ぶたのあな

安定の愚痴率

がねん

2011年12月30日 15時36分21秒 | ダメ人間観察記
年賀状描いたよ。

今年はもう一人一人に描く元気はおろか、
ユーモアをきかせる脳みそもなくなったので、
大衆に迎合した主張のないほのぼのイラスト(笑)で
一から十まで終わりにするよ。
なんだかもう…眠いんだ……。(眠くはないね。)

正直言いますとね!
わたくし陰気なオタクなので
似たような(陰気ではない人が多いが)人種の友人が多くてですね!
年々技術アップしてプロくなる人々に、
なんかもー左向き棒立ちためらい線ボーボーの
アマチュア丸出しいたずら書きレベルのチィチィパッパを
ドヤ顔で送るのが恥ずかしくなったんです!
それくらい本当に今なにも描けないレベルなんです!!

一応人らしきものの形はとれるが、
魂が入ってないからすげえ可愛くないよ。
うまいとかうまくないじゃなくて
魅力を感じないよ。

絵が大好きで毎日描いていたころの私の絵は、
今と同じで技術はなかったけど、
なんか魅力があって、「いい絵が描けた~!」っていう
充実感をもたらしてくれた。

でも最近は描こうとするだけウッてなるだけで、
楽しさがよくわからんくなった。
思うように全然描けないからだと思う。

かといって練習するまでの気概もないのだから、
ガチで山月記のアレです。
臆病な自尊心と尊大な羞恥心の権化です。

気軽にエチャとかすればええねん。

とは思います。
タブレット買いたいです。
いいやつ買いたいです。
で、またエチャしたいっす。


はーまた話題がマダガスカルに…。

今日ね、新居にゲーム類全部置いてきちゃってね、
手持無沙汰なの。
今年賀状の裏面印刷してるのを見張ってるんだけど、
すげぇ手持ち無沙汰なの。

ゲーム取りに行ってもいいんだが、
GBASP一つのために残り少ないガソリンで車走らせるのも
どうかなと思って。
いまいち腰あがんないの。


おかあかが正月飾り買いに行くってからついてく。
じゃあの。

うー☆

2011年12月26日 19時05分16秒 | ダメ人間観察記
ひとまず洋服の整理と、
持っていくCDの仕分けをしました。
本はどうせ増えるので、
未読のもの以外置いていくという鬼の決断です。

どうせ5分で帰って来られる距離だからな。

ベッドはどうしようかなー。
いるかなー。
でもベッドって、下の空間に何かいそうな気がして
怖いから途中からやめた気がするんだよなー。
かといって床敷きだとカビがなー。うーん。

バラ&アンティーク調にマッチするにはベッドだけれども、
どっちにしろパイプ見えてるようなベッドなら
マッチしないからね。
とりあえずカバーがバラならいいだろ。いい…かな。


私のことだから
結局いろいろ目移りしたり買い込んだりして
最初のテイストなんて破壊されるのは目に見えています。

だからはじめはあんまり新しいもの買わないで済まそー。という計画。

新調したい&しなきゃならないのは、

・電気
・食器
・机(家で使ってるガラステーブルにするか迷い中)
・椅子(机があるなら)
・こたつカバー
・TV
・TV台
・トイレのマット
・トイレの置物
・台所カゴ
・洗濯機カゴ
・バスタオル
・バスマット
・電子レンジ
・レンジでごはん炊けるやつ
・カーテン
・床に敷くもの


・・・ぐらいでしょうか。
あとまあもろもろ、生活用品は後からなんとでもなるとして。

気持ち的には、せっかく一人になれるのだし、
この機会に第二次パンツ大戦を行いたいと思います。

説明しよう!パンツ大戦とは…
長の年月共に戦ってきたパンツ達を一堂に会し、
安定感・オシャレ度・清潔感等のパンツ戦闘力を競う
一大イベントである。
実家でのパンツは、常に姉という魔物の手により
選手が一堂に会す機会はほぼ失われていた。
今こそ戦士たちよ立ち上がれ!
そして新生活でも戦い抜ける真のパンツ力をもった
パンツは誰なのか!決める時がきたのだ!!

