Run, BLOG, Run

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世界禁煙デーに想う。

2004年05月31日 23時31分49秒 | about him
 今日、五月三十一日は、『世界禁煙デー』 である。

 ただでさえ肩身の狭い思いをされているであろう喫煙者の方々を、ここぞとばかりに、さらにいじめるつもりはない。

 ない。

 ない、けど。

 今日、会社の喫煙所のまえを通ったら ...

 ―― 喫煙所とは名ばかりで、ビルの出入り口付近に灰皿が置いてあるだけである。 夏暑く、冬寒い。 雨ニモマケズ、風ニモマケズ、憩いのひとときをもとめて集う場所 ...

 今日という日をはかってか、はからずか、灰皿の周りを囲むように大きな植木が設置されていた。

 おそらく、煙りがひろがらないように、その植木に囲まれた中だけで吸うように、ということなのだろうか、と考えてしまった。

 うむゅむゅ。 それはちょっとひどいのでは ... とも思ったが、世界の流れとして、仕方がないのであろうか ... ?



 ところで、わたしの友人 (というか彼) も、たばこを吸うのだけど。

 あまり身体が丈夫ではない、と思われるため、それとなく禁煙するように言ったことがあるのだけど。

 なんとなく、お酒を呑まない彼から、たばこを取り上げるのは、かわいそうな気がしてしまう。

 彼は、いまではすっかり○○○もやめ、○遊びもせず、ギター一本の弾き語りに打ち込んでいる。

 死んでしまったバンド仲間の歌を、うたいつづけているのである。



 詩を引用したいのだが、作者に了承を得ることができないので、私のことばに置き換えてあらわそう ...



お医者さんよ、毒を、くれないか?
痛くてしょうがないんだ
いいや だれもせいでもない
おれ自身のせい
お医者さん、毒を、くれないか?
痛くてしょうがないんだ
この痛みのひどさ、だれにもわからないさ



 彼のこころにも、痛みがあるのだろう。 友だちを死なせてしまったことに対する自責の痛みが ... 。

 彼の友たちは、非常に孤独な、むごくかなしい死をむかえた、と聞いた。

 けっしてわすれることのできないような無惨な最期を。

 そんなつらいできごとを、あえて乗り越えていこうとせず、毒に毒を塗りかさねるかのように、たばこの煙りにまみれたライヴハウスで、声をしぼりだして、この歌をうたいつづけている。

 自身も吸っているたばこのために、声ががらがらになりながら ... 。

 こころからの悲痛なさけびのようで、聴いていると、むねがせつなくなる。

 まるで、天国にいる友だちに、ごめんな、ごめんな、と、あやまりながらうたっているようで ... 。

 きっと、彼は、ギターが弾けなくなるまでうたいつづけるのだと思う。

 そんな彼から、たばこは毒だから、と奪いとることが、はたして私にできるのであろうか ... ?



 BGM:
 The Platters ‘Smoke Gets in Your Eyes’
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ロックロック、こんにちは。

2004年05月31日 22時16分58秒 | 音楽
 はじまりは / I Want to Tell You

 wordblow さんの blog 『◆書く/読む/喋る/考える◆』 の記事、「はにゃんとの対話(3)/勉強」 からお送りいただいた 一件の trackback。


 たとえば、おれはロックが好きだ。ロックといえば、必ずビートルスがでてくる。古典だ、名曲だ、革命を起こしたんだってね。そうか、そうなのか? じゃって、ビートルスを聴いて勉強しようとする。ところがだ、好きになれない。ぜんぜんダメなんだ。どこが古典で名曲で革命的だといって祭り上げられているのか、まったくわからない。


 という意見に対して、見解をお求めになられた、と認識したのですが ... 。

 なぜ、ワタシに?! ― 私など、ただロックが好きで聴いていて、思い高じて勝手にいろいろ引用しているだけで、音楽的なことなどさっぱりわかっていないのに ... 、しかも The Beatles ?! と、一瞬、おそれおののきましたが、せっかくのありがたき光栄なので、思いきって、書いてみることにしました。

 ここで逃げちゃあ、女がすたります ... ?!





