Run, BLOG, Run

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雨に唄えば / Just singin' in the rain

2004年10月05日 22時58分23秒 | 想在
 昨夜は (今日もだけれど)、寒かったので、友人を呼んで、お鍋をした。

 野菜たっぷり、魚介類たっぷりの、キムチ鍋。

 わが家のキムチ鍋は、キムチは入れない。

 「桃屋」キムチの素で味付け。

 キムチの素だけでは、味に深みが出ないので、味噌とコチュジャンも、少々。

 身もこころも、ほんわか、あたたまった。

 朝までさわいでしまって、少々、二日酔い。





 この、どうしようもない、宴のあとの倦怠感のようなもの。

 そして、降りつづける雨が、ことばを、思いを、流して、呑み込んでしまっているのだろうか。

 書きたいことがあったはずなのに、キーボードを打つ手も、ぎこちない。

 こんなときに、あたためていたねたで記事を書いてしまっては、うまいこと書けそうな気がしない。

 今日は、やめておこう。

 きっと、やまない雨はない ... 。

 明日には、洗い流された、あたらしい朝が迎えられるといいのだが ... 。





 BGM:
 Gene Kelly ‘雨に唄えば / Singin' in the Rain’

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10.4 / 探しものは、なんですか?

2004年10月04日 16時28分29秒 | 想在
 今日は、「探し物の日」 とのこと。



NTTの電話番号案内が104番であることから。

失くした物をもう一度本気で探してみる日。



 なるほど ... ??

 「番号案内の日」 とせずに、「探し物の日」 としたところは、ちょっとステキかも。

 しかし、出てくるかなあ。 失くしたもの。

 これまでに、いろんなものを失くしてきたが。

 失くしたことさえ、気がつかないで。

 記憶の彼方に追いやられたものたち。

 今日は、部屋の掃除でも、してみようかしら。

 なにか、出てきたら、

 いいなあ ... 。





 「モシモシ。 104番さんですか? こちらは、いまのわたしですが、過去のわたしを探しています」

 ―― 「見つかるかどうか、は、あなた次第です」














 関連情報:
 「無料電話番号案内 104.com」





 BGM:
 Janis Joplin ‘Try (Just a Little Bit Harder)’

 (十月四日は、Janis が亡くなった日でもある ... (1970年)。 二十七歳の若さ ... 。 合掌)

 (この曲は、数年前、James Brown の来日コンサートで、バック・コーラスの女性(JB の奥さん??)が、メイン・ヴォーカルをとって披露していた曲でもあります。 しかし、Janis のシャウトには、かなわないよなあ ... なんて思ってしまったものでした。 ... Janis の生歌を聴いたことはないけれど)


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東京は今日も雨だった / ねこは眠る

2004年10月03日 18時23分42秒 | 想在
 (ええと、父がカラオケ好きなもので、その影響か、つい、ムード歌謡ふうに ... ?)



 友人 (というか彼) が、昨夜、わが家に泊まりに来た。

 今日は、三時から予定があるとのことで、それまでは、いっしょに過ごせるはずだったのだけど。

 今朝、目覚めたら、「やばい、洗濯物干しっぱなしで来ちゃった」 とのことで、洗濯物を取り込みに、じぶんの部屋に帰ってしまった。

 洗濯物には、勝てないよなあ。 それぞれ一人暮らししている者同士、仕方がない。

 (この後、夜、某所で会える予定なので、ま、いいか ... とも思っている)





 彼の部屋に、よく、アパートの大家さんちのねこが勝手に遊びに来る、というを一度したことがあるけれど。

 そのねこ、「まる」 が、いつも部屋でごろごろさせてもらってるから ... なんて気を遣って、洗濯物を取り込んでくれたらいいのにね。 なんて言ったら、彼は、ちょっと、ウケていた。

 洗濯物を取り込むねこ ... 。

 うう~ん。 たしかに、想像しただけでおかしい。

 「だめニャー」 とか言って、爪にひっかけて、次々と洗濯物を取り込む姿、とか、「ニャンニャン」 言いながら、洗濯物をたたむ姿、とか ... 。

 ありえない、けれど。

 そして、にんげんの勝手な妄想などつゆ知らず、ねこたちは、のーんびり、のほほん、気の向くままに、眠りこけているのだろう。

 とくに、こんな、雨の降る日には ... ?





