ええと。 わが友人 (というか彼) の話でもしましょうか。
昨年十一月のブログ休止直後、彼が、わが家に転がり込んできた、という話、私、しましたかしら?
このブログ (のようなもの) を割と読んでくだすっているかたは わかるのかもしれませんが、私の付き合っている人は、とっても貧乏 ... 。 自慢するようなことではありませんが。
自由奔放に生きている人で、「仕事 (お金) のための生活」 よりも、「生活のための仕事 (お金)」 という考え方をしているのか、いわゆる日雇い労働者をしていて。 好きなことをして、とりあえずの生活が出来ていればいいや、と、将来に備えた蓄えなどして来なかったところ、寒い冬の訪れとともに 大きく体調を崩し、仕事に行けなくなってしまいました。 なんの保証もない生活をしているので、仕事をしなければ、もちろん収入がゼロになってしまいます。 当然のごとく生活苦に陥り、わが家へ避難しに来た、ということなのですけれど。
かたや私は、一応は保証されたサラリイマンとして、それなりの暮らしをしていて。 それなりに蓄えもあって。 住まいは、以前は同居人がいたため ちょうどあまっている部屋があるので、とくに問題はなく。
女の一人暮らしは、なにかとこわかったりするので、むしろ大歓迎とばかりに。
あたたかな部屋と手づくり料理のおかげ ... かどうかは わかりませんが、とりあえず仕事に行けるくらいまでには回復できました。
そうして、二人仲良く暮らしていたのです、が、今月から、彼の仕事が夜のシフトに変更となりました。 いわゆる夜勤というもの。
夜通し働いて、朝 帰宅して、シャワーを浴びて、寝て。 夕方に起き出し、午後七時くらいに出かけます。 そして、また夜通し働いて、朝 帰ってきて、シャワーを浴びて、寝て。 夕方に起き出し ... 。
いっしょに住んでいながら、顔を合わせられるのは、朝のほんのわずかな時間のみになってしまいました。
あたたかいベッドで朝寝の夢にまどろむ私の隣りに、そっともぐりこんでくる彼の身体は、水を打ったように冷たくて。 とても、せつない気持ちになります。 そうして、私は、ひとり天井を見上げて、彼が寝息をたてるのをじっと待って。 彼を起こさぬよう、そうっと寝室を抜けて、そうっと支度をして、こっそりと会社に出かけていきます。
なんだか、ワケアリな関係みたいですねえ ... 。
彼が朝、帰ってきたときにあたたまるようなものを。 と思って、煮物だとか おでん だとか、そんなものをこしらえておくことにしました。 温めるだけになっていれば、きっと彼も食べてくれるだろう、と。
帰宅してみると、食卓には、きれいに平らげた空(から)の鍋と、チラシの裏に書かれた 置き手紙が。
私への感謝と、私への気遣いと、お天気のこととか、なんやかや。
なんてことない、数行の手紙でしたが、それは、読んだだけで、とてもしあわせな気持ちになれるものでした。
そういえば、ブログ (一時) 復活第一弾として上げた記事 「幸福なフォント」 にいただいたコメントで、『Three frogs which smile.』 のあくあさんが、「好きな人の書いた文字が幸福フォント?」 とおっしゃられていました。 いかにも書き殴ったようなオトコの字、という感じの彼の文字。 けれども、これこそが、「幸福フォント」 なのかしら、なんて思ってしまった次第。
そうそう。
彼の書いた字を見たのは、付き合いはじめて間もないころでした。 私たちの出逢いの場所、お互いに出入りしていた音楽関係の場所、に置いてある落書き帳 ―― よく、民宿やらペンションのようなところに行くと置いてある雑記ノートのようなもの ―― に書かかれた彼の日記を見たとき。
その場所に来たら、必ずのように日記をつけていた彼。 人当たりがよくて人気者の彼は、そこへやって来たら、必ずみんなと わいわいやっているのですけれど、ふっと気がつくと、ひとりの世界にふけるように、すみっこで日記を綴っている姿を何度か見かけました。 みんなと話もしたいけれど、書き留めておきたい出来事や想い、というものがあるのだろうか。 なんて思ったりしながら、ひとり、せっせと日記を綴る後ろ姿を、いとしく見つめたものでした。
そして私は、あるとき、その落書き帳を開いてみました。 彼がいったい、どんなことを書いているのかと。
何人かの書き込みがありました。 ああ、○○さんらしい文章だわ、とか、このドラえもんの絵、似てないわ、などと思ったりしながら、ページをめくっていき、ある書き込みを見た瞬間、これだ、というものにぶつかりました。
彼は、じぶんの書き込みに署名をしていないのですけれども。
字の感じ。 文章の感じ。 書いている内容。 それらで、これは彼が書いたものにまちがいない、と確信できるような。
手書きの文字という媒体で はじめて知る、彼の、なにげないつぶやき。
「コイビトの日記」 を覗き見する 妙などきどき感から、とめどもなく、ぱらりぱらりとページをめくっていきました。
あ、わたしのことが書いてある! ―― まだ、私たちが付き合うまえの書き込みにどきどきしたり。
ああ、そういえば、あのころ、あんなことがあったっけ。 こんなこともあったっけ。 なんて。
いろんなことを思い出したりしながら、私は、「幸福フォント」 を味わい尽くしました。
誰に宛てたわけでもない、そのメッセージを。
このブログも、もしかすると、ダレデモナイ ダレカ に宛てた 手紙だろうか?