 生活に根づいているのか / Do You Want to Know a Secret

 十年近くまえの話だが、たまたまアメリカやイギリスの番組を観られる環境にいたことがあった。 そのころ、たとえば、映画かなにかの授賞式だとか、バラエティ番組などを見ると。

 たまに、司会者が、 「いま、ちょうど、John と Yoko が出会ったような感じだ」 とか 「いま、ちょうど、“Abbey Road” の B 面に入ったくらいだ」 などと言っている場面に出くわすことがあった。 番組の盛り上がり具合やら進行具合を、The Beatles (および John Lennon) になぞらえているようなのだが、その当時は意味がよくわからなかった。 観客がそのジョークというのかユーモアというのかにウケて、笑い声を発しているのだが、いったいなにがおかしいのだろう、と、いぶかしくさえ思ったものだった。

 ただ、音楽番組でもないのに、そういったコメントが出てくるというのは、それだけ The Beatles がいまだに愛されていることなのだろう、という漠然とした思いをいだいた。 The Beatles が、いまだに日常生活のなかに生きているのであろう、と。

 そして、The Beatles だけでなく、きっと、ロックという音楽そのものが、生活に根ざしているのだろう、と想像した。



 映画など / The Word

 サウンドトラックが話題になった、Sean Penn 主演の 『I am Sam』 は、全編が The Beatles の曲 (権利の問題があるのか、すべて他のアーチストによるカバーであるが) に彩られ、せりふのはしばしにも The Beatles にまつわるものが散りばめられていた。

 賛否両論わかれると思うが、私は、あの映画にそれほどの感銘を受けなかった。 なんとなく、あらゆる部分において中途半端な気がして、なにかもの足りなかった。 といっても、ほろりときてしまった場面もあるので、すべてを否定するわけではないのだけれど ... 。 しいていうなら、良かったのは、音楽と、娘役を演じていた Dakota Fanning の存在感であろうか。

 しかし、もし、The Beatles の曲をひとつも知らずに、The Beatles のことをなにも知らずに観ていたら、もしかしたら、その Dakota Fanning の演技にすらも目をそむけていたかもしれない。

 それほど、The Beatles のうたが重要な位置を占めていたように思う。



 ほかに、ロックや、ミュージシャンの存在がふかく関わるもので思い浮かぶのは、『Velvet Goldmine』 や 『あの頃ペニー・レインと (Almost Famous)』 などがあるが。

 また、Coen 兄弟製作・監督の 『O, Brother ! 』 に関していうと、この映画にはギター弾きの黒人男性が登場するのだが、これが、Robert Johnson という 「伝説」 のブルースマンをモチーフにしている ... というのは、Robert Johnson を知っている人にしかわからないのだけど。 知っている人は、思わずのけぞって、笑ってしまいそうになる。



 劇場で映画を観ていると、あるせりふで、外国人だけウケていて、私(たち)には、そのおもしろさがさっぱりわからないことがある。 その背景となっているものを知っているか知らないか、で、意図された妙味が汲みとれないこともあるということであろうか。 それが、映画全体の魅力をそこなうこともあるかもしれない。

 それは、もちろん、音楽的なことだけではなく、別の映画のパロディが含まれていたり、時代背景、社会情勢などが下敷きとなっていることも多々あろう。

 そういったものを理解したうえで映画をたのしめる、というのは、ほんとうに贅沢なことだ、と思う。 じぶん自身、いまのところ、ロックに関係したもののほんの一部しか たのしめていないのだろうけれど ... 。



 畏怖 / Devil in Her Heart

 さて。 The Beatles であるが。 彼らに関して 「講釈をたれる」 のは、正直にいうと、こわい。 なんというか、彼らは、絶対的な不可侵の存在のような気がしてしまって。

 まるで、神やなにかに対するのと同じような、畏怖をいだいてしまう。



 反抗期 / No Reply

 その畏怖が、やがて反発心を芽生えさせることもあるのだろうか。

 幼いころは、自宅に彼らのレコードがあったので、曲はいくつかは知っていた。 たんにいい曲だなあ、くらいで聴き流すような感じだったけれど。 そのときすでに彼らは活動していなかったし、John Lennon もこの世を去ってしまっていた。

 そして、思春期を迎えるころには、The Beatles には見向きもしなくなり、さまざまな形態に進化した 「最新の」 ロックにふれるようになったいた。 意識して、The Beatles を遠ざけていたのかもしれない。

 それは、The Beatles こそすべてのロックの基本である、などと、オトナたちが口をそろえて言っていることに、反発ないしは違和感をおぼえたのかもしれない。 とにかくすごい、とか、多くのミュージシャンたちに影響を与えたのだ、と言っているけれど、どこが、どうすごいのか、具体的にどの人にどんな影響を与えたのか、ということを、きちんと説明してくれるオトナが周囲にはいなかった。 少なくとも、私が読む雑誌にも、その説明は書かれていなかった。 ただ、「基本である」 としか。 あたりまえすぎて、説明不要だと思われていたのだろうか?

