Run, BLOG, Run

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幸福なフォント

2005年01月17日 11時23分45秒 | 想在
 ひさしぶりに。

 なにか、書いてみようか、と思った。

 でも。

 いったい、なにを書いたらいいのだろう?

 書きたいことがありすぎて書けないのか。

 それとも。

 書きたいことがなさすぎて書けないのか。

 どちらなのかさえも、わからない。

 とりあえず。

 ちょっと、身体を慣らすために、くっだらないことでも書いてみようか。

 そう。 今日、メール・チェックなぞしていたら、空目したのだ。



   「このメールは、等幅フォントでお読みください」



 が、

 なぜか、



   「このメールは、幸福フォントでお読みください」



 に見えてしまった。

 幸福フォントって。 いったい、どんなフォントだろう?

 見ただけで、幸福になれるようなフォント?

 救いようのないかなしみに打ちひしがれているときでも、たとえようのない苦しみに息をころしているときでも、読んだ途端、幸福な気持ちが、白い花のように浮かんでくるような、そんなフォント?

 たとえば。 どんな悪文でも、どんな駄文でも、非の打ちどころのない美文麗文に仕立て上げられるような、そんなフォント?



 ―― そんなフォント、あったらいいのにねえ ... 。



 (いや、ないほうが、いいのか)

 (だって、そんなフォントがあったら、詩というものが、生まれなくなるのかも)










 ともあれ。 Happy New Year ! (遅っ)










 BGM:
 Eiichi Ohtaki ‘Koufuku na Ketsumatsu’
 (大滝 詠一 「幸福な結末」)


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君が僕のもとを去るならば / ロバート・メイプルソープ

2004年11月04日 22時25分19秒 | 想在
 今日、十一月四日 は、写真家の Robert Mapplethorpe (ロバート・メイプルソープ) さんのお誕生日です。 (1946年生まれ) ..........................................


   「写真を撮ることは空間を彫刻することだ」


 と語ったというロバート・メイプルソープさんのことば、これは、空間を 「切り取る」 のではなく、空間を 「掘り起こして」 「とらえる」、ということなのでしょうか?

 ふと、夏目漱石さんの 『夢十夜』 の挿話を思い出します。

 鎌倉時代の仏師 (仏像をつくる工匠) 運慶が登場する夢の第六夜で、

 「眉や鼻を鑿(のみ)で作るんじゃない。 あのとおりの眉や鼻が木の中に埋まっているのを、鑿と槌の力で掘り出し」 ているのだ、

 と、仁王像を彫る運慶の腕さばきの見事さについて、町人が語る部分です。

 ミケランジェロさんは、

 「石の中に人が埋まっているから、はやく掘り出してあげなければ。 --- それがわたしの仕事だ」

 と発言したといいますが。

 天才の仕事というものは、そういうものなのでしょうか。

 ギターを爪弾くだけで、聴き手を感動させたり、

 ペンを走らせるだけで、読者をあっと言わせたり、

 絵筆を滑らせるだけで、観る人を魅了させることができる

 のは、

 さながら、 どこからともなく降りてきた 「音」 や 「ことば」 や 「色」 などを、じぶんのなかから掘り起こして表現できるという、 天賦の才能を与えられているのでしょうか。

 (以上、初出:2003.11.4 一部加筆)






 ところで、ロバート・メイプルソープさんというと、Patti Smith (パティ・スミス) さんとのコラボレイションが、個人的にいちばん印象深いのです。



 ・Patti Smith Group “Horses”
 ・Patti Smith Group “Wave”
 ・Patti Smith “Dream of Life”
 (以上、ジャケット写真は、ロバート・メイプルソープさん撮影)



 才能にあふれた二人は、かつて恋人同士でした。

 同性愛者として知られているロバート・メイプルソープさんですが、当時は、その傾向はなかったようです。

 同棲していた二人ですが、ある日、ロバートさんは、パティさんから別れを告げられます ... 。 そして ... 。



 「行かないでくれ! もし君が僕のもとを去るなら、僕はゲイになる!」と哀願したという。 だがパティは一時彼のもとを去り、メイプルソープはその言葉通りにゲイ・ライフを歩み始めた。