もし、何年か経って (このブログが残っているとして)、 このブログを彼に見せたら、どんなふうに思うのだろう?
手書きの文字、ではないけれど、彼は、どきどきするだろうか。 幸福な気持ちになってくれるだろうか。 それとも、怒るかしら。 こんなに勝手にじぶんのことを書かれて。
夜勤に行くまえに走り書きしたと思われる彼の置き手紙に、私は、返事を書きました。 彼に倣って、チラシの裏に。
新たに買って来た食材のこと、電子レンジでの温め方、どこにお醤油があるか、とか、卵がもうすぐで賞味期限が切れるので早めに食べるように、とか、なんやかや。
すると、また翌日も、チラシの裏に置き手紙が。
なかなか体調が完全に回復しないじぶんへの、苛立ちとか焦りとか、そんなこんな。
私は、また返事を書きました。
とにかく、しっかり栄養を摂って、充分休むこと。 そうしていれば、きっと、じきに春が来る、と。
すると、また翌日も手紙が。 そこには、私への感謝の気持ちが書き連ねてありました。
私は、やはり、返事を書きます。
―― そうして毎日、手紙のやり取りをするようになった私たち。
携帯電話でメールすれば済むことなのですけれど、なんとなく手紙のやり取りはつづいています。
チラシの裏の、メモ書きみたいなもの。 殴り書きされた、ただの紙っきれ。
けれど、それが、すれちがいの日々を送る私たちをつないでくれる、唯一のもののような気がして、手紙を途切れさせまいと、私たちは、チラシの裏にペンを走らせているのです。
手で書く紙。 を、私は、今夜も綴るのです。 ひとり、ぼんやりと、幸福な気持ちで。
BGM:
・Police ‘孤独のメッセージ / Message in a Bottle’
・Johnny Thunders ‘恋人の日記 / Diary of a Lover’
昨年十一月のブログ休止直後、彼が、わが家に転がり込んできた、という話、私、しましたかしら?
このブログ (のようなもの) を割と読んでくだすっているかたは わかるのかもしれませんが、私の付き合っている人は、とっても貧乏 ... 。 自慢するようなことではありませんが。
自由奔放に生きている人で、「仕事 (お金) のための生活」 よりも、「生活のための仕事 (お金)」 という考え方をしているのか、いわゆる日雇い労働者をしていて。 好きなことをして、とりあえずの生活が出来ていればいいや、と、将来に備えた蓄えなどして来なかったところ、寒い冬の訪れとともに 大きく体調を崩し、仕事に行けなくなってしまいました。 なんの保証もない生活をしているので、仕事をしなければ、もちろん収入がゼロになってしまいます。 当然のごとく生活苦に陥り、わが家へ避難しに来た、ということなのですけれど。
かたや私は、一応は保証されたサラリイマンとして、それなりの暮らしをしていて。 それなりに蓄えもあって。 住まいは、以前は同居人がいたため ちょうどあまっている部屋があるので、とくに問題はなく。
女の一人暮らしは、なにかとこわかったりするので、むしろ大歓迎とばかりに。
あたたかな部屋と手づくり料理のおかげ ... かどうかは わかりませんが、とりあえず仕事に行けるくらいまでには回復できました。
そうして、二人仲良く暮らしていたのです、が、今月から、彼の仕事が夜のシフトに変更となりました。 いわゆる夜勤というもの。
夜通し働いて、朝 帰宅して、シャワーを浴びて、寝て。 夕方に起き出し、午後七時くらいに出かけます。 そして、また夜通し働いて、朝 帰ってきて、シャワーを浴びて、寝て。 夕方に起き出し ... 。
いっしょに住んでいながら、顔を合わせられるのは、朝のほんのわずかな時間のみになってしまいました。
あたたかいベッドで朝寝の夢にまどろむ私の隣りに、そっともぐりこんでくる彼の身体は、水を打ったように冷たくて。 とても、せつない気持ちになります。 そうして、私は、ひとり天井を見上げて、彼が寝息をたてるのをじっと待って。 彼を起こさぬよう、そうっと寝室を抜けて、そうっと支度をして、こっそりと会社に出かけていきます。
なんだか、ワケアリな関係みたいですねえ ... 。
彼が朝、帰ってきたときにあたたまるようなものを。 と思って、煮物だとか おでん だとか、そんなものをこしらえておくことにしました。 温めるだけになっていれば、きっと彼も食べてくれるだろう、と。
帰宅してみると、食卓には、きれいに平らげた空(から)の鍋と、チラシの裏に書かれた 置き手紙が。
私への感謝と、私への気遣いと、お天気のこととか、なんやかや。
なんてことない、数行の手紙でしたが、それは、読んだだけで、とてもしあわせな気持ちになれるものでした。