 なんとなく、すごいのだろう、でも ... と思いながら、私はやがてパンク・ロックへ走ることになった。



 ここ掘れ / day after day

 そこから、さまざまな種類の音楽を、走り抜けるように、かたっぱしから聴いていったのだが、そうしていると、自然と The Beatles のアルバムも聴かざるを得ないことになった。

 じぶんは、ロック好きを公言してしまっている。 友人たちのあいだでもいちばんロックにくわしいことになっている (井の中の蛙、大海を知らず)。 だとしたら、一般的に 「古典的名作」 といわれているものを聴いていないでどうするのか? という半ば義務、のようなもので、The Beatles のアルバムを自ら買い求めるようになった。 そうして彼らの映画を観、彼らについて書かれた本を読んだ。

 すぐにはわからなかったけれど、あの時代における彼らの位置、彼らのやってきたこと(Bob Dylan に与えた影響や、英国バンドのアメリカ進出を切り開いたこと - British Invention など)、それぞれのメンバーの個性、歌詞にこめられたメッセージ、などがほんの少しわかったような気がした。

 そうして、すぐ好きになったのか、というと、そうでもなく。

 ほんとうに 「すごい」 と言えるのは、あの時代 (もしくは近い時代) に生き、実際に肌で感じとった人にしかわからないのではないか。 あるいは、大目に見ても、実際にじぶんで The Beatles の曲を演奏してみたことのある人しかわからないのではないか、という気がして、脱力してしまった。



 影法師 / a shadow hanging over me

 けれども。 好きになりたい、理解したい、という意志のあるなしに関わらず、「ロックの森」 を探索しつづけていると、自然と The Beatles という大木の存在に突き当たることになった。 私の愛するミュージシャンが、その当時よきライバル同士として彼らと競い合っていた、とか、彼らを偉大な音楽家として敬愛している、とか、彼らの影響を垣間見せている ... という事実に。 ほんの少し考えをめぐらせてみただけでも、ほとんどのミュージシャンがそのいずれかにあてはまるような気さえした。

 ‘Yesterday’ の歌詞ではないけれど、ロックを追いかけている私に、The Beatles が、まるで影のようについてくる。 そう。 逃れられないのである。

 数年前、ある音楽雑誌をたまたま見てみたら、The Beatles の特集で、彼らの作品で好きなアルバム、好きな曲は? という質問に、現在活躍している若手ミュージシャンたちがこたえていた。 そのなかには、The Beatles とは結びつかないような音楽性のアーチストもいて、なかなか興味深かったのだが。 回答者のほとんどが、なんの迷いもなく好きな作品を即答していたのではないか、と想像した。 ごく自然に、ごくふつうに The Beatles を聴いて育ってきたのではないか? だから、好きな曲は? と聴かれても、すぐにこたえが出てくるのではないか? それぞれのアーチストが、それぞれの Beatles を有しているのではないだろうか? と。

 また、こんなこともあった。 数年前、あるシンガーソング・ライターのライヴを観に行ったとき ― ちょうど、George Harrison が亡くなって間もないころだった ― 、自身のオリジナル曲のあいまに、とつぜん、「George に捧げる」 と言って、George Harrison 作の The Beatles の曲 (‘I Need You’) を歌いはじめた ... なんてことが。 それまでそのシンガーは、The Beatles が好きだとか、影響を受けたなどとは直接的に表明していなかったのだけれど、それでも哀悼の意を表するというのは、やはり当然のように己が根として The Beatles があるということ意味しているのかもしれない、と思った。 そして、それは、決してめずらしいことではなく、多くのミュージシャンが George Harrison の訃報に、おどろき、かなしんだのではないか、と。

