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かぼちゃ

2008年08月28日 20時59分55秒 | Weblog
昨夜の「その時歴史が動いた」をご覧になられましたでしょうか。
主題は『模擬原爆パンプキン』。副題は「~秘められた原爆投下訓練~」でした。

広島と長崎に投下されたあの忌まわしい新型爆弾。それが、原子爆弾というものであるということは知っていましたが、この番組を見て、今までの無知に恥じ入るばかりでした。

即ち、投下された2発が同じ原爆だと漠然と思っていたのですが、実は、広島に世界で初めて落とされたのがウラン型の原子爆弾で、名付けて「リトルボーイ」。長崎に落とされたのがプルトニウム型の原子爆弾で「ファットマン」。ウラン型は小型であるが、量産し難く、一方のプルトニウム型は大型になるが量産が可能という違いがあります。このように別々のものであったことを、昨夜の番組を見るまで知らなかったのです。

次に、原爆の開発のためのマンハッタン計画が実行移されたのが、
1942(昭和17)年8月。ニューメキシコ州にロスアラモス研究所が設置されたのは翌1943(昭和18)年4月。そして、ニューメキシコ州アラモゴード空軍基地近くの砂漠で世界最初の原爆実験が行なわれたのが1945(昭和20)年7月16日。それが放射能という目に見えない危険なものが放出されることを知らせないまま、多くの兵士が集められ、その実験に立会わされ、懸命にデータ収集や後片付けを行ないました。その結果、後年に原爆症を発症することになったのですが、それが放射のによるものだということは殆どの人は知りませんでした。
詳しい日付は兎も角、このようなことは知識としてはありました。

長崎に落とされたファットマンは高さが三メートル以上、重さは一万ポンド(約4.5トン)という重量物のため、投下部隊からは、形も重さも全く同じで、中味だけは原爆ではなく、通常の火薬の模擬爆弾を作ることが要求されました。それが、広島・長崎に落とされる前に予行演習のために日本の各地に落とされたのです。また、長崎の後も、通常爆弾として使用出来るかどうかを調べるため、この模擬原爆の投下は続けられていました。
ファットマンの形が、ずんぐりむっくりしていて「かぼちゃ」に似ていることから『パンプキン(かぼちゃ)』と名付けられました。
そのうちの一発が、広島の前の7月26日、大阪・東住吉区の田辺小学校の北付近に落とされていました。

終戦の年、東京大空襲や大阪大空襲をはじめ、日本各地に無差別な爆弾投下が行なわれたこと。大阪・京橋では、毎年慰霊祭が行なわれていることは知っていました。
しかし、数多くの模擬原爆が日本の各地に落とされ、それによる犠牲者が出ていたことは全く知りませんでした。当然、わたしが住んでいた天下茶屋から東に僅か2キロ半の場所にこれが落とされたことなど知る由もなく、とてもショックを受けました。
もし、田辺に落とされたのが本物の原爆だったら、大阪や堺が広島や長崎のようになっていたのです。

番組を見終わったあと直ぐに、明日は雨模様だが出来れば明日、是非、碑に手を合せたいと思いました。
9時過ぎ、空を気にしながら出掛けようとしたのですが、雨が降り出し断念。午後になり、雨も止みそうな気配。ネットでレーダーを見ると大丈夫! ということで、15時ごろ家を出て、手を合わせてきました。(写真が、その碑)

広島や長崎の実情を知ってもらうための写真展などを米国の町で、博物館で、国連で開催しようとしても、退役軍人の団体の反対が強く、なかかな実現しません。そして彼らは、
自分たちは正しいことをしたのだ、日本の戦争を早く終わらせれるのに役立ったではないか、何も恥じるようなことをしてはいない、などなどの発言を繰り返しています。
でも、原爆の惨たらしさを自分の眼で見、被爆者の話を聴き、その悲惨さを知って欲しいのです。人として、正しいことであったのかどうかを自問自答するために。
戦争の時、兵士は上官の命令で動くだけ。いや、動かざるを得ません。ですから、日米を問わず、いや世界の兵士須らく、業務命令に従ったのですから、その行為をとやかくはいいません。
でも、でもです、人として、心の問題として、今、真正面から向き合ってほしいのです。もうこんな悲惨なことは地球上から消し去ろうという思いを遂げるために。

まだまだ書きたいのですが、気持ちが高ぶり、うまく纏まりそうにありませんので、一応、これでお仕舞いにします。


もし、昨夜の放送を見逃してしまわれた方、また、もう一度ご覧になりたい方に、これからの再放送の予定を記しておきます。

本放送 8月27日(水) 2200~2243(済み)
再放送 9月 2日(火) 0330~0413 近畿を除く
    9月 2日(火) 1605~1648 
    9月 6日(土) 1005~1048 近畿のみ
再放送予定は変更になることもありますますので、新聞やネットでご確認下さい。

放送の内容をお知りになりたい方は、番組のホームページがありますので、そちらをご覧下さい。

また、模擬原子爆弾「パンプキン」についてお知りになりたい方は、検索サイトでお調べ下さい。結構な数が見つかります。

今日撮った写真を、拙サイト表紙のデジカメショットに掲載していますので、是非ご覧下さい。


Unknown (minoh マダム)
2008-08-31 20:02:27
番組、見そびれました。
再放送忘れずにチェックします。ありがとう!

未だに心の傷がいえない、広島や長崎の被爆者、戦場に散った若い人たち、無差別爆弾で肉親をなくした人たち、色んな思いで、胸がふさがります。
アメリカに追随している今の日本はいったいどうなるのでしょう。


Unknown (Non-Chan)
2008-09-01 00:00:51
我々戦中派は戦争体験の記憶はありませんが、あの貧しかった、でも、ご近所さんがお互いに助け合いながら、心豊かに生きて来ました。
物が溢れ、金さえあれば何でも出来ると勘違いし、また、グローバルスタンダードを実現しないと真の国際化はありえないとの政官財の動きが続いています。
それぞれの地域が、それぞれの国が大切にしてきたものが失われつつある今日、それぞれの持つ貴重な文化を見直して欲しいですし、何をおいても戦争は絶対にしてはならなことを肝に銘じないといけませんね。

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