『レコード・コレクターズ増刊 アメリカン・ロック Vol.3』 から引用




 ちょっと、うまくできすぎた話のような気もしますが、天才たちのエピソードには、ふさわしいものなのでしょうか。



   「君が僕のもとを去るならば」



 パティ・スミスは、ロバート・メイプルソープにとって、「運命の女」 だったのでしょうか。

 このことばは、「運命のひと」 ことだったのでしょうか。


 運命のひと、運命のひとこと、運命の一瞬 ... 。


 その後、パティ・スミスさんは、女性パンク・ロック・シンガーとして、さまざまな形態のアートの表現者として、活躍。

 ロバート・メイプルソープさんは、写真家としての名声を得ていきます。 「花」 シリーズや、アメリカン・アフリカン男性のヌード写真などが有名でしょうか。

 そして、二人は、男女の性を越えた、芸術家同士の友情で強く結ばれつづけたとか ... 。



 ―― 人の生には、いったい、どんな運命が作用するのでしょう?

 ―― 人の幸福って、いったい、なんでしょう?













 * 運命にも負けずに ..... 。 (2004.11.4)

 * 写真は、筆者撮影によるものです。 ( ... って、そんな、たいそうなものではありませんが ... )



 参考:
 ・「ロバ-ト・メイプルソ-プ特集」

 ・Art Phote Site - 「ロバート・メイプルソープ」





 BGM:
 Velvet Underground ‘運命の女 / Femme Fatale’


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今宵・新宿ゴールデン街へ

2004年11月03日 17時40分05秒 | 想在
 今日は、新宿ゴールデン街の、ライヴ イベントに顔を出すため、記事が書けません ... 。

 また、明日 ... ?





 @ 新宿ゴールデン街 こどじ

 ・boxinglee's cafe

 ・「ぼちぼちしあわせ / 新宿ゴールデン街の夜」






 ※この記事は、のちほど削除します。




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暗闇のなかで見えるもの

2004年10月29日 22時54分40秒 | 想在
 先日、いつもお世話になっているかたの誕生日のお祝いに行って来た。 ..............................

 私が持参したケーキに、ろうそくを立て、主役に火を吹き消してもらった。

 その後も、しばらく、ろうそくの灯かりだけで過ごした。

 ほんのりとした灯かりのなかで、それぞれ、呑んだり食べたり、語らい合ったり、レコードの音に耳を澄ませたり。

 ゆったりとした、とてもたのしい夜だった。

 たくさん呑んだはずなのに、まったく、悪酔いもせず。

 どうしてだろう。

 ろうそくには、なにか、不思議な力があるのだろうか。







 そういえば、以前、東京・国分寺にあるカフェ、『スロウ』「暗闇カフェ」 と銘打たれた夜に、友人といっしょに行ったことがある。

 ろうそくの灯かりだけのなかで、お茶を飲んだり、食事したり、生演奏を聴いたり ... 。

 暗いから、ほとんどなにも見えないから、コーヒーのかおり、ケーキの味、友人の表情、空気の流れ、フルートの音色 ... いろんなものが、敏感に感じとれる。

 五感が鋭くなっている、ということだろうか。

 ビールを呑んでいても、いつもよりも、ずっとおいしく感じられて、ゆっくり、味わって呑むことができた。 いつものような、ばかみたいな無茶呑みをしないから、変な酔い方をしなかった。

 こんな、夜も、あるのだなあ ... と、とても感動した。

 そして、灯かりがあることのすばらしさ、灯かりがないからこそわかること。

 いろんなことを考えた。





 遠くはなれた、まっ暗闇のなかにいる人たちに、こころの灯を。

 こころの闇を照らすのは、こころの灯しかない。 ... なんてね。





 