 これが、The Beatles が 「すごい」 ということではないか? と思うのである。 そう思うようになるまで、時間はかかった。 しかし、そんなに 「すごい」 のであるなら、やはり聴くしかない、と、聴いて聴いて聴きまくった。 耳鳴りがするくらい、脳みそが溶けそうなくらい ... 。 そして、いまでは、好きだ、と言える曲もできた ... と思う。



 なりゆきに / Let It Be

 そんなに無理してまで聴かなくても ... 。 好きなものだけ聴いていればいいじゃないか ... という気もする。 けれども、じぶんでは意味のある模索だったように思っている。

 ロックの歴史を語るうえで、どんなことがあっても、外せない存在なのだから ... 。

 けれど。 ロックはいやいや聴くものではない。 その歴史を知るために、仕方なく聴くものでもなく。 ロックはそもそも自由な音楽であるはず。

 パンク・ロックが、商業化したロックへの反逆であったなら、ロックンロールそしてロックは、既成のポップスに飽き足らなくなった若者による、若者のための音楽だったはず。 まさに Elvis Presley が、The Beatles が、そうであったと聞く。 いまとなってはそのさまを想像してみることしかできないが。

 The Beatles は、八年の活動期間中にオリジナル・アルバム十二枚を残した。 また、録音した曲数は二百十三あると言われている。

 もしかすると、これらの曲のなかに、その当時の若者が熱狂したような新鮮なおどろきを与えてくれるようなものが潜んでいるかもしれない。 そして、ふとしたきっかけで 「その一曲」 ―― こころから好きだ、と言えるものに出会えることもあるかもしれない。 そう考えると、私は、わくわくするのである ... 。 私は、まだまだ The Beatles という大きな地図のうえを模索しているのかもしれない。



 おわりに / The End

 音楽評論家の中山康樹氏は、著書 『超ビートルズ入門』 で、まず The Beatles を聴くには、なにから聴いていけばいいか、ということで “Past Masters Volume 2” を挙げられていた。 なるほど。 名曲ぞろいである。 いきなり、ヴォリュームのある “White Album” や、サイケな “Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band” などからは入らずに、まずはアルバム未収録のシングル・コレクション第二集から、ということのようである。

 では、こんな私であるが、じぶんならば、なにからすすめるだろう? 私も、あえてアルバムではなく、すっと入りやすいシングル集ということで赤盤か青盤を ... とも思ったが、それでは中山氏のまねに過ぎないので、やはりアルバムから選ぶことにしようか ... 。 音づくりや詩世界に、その後の深みがまだ感じられないのかもしれないが、すなおに 「いいうた」 だと思える粒よりの曲がぎゅっとつまった “Rubber Soul” をおすすめしてみようか。



 ちなみに私は、アルバムでは、“Sgt. Pepper” から入った。 それを言うと、たいていは驚かれるが。 だって、「歴史的名盤」 だなんて言われているんだもの。 そりゃあ、聴いてみたくなる、さ。



 BGM:
 Ramones ‘Rock 'n' Roll High School’
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ロックロック、こんにちは。 (予告編)

2004年05月30日 17時41分39秒 | 音楽
(予約エントリ)

(一両日中に本文をアップします)
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絶・頂 / The Tide Is High

2004年05月28日 23時09分30秒 | 想在
 先日、たまに足を運ぶバーで飲んでいたときのこと。

 そのバーで知り合った男性と話していたら、なぜか恋愛の話題になった。

 その方には、現在付き合っている女の子がいて、店にも何度か連れて来たことがあったので、まあ、うまくいっているのだろうな、と思っていたのだが、その日はなぜだか、昔の女性のことばかり、なつかしそうに話す。

 曰く、彼は、現在 「不幸」 なのだそうだ。

 数年前、ある女性と付き合っていたとき、それが、彼にとっての 「絶頂期」 であったという。 そして、その女性を失ったいま、とても不幸なのだとか ... 。 もしも可能であるならば、「あのころに戻りたい」 とも言っていた。

 うん ... 。 そこまで好きな女性がいたことは、うらやましく思うし、とてもつらい別れを経験したのだろうということは、同情する。

 しかし。 彼の発言が、どうもむねにひっかかってしまった。

 まず、じぶんでじぶんを 「不幸だ」 と言ってしまえること。

 これは、(もしかしたら) 冗談半分で言っているのかもしれないが、なんだか変だ。 たとえ、そう思っていたとしても、公然と口にしてはいけないと思ってしまう。

 無理してまで 「幸福だ」 と言わなくてもいいが、軽々しく 「不幸だ」 と言ってはいけない。

 そんなことを言ったら、現在の彼女や友人に対して、失礼ではないか?

