぼく固有の時間を、ぼくは生きる。

医師と患者の関係性

2012年01月12日 | 病状経過
皮がむけてボロボロになっている掌を見て
「痛みはないですか?」
・・・むけだしてからは痛みはないですが、痛いときはペンも持てませんでしたよ。
「来週、皮膚科の先生に診て貰って再開できそうだったらまた始めましょう」
・・・また痛くなるんでしょう!?日常生活もマトモに出来ないなんてコリゴリです。
「今度は半分の量にします。もともと一日800mgは欧米基準なので日本人にはかなりキツイ量なので再開時は減らしますよ」
・・・たとえ量を減らしても副作用は現出しますよね?
「どの程度かは個人差がありまりますから何とも言えませんが、副作用がでたらまた中断して更に量を減らして一日おきの服用にするなどしても長く続けられればリンパ節に対しての効果はあると思いますから・・・」
・・・目に見える皮膚症状だけならいいんですけど、内臓への副作用がとっても怖いんです。それと、副作用に対するストレス。口内炎とか便秘とか頭皮の湿疹とか、耳の聞こえが悪くなるのも背中に痛みを感じるのもお腹が時折キリキリするのも、あれもこれも副作用じゃないかと思えてしまう。これってかなりシンドイんですよ。
AK先生が椅子を引いて笑い出した。
「かなりの薬アレルギー。薬を飲むことに対するアレルギーになっちゃったね~」
・・・いやいや笑い事じゃなく、ホントにもう飲みたくないですから!
「この薬はね、体の先端の毛細血管に作用してそこから症状がでるんですよ。だから心配するような内臓に対する副作用の危険性は血液検査で事前に充分にチェック出来ますし、現に一時高かったアミラーゼも正常値になってますよね。副作用の出方も一度もう飲んでるわけだからだいたい分かるでしょ?その時点で日常生活に支障がでそうだと思ったら迷わず中断しましょう。と言うよりそうすべきです。」
・・・・・・ヤバそうだと思ったら即やめます!
「そうです。副作用を我慢して飲み続けろとは言いませんし、その必要はまったくありませんから。中断しながらでもいかに長く続けられるかのほうが大事ですから」

「なんと言われようともこれ以上の延命治療なんかするもんか!」とカッコつけるのはやめた。AK先生がぼくの想いをちゃっと分かってくれてると思えて気持ちよかったから・・・
で、穏やかに切り出した
・・・今回再開するにしても、ソラフェニブに頼り続けられるのか?と思ったので緩和ケア病棟のある病院への外来予約をとりました。初診予約は4月なのでまだ先なのですが、紹介元の主治医はAK先生だとそちらには伝えてあるんですが・・・
「それは必要なことですね。もちろん結構です。いつでも紹介状は書きますから大丈夫ですよ」

徹頭徹尾戦うのではなく、納得のいく人生につながるような治療
(大津秀一@入川保則『自主葬のすすめ』)

この人を信頼しようと思える自分を発見できた時の気持ちよさ。ましてや医師と患者の関係性においてはひとしおだ。

こころの準備

2012年01月11日 | 病状経過
明日は検診日だ。

退院日にネクサバールの服用を勝手に中止してしまったことは、年明け早々に主治医に事後報告し了解を得ている。「再開の時期は検診日に相談しましょう」ということになっているけれど、再開の意志はもちろんない。

緩和ケア病棟のある県立がんセンターに外来予約も入れてある。といっても、1月4日に申し込んで初診日は何と4月3日。・・・それまでもつのか?(笑)とも思うけど仕方ない。
いずれにしても今の病院で唯一残された治療を断るにあたって、今後のことをぼくなりに考えている証しとして主治医に告げるつもりでいる。

ぼくの選択にAK先生がどうでるか?皆目見当がつかないけれど、
気持ちよく生きたいということを穏やかに話してみよう・・・

今、折れない心でいられるために自分に言い聞かす。
「他人を恨んでいる時間はもうない」(黒澤明監督作品『生きる』)


今年の極めつけの一大事

2011年12月31日 | 病状経過
今年は何だか年の初めからヤな予感がしてたのか?