そういえば、ブログ (一時) 復活第一弾として上げた記事 「幸福なフォント」 にいただいたコメントで、『Three frogs which smile.』 のあくあさんが、「好きな人の書いた文字が幸福フォント?」 とおっしゃられていました。 いかにも書き殴ったようなオトコの字、という感じの彼の文字。 けれども、これこそが、「幸福フォント」 なのかしら、なんて思ってしまった次第。
そうそう。
彼の書いた字を見たのは、付き合いはじめて間もないころでした。 私たちの出逢いの場所、お互いに出入りしていた音楽関係の場所、に置いてある落書き帳 ―― よく、民宿やらペンションのようなところに行くと置いてある雑記ノートのようなもの ―― に書かかれた彼の日記を見たとき。
その場所に来たら、必ずのように日記をつけていた彼。 人当たりがよくて人気者の彼は、そこへやって来たら、必ずみんなと わいわいやっているのですけれど、ふっと気がつくと、ひとりの世界にふけるように、すみっこで日記を綴っている姿を何度か見かけました。 みんなと話もしたいけれど、書き留めておきたい出来事や想い、というものがあるのだろうか。 なんて思ったりしながら、ひとり、せっせと日記を綴る後ろ姿を、いとしく見つめたものでした。
そして私は、あるとき、その落書き帳を開いてみました。 彼がいったい、どんなことを書いているのかと。
何人かの書き込みがありました。 ああ、○○さんらしい文章だわ、とか、このドラえもんの絵、似てないわ、などと思ったりしながら、ページをめくっていき、ある書き込みを見た瞬間、これだ、というものにぶつかりました。
彼は、じぶんの書き込みに署名をしていないのですけれども。
字の感じ。 文章の感じ。 書いている内容。 それらで、これは彼が書いたものにまちがいない、と確信できるような。
手書きの文字という媒体で はじめて知る、彼の、なにげないつぶやき。
「コイビトの日記」 を覗き見する 妙などきどき感から、とめどもなく、ぱらりぱらりとページをめくっていきました。
あ、わたしのことが書いてある! ―― まだ、私たちが付き合うまえの書き込みにどきどきしたり。
ああ、そういえば、あのころ、あんなことがあったっけ。 こんなこともあったっけ。 なんて。
いろんなことを思い出したりしながら、私は、「幸福フォント」 を味わい尽くしました。
誰に宛てたわけでもない、そのメッセージを。
このブログも、もしかすると、ダレデモナイ ダレカ に宛てた 手紙だろうか?
もし、何年か経って (このブログが残っているとして)、 このブログを彼に見せたら、どんなふうに思うのだろう?
手書きの文字、ではないけれど、彼は、どきどきするだろうか。 幸福な気持ちになってくれるだろうか。 それとも、怒るかしら。 こんなに勝手にじぶんのことを書かれて。
夜勤に行くまえに走り書きしたと思われる彼の置き手紙に、私は、返事を書きました。 彼に倣って、チラシの裏に。
新たに買って来た食材のこと、電子レンジでの温め方、どこにお醤油があるか、とか、卵がもうすぐで賞味期限が切れるので早めに食べるように、とか、なんやかや。
すると、また翌日も、チラシの裏に置き手紙が。
なかなか体調が完全に回復しないじぶんへの、苛立ちとか焦りとか、そんなこんな。
私は、また返事を書きました。
とにかく、しっかり栄養を摂って、充分休むこと。 そうしていれば、きっと、じきに春が来る、と。
すると、また翌日も手紙が。 そこには、私への感謝の気持ちが書き連ねてありました。
私は、やはり、返事を書きます。
―― そうして毎日、手紙のやり取りをするようになった私たち。
携帯電話でメールすれば済むことなのですけれど、なんとなく手紙のやり取りはつづいています。
チラシの裏の、メモ書きみたいなもの。 殴り書きされた、ただの紙っきれ。
けれど、それが、すれちがいの日々を送る私たちをつないでくれる、唯一のもののような気がして、手紙を途切れさせまいと、私たちは、チラシの裏にペンを走らせているのです。
手で書く紙。 を、私は、今夜も綴るのです。 ひとり、ぼんやりと、幸福な気持ちで。
BGM:
・Police ‘孤独のメッセージ / Message in a Bottle’
Sting が在籍していた、三つ巴 (スリー・ピース) バンドの第二作アルバム、“白いレガッタ / Reggatta De Blanc” より。
この、「孤独のメッセージ」 という邦題は、なかなか粋ですね。
・Johnny Thunders ‘恋人の日記 / Diary of a Lover’
Johnny Thunders というと、“So Alone” や Heartbreakers 名義の “L.A.M.F.” あたりが有名かもしれないが、個人的に名盤だと思っている、“Hurt Me” という弾き語りアルバムに収録されている。
恋人の日記を読んで、‘She's live in my world’ と 会えないさみしさをまぎらわせるかのように じぶんに言い聞かせている部分に、せつなく、共感を覚える。