 それから、「あのころに戻りたい」 というのも ... 。

 かくいう私には、戻りたい過去は、ない。

 いや、なつかしい過去、たのしかった思い出、良かったと思える時期は、ある。

 しかし、戻りたいとは思わない。 いや、正確にいうと、戻ってみたい気もするが、戻ったところでどうなるのだ? という感じだろうか。

 おそらく、彼としては、「あのころに戻って、やり直したい」 のだと思うのだが、それって、どうだろう。

 もし、やり直したとしても、結局は、同じ結末を迎えるのではないか?

 なにかの偶然で、早くなったり、遅くなったりしても、結局、二人は、別々の道を歩むことになるのではないか?

 どういった経緯で二人の関係が終わったのかは、私には知る由もない。 男と女の間でのこと。 それは、当人同士にしか分からないだろう。

 しかし、やはり、なにか原因があったからそうなったに違いないように思うのだが ... 。

 二人の絆 あるいは 信念が強いものであったなら、どんな障害も乗り越えられたはず。 どうしても避けられない理由 あるいは 心のスキマがあったから、そのような結果になったのではないだろうか。

 もしかしたら、その女性と、なんとかうまくやっていけたかもしれないし、駄目になっていたかもしれない、それは神のみぞ知る、なのだろうが、やはり、そうなるべくして そうなってしまったのではないか?

 何度やり直しても、きっと同じことを繰り返すのではないか?

 ―― 私は、そう考えるが。

 (なかには、何度も何度も、別れてはくっついたり、という一蓮托生の奇妙な関係を続けているカップルがいないこともないようだが、果たしてかれらが、その関係に満足しているのかどうかは、私には疑問である。)

 私は、そんなふうな話を、かなりやわらかく、丸めて、彼に言ってみた。

 しかし彼は、納得いかないようだった。 どんなことがあっても、あのとき別れなければ良かった、とまで言っていた ... 。

 そんなこと言ったって、もう別れちゃったものは、しょうがないじゃないか !

 という一喝のかわりに、私は、こう言いたかった。

 もし、その女性と結婚してしまってから、別れることになった 「原因」 が持ち上がっていたら、あるいは、もっともっと不幸な破局 / どろどろの修羅場を迎えることになっていたかもしれないのだから、逆にあれで良かったのかもしれない、と、考えてみてはどうか、と。

 もし、その女性との関係が続いていたら、ありえなかった出会いもあるかもしれない、と、考えてみてはどうか、と。

 「しあわせ」 とか 「ふしあわせ」 とか。 そんなもの、考え方ひとつではないだろうか?

 幸福だから笑うのではなく、笑うから、幸福なのだ (アラン著 『幸福論』 より) と。



 (初出: 2004.2.20 再出: 2004.5.28)



 BGM:
 Blondie ‘The Tide Is High’

 * 邦題は、「夢見るNo.1」 という。
  「潮が満ちてしまったけれど、耐えてみせる」
  「すぐにあきらめたりするような女じゃない」
  という区に共感をおぼえる。
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セカチューして手にプリン、地味で変で、スカタンな

2004年05月28日 12時27分05秒 | 戯れ言
 とある web サイトの無料オンライン会員とやらに登録したら、毎日のようにダイレクト・メールが来るようになった。 携帯電話のほうに。 まあ、それは承知の上で登録したので、いいのだが。

 ときどき、わけのわからないメールが来る。

 仕事中に、「ポルノ ベストリリース 予約受付中」 とかいうのが来たとき、思わずふきだしそうになってしまった。

 よくよく読むと、「ポルノグラフィティ」 というグループがなにか CD を発表するらしく、その予約を受け付けているらしい。 なあんだ。 よかったよかった。

 携帯電話のメールへの送信ゆえ、データ量を減らすためにグループ名を略したのだと思うが、いくらなんでも、「ポルノ」 は ... と思ってしまった。 私のように勘違いして、むだにドキドキする人が何人かいるのではないかな、と思う。



 昨日のには、『セカチュー』 などと書かれていて、セカンド・チュー (first kiss ならぬ second kiss ?!) ということであろうか? などと考えてしまった。 んン? せかせかしたチュー? むはー、もお、がまんできねえ、みたいな ... ?