1月に3回、2月に2回、ここぞとばかりスキーに行った。
3月に入って10数年ぶりに家族旅行。マー太郎とイッチ子にスケジュール調整してもらって大洗に一泊。帰りにフノ子の家に寄って還暦祝いをしてもらった。
・・・いま行かないともう行けない、そんな気がして、還暦誕生日の朝突然スキーに出かけた。その翌々日が3.11。。。

4月の検診でリンパ節転移が発覚し
5.11に切除手術を受ける。

6月10日、フノ子が頑張って、たまたんを生んだ!

8月のCT検査結果に何の異常もなし!の所見。

10月にイッチ子が感染性胃腸炎で入院。
11月にはばぁが消化管出血で入院。

そして12月、一年の締め括りにとんでもない極めつけの一大事。
ネクサバール投与後、退院の2日前に受けた治療説明


「説明はご家族の方だけに・・・?」
いや、とおかーこと聞いた。
おかーこだけならDrはどう話すつもりだったのか?

・・・まぁいいや。
今年も今日で終わりだ。
なにが起こるか分かるはずもない2012年へ
四の五の言わずに突入だぁ~~ぃ!(^^)/~~~

治療を断念します

2011年12月30日 | 病状経過
退院日の朝、病室に届いたネクサバール2錠を最後に分子標的薬ソラフェニブによる治療を止めることに決めた。
あえて主治医に連絡することもなく、その夜から飲んでいない。

退院日の朝、口腔内にかすかな違和感を感じた。舌の側面にポチッと白い口内炎だ。
NT先生に見てもらうと「この薬の副作用に口内炎はないんですけどね・・・」
看護師の勧めで退室直前にうがい薬と軟膏が処方された。

手続きを済ませ、迎えに来るおかーこを待ちながらグルグル頭が回る。いつものクセ・・・考え過ぎ、というやつかもしれないが、「副作用を把握しきれない新しい薬」と薬剤師から聞いていたし、つまりは何が起きても不思議ではないという副作用が急に怖くなった。

帰宅への最寄駅に着いてパーキングに向かいながら、舌先に糸くずがからまった感じがして指を入れるが何もない。舌先のしびれだと気付いた。
突然耳がヘンになる。右耳が耳管狭窄状態で鼻抜きが出来ない。
退院という晴れがましさは微塵もなく帰宅し、事務所のドアノブに手をかける。ダメだ。掌が痛くて回せない!「強く握って捻るような物理的な力は加えないように」と皮膚科医は言っていたが、しようにも出来ないじゃないか!しかもこれが「初期症状」とは!

帰宅後、元気な顔をしてばぁの家に退院報告に行く。そこでばぁに訊かれた「今度の検診でCTとかするの?」
・・・CTは3ヶ月後ぐらいって言ってたから、血液検査だけだよ、副作用の確認・・・と応えて????疑問がグルグルグルグル回りだした!

とんでもないことに気付く!
・・・これは治療なんかじゃない!少なくともぼくは治療とは認めないし「残された唯一の治療法」だとしても、絶対に!もう受けない!!

「がん巣は消せないけれど増殖は抑えられる。放置するのはもったいない」と熱っぽく口説かれて始めてはみたものの、その「もったいない」という言葉をそのまま主治医に返すことに決めた!

薬の元来の目的である奏効性よりも毎日毎回チェックするのは、副作用の状態なのだ。しかもその副作用は
「飲み続ける限り治らないし、内臓や器官に発症することも症例してはある。だから副作用に対する治療が必要になるし、最悪の場合は服用を中止せざるを得ない」
ネクサバール800mg/日投与が始まってから聞かされた。

・・・ぼくはもう何年間も肝機能や他の血液検査項目にも異常はない。ここでソラフェニブを飲むことによって他の病気を発症するとしたら、それこそ「もったいない」ことはないか!副作用の症状がでればまた治療薬を使う。その治療薬の副作用もないわけではない。手に出た皮膚症でこのザマだ。足に出たら歩けなくなる。退院時にアミラーゼ値が高くなっているのも確認されている。これ以上飲み続けたら何が起こることやら。肝臓にがんもなく折角機能も良いのに、薬のせいで肝不全になって死にましたなんて絶対にイヤだ!・・・ぼくはかねてからのぼくの想いを貫くことに決めた!副作用で身体中ズタズタにされて何も出来ずに月日を生き延びるよりも、本来の病巣から起こる症状が厳しくなるまでは、気付かぬふりしてフツーに生きていく!とことん頑張ってぼくらしい生き方をするのだ!!

