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公教要理図解:第61図 七つの罪源(嫉妬、憤怒、怠惰)

2022-07-19 17:03:20 | 要理(カテキズム)
「第61図 七つの罪源(嫉妬、憤怒、怠惰)」『公教要理図解』ワグネル神父

◎嫉妬のこと


嫉妬とは、他人の幸福を悲しみ、その禍を喜ぶことである。


嫉妬は大罪である。なぜならば、
(1)嫉妬は愛徳に背き
(2)嫉妬に陥った人は悪魔に似た者となる。それは、悪魔が人間の幸福を妬んで、人間を悪に誘ったところから、罪というものがはじめて現世に出て来たのである。また、今でも悪魔が我等を害しようとしているのは嫉妬のためである。


嫉妬は、心の中において絶えざる苦痛の根元となる。不幸にしてこの罪に陥った人は、たえず心配して、全く安心することが出来ない。


嫉妬は他の多くの罪の源となる。すなわち邪推、讒言、誹謗、仲たがい、怨恨及び殺人罪のようなものも、多くは嫉妬から出るのである。


嫉妬と反対の徳は、兄弟的愛である。この愛徳をもっている者は、他人の喜びや悲しみを自分の悲しみや喜びのように思うのである。


嫉妬の罪を防ぐ道は、
第一 我等はイエズスキリストによって兄弟となること
第二 妬ましい人のために祈り、かつその人の利益をはかること
第三 万事において謙遜を守るように注意すること などである。

◎憤怒のこと


憤怒とは、われらの思いのままにならないときに、激しく憤ることである。


悪を防ぐために憤ること、度を過ごさぬ限りは罪にはならぬ。


憤怒のはじめの発動が、知らず知らずのうちに自然と起こったときには罪にはならない。しかし、その思いが兆したことに気づいたならば、すぐにこれを抑えるようにせねばならない。

10
平素から憤怒の原因となるものは、傲慢と自分の意見を主張することである。

11
人は憤怒のために、天主の御名を冒涜し、他人に復讐を為し、他人を侮辱し、打ちたたき、また、時として殺すこともある

12
憤怒と反対の徳は、われらの思いに逆らうことを耐え忍ばせる柔和である

13
憤怒を防ぐには、
(1)我が主イエズスキリストが、御在世のとき、とりわけ御苦難の折や、十字架上において、どれほど柔和と忍耐とをお示しになったかということを、度々追懐すること
(2)憤っている間は、手出しも口出しもせぬように致さねばならない。

14
イエズスキリストが、聖殿を汚す人々を放逐し給うた時の憤怒と、
父母がその横着な子どもを戒めるときの憤怒のようなものは、正当にしてかつ神聖なる憤怒である。

◎怠惰のこと

15
怠惰とは、みだりに休息を好み、勤務を厭うて常に怠ることである。

16
怠惰には2種ある。
すなわち、
(1)宗教上の義務を怠ること
(2)この世の業務を怠ること

17
怠惰のために人が軟弱になり、最も大切な勤務までも怠るから、聖書にも記されているとおり、怠惰は諸々の悪の根元である。とりわけ、大切な時間をむなしく費やし、無学、無能、意志薄弱者となり、無益の生涯を送るなどはこの結果である

18
怠惰と反対の徳は、わが全ての勤務を天主の為に喜び勇んで、かつ、忠実に尽くすことである。

19
怠惰に打ち勝つためには、
第一、天主が人間に命じられたことであると思い、
第二、生活の規則を定めてこれを固く守り、
第三、朝寝を慎み、
第四、時間を多少でもみだりに費やさぬように務めねばならない

◎絵の説明

20
この絵の上段は、旧約時代にヨゼフという少年が、父のヤコブから最も愛されたのを兄弟たちが妬み、彼らはヨゼフを井戸の中に投げ入れ、殺そうとした。そのとき、イスラエル国の商人が雑品をラクダに負わせ、エジプトへ行こうとして、そこを通りかかったので、ヨゼフを井戸から引き上げ、その商人に売り渡した。泣く泣くヨゼフは外国人に連れられ、エジプトへ到着し、同国の元帥、プチファルという人に売り込まれたのである。

21
中央は、エザウが父の遺祝を受けるつもりで、狩りの獲物を持ち帰って来た。ところが、既にその弟のヤコブが遺祝を受けたとのことを聞いて、大いに怒り、弟を殺そうと決心したのである。

22
下段は、なまけ者が、石やイバラや雑草だらけの畑に、何もせずに寝ているところである。




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