 そういえば、うちの実家のねこは、洗濯物を取り込むと、洗濯物の山にダイヴするのが、好きな子だった。

 洗剤のかおりと太陽のにおいが混ざった、あの、独特のにおいが、好きなのだろうか。

 洗濯物を取り込み終えると、「いまだ!」 と言わんばかりに、遠くからとっとこ走ってきて、思いっきりダイヴし、ごろごろ・すりすり。 思いっきり暴れて、そのうち疲れて、そのまま寝てしまったりして ... 。

 ああああ。 洗濯したばかりなのに、毛だらけ ... 。

 でも。 かわいいから、つい、ゆるしてしまう。

 しかし、なんでまた、あんなに洗濯物が好きだったのだろう。 そして、なんだったのだろう、あの必死さ。

 ねこって、ときどき、どうでも良さそうなことに、必死になったりして、おかしかわいい。

 そんなうちの 「ちび太」 は、三年前に亡くなってしまった。

 ちょうど、いまくらいの時期だ。

 ふと、そんなことを思い出した、雨の日曜の、午後だった。





 BGM:
 (tradition song) ‘My Baby Don't Wear No Drawers’

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ただの女 / ただ、それだけ

2004年09月22日 23時14分55秒 | 想在
 先日、知人の劇団で、お芝居があったので、観に行っていた。

 内容のほうは、ちょっと、明かせないのだが、ちょっぴりノスタルジーを感じさせる、いい話だった ... とだけ、書いておくことに ... 。

 主人公は、高校生の女の子、という設定。

 主役を演じていた人は、劇中では、まさに高校生そのもの。

 けれど。 舞台が終わり、あいさつに出てきたとき、そこには、あきらかに私よりも年上の、「オバサン」 が、いた。

 (あえて、「オバサン」 ということばを)

 役を演じていたときは、まさに、表情も、たたずまいも、声も、話し方も、すべて、高校生になりきっていたのだろう。

 全身で、演じ切っていた。

 同じひとりの人が、ここまで変われるものなのか、と、愕然とした。

 しかし。 舞台を終えたあとの、素の姿を、知らずにいたほうが良かったのか? といいうと。

 そういう意味ではなく。

 むしろ、知れて、良かった。 と思っている。

 一回、一回、生の演技を見せる役者さんの、抜き差しならぬ芝居だましいと、真剣勝負を終えたあとの ほっとした表情の、そのギャップが、また、感慨をひとしおにさせてくれたのだ。



 人生には、ときに、あとにはひけない、真剣勝負のときが、あるのであろうか。

 そのときに、どれだけ、じぶんが、その勝負の舞台で、主役を演じ切れるのか。

 そして、素のときに、どれだけ、じぶんの素を、さらけだせるのか。





 ああ。 私には、無理かもしれない。 けれど ... 。

 そう。 私は、なんでもない、ただの女。 ときどき、「本気」 を出すけれど。

 なんて言えたら、かっこいいのにね。





 いろいろな煩悶をかかえる、蒸し暑い、秋の夜だった。





 trackback:
 『Three frogs which smile.』 - 「あなたとまどろむ 朝のぬくもり 」

 (あまり関連性がないかな?? けれど、お芝居つながり、そして、いろいろ思うところがあったので ... )





 BGM:
 Everything But The Girl “Language of Life”

 (この、不思議なグループ名は、Nothing But The Girl ―― ただの女の子に過ぎない ―― をもじったもの)

 (ただの女の子にすぎない ―― ただの女、ただ、それだけ)

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「愛の中心で、世界を叫ぶ」

2004年09月21日 23時03分51秒 | 想在
 昨日は、

 公園をぶらぶらして、

 コスモス畑などを観察。

 自転車に乗って、ふらふらふら。

 昨日は、蒸し暑いくらい、いいお天気で (今日も暑かったけれど)

 家族連れのかたがたが多かった。

 ぼんやりと、だんらんのひとときをながめていると、

 男の子が、

 「イエーイ! 夏まっしぐら~」 なんて叫びながら、駆け抜けていった。

 おいおい、もう、夏、終わっとるよ!

 ... なんて、無粋な突っ込みは、こころのなかだけで。

 ほかにも、

 「愛の中心で世界を叫ぶ!!」

 なあんて言っている小さな子もいて ... 。



 おいおい、逆だよ!



 きっと、どこかで聞いて、うろオーボエのままだったのが、つい口に出てしまったのかしら。

 うふふ、かわいい。







 きっと、子どものときには、なんでも、ゆるされる。

 なんでも。

 (ご両親の) 愛の中心で、(じぶんの) 世界を、思う存分、叫んでね。







 BGM:
 John Lennon ‘Beautiful Boy (Darling Boy)’


 beautiful, beautful, beautitul, buautiful boy ...