 ところで、昨日、「読書」 についての記事 (「読書週間 / 手づくりブックカバー」) を書いたのだけれど、読書するときにちょうど良い、あかるさ、というものがあるのかな、と考えた。

 蛍光灯の煌々とした明るさよりも、間接照明などを用いて、ちょっとうすぐらいくらいのほうが、目が疲れない、のかもしれない。

 NIKKEI ShopBiz の 『まち・みせ観察記20【照明について考える】』 によると、


読書の醍醐味は、紙に印刷された文字から、作者の意図をイマジネーションで読み取っていくところにある。イマジネーションを高める、すなわち、集中出来る環境は、本来は静謐で、ほのかに明るいことが望ましい。


 とある。

 なるほど。 わかるような気がする。

 『暗闇カフェ』 が意図するところも、そんなところにあるのかもしれない。

 別のサイトをいろいろ調べてみると、どうやら、自然光に近い照明を使うこと。 そして、やはり、間接照明を多くするといいそうで。

 それから、ついでに、眼の健康を考えると、乾燥を防ぐために、室内に適度の湿度を保ち、ときどき休憩を入れながら読むといいとのこと。

 なるほどなるほど。

 秋の夜長、いくら面白い本でも、あまり熱中しすぎても、いけないようですね。










 * 灯かりのあるしあわせに感謝して。 (2004.10.29)










 参照リンク:
 ・光・明・暗・闇 - 「■谷崎潤一郎の「暗さ」の感覚」
  (谷崎潤一郎さんの 『陰影礼賛』 における 「光と影」 の感覚について書かれています)

 ・ノムコム - 「あかりで変わる住み心地」

 ・AssistOn - 「Everest UltraLife Reading Light」
  (Everest 社製 携帯用 リーディング・ライト)
  (サイズ比較の写真がいいですねえ ... )



 当 blog 関連記事:
 「8.15 灯かりのあるしあわせ」










 BGM:
 Grateful Dead ‘Turn on Your Love Light’

 (愛の灯を、ともして ... )


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ショックです ... / 気持ちの問題

2004年10月26日 22時49分48秒 | 想在
 新潟県中越地震に関するニュースを、web で見ていて、とても、気になった。


  「被災地で「ショック死」続く 睡眠・水分確保が急務」


 新潟県中越地震の被災地では、被災4日目の26日になっても「ショック死」が続いている。警察庁によると、26日午後4時現在での地震による死者31人のうち14人がショック死とされ、避難生活の中で突然倒れる人が相次いでいる。極度のストレスによる血圧急上昇などが原因とみられ、専門家は「良質な睡眠と十分な水分の確保が急務」と指摘している。



 ショックで亡くなられてしまうなんて ... 。

 どんなに怖い思いをされたのだろう ... 。 そして、どんなにつらい状況にあるのだろう ... 。

 そう考えると、こころがギュウッとしめつけられる ... 。

 どうか、一日も早い精神的・身体的負担の軽減、そして、こころの傷の快復を、願ってやみません。



  「避難生活でストレス深刻、求められる「心のケア」」



 気持ちだけでも、と思い、ささやかながら、義援金を振り込んできました。

 ほんとうに、わずかですが ... 。











 昨日の記事 (「おうちへ帰ろう」) で、わが友人 (というか彼) が、風邪で、私の家で寝込んでいる、という話を書いた。

 わが家で、寝泊りして、私の帰りを待ってくれている ... と。

 今日の夜、彼にはどうしても外せない用事があるとのことで、今夜はいないはず ... と思いつつも、もしかしたら、まだいるかな? と思って、今日もいそいそと帰宅してみた。

 部屋のなかは、まっくらだった。 彼の姿も、ない。

 あたりまえだ。

 ふっと、一息ついて、ふと見ると、ダイニングのテーブルのうえに、置き手紙があった。



 「いつもいつも、世話になりっぱなしで、すまない」 と。

 「じぶんの弱さを出したり、甘えたりするのが、こわいじぶんと、すべてを委ねようとするじぶんが、入れ替わり、立ち替わり、やって来て、正直どうしていいか、わからない。 それなのに *** (筆者の名) は、すべてを受け入れてくれてる」 云々 ... 。



