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真正の教会を認めるための印

2019-08-26 00:16:13 | 要理(カテキズム)
『公教要理教案』天主堂出版、1924年

(5)真正の教会を認めるためのしるし

予備
◎司教は誰の相続者ですか?
 司教の管轄地を何と申しますか?
 司祭の管轄地は?
 教皇、司教の教え、導きには従わねばなりませんか?

目的指示
◎今日は、真正の教会を認めるためのしるしについてお話いたします。

提示
○今日、キリスト教会と称するものはたくさんあります。
カトリック教会があり、正教会(ギリシア教会)があり、新教会(プロテスタント教会)があります。
 しかも、カトリック教会こそ唯一つしかありませんが、正教会や、新教会は、幾百にも分岐しているのです。
 果たして、イエズス・キリスト様がそんなにたくさんの教会を御建てになりましたでしょうか。

△そんなはずがないと思います。

○そうです、まことの神はひとつ、真理はひとつ、人の道もひとつだから、まことの宗教も唯一であらねばならぬ、というのでしょう。
そうすれば、真の宗教を人に授けて、救霊を得させることが為にわざわざこの世に御降りになったイエズス・キリスト様が御互いに正反対のことを教えるような教会をば、いくつとなく御建てになるはずがありません。
 ですから、イエズス・キリスト様の御建てになった真正の教会はどちらでしょうか。
 これを認めるために、何か確かな証拠がありませんか。
 公教初歩には、何と教えてありますか

△イエズス・キリストの真正の教会を認めるには、主要なる4つのしるしあり。すなわち、一、聖、公、使徒伝来なることこれなり。

○よく答えました。今から、この4つのしるしを、ちとくわしく説明します。
 一とは、教会の信者がみな同じ教えを信じ、同じ秘跡をさずかり、同じ一人の頭に支配されていくことを申すのであります。聖書には、教会を羊の檻や、人の身体や、家や、国にたとえてあります。ですから、国でも、家でも、身体にせよ、羊の檻にせよ、皆一人の君、一人の主人、一個の頭、一人の牧者に支配され、互いに堅く一致して行くべきはずのものでしょう。そうでなくして、2つにも3つにも分かれてしまっては、終にどうなりますでしょうか。

△とても無事に立って行くことができません。

○だから、教会は必ず一であらねばならぬ。さて、一なる教会はいずれの教会でしょうか。

△カトリック教会です。

○そう、わがカトリック教会は、東へ行きましても、西へまいりましても、千百年の昔にさかのぼりましても、千百年の後に降りましても、みな同じ教えを信じ、同じ秘跡を授かり、同じ一人の頭に統治されています。でも、プロテスタントはどうでしょう。

△幾百にもわかれています。決して一ではありません。

○そうです。信仰はもちろん、統治の機関(支配するための道具)をも随分と違っています。司教や、長老(司祭)や、執事(補祭)を認める派がある。長老だけしか認めない派もある。長老も何も認めないのさえあります。決して一ではありません。それでは、ギリシア教会はどうでしょうか。

△・・・・・

○その教えや、秘跡は同一であるはずです。しかし、今日では、プロテスタント派の影響を蒙って、何やらどうも芳しくない思想が沁み入りつつあるのです。
ことに、これを支配せる頭は、国によってそれぞれに違っている。総司教を頭とする国があり、皇帝を頭に仰いだ国があります。どうしても一とは申されません。一でないならば、イエズス・キリスト様の御建てになった真正の教会と思われますか?

△どうしても、真正の教会と思われません。



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