                        ―― lyric


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温もりコイン / 人生は、コインのように ... ?

2004年09月21日 13時21分36秒 | 想在
 今日、ひさしぶりに (といっても、三日ぶりだが) 会社に来て、いつものように、会社の自動販売機でお茶を買った。

 わが社の自動販売機は、ご機嫌ななめなときがあるのか、ときどき、コインを受けて入れてくれないときがある。

 いや、ほんとうは、ご機嫌とか、そういうのじゃなくて、ただ単に、ちょっぴりおばかなのじゃないか ... あっ、失礼、そんなこといっちゃいけませんね。

 え~、いつものように、お財布から小銭を出して、コインを投入。 ふつうのお金をふつうに入れているだけなのに、コロンと返却口に戻ってきてしまい。

 ああ、そうだ、この自動販売機は、ちょっぴり気難し屋さんだから、入れ方にコツがあるのだ。 と、コインを拾い、一気に入れずに、一枚ずつ、そおっと、そおっと、優しく投入しなおした。

 すると、きちんと認識された模様で、無事、飲料を買うことができた。



 要は、つづけざまに荒くコインを投入すると、認識しきれないのか、と、いうと、そうでもなく。

 いつものように、やさ~しく、コインを入れても、ぺっと吐き出されるときもあり。

 逆に、勢いよく、えいやっと、投入したほうが、ちゃんと受け入れてくれることもある。

 押してだめなら引いてみる。 引いてだめなら押してみる。

 毎朝、今日は、どっちかな。 ハードタイプ? ソフトタイプ? どっちがお好み? ... なんて考えながら、コイン投入。

 どきどき・わくわく、くじ引き感覚か。

 なんで、朝っぱらから、こんなあほうなことを考えているのだろう、なんて思いつつも、ついつい、同じ自動販売機で買ってしまう、私 ... 。





 ちなみに、ほかの男性社員に聞いたら、お金を入れるまえに、コインをぎゅっと握りしめて、あたためてから入れると、認識してくれやすい、と言っていた。

 機械も、きっと、「温もりコイン」 のほうが、うれしいんじゃない? なんて。

 私たち、いちおう、システム開発者なのだけど。 根は、アナログにんげんなのかもしれない ... 。










 当 blog 内関連記事:
 ・「C ま 2 た」
 ・「日本の自動販売機 / Exotic Japan」





 BGM:
 Pennywise ‘Peaceful Day’


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待つ身に沁みる、虫の音かな

2004年09月20日 20時37分00秒 | 想在
 さいきん、音楽の話ばかりで申し訳ないのだが。

 きょうは、昼間、ぶらぶらしてから、夕方、私の友人がやっているバンドのライヴを観に行っていて

 私の現在付き合っている人を、連れて行ってみたのだけど

 彼も、音楽活動をしている人ゆえ、ライヴ演奏を聴いて、大いに刺激を受けた模様。

 きょうは、ライヴ終了後、いっしょに夕飯を食べる予定だったのだが、創作意欲を刺激されたらしく、

 「わるい。 いまからじぶんちに帰って、ギターが弾きたいから」 と言って、自宅に帰ってしまった。

 まあ、いいか。 そんな彼が好きなのだ ... なんて思いながら、とぼとぼと、ひとり帰路についた。

 いろんなライヴを観て、刺激を受ける。

 blog もそうかしら。

 いろんな表現の仕方を見て、刺激を受ける。


   「こんな表現の仕方もあるのだ」

   「こんな blog もアリなのかもしれない」


 そんなふうに思いながら、じぶんの blog (のようなもの) に、フィードバック。

 だから、彼の気持ちも充分わかる。

 思う存分、表現欲求を満たさせてあげよう。

 なんてことを考えていたら、彼から電話がかかってきて、

 「一時間くらい、がああああっとギター弾いたら、まとまりそうだから、そしたら、いっしょに晩メシ喰おうぜ。 それまで待ってて」

 なんて言われて。

 いま、夕食をおあずけにして、ビールを飲みながら、彼を、待っているところ。





  「夕飯を待つ身に沁みる 虫の音(ね)かな」





 秋の夜長。 眠りに就くには、まだ早い。

 虫の音を、空きっ腹に、沁み込ませながら、のんびりと、待つことにしよう。





 trackback:
 『BLOG STATION』 - 「ブログ句会・1」





 BGM:
 Dave Brubeck ‘September Song’