・・・つうわけでブラ世界大会も同時開催いたします。

もうね、この際ね、誰にも見られず咲く花のわたくしですが、
しまむら安全パンツは卒業しようか、と。

特に見せる予定がないからって、
いつまでもくすんだ色でゴムのびのびゆったりの
お腹すっぽりパンツでぬくんでいてはいけないのではないか、と。

あえて自分を極寒のツルツル極小パンツという窮地に立たせ続けることで、
私の戦闘力の底上げをはかるような、
そんな臥薪嘗胆の気持ちも、忘れちゃいかんのではないかと。

なんか思った。

でも、突然毎日ツルツル極小パンツにすると、
お腹がびっくりして毎日下痢になる危険性が高いので、
徐々に入れ替えをはかりたいと思います。

きれいになれないのはもうわかったから、
せめて、こぎれいにしよう。
という、多くの女子がはやめに到達した境地へたどり着くまで、
苦節24年。
だいぶ遠回りしてきた感がありますわあ。

一人暮らしは何がいいかというと、
時間が余るのがいいです。

家事やったりしなくちゃいけない分の時間は持って行かれるけれど、
それをもっても余りある自由時間の豊かさよ。

私は、時間が異常に余らないと
自分の身づくろいにまわせない生物なので、
時間が余っていただけると、
ようやくヒゲをそったり、極小パンツに挑戦しようという気概を持てたり、
眉毛を抜く気力が出てきます。

それくらい余るといいなあ。

大学の時と違って、働きながらだと、
逆に実家より時間なくなったりするのかなあ。

ときめきと不安とが入り混じりまくっております。
私やれんのか。
とりあえず一年間はなんでも続けられるといいな。
仕事もとりあえず一年間やり過ごすことを目標にしているからな。


なんにせよ実家のウジ虫こと姉1の顔を
しばらく見なくてすむというのが嬉しいです。
もう奴が生きている気配を感じるだけでイライライライラする
生活から解放されるかと思うとホッとします。

今日も私がやった風呂に一言断るでもなく
無断で一番風呂しているウジ虫にイラッときたけれど、
もうそんなイライラもなくなると思えばまあ我慢しましょう。

何が嫌だって、
そのウジ虫をウジ虫と認められる正常な価値観の人間が
この家の中にいないことです。
グレゴリー・ザムザが毒虫になって家の中を徘徊しているのに、
家族がまったくいつも通りに扱って過ごそうとしている
この異常性が何よりも私をイライラさせるのだと思います。

老い先短い父と母と離れて暮らすのには
やっぱり罪悪感とこれでいいのかなー、という先に立ちたげな後悔が
うろうろしているけれども、
前世代に申し訳ないと思っていたら、いつまでたっても
私は私の人生を生きられないのよ。
20歳まで育てるという彼らの趣味につきあってあげたのだから、
もう解放されていいはず。

ウジ虫を家族だと思って無理やり愛さなければいけない地獄は、
はよ抜けるのです。
はー気持ち悪かった。
なんでこんなおかしな人間を同じ家の中で許容しなきゃいけないの、
ってずっと思っていた。

もう洗濯物を無断で好き勝手な場所にしまって失くされたり、
ちょっと席を離れた隙に作業中の机の上を片づけられたり、
ものを食べてる横で掃除機かけ出されたり
しなくて済むのですね。

息をとめてウジ虫の動向をうかがって、
狭い家の中ではち合わせないように気を遣いながら
廊下を歩かなくてよいのですね。

帰ってくると、私のだけ並べていないスリッパに
いちいち傷つかなくてよいのですね。
でかけようとする度に私の靴だけしまわれている悔しさに叫ばなくてよいのですね。
家に帰ってウジ虫がいる時の、あの絶望感を味あわなくてよいのですね。

うれしい。


性格悪いよーといわれよーとなんだろうと、
私は心の底からあのウジ虫だけは
本当にあと何万年生きても好きになれそうにないので、
離れられて本当にうれしいです。

できれば失踪してほしいと思っているくらいだけれど、
性格を考えるとどう転ぼうと
家にしがみつき続けるのがウジ虫で、
またそういう性格も私が嫌いな部分でもあるので、
出奔するなら私しかいないのです。
あと、本当にここが腹が立つところだけれど、
ウジ虫のことを長女として育ててきた
父と母は、
いくら勉強できよーが社会的に成功しよーが自立してよーが
妹よりウジ虫がだあい好きなので、
私が出奔しても泣きもしないだろうが、
ウジ虫が消えたらそりゃあ泣くんでしょうね、と容易に想像できます。
はー。

基底欠損があからさまになってきたのでこのへんにしときましょう。

とりあえず現状私のやった風呂にのうのうと入っている
ウジ虫と家に2人っきりでだいぶ精神的につらいです。

いろいろ片づけ終わったら颯爽と早めに入ろうと
楽しみに沸かしたんだ…。
誰も知らないから、私のこのがっかり感とか、
ウジ虫に対する怒りは全然伝わらないと思いますが。

私は自分が思うより一番風呂が好きなのかもしれませんね。
父にも、先に入られるとガッカリする。

2人とも風呂場汚すんだよなあ。

自分の好き放題にいろんな物の位置を変えたまま、
一切戻さずに出ていく。
だから入った時にイラッとするんだ。
入った瞬間にイラつく未来が見えるから、
先に入られるとガッカリするのかもしれない。