副作用とロキソニン

2011年12月28日 | 病状経過
真夜中の2時頃目が覚めた。背中が痛い。「痛い」のだ。ストレッチで改善出来ると思ってた時は張りとか圧迫感だった違和感を、ロキソニンで一旦取り除いた後、薬が切れて蘇った違和感は紛れもなく「痛み」そのものだった。
と、同時に掌が痛い。火傷したように突っ張ったまま痛い。

http://db.tt/uxafF2m2

昨日あたりから左右の掌、特に右の親指と人差し指の関節部に発現したネクサバールの副作用と思われる紅班が痛くて、箸が思うように使えない。ペンもちゃんと持てないし、シャーペンの芯出しも押せない。ペットボトルのキャップを開けるのも、昨日は苦労だった。が…それもロキソニンを飲んでの状態だったのだ!
突っ張った掌の痛みで、それに気付く…

ロキソニンは凄い!
元々の転移リンパがんによる痛みをとるだけじゃなくて、転移がんを治療する薬で現出した副作用の痛みにも効くのだ!(笑)

ということは、つまり…
ロキソニンは、ぼくが生きるための必須ドラッグということだ。
ロキソニンで凌げなくなる日までは…

神からのメッセージ

2011年12月26日 | 病状経過
サントリーホールから自宅に帰るとなると、病院に戻るより4倍もの時間がかかる。外泊ではなく外出願いだったのに、帰院が面会終了時間の20時を過ぎるということで「外泊にしてください」と言われてしまう。

手術入院の時は早く回復したいばかりに一所懸命歩いたのに、今回は入院以来ベットの上でゴロゴロしていたせいもあってか22時過ぎに帰宅した時にはどっと疲れた。転移がんの自覚症状らしい背中の圧迫感も重いのもある。

それと、久しぶりに一人ぼっちになれたことも一因かな?
…自分自身とじっくり向きあってしまったから…
カーテンで仕切られたベットの上も一人だが、所詮は病院の都合に合わせなければならない患者としての思考が否が応でも優先してしまって、まともに向きあうことは難しい。治療を受けている患者としてしか考えられなくなってしまう。

疲れるほどに自分自身を見ろ!と後押ししてくれちゃったのが、昨日の夜のサントリーホールだ。

パイプオルガンによるヘンデルの、あの力強い低音の響きが、モーセを導く時の神の声を連想させる。
…強くなれ、強くなれ
佐渡裕の、自信に満ち溢れた「第九」は非の打ち所がない。否、文句を言うことをはばからせてしまうほどの確固たる揺るぎないカリスマ性!
絶望の苦しみから生まれた歓喜の歌を聴きながら、思った。
…強くなりたい、強くなりたい

外泊を前に

2011年12月26日 | 病状経過
同室にちょっとしんどそうなOさんが入ってきた。言葉を掛けることをはばかっていたが、外泊を前に挨拶した。

9年前に膵臓がんで現在の教授が執刀。一年後に肝臓に多発転移。現教授は切除を勧めたが、当時の教授が反対「切っても転移は避けられない。早めに化学療法をしたほうがよい」との見解。Oさんは化学療法を選択「いま、選択に間違いはなかった、と思ってます」と語る。

リンパ節転移も発現しながらも化学療法を続けて8年、その間の生活がどのようなものであったか想像できないが、その延命効果に「化学療法もバカにできないなぁ」と、思わずつぶやく…

Oさんが頑張っている間に、Oさんにも新薬ができ、投与を開始する。分子標的薬。ぼくと同じ手足予防を始めた。口内炎の副作用もあるらしくイソジンのうがいも…

「消えてなくなってくれりゃぁな~」
疼痛緩和にすでに以前から麻薬を常用しているというOさんの何気ない言葉に愕然とする。

・・・医療と治療。ぼくが求める医療と医療者が施す治療は、もしかしたら違うかもしれない・・・?