 それから、もっとなぞだったのは、『テニプリ』

 うーむ。 手にプリン、かしらん。 ... そんなわけないか。 だいたい意味がわからない。

 とりあえず、例によって、 web 検索し、あっさりと答えがわかったのだが。



 私のように、世の中の流れに逆行して、どんどん情報を閉じているようなものにとっては、ますますなぞだらけの略語に囲まれているような気がして、なんともかんとも、住みにくいような ... 。

 けれども、こういった略称というのは、むかしからあるような気もしてくる。

 わたしの好きな blues やら rock やらの話でいけば、Robert Johnson なんて、「ロバジョン」 とか言う人がいるし、Carol King なんて、「キャロキン」 だし (「クリキン」 か?!)、 Jaco Pastorius は 「ジャコパス」 だし .... 。

 Johnny Thunders を 「ジョニサン」 という人もいる。 「おれ、大のジョニサン好き」 とか言われると、「ウソだ !! 」 と言いたくなってしまう。

 そういえば、「ピーガブ」 なんてのもあったもよう ... (Peter Gabriel)

 かつて、Paul Weller が組んでいたユニット、Style Council のことを 「スタカン」 と言っている人もいたような ... 。 「このスカタンが ! 」 と怒られているみたいで、なんとなく気になる。



 ほかにも、マイブラジザメリエコバニジョンスペレッチリレニクラスマパンオフスプレディヘベルセバ、etc ...

 邦楽だと、ミスチルオザケンエレカシモンパチトミフェブとか ... ?

 なにがなんだか、わけがわからない。 (いや、わかっているけど)

 しゃべりことばならいざ知らず、文字にすると、なんとなく間のぬけた感じがする。 あえてその効果を狙っているのだろうか?



 もっとも、Jimi Hendrix の 「ジミヘン」 に関しては、もはや登録商標という感じで、いまさらいちゃもんをつける気にすらならない域に達しているように思うが。

 Rolling Stones は 「ストーンズ」 で、 Aerosmith は 「エアロ」 で、それぞれ通るし ... 。

 そう考えると、略される、というのは、それだけたくさんの人に認知されて、愛されていることの証しなのかな、という気もするので、結局、ま、いっか、となってしまうのかもしれない。



 こんなの。 世の流れについていけない、世の動きに柔軟に対応できない、あわれなものの、かなしき うめき に過ぎないのであろうか?



 BGM:
 Miles Davis ‘Tasty Pudding’

 Joni Mitchell ‘In France They Kiss on Main Street’
  * “夏草の誘い / The Hissing of Summer Lawns” に収録。
   jazz に接近したこのアルバムの後、Jaco Pastorius と共演することになる。
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さよならを教えて

2004年05月27日 14時48分14秒 | 覚書
 「さようなら」 という別れの挨拶は、なんとなく、味気ない、乾いた印象を受ける。

 「左様なら、ここでお別れいたしましょう」 が短くなったものと聞いたことがあるが、なんてさみしい響きのすることばなのだろう? と自国のことばながら、不満に思うことがある。

 なんとなく、今生の別れ、のような。 武士道精神そのもの、みたいで、ものがなしささえ感じる。

 そこで、もっと、去りゆく人にぴったりなことばを、と、考えをぐるりとめぐらせてみたのだが ... 。



  Good luck
  See you again
  Take care



 それぞれ、直訳すると、「幸運を祈る」、「また会いましょう」、「気をつけて」 ということであるが。 いいことばだな、と思う。

 フランス語では、



  Au revoir (オ ルヴォワール)
  Bon voyage (ボン ヴォヤージュ)



 などが使われるのだろうか? それぞれ、直訳すると、「またね」、「良い旅を」 であろうか。 やはり、再会を約束するものであったり、相手を気遣う送り出しのことばで、すてきだな、と思う。