 看病してあげたこと、とか、「お金」 のことを言っているのだろう、と思った。

 彼は、まえに記事にも書いたが、お財布を失くしてしまったことがあって (参照: 「お守りピック / Good Times, Bad Times」 * 注)、私は、お金を貸してあげているのだ。

 困ったときは、お互いさまだから、いいのよ ... って言っているのに、負い目があるみたい。

 男の人には、いろいろな葛藤があるのかもしれない。

 無理に急がせて、結論を出させても、仕方がない。

 気長に待とう ... と思った。

 手紙の最後には、



  俺の借金 ○万円

        と 愛情



 と書かれていた ... 。





 そんな、愛情なんて、いくらでも、貸してあげるのに。 お金では買えない、やさしい気持ちを、いつももらっているのだから ... 。



 この、愛情は、永遠に、貸しておいてあげるわ ... なんて、言ったら、クサイかな?!










 BGM:
 Swing Out Sister ‘Heart for Hire’

 (This heart for hire ... 「このハートは、貸し出し中よ」)





 ---
 * 注: お財布は、無事戻ってきて、なかに入れていたお金も全額戻ってきたのですが ... 、拾ってくださったかたに、「お礼」 を差し上げたりして、お金がなくなってしまったそうで ... 。 この後日談を記述するのを忘れていました ... 。 (2004.10.27 3:00 AM 追記)


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新潟県中越地震に寄せて ~ 新しい約束 / Promised Land

2004年10月24日 22時46分09秒 | 想在
 十月二十三日、土曜日の夜。 身体で感じるはげしい揺れが、三回。

 そのとき、青山にいて、ビルの地下で、友人と呑んでいた。 地下にいると、気持ち悪いくらい妙な揺れ方をして、もし、上の階がくずれて、生き埋めになったら、どうしよう ... と、恐怖心を煽られた。

 なんとなく、胸騒ぎがしたのだけれど、まさか、大変な被害に遭われた地域もあるほどの大地震だったとは ... 。

 その晩、わが友人 (というか彼) からメールが入った。

 「さっきの地震の影響で、混線してるのか、電話がつながらない」 と。

 仕事を終えて、会いに来ようとしていたらしいのだ。

 私は、午後十時くらいに帰宅して、彼にわが家まで来てもらった。

 そして、テレビの映像に、ふたりで、くぎづけになった。

 (テレビは、ここ数年、ヴィデオ観賞用としてしか使っていないので、テレビ番組を観るのは、ひさしぶりだった)

 ふと、阪神大震災のときのことを思い出す。

 当時付き合っていた彼と、同じようにテレビの映像に喰い入っていたことを。 神戸に身内がいるので、肝を潰すような思いでいたところの、身内の無事を確認できた、あのときのうれしさと言ったら。

 元・彼は、「もし、東京にも大地震がきたら、どうする?」 とたずねてきた。

 「どうしよう?」 と、私。

 「きっと、おれんちは、崩壊するな」 ―― 元・彼は、築十年くらいの分譲マンションにご両親といっしょに住んでいた。

 「タッちゃんの家が崩壊するなら、うちもそうだよ。 っていうか、東京は全滅しちゃうのかも」 ―― 私は、六階建てで、一フロアに二家しかない、小ぢんまりとしたビルの一部屋で、一人暮らししていた。

 「もし、もしさ。 東京が大震災に遭って、お互いの家がなくなっちゃって、連絡が取れなくなったら、**川の土手で、待ち合わせしようか?」 と、元・彼は、言った。 **川というのは、私たちが住んでいた街の近くにある、大きな川で、私たちは、その前の年、いっしょに、その河川敷で花火を見たことがあったのだ。

