ぶたのあな

安定の愚痴率

愚痴袋の緒はきれっぱなし

2011年09月29日 20時27分16秒 | ダメ人間観察記
ダダ漏れ。

モラルハラスメントの特徴読んでたら
加害者の特徴が職BBAにあてはまりすぎてわろた。
今の私の状況もあてはまりすぎてわろた。

今日は職場に貼ってあるメンタル相談窓口のポスター見て、
どういう順序で説明したらいいのかなーとか
最初の一言目は何言ったらいいのかなーとか
考えながら一日やりすごしました。

誰かに相談しても、
また「でもあなたにも原因はあるから」って
責め立てられそうなので誰にも言いたくありません。
もうこれ以上責められたらあとはない精神状態にいるので、
繰り返し批判されたりとか、
もうわかっていることを改めて言われるのは
無理なんだとわかりました。

「きちんと受け止めていない」
っていうけれど、じゃあたとえば
性的虐待を受けた女の人に、
「薄着をしていたあなたにも男性を誘う原因があった。
 そのことをきちんと受け止めて反省すべきよ」
って、言うのだろうか?

いずれはね、いうかもしれないけれど、
それはすぐじゃなくてもいいよね。
そしてもしかしたら、一生言わなくてもいいかもしれないよね。
だからその時期を待ってほしいんですが。ひとまず。

職場はね、流れていってしまうから、
間違いはすぐ正したいという気持ちはわかるのだけれども、
いろんな正し方があるじゃないですか。

で、ほかの人には同じ不満でも
「もー、それじゃダメじゃないですかぁ(肩チョン)」
で済ませることを、
私に言う時だけ私のこれまで体育会系に所属しなかったことや、
あいさつが上手にできなかったこと、
一年目に知らなくて失敗した数々のことなどを
逐一持ち出して叱責しなくてもいいじゃないですか。
そこまで言われて「私が間違ってました、すいません」っていうことは、
もはや「生まれてきてすみません」って謝れと言われているのと
同じ意味にとれるんですが。
つまり今までの私の生き方すべてが間違いで無意味だったってことでしょ?

確かに私は社会性ないし、
上手にコミュニケーションとれる方でないし、
今の仕事向いてないことは自分でもよく感じるけれども、
「私は正義感が強いから、あなたに言う」
ってつまり、自分は何も間違ってない前提じゃないですか。
あなたが正義で、私が悪じゃないですか。
一方的に悪者にされて責め立てられてさぁ、
それ「我慢しろ、教えてもらったあとは笑顔で礼を言え」ってさぁ、
ひどくない?

でね、お好きなのはね、そのあとに
「私の若いころはみんなそうだった。
 誰に聞いても若いころはみんな家に帰ってから泣いてたって言ってる」
ってつなげるの。

それさぁ、嫌だったんじゃないの?
それが楽しかったの?

嫌だったなら、その悪習をわざわざ受け継ぐ必要は
どこにあるのでしょうか?

あとね、「今の若い人は何するかわからないから、言わない」
って黙秘するのも好き。
それってつまり、私のことを「何するかわからないイマドキの若者」
だと思ってるってことでしょ?
もう少し語気を強めて言えば、
私のことをはじめから「犯罪を起こしそうな奴」
って思ってるってことでしょ?

それ言われてさぁ、私が何言えるの?
「すみません」とは言ってみるけどさぁ、
私が謝ることなのか?それは?
「犯罪起こしそうな人間ですみません(笑)」て、
厨二コピペじゃねえんだからさ、
そんなこと言って気持ちがいいはずないじゃないですか。

なんだかんだと「あなたへの愛情」とか「職場への心配り」
みたいな理由を振りかざすけれども、
言ってることをつなげていくと、全部それは
「自分が悪く言われないため」が隠れていることが
よくわかるよ、発言聞いていると。

だって最終的には私とは関係ない人間だし、
職場だって移動していくんだから、
こだわったってしょうがないわけ。
自分の母校でもなし、自分が校長で責任負わされるでもなし。
それをそこまで体面に固執するって、
要するに悪いレッテルが自分にまで及ぶのを
何よりも恐れてるからじゃないんですか?
私にはそうとしか見えないんですが。

私にも悪い面はもちろんあるよ。
でも言い訳させてもらえれば、完全なる甘えだとも自覚するけれども、
まだ私は正面から批判されて、泣かずに過ごせる自信はないよ。
努力はするけど、努力で涙はひっこまないよ。
これがわかってもらえないんだけど、
努力でひっこめられる涙も確かにあるんだけれども、
自分でもわけわからずドワァと出てきて
止まらなくなる種類の涙というのがあって、
それは絶対自分では止められない。

多分、感情爆発した人じゃないとわからないとは思うんだけれども、
悔しいから泣いてるとか、悲しいから泣いてるとかじゃなくて、
ただ止まらなくなっちゃう時があって、
それはもうね、甘えって言われようが何言われようが、
止まらないんです。
「泣くな」って言われるともっとドワァするんです。

ちょうどそのときでっかい地震がきたら止まったりするんかね。
じゃあ今度から私が泣いた時は包丁もって追いかけてみてください、
びっくりして止まるかも。

支えがなくてね、批判を真正面からぶつけられると、
その勢いで崖の下まで落っこちちゃう時があるんです、たやすく。
愛情っていうクッションが敷いてある人は、
ある程度我慢して崖にぎりぎり踏みとどまることが
できるかもしれないんだけれども、
そのクッションがほとんど敷かれていないので。

だから自分と同じくらいのクッション想像して
ぶつかられると、それはもうたやすく転落して
複雑骨折くらいしちゃうんです。

暮らし方も違えば、これまで受けてきた教育もまったく違うから。
なにに耐性が高いかっていうのは、
同じバランスにはならないんだと思うんです。

それで、あなたは感情を表に出して
表情変えたり声色使うのが得意かもしれないけれど、
私は笑ったりすまなそうな顔するのが
ものすごくエネルギーがいるし、
もともとの顔のつくりがぶすっとしているので
平常時でも偉そうに見える仕様なんです。

それでもがんばってしたがって
仕事引き受けて一生懸命好かれようと
私なりの努力はしたんだけどなあ…。
そういう所はまったく見てもらえていなくて、
ただ私の失敗したところとか、
よくない所しか目に入れてもらえないんだなあと思うと、
それはね、
それはそれは悲しいです。

がんばってみたけど。
それは認めてもらえなかった。

なんか、方法が違ったのかな。
私のやってきたことは、誰に対しても
なんの意味ももたなかったのかな。

そんなことはないと信じたいけど、
彼女の「職場のみんなあなたに言いたいことはたくさんある」
っていう言葉が、
彼女の得意の方便だって頭では思っても、
不安を残します。

なんだかなあ。
私がこんなにどこにいっても嫌われる人間だとは、
思っていなかったもので。

うぬぼれだったんだなあ。

今まで、私を好きになってくれて、一緒にいてくれた人は、
とてもとても貴重な人だったんだなあって、思いました。

一生嫌われていく人生だと思うと、
生きるのはつらいよ。

ゆっくり死に向かっているとはいえ、
敵意だけ向けられて生きていくのは。

うまく生きられないなあ


生きるのって、つらいなあ。