 他には、スペイン語の Hasta la vista (アスタ ラ ヴィスタ. "hasta (= till)" + "la vista (= 出会い)". 「また会う日まで」 ) や、 韓国語の トマンナヨ (止まんなよ? いえ、「ト(また)」 + 「マンナヨ(会いましょう)」) なども、いいな、と思う。



 けれど、やはり、いちばん好きなのは、数年前に台湾を旅したときに知った、


  再見 (ツァイツェン) (また会いましょう)


 であろうか。 表記が母国語にいちばん近く、ぱっと見で意味がわかりやすく、親しみが持てる。



 「左様なら、ここで別れよう、二度と会うことはないであろう ... 」 という、諦念にいろどられた 『さようなら』 よりも、「二度と会えないかもしれないけれど、また、どこかでお会いできたら ... 」 という、わずかながらも希望を託したこのことばに、共感をおぼえるのである。

 そうして、わたしたちは、さまざまな出会いと別れを無限にくりかえしていくのだろうか ... ?



 では。 また、お会いしましょう





 * じぶんなりに調査して執筆したものですが、発音等、おかしな部分があるかもしれません。 語学にそれほど詳しくないものが、知ったかぶりして書いたものとご笑納くださいますか、もしくは誤りをご指摘いただけましたら、さいわいです。



 参照:
 田中 英光 『さようなら』

 当サイト内 「上を向いて、歩こう」





 BGM:
 Francoise Hardy ‘さよならを教えて / Comment te dire adieu’

 (revised 27 May, 2004 16:00 PM) (誤字修正)
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上を向いて、歩こう

2004年05月26日 22時58分37秒 | 覚書
 去ることには事情があり、残ることにも理由がある。

 わかれは、とつぜん、やってくる。

 そんなこの世の常にとまどいながらも

 わたしたちは

 風に吹かれながら

 それぞれの道を

 おぼつかぬ足どりで

 歩いていかなくてはならないのだろうか?

 さあ。 風になみだを乾かして、いま。



Don't cry now, don't you cry, don't you cry anymore.
Sleep in the stars, don't you cry, dry your eyes on the wind.

 ‘Bird Song’ - lyrics by Robert Hunter, performed by Grateful Dead




 BGM:
 Kyu Sakamoto ‘UE WO MUITE ARUKOU’



 trackback to
 『★ うむむ。 ★』 - 「お世話になりました!」
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Big Yellow Taxi

2004年05月26日 22時17分03秒 | 覚書
 たいせつなものは

 うしなってみて

 はじめてわかる



Don't it always seem to go
That you don't know what you've got
Till it's gone

 ‘Big Yellow Taxi’ - by Joni Mitchell



 BGM:
 Joni Mitchell “Ladies of the Canyon”
 (‘Big Yellow Taxi’ 収録)
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きれいなおにいさんは好きですか? - 「耳毛カッター」

2004年05月25日 22時56分26秒 | 想在
 先日、電気店にちょいと用があったので、新宿西口駅のまえ、カメラの 「ヨドバシカメラ」 へ行ってきた。

 目的の品をめざして店内をうろうろしていたら、いろいろとめずらしいものを発見した。 ふだんあまり電気店に行かないせいで、ものめずらしく感じられただけ、かもしれないが。



 「マイナスイオン発生ブラシ」 (マイナスイオンを発生するドライヤーは知っていたけれど、ブラシもあるとは ... ) とか、 「あかりつきミラー」 (要は、暗いところでもお化粧直しができる、とか、毛穴の奥の奥までしっかり見えるので、化粧くずれをチェックできる、とかいうものなのだろうか? そこまで必死にお化粧直ししなくても ... という気もするが ... ) とか。
 ヒールダコや足のかたくなった角質をきれいにするという 『タコクリア』 だとか、「まつげのホットカーラー」 だとか、 『化粧品保冷庫』 なんてのも ... 。

 女って、たいへんだ。

 「きれいなおねえさんは好きですか?」 の宣伝文句でおなじみの (?) 松下電工の製品であるが、女性を購売対象として、あらゆるものが商品化できるという実例なのであろうか?



 ところで。 ふと、目に留まったのだけれど。 『耳毛カッター』 なるものがあった。

 読みは、「みみげかったー」 でいいのだろうか?

