例えば、東大卒の理学部生の愚痴などを聞けば、確かな知識体系の学習なんか何にもならないと分かるかと存じますw
そこを、東大紛争末期において学生代表が次のように言ったのです。曰く「立身出世に役立つ知識体系の学習か、あるいは立身出世には役立たない特別な体験か」などと。その際に学生代表が言うには「遠心力は見かけではなく真の力ではないか」だったのですが、教授陣は「その形のことは物理学とは言わない」と一蹴したつもりでしたが、ところが学生側は続けて曰く「物理学以上でもいいわけです」だってさ。学生側というか、彼らははっきり雑誌「遊」のメンバーでしたが。
まー、第三者が聞いていてなんともしっくりこない談合現場だったように思いました・・。
そこを覆した見解が科学雑誌には寄せられており、どこかの大学教授だったと存じますが、曰く「それはあべこべである」と前置きしたうえで曰く「立身出世には役立たない知識体系の学習か、あるいは立身出世に役立つ特別な体験か」だとさ。なんかね、むしろそっちが正論のような気がしてくるのは私だけなんでしょうか、大学教授になるには新発見なりなんなり特別な体験が必要ではないですか。知識や、下手したら受験勉強のような内容で大学の先生になられたら、そりゃ弊害だってたくさん出てくるというものではないですか。
物理学やら数学の世界には知識はあっても何にもなることのできない人たちが大勢いますw
それは学問の世界としちゃ当たり前のことではないですか、そこを解消するのに談合なんかしてちゃいけませんやね?
そこを、東大紛争末期において学生代表が次のように言ったのです。曰く「立身出世に役立つ知識体系の学習か、あるいは立身出世には役立たない特別な体験か」などと。その際に学生代表が言うには「遠心力は見かけではなく真の力ではないか」だったのですが、教授陣は「その形のことは物理学とは言わない」と一蹴したつもりでしたが、ところが学生側は続けて曰く「物理学以上でもいいわけです」だってさ。学生側というか、彼らははっきり雑誌「遊」のメンバーでしたが。
まー、第三者が聞いていてなんともしっくりこない談合現場だったように思いました・・。
そこを覆した見解が科学雑誌には寄せられており、どこかの大学教授だったと存じますが、曰く「それはあべこべである」と前置きしたうえで曰く「立身出世には役立たない知識体系の学習か、あるいは立身出世に役立つ特別な体験か」だとさ。なんかね、むしろそっちが正論のような気がしてくるのは私だけなんでしょうか、大学教授になるには新発見なりなんなり特別な体験が必要ではないですか。知識や、下手したら受験勉強のような内容で大学の先生になられたら、そりゃ弊害だってたくさん出てくるというものではないですか。
物理学やら数学の世界には知識はあっても何にもなることのできない人たちが大勢いますw
それは学問の世界としちゃ当たり前のことではないですか、そこを解消するのに談合なんかしてちゃいけませんやね?