 「万が一のことがあっても、**川に行けば、会えるのね」

 「そうだよ。 どんなことがあっても、**川で、必ず会おうね」

 私たちは、指切りをした。 なにがあっても、きっと、ふたりの思い出の場所で会おう ... と。

 まだ、学生だった私たち。 考えてみると、なんという幼い約束なのだろう ... 。

 それから、月日は流れて、私たちは、別々の道を歩むことになり、この約束は、事実上無効となった。

 もちろん、この約束が果たされないこと = 震災が訪れないこと、が、なによりではあるが、約束が、その意味を失ってしまったのだ。

 遠い遠い、彼方へ、風に吹かれて、飛んでいってしまった。 二人をつなぐ糸がぷつりと切れて、まるで凧のように、空の彼方へ消え去っていってしまったのだ ... 。



 今日、ふいに、私は、現在の彼に、九年前、元・彼に訊かれたのと同じ質問をしてみた。

 「もし、東京に、大地震がきたら、どうする?」

 「ひとたまりもねえな」 と、ひとこと。

 「ねえ、もし ... 、もしもだけど、大震災に遭って、お互いに連絡がとれなくなったら ... 」 と、私が言いかけると、

 「そのときは、そのときだよ」 と、あっさり。

 「ええと、どこかで、待ち合わせする?」 と、私が、おそるおそる訊ねると、

 「どこかって?」 と、彼は、ぽかんとして、訊ね返してきた。

 「んん~、たとえば、川原とか ... 」

 「川原ねえ。 この辺、川原なんかないしなあ。 あっても、堤防が決壊して、水浸しになってるかもよ?」

 「ああ、じゃあ、どこか広い公園は? ###さんちの近くにある?」

 「うちの近所じゃ、*** (筆者の名) が、来るのが大変だろ。 あそこでいいじゃん」 ―― 私の家の近くにある、広い公園のことを言った。 そこには、二人で、よく出かけているのだ。

 この待ち合わせ案、彼にはあまり興味がないのかな ... と思っていたところ、どうやら賛成してもらえたのかと思って、うれしくて、

 「じゃあ、なにかあったときは、○○公園で、会いましょうね」 と、喜び勇んで言ったら、

 「行けたらね」 と言われてしまった ... 。

 そのとおりだ。 行きたくても、行けない状況だってありえるのだ。 生きてさえいれば、いつか会えるかもしれないけれど、万が一、ということだって、ありえるのだから ... 。

 これが、九年の歳月というものなのだろうか。

 九年前、私たちは、じぶんたちが死ぬ、なんてことを考えたことすらなかった。 どんなことがあっても、きっと生き延びれる、と。

 そして、私たちは、幼い、無邪気な約束を交わした。 守り通すことのできなかった約束を。

 そんな約束を、九年後、もういい年とも言える年齢になって、ふたたび交わそうとするなんて ... 。

 じぶんが、ほんの少し、情けなくなった。

 内心、しょんぼりしつつも、そのあと、二人で用事を済ませに、出かけた。





 予想外に用事があっというまに済んでしまって、途方に暮れてふらふら歩いていたら、スーパーの一角に、たい焼き屋さんがあるのを発見。 どうやら、『銀だこ』 屋さんのたい焼きのようで、もの珍しかったから、買ってみることにした。

 (私の家の近所にも、『銀だこ』 屋さんはあるが、たい焼きは売られていない気がする ... 。 それとも、私が気がついていないだけだろうか ... )

 見てみると、たい焼き、なにげに大きい。 あんこもはみ出している。 とても、一人一個は食べられそうもないので、二人でひとつを半分こすることに。 でも。 たい焼き一個だけ買うのも気が引けたので、結局、たこ焼きも買うことにした。

 そうして、たい焼きとたこ焼きを半分こしながら、〈二人だと、たい焼きも、たこ焼きも、食べられていいな〉 ... なんて、うれしさにひたっていたら、 彼が、ふいに、

 「―― おれさ、がんばるからさ」 と言い出した。

 いきなりで、わけがわからなかったので、「がんばるって、なにを?」 と、私は、訊いた。

 「ん? いろいろだよ。 とにかくがんばるからさ、なにがあっても ・・・・・・・・・・ 」

 と、思いがけず、確かな “新しい約束” を、してもらえた!