 『鼻毛カッター』 は以前からあったような気がするが、「耳毛カッター」 は初めて知った。 ふだんテレビを観ない日々を送っているため、私が知らないだけで、CM とかバンバンながれているのだろうか? だとしたら、どんな CM なのだろう ... 。 そして、「鼻毛カッター」 を耳毛の処理に流用してはいけないのだろうか?

 ... などと、妄想やら疑問がふくらむ。

 この商品も松下電工製であるが。 web 上での category では、「メンズ・グルーミング」 商品となっていたから、男性用の商品らしい。

 女性の場合だとちょっと考えてしまうが、男性の場合だったら、耳のお毛くらい、ほうっておいていいんじゃないかしら? ... なんて、私的には思ってしまうが。

 男の人も、購買対象として、しっかり理美容製品の開発がすすめられている ... ?

 そのうち、「きれいなおにいさんは好きですか?」 なんてコピーが出てきたりしてね ..... ???



 しかし、そういうじぶんは、いったいなにを買いに行ったのか ? ―― それはひみつです。



 BGM:
 T. Rex ‘Metal Guru’

 うるわしきオトコ ... と言われて、まっさきに思い浮かぶのは、David Bowie なのだが、なんとなく、T. Rex (Marc Bolan) を。
 そして、曲は、「メタルの伝道師」。
 この曲は、1972年発表の “The Slider” に収録。
 ジャケット写真を Ringo Starr が撮影した ... というのは、知っている人は知っている、知らない人は知らない (あたりまえ)。
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「魅力的な雑誌」/ビッグ・イシュー

2004年05月25日 16時32分35秒 | 想在
 ここ数ヶ月、御茶ノ水駅から会社に向かう途中、いつも 「なぞ」 に出くわす。

 おじさんが手売りしている雑誌のようなもの。

 「“Big Issue”, 最新号です」、 「“Big Issue”, 今月は、George Michael です」 などとかけ声をあげているが、なぜ、街角で手売りという販売形態をとっているのだろう? しかもなぜ、ピチピチの gal ではなく、おじさんが? そしてそして、失礼ながら、おじさんと George Michael は結びつかない ... などと、疑問をいだいていた。

 日常生活に埋もれてしまって、調べてみる気にまでならなかったのだけれど。

 先日、新宿駅付近を歩いていたら、そこにも “Big Issue” を売っているおじさんがいた。 渋谷に行ったら、そこにも。 友人に訊いたら、中野駅付近にも、荻窪駅付近にもいたという。

 そこで、例のごとく、 Google 先生におたずねしてみたところ、下記のサイトにたどりついた ...
 (たどりついた、とか言って、検索結果の一番上に出てきただけなのだが ... )


 『ビッグイシュー日本』 


『ビッグイシュー』 は英国で大成功し世界(24の国、50の都市・地域)に広がっている、ホームレスの人しか売り手になれない魅力的な雑誌のことです。ビッグイシューの使命はホームレスの人たちの救済(チャリティ)ではなく彼らの仕事をつくることにあります。


 むむ。 そういった目的や指針のある雑誌だったとは ... 。 私は、「ホームレス」 の問題にあまり明るくないので、うかつに口を出すべきではないかもしれないが。 こういった雑誌ならば、もっと多くの人に知ってもらっていいのでは。 と思った次第。

 街角で “Big Issue” を売っているあのおじさんたちは、仕事をしたい、自活したい、という希望をもってやっているのだろう。

 web の情報によると、「具体的に、最初は一冊200円の雑誌を10冊無料で受け取り、この売り上げ2,000円を元手に、以後は定価の45%(90円)で仕入れた雑誌を販売、55%(110円)を販売者の収入とします。」 とのこと。

 がんばってたくさん雑誌を売って、ちょっとずつ蓄えていけば、社会復帰も夢ではないのかもしれない。

 今までは、ほんのすこし気になりながらも、いつも通り過ぎてしまったけれど、明日の朝、おじさんを見かけたら ... 一冊買ってみようかな ..... ?





 BGM:
 Tom Waits ‘Big in Japan’
 ( "big" しか つながりがないけれど ... )

 1999年に発表されたアルバム、 “Mule Variations” に収録。
 この曲は、日本ではいまだに大物扱いされている、落ちぶれたスターを揶揄した辛辣な歌 ...
 Tom Waits, おっさんになっても punk だ ...
コメント (2)
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