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聖域 / 小さな願い

2004年09月16日 16時48分14秒 | 想在
 昨日の記事で、「じぶんの見守(まも)るべき場所」 というものについて、書いてみた。

 じぶんにとっての、神聖なる場所は、じぶんで見守(まも)らなくては、と。

 さらに、少し考えたのだけど。

 女性の場合、なによりも、まず、まもらなければならないもの、というものがあるのではないか。 なんて思っていたりして。

 それは、「じぶん自身」。 ということなのだけれど。

 いや、男性だって、じぶんをまもらなくてはいけないのだろうけれども。 身体的弱者として、女は、とくに注意深く、じぶんでじぶんの身をまもらなくてはいけないのじゃないか。 なんて思っていて。

 痴漢、スリ、ストーカー、強盗、いやがらせ、いたずら、強姦、etc ... 。

 女性は、つね日ごろ、いろんな危機にさらされている? ―― 自意識過剰かしら。

 どうしても、避けられないこともあるけれど、じぶんの気持ちのひきしめ方ひとつで、被害に遭わずに済むこともあるのかもしれない。

 いざ、というときのために、じぶんで、じぶんの身を、注意深く、見守っていなくては ... 。







 ところで。

 私の付き合っている人が、先週末も、いつものようにわが家に泊まりに来ていた。

 ふたりで、ふがふがと眠りこけていたのだが。

 彼が、変な夢を見ていたらしく、なにかむにゃむにゃ言っていたので、私は、うすぼんやりとした意識のなかで、どうしたのかな? と考えていた。

 そうしたら、彼がいきなり、「なにすんだよ!」 みたいなことを言って、がばっと起きたので、びっくりしてふりかえってみた。

 そうしたら。 彼が、まだ夢から醒めきっていないらしく、うつろな、それでいて、燃えるような目つきで私を凝視していた。 まるで、親の敵でも見るみたいな表情をしていたので、私のなかで、なにかが弾け飛んで、瞬時にこわくなった。 私は、彼の腕をつかんで、ゆさぶりながら、

 「どうしたの?! しっかりして! だいじょうぶ?!」 と、何度も何度も、彼に呼びかけた。

 私の尋常でないおびえように、彼のほうがびっくりしたらしく、はっとして、逆に、「どうしたの?」 なんて、言われてしまった。

 どうやら、変な夢を見ていたらしく、がばっと起きたあとも、まだ夢をひきずっていて、それで、怖い顔をしていただけだったようなのだが、私は、とっさに、「いけない!」 なんて思ってしまって、あわてふためいてしまったのだ。 そう、彼に、「殺される」 かも知れない、なんて思って。

 彼が、そんなこと、するわけない、というのはわかっているのだけれど。

 怖い顔で見つめられると、われ知らず、戦慄が走り、じぶんのなかの恐怖を押さえつけることができない、それもこれも、数年前に体験したできごとのせい、かもしれない。



 その当時付き合っていた人に、別れを告げたときのこと。

 そのときの彼は、まさかのできごとで、気が動転したらしく、泣きながら、私に、「殺してくれ!」 と言った。 一人になったら、生きている意味がない、というのだ。 私が、おびえて、なにも言えずにいたら、「じゃあ、おれがおまえを殺す!」 と。

 もちろん、口でそう言っているだけで、ほんとうにそんなことをするような人ではない。 そんなこと百も承知なのに。 決して、力でかなうことのできない相手から受けた恐怖心が、私のこころにふかく根ざしてしまったのか、そのできごと以来、いろんなことにおびえるようになってしまった。

 男の人の、叫び声、怒鳴り声。 瞬間的に、あのときのことが思い出されて、「コロサレル」 と思ってしまう。 ときには、小学生が叫んでいても、女性が叫んでいても、街中で、酔っぱらった人がいきおい叫んでいても。

 道を歩いていて、後ろから誰かが走ってくると、そのまま背中をぶすりと刺されるのではないか、と、おびえ。

 通りの向こうから、むずかしい表情をした人がやって来ると、すれちがいざまに刺されるのではないか、と、おびえ。

 部屋のそとで、物音がすると、だれかいるのではないか、と、おびえ。

 こんなにおびえてばかりで、われながら、ばかみたいだ。

 それもこれも、みんな、あのできごとの、せい?