 なにがあっても、きっと、約束の場所で会おう、と。

 九年前の、前回の約束は、破棄されてしまったけれど。

 今度は、“果たされない” 約束として、ずっと、お互いののこころのなかに、刻みつけられたら、いいなあ ... 。





 ちなみに、“新しい約束” を交わしてもらえたのだけど、万が一、なにかの災害で音信不通となっても大丈夫なように、現実的に考えて、わが故郷の住所や電話番号も 教えることにした。 これで、私の身になにかが起きても、安否を確かめることができるだろう ... と。

 考えてみたら、ここ数年、携帯電話の番号やメールアドレスしか知らない友人・知人が増えたな ... ということに気づく。 ときどき会って、呑みに行って、お互いにいろいろ語り合ったり、メールのやりとりなんかはしているけれど、年賀状すら出さないような間柄だったりして、正確な住所も知らないし、実家がどこだかも知らない ... という人が。

 もし、なにかあって、音信不通になっても、ここに行けば会えるかも / ここで訊けばわかるかも ... という “確かな場所” を、友人にも知らせておいたほうが、いいのかな ... と、ふいに考えた。















 * 今回の震災で亡くなられた皆様のご冥福をお祈りいたします。 そして、一日も早い、被災されたかたの快復、被害からの復旧を願います。














 ---
 trackback:
 ・『J'sてんてんてまり』 - 「個人ができること」

 ・『BLOG STATION』 - 「【新潟中越地震】出来ることから始めよう。」


 * ほんとうは、もっとたくさんの、震災に関する記事をご紹介したいのですが ... 。

 * こちらに寄せられたコメント、trackback からも、さらに、さまざまな情報が得られます。 (2004.10.27 追記)
 ---



 当 blog 関連記事:
 ・「7.17 / ムーン・リバー」





 BGM:
 Bert Jansch ‘Promised Land’


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比例性

2004年10月22日 22時58分01秒 | 想在
 人への 鈍感さ と

 じぶんへの 敏感さ は

 比例するのだろうか。





 じぶんへの 敏感さ が

 人への 鈍感さ に

 作用するのだろうか。





 (Bob Dylan のことばのように)

 人を、憎まず、恨まず、うらやまず

 じぶんの道を歩めたら、いいなあ。










 BGM:
 Sid Vicious ‘My Way’
 (紳さんに捧げます 2004.10.25)


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台風エピソード / 嵐からの隠れ家

2004年10月20日 22時36分35秒 | 想在
 台風上陸中。 ノックテンさん トカゲさん (まちがえました ... ) に震えながら、記事更新 ... 。





 私は、近所の のらねこ に、勝手に名まえをつけている。

 近所のコンビニの近くにいる子は、めろん。

 役場の近くにいる子は、れもん。

 駅のそばの自転車置き場の子には、まろん。

 その子どもは、ころん。

 よく行く酒屋の近くの子は、タック。

 そうそう、このあいだ、彼が、偶然出会ったという、うちのすぐ近くのスーパーマーケットのところにいる子は、ハックと名づけたそうだ。

 (ハックルベリーフィンからつけたのかな?)





