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4-2-4 建安の七子

2019-06-28 16:19:24 | 世界史
『六朝と隋唐帝国 世界の歴史4』社会思想社、1974年

2 曹氏の一家
4 建安の七子

 建安二十三年(二一七)、疫病がはやって、たくさんのひとが死んだ。
 そのなかには、王粲(おうさん)・陳琳(ちんりん)・徐幹(じょかん)・応瑒(おうとう)・劉楨(りゅうてい)の五人の文士がふくまれている。
 曹丕は知人たちに、そのことをかなしむ手紙をおくっているが、この五人に孔融(こうゆう)・阮瑀(げんう)の二人をくわえたのが、建安の七子である。あるいは曹操の根拠地の鄴(ぎょう)の名をとって、鄴下の七子ともよばれる。
 この七人はいずれも個性あふれ、いかにも建安期を代表する人びとであった。
 そのなかでいちばんの年長は、おそらく孔融(こうゆう)であろう。
 孔子二十世の孫にあたる。
 子供のときから、その神童ぶりを称せられていた。
 「ちいさいときに利口なものは、大きくなってかならずりっぱな人間になるとはかぎらない」といわれた孔融少年は、ただちにやりかえした。
 「ではおじさん、あなたはさぞかし神童だったのでしょうね。」
 孔融は気ぐらいがたかく、つむじまがりで、偽悪家のところがあった。
 世のなかの道徳にもなんとなく反対したくなる。このような風潮は魏(ぎ)から晋(しん)にかけて流行したが、孔融はその先駆者といえよう。
 しかし曹操は、このような人物を必ずしもこのまない。
 人気があるし、文章も上手だったので、部下にしておいたが、やがて大逆無道の罪をきせて殺してしまった。
 この孔融を別格として、ほかの六人はほぽ同年齢であったのだろうが、いちばんはやく死んだのが阮瑀(げんう)である。

 檄文(げきぶん)の作家としてすぐれていた。その子が竹林の七賢を代表する阮籍(げんせき)である。
 瑀(う)の妻は、はやく夫に死なれたので、子供をかかえて苦労し、自殺をはかったこともある。
 曹丕兄弟の作のなかには、彼女をなぐさめる詩が見られる。
 陳琳(ちんりん)もやはり檄文を得意とした。
 袁紹(えんしょう)にしたがっていたときは、曹操の悪口をさんざんにいったし、曹操の部下になると、こんどはほめる。
 人格の上では感心できないが、こういう人は世間に多い。
 王粲(おうさん)は記憶力のよい人で、魏の制度をつくるときには、その博識ぶりを役だてた。
 文学の面でも、その特長をいかして「登楼賦」というのが有名である。
 建安七子のなかで、いちばんの人格者は徐幹(じょかん)であった。
 曹丕は、かれを恬淡(てんたん)無欲な人で、君子とはこういう人のことをいうのか、とほめている。
 儒教をまなんで、思想家として『中論』をあらわした。文学作品の現存するものはすくないが、王粲とともに賦の名手であったとされる。
 五言詩としては、遠くはなれた夫をおもう妻の心を、こまやかにつづった「室思」がある。
 その一節――「山は高くそびえ、道ははるかである。あなたが旅立たれた日は、もう遠くに去った。
 心はむすぼうれ、急に年をとったような気がする。人がこの世に生まれたのは、春の終わりの華のようだ。」
 応瑒(おうとう)の家も、文化人の一家であった。弟の応璩(おうきょ)も、建安七子にこそはいっていないが、この時代を代表する詩人である。
 そして劉楨(りょうてい)は、曹丕が『典論』のなかで、「壮にして密ならず」と批評している。
 礼法にとらわれない、自由なふるまいが多い人であった。
 建安七子は、このようにひとりひとりが、独自の雰囲気をもっている。
 曹操はこれらの人をあつめて、自由に活躍させ、また文学についての討論をおこなわせた。
 そうしたなかから、あたらしい文学がそだっていったのである。

身体障害者の聖人 聖ヨゼフ・コトレンゴ、23

2019-06-28 06:17:24 | 聖ヨゼフ・コトレンゴ
『身体障害者の聖人 聖ヨゼフ・コトレンゴ』アロイジオ・デルコル神父、23

3、教理をよく学んで

 教理をよく学んで、その教えをしっかりと守りなさい,教理を学べば学ぶはど、救われるために、どうすればよいかが分るようになります。教理こそ、すべてです。これさえよく知っているなら、じゅうぶんな知識を身につけたくとになります。しかし知らないなら、他の知識はみんな、ねうちがありません。

 他人に教理を教えてあげるのは、大きな愛徳のわざです。肉体のための愛徳はすばらしい、でも、時とともに終わりがあります。しかし、教理を教えるこの愛は、永遠につづくのです。


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聖イレネオ司教殉教者    St. Irenaeus E. M.