 でも、元・彼のことを、うらんでいるわけではない。 怒ってもいない。 もう過ぎ去ったこと。 仕方のないこと。 もとはといえば、じぶんの撒いた種。

 ... 頭ではわかっているのにね。

 じぶんでじぶんの身をまもらなくてはいけないという意識に輪をかけて、反射的に、過剰に反応するようになってしまったのかもしれない。

 もしかすると、元・彼は、私のこころのまもるべき場所 ―― 「聖域」 (サンクチュアリ) に、二度と消えないような、傷跡を残したのだろうか。





 でも。 しつこいけれど、元・彼のことは、怒っていない。

 これは、元・彼に対してではなく、多くの男性、そして、女性に対して、願っていることなのだけれど ... 。

 どうか、どんなことがあっても、怒声を浴びせるまえに、その拳をふりあげるまえに、その行為が、相手のこころにどんな傷をのこすか、考えてもらえたら。 というのが、こんな私の、ささやかな願いなのである。





 BGM:
 Dionne Warwick ‘小さな願い / I Say a Little Prayer’

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谷川俊太郎の33の質問について

2004年09月11日 22時21分14秒 | 想在
 「・・・の孤独」、というと、 .........................................................................................

 谷川俊太郎さんの詩集の題名が頭に浮かぶ。

 そのついでで、谷川さんのことをちょっと調べていたら、「谷川俊太郎の33の質問」 というものを発見して、ちょっと興味を持った。

 ああ、そういえば、こういった質問系(?)のものって、いままでこたえたことがないなあ、と思って、なんとなく、やってみようかな、と思ったのだけど。

 これがなかなかむずかしい。

 さすが、詩人が投げかける質問だけあって、なかなかするりとこたえられそうもないのだ。

 (いや、ほかの質問集もそうなのかもしれないのだけど)

 じぶんのなかから、するりとこたえられなければ、正直なこたえにならない気もするし、まったくひねりのないこたえでもつまらないかもしれないし ... などと、いろいろ考えてしまって。

 とりあえず、少し噛みしめてみようかと。

 ということで、今日は、こんな質問があります、という紹介のみ ... 。

 (う~ん、なら、書くな!)



 ただ、

 谷川さんからの最後の質問に対して、

 「なぜ、これらの質問をしたのですか?」 ... なんて、逆に問いかけたくなったりして。

 いや、それは、問いたかったから問うたのだろうと思うのだが。

 なぜ、「これら」 の質問なのか ... なんてね。



 人は、はるか昔から、なぜ? なに? を繰り返しながら生きてきたのかな。

 そうして、一歩ずつ、人と人は、わかり合っていったのだろうか??



 三十三の質問にこたえたら、詩人のこころに、三十三歩、歩み寄ることができるのだろうか?







 ... 後退したりして ..... 。










 関連情報:
 ・『二十億光年の孤独』 谷川俊太郎 著

 ・復刊ドットコム 『谷川俊太郎の33の質問』

 ・bk1 『谷川俊太郎の33の質問』
 (どうやら、bk1 の web ページには trackback を送れるようである。 私は書いたことがないが、blog で書評などを書いた場合は、ここに tb を送るというのもいいのかもしれない)




 BGM:
 T. Rex ‘Twenty Century Boy’

 (「20」 つながり ... 。 T.Rex の話題が出ていたので、なんとなく ... )

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長距離走者の孤独

2004年09月10日 17時31分09秒 | 想在
 という ことばを聞くと、なんとなく、むねがせつなくなる。

 じぶんの周りにいる、さまざまな人を思い浮かべるからだろうか。

 じぶんの夢に向かって、ひたすら走りつづける長距離ランナーは、孤独だなのだな、と思ってしまうことがあるのだ。

 孤独な気持ちに襲われたとしても、それに堪え抜くことができる、そんな友人たちが、少し、うらやましくもなる。

 さいきん、私は、すこし、あまえすぎているかもしれない。

 仕事にしても、人生にしても。 そして、blog にしても ... ???

 いろいろな人に、ささえられながら生きているが、ささえられはしても、寄りかかりはしないよう、じぶんの二本足で、じぶんのペースで走りつづけられたらいいのだが ... 。

 どんなゴールが待っているのか、わからないのだけど。

 じぶんなりの 「完走」 ができたら、いいな。








 BGM:
 Modern Lovers ‘Road Runner’

 (Jonathan Richman が在籍していたバンド。 Jonathan は、映画 『メリーに首ったけ』にも出演していましたね)

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