 こんな台風の日には、彼らが、どうしているのか、気になる。

 どこか、いい避難場所を、見つけていると、いいのだが ... 。

 うん ... 。 きっと、ねこたちは、じぶんたちの知恵で、雨風をしのぐのに、ちょうどいい すみか を見つけて、

 みんなで寄り添いながら、台風が過ぎ去るのを、じっと待っているだろう ... 。

 いや、そうあってほしい、と願っているのだが ... 。






 台風というと、思い出すのは、私が、幼いころ、外でないしょで ごはんをあげていた仔ねこのこと。

 家には、すでに ねこと、犬が、一匹ずついたので、きっと飼ってはもらえないだろう ... と思っていたのだ。

 毎日のように、こっそり、給食の残りのパンや牛乳などをあげていた。

 ある日、嵐がやって来て、あまりにもかわいそうだったから、家に連れ帰って、

 「今晩だけでいいから、おうちのなかに入れてあげて!」

 なんて、親に懇願したら、あっさり、受け入れてくれて、そして、そのまま、九年ちかく、わが家の仲間になった。

 キキ。

 縞もようが、「キ」の字みたいだったから、そう名づけた。

 キキが、わが家の仲間となったのは、台風のおかげ、だったのかなあ。

 キキがわが家で暮らすことになって、幸せだったのなら、いいのだけれど。










 関連リンク:
 ・『デジタル台風』
  (台風 blog のようです)

 ・tenki.jp - 『●びっくり台風エピソード ~ビートルズ台風~』
  (The Beatles が来日した際、台風が上陸中だったとのことで、台風の動きとは逆に北から南下してコンサートを行ったとか ... 。 ふむふむ)

 ・当 blog - 「故郷は、遠きにありて、思うもの」










 BGM:
 Bob Dylan ‘嵐からの隠れ家 / Shelter from the Storm’


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ただ、そこにいるだけで / Zoom Zoom Zoom

2004年10月15日 17時16分33秒 | 想在
 東京に住みはじめて、何年になるだろう?

 大学に行くようになってから、だから、十年くらい ―― ?



 私の住んでいるアパート、というか、ビルは、オフィス/商業地区の一角にある。

 ビル自体も、オフィス用の雑居ビルで、住居として利用している人は、私しかいない。

 (ちょっとした伝手(つて)で、住居として借りることができた && 人が住めるように、特別にリフォームしてもらった)

 一階が、イタリアン・レストラン。 トラットリアと書いた方がいいのかしら。

 ほかに、出版社とか、介護サービスの事務所とか、リサイクル・ショップなどが入っている。

 昼間は、それらの会社に勤める人たちがやって来るけれど、夜には、退勤して、ほとんどだれもいなくなる。

 ちょうど、昼間家をあけて、夜帰ってくる私とは、逆である。

 これが、私が、このビルに住むことにした、大きな理由。

 というのも、住居として住んでいる人が、だれもいないので、お隣りの部屋やご近所の人たちに、気を遣わないで済むから。

 音楽をガンガンにかけても大丈夫だし、楽器も鳴らせるし、友だちを呼んでワイワイやるのにもいいし。



 ああ、そういえば。 東京に出てきて間もないころ、郊外の住宅地に住んでいたことがあったのだけれど、超ミニ・スカートにピンヒールの靴をはいて歩いているだけでも、ご近所のかたの眼差しが冷たかったことがあった ... 。

 (あるいは、若さゆえの自意識過剰さから、勝手にそう思い込んでいただけなのかもしれないが ... )

 じぶんの好きな恰好をして、勝手に気ままに暮らしていきたい私には、ちょっと、居心地の悪い町だった。 もっとも、郊外住宅地 (suburbia) には、郊外住宅地の良さがあり、都心には都心で、いろいろ難はあるので、一長一短なのであるが ... 。



 「こんなところに一人で住んでいて、こわくない?」 なんて訊かれることが、ある。



 たしかに、万が一のときが、不安になることもある。 いざ、じぶんの身になにか起きたとき、だれにも助けてもらえないのでは ... と。 眠れなくなる夜も、ないことはないけれど。