2019-06-28 05:57:53 | 聖人伝
聖イレネオ司教殉教者    St. Irenaeus E. M.        記念日 6月28日


 使徒聖ヨハネの愛弟子聖ポリカルポは156年の1月末小アジアのスミルナで栄えある殉教の死を遂げたが、炎々と燃え上がる火中に立ったこの老人の胸は「恩師ヨハネより受けた信仰はこれをことごとく我が弟子イレネオに伝えたからもはや思い置く事は更にない」という安堵の思いにほのぼのと明るんでいた。そして実際イレネオはその期待を裏切らず、使徒聖ヨハネの温かい愛の心と金剛不壊の信仰とをポリカルポを経て立派に継承したのであった。それは彼の生涯が明らかに看取されるのである。

 聖イレネオの両親は若い時の事に就いてはほとんど何も知られていない。知られているのは僅かに彼が青年の頃スミルナの司教聖ポリカルポの弟子の一人に加わって、その聖師から一生忘れ得ぬ程偉大な感化を受けたという事である。彼は白髪の聖ポリカルポが、なお青春の血の沸き立つ思いで語る若き日の追憶、イエズスと使徒達、わけても主の御寵愛の深かった聖ヨハネに就いての話を、深く深く記憶に刻みつけた。どの話はどこで、師がどんな様子で語られたかというような微細なことまで彼は決して忘れなかったのである。

 彼の生年はもとより確かではないけれども約130年頃と推定される。その篤信の故にポリカルポから厚く愛された彼は155年ある問題に関し教皇ヴィクトルの意見を求めにはるばるローマに上り、そこから更にポリカルポの命で当時ガリアと呼ばれていたフランスの、リオン市に赴いた。リオン市には小アジアの人が少なからず、その司教フォチノもまた小アジアの生まれである所から、同郷のイレネオを喜んで迎え、彼の学徳に秀でているのに感服して間もなくこれに司祭の資格を授けた。
 177年ローマ皇帝マルコ・アウレリオが全国に聖教弾圧を命ずるや、リオン市にも大迫害が起こり、たちまち90歳の老司教フォチノを始め数多の信者が捕縛拘引され、遂に殉教の栄冠を受けた。その時からイレネオはフォチノの遺言によって彼の後任司教となったのである。
 マルコ・アウレリオの次に帝位に登ったコモドの御代は、別に迫害もなく聖会は比較的平和を楽しむ事が出来た。イレネオはこれ幸いと盛んに布教に活躍し、リオン市の大半を改宗させる事に成功した。しかし外患こそなかったものの、内憂はないわけでもなかった。それは信仰の至純い流れをけがそうとする異端の発生台頭である。中でも危険を極めたのはグノーシスの邪説とカトリックとを折衷妥協させようとする一派であった。イレネオはかような異端に対しその豊富な学識と堅固な信仰とを以て闘い、主に託された子羊の群を、羊の皮着た荒き狼の毒牙から救って、よく牧者の責任を果たしたのである。
 彼がその為著した数々の護教書は、残念にも大方失われて、今に伝わっているのは僅かに「異端者に対する弁駁」という一冊しかない。が、兎に角それら彼の名著は、当時の各教会の指導者達にこの上なき破邪降魔の利剣となり、異端の毒蜘蛛の吐く謬説の網をずたずたに切り破るに役立ったのである。
 その論戦の間に彼はまた、ローマ教皇が使徒の首長聖ペトロの後継者である事を否定する教敵に対し、徹底的に反駁し、そのしかる所以を明らかに立証した。
 「ローマ教会は他に冠絶する特権を有している。その祭壇は使徒の首長聖ペトロ、及び大使徒聖パウロに護られ、かつ伝えられたものである。されば他の教会は常にローマ教会と一致を保たねばならぬ」これは中でも最も注目すべき彼の言葉である。
 さてこのイレネオのたゆまぬ活動によって、リオン市の教会はその後も益々盛んになるばかりであったが、その内に青天のへきれきの如く再び猛烈な迫害が聖会の上に落ちかかって来た。皇帝セプチミオ・セヴェロは最初こそ聖教を黙許していたものの侵々として停止する所を知らぬその教勢の発展を見ては、晏如たり得ず遂に全国に聖教の禁止を命じたのであった。
 かくてリオン市の教会からもまたまた数多の殉教者が出る事となった。その中にはもう老齢のイレネオ司教も加わっていた。彼の殉教振りに就いては不幸にして何事も伝わっていない。しかし彼の生涯がそうであったように、その最期も聖ヨハネ聖ポリカルポから受け継いだ信仰を恥ずかしめぬ立派なものであり、彼も恩師と均しく光輝ある永遠の勝利を獲得したであろうことは疑う余地がないのである。

教訓

 我等は聖主や使徒達の時代をさる事甚だ遠いが、なお御聖体の秘蹟によって常に聖主に親しむ恵みを与えられている上に、聖書によって使徒達の精神を汲む事も出来るから。ふるって主に倣い使徒達にあやかって聖教を実行しよう。そうすれば我等も必ずや彼等が永福をうけ楽しんでいる主の御許に招かれるに相違ないのである。

父なる神よ、初心者に完全さを、
小さい者に知恵を与えてください。
自分の道を走る人々を助け、
怠ける者には悲しみを、
なまぬるい者には熱意を与えてください。
完全な者には終わりまで
耐え忍ぶ恵みを与えてください。
わたしたちの主イエズス・キリストによって。アーメン
聖イレネオの祈り





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