 この、気ままな暮らしに慣れてしまったので、なかなか引っ越せないでいる。

 みんなで騒ぐときには、思いっきり騒ぐけれど、独りの時間というものも好きな私にとっては、ちょうどいいのかもしれない、なんて。





 三ヶ月くらいまえからであろうか。

 私の住むビルの、まんまえに、大きなビルが、ある。 いちめん、ガラス張りの。

 そこで、夜中、若者たちが、ダンスの練習をしはじめた。

 Hip Hop というのだろうか、シャカシャカ・ズンズンした音楽を、大音量でかけて、ガラス窓を鏡代わりにして、練習にはげんでいるのだ。

 周囲には民家はなく、夜は、閑散としているから、ここでなら、思う存分、ダンスの練習ができる、と思ったのだろう。

 私のほうはというと、さいしょは、うっさいナア~、なんて思って、正直いうと、ちょっと迷惑だった。 なんというか、ダンスミュージックは、決してきらいではないのだけど、ラジカセから風に乗って聴こえてくる、あのかわいたシャカシャカした音と、ズンズンズンと響くベースラインが、神経にさわるのである。

 しかし ... 。 明日を夢見る若者たちのため、まあ、しょうがない、と、がまんすることにした。

 私ひとりががまんすれば、いいのだから、と。

 それに、考え方を変えると、この、都会のかたすみの孤独な夜に、すぐそばにだれかがいる、というのが、ありがたくもあった。

 いざ、というとき、助けになってくれるかもしれない? 防犯対策としてもぴったり? なんて思って。

 そのうち、シャカシャカ・ズンズン も、だんだん気にならなくなった。

 なにしろ、ほぼ毎晩、私が帰宅するころには はじまっていて、寝るころにも まだやっているくらいだから、慣れないほうがおかしいのかも?

 そうして、がんばってるんだなあ、とか、やってるやってる、くらいな感じで、ほほえましくさえ思いはじめていたのに。

 十月に入ってから、若者たちが現れなくなってしまった。

 雨の日が多いせいだろうか。 いやでも、ちょうど屋根のあるところで練習していたみたいで、それまでは、雨の日でもズンチャカやっていた。

 雨の日も、風の日も、ほぼ毎日、欠かさず、練習しに来ていたのに ... どうしてだろう?

 ダンスへの情熱が冷めた? ―― 三ヶ月間、ずっと練習してきたのに?

 場所を変えた? ―― それならいいのだけど。 でも、夜中にズンチャカかけられるような場所、この付近で、ほかにあったかしら?

 それとも ... 。 だれかに注意されたのだろうか?

 たとえば、その練習場にしている会社の人が? あるいは、周囲の会社の人が ... ? わがビルに入っている出版会社の人が、たまたま仕事で徹夜となったときに、音楽がズンチャカ聴こえてきて、うるさいと、警察にでも通報した?

 うう~ん、どうか、そういった理由でなければいいのだが。

 情熱が一時期冷めただけならば、また燃え上がることもあるかもしれない。 場所を変えてみたとしたら、、また戻ってくることもあるかもしれない。 しかし、せっかくの練習場所を追い出された、ということであったら ... 。

 ちょっと、かなしいなあ。

 都会って、いろんなことがストレスの素になるから、仕方のないことなのかもしれないけれど。

 ダンスもできやしない、都会って、世知辛いものなのかなあ ... なんて。





 だれとも会わないときは、夜のしじまのなか、ひとり、さみしく、過ごす日々。

 以前に戻っただけなのにねえ ... 。







 そうして、二週間ほど過ぎた昨夜 ... 。

 帰宅してみたら、どこかで聴いたような、ズンチャカした音が、風に乗って聴こえてきた!

 窓の外を見てみたら ... 若者たちが踊っているではないか!

 いったい、この二週間、どうしていたのだろう ... なんてことは、どうでもよかった。



 ただ、彼らが、そこにいたことがうれしかった ... そんな、秋の夜であった。










 BGM:
 David Bowie ‘John, I'm Only Dancing’


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んんん~

2004年10月11日 23時55分40秒 | 想在
 二、三日、blog 更新を休んで、ちょっと、余裕ができました。

 ことば、が、だいぶ、たまりました。

 ぼちぼち更新していきます。



 (コメントのお返事、遅くなって申し訳ありません)










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 「蜜と意味」


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