お風呂好きなんですね。
そんなに重要だと思っていなかったけれど。
お風呂好きなんだ、私は。

「毎日入りたい」「入らないとキモチワルイ」みたいな風呂好きとは
ベクトルが違って、
入ること自体にはそんなに執着がないので、
二日三日入らなくてもそんなに気にならないけど、
いざ入る時の快適さには執着していますね。

私にとって解放される場所だからなんでしょう、多分。


いやー神経質ちゃんだなこれは。
自分で書きながら思ったけれど。
けっこう生活の細かなことにイライラするんですね、私ね。

矢作みたいになんでも優しく笑ってゆるして受け止められる人間になりたいわあ。
人のわがままをわがままごと愛おしんであげられるような
でっかい人間になりたいすわ。

余裕がね、必要だね。心のね。
余裕がないのがいかんよね。
だって離れている時はウジ虫のこと嫌いだったけど
存在ごと抹消されてしまえとか思わなかったし。
距離とか、余裕が必要。


職場でも私はすぐ「一人になれる場所が欲しい…」と思っているから、
一人の時間もたないと爆発する人間なんだと思います。
一人楽しいからね。


うん。
ひとまず完成披露パーティーを楽しみに
正月明けまでは生きてみます。

こたつ(究極時間破壊計器)出動

2011年12月19日 19時35分40秒 | ダメ人間観察記
この抹茶ミルク×カルピス、私には微妙だな…
甘いんだか酸っぱいんだか…
要するに甘酸っぱいのか。

甘酸っぱい味が好きじゃないから恋もできないのでは?
とナチュラルにいいこと思いついた的なドヤ顔で思ってしまったよ。

練乳かけいちごとかはよくわかりません。

いやーでも数々のダイエット資料を読み漁ると、
朝にフルーツってのは鉄板っぽいよな。
あと豆。豆はいい気がする。なんか。評判いい感じがする。

あと木の実。

つまり果実、木の実、豆と、
リス的な、小動物的な食事を心がけると、
自身も小動物のような愛され体型になれると。

今またちょっとドヤ顔しました。

そうかー。
肉ばっか食ってたから日頃攻撃的だったのかも。
確かに最近意識的に草食するようになったらやや
牧歌的な思考に融和したよ。

でも小動物的思考になったら自分以外の大きな視点が
薄れそうでそれはそれでちょっとなー。

(すぐでもがでる)

最近さー。
自分で話しながら「あーこのしゃべり方は相手しててやんなるわ。」
とか感じるんですよね。
「でも」が多いし、なんか説明まわりくどいわりにあんま伝わってないし。
なにより可愛げがねー。ないなーと。思った。

隙というやつな。
つっこみどころというやつな。

総じて女子はつっこみどころ満載トークですよね。
だからつっこみたくなる。
ほら男子はなんでも突っ込むの好きだから。(さらりと下ネタ)

私が突っ込んじゃあかんのですよね。
「ツッコミのキレがするどい」とか褒められて
お笑い的にでへでへ喜んでいる場合じゃなかった。

お笑い的には立身出世かもしれないが、
女子的にはどんどん光速に近づくはやさで
トップグレードの反対側に向かって走り出してる。

はっしーるーはっしーるー、おれーたーちー♪

世間様的には「大人びている」らしい
乙女たちの自分の優しさアピールのための
自己犠牲「あの人が幸せのためなら、私は…」トークに
「(笑)」しか出ないからあかんのね。はいはい。

でも本当にそれ邪気眼にしか見えないんだもん。(またでもがでた)

「今いる友達も大切だけど、自分が一番愛してほしいのは〇〇で…」

みたいな文章を、
ガチで書く人間が、
現代日本に存在するんですよー!みなさーん!!

おったまげーしょんした。
携帯小説も、そういえば実在の人物が描いているのだからね。
ネタで書いてるわけじゃない人もガチでいるらしいからね。

しかしすげえだろ。
愛とか。
軽々しく出しすぎだろ。

いやあおったまげーしょん。

あとね、私
外見レベルと内的思考が恋愛王国フリーパスの人から上が
リア充予備軍というか、恋愛王国に興味を持つのだと思っていたが、
つまり外見レベルや内的思考が一定条件に達していない人は
自然と喪的な人になるのだと思っていましたが、
違うんだね。

明らかに喪の国へ引っ越した方が幸せになれるポテンシャルでも、
恋愛王国のスラム街でいいからしがみつきたいという人は、
一定数いるのですね。
最近の驚愕。


今、世界が「恋愛王国」と「喪王国」という二つに
統合されてしまったからだろう。
昔恋愛王国は、ただの一国に過ぎなかったから。
今では喪王国とひとまとめにされている巨大国家は、
それぞれまったく違う国々があったわけですね。

とかいうことを、「恋愛結婚は何をもたらしたか」や「結婚がこわい」を
読んでいたら思いました。

民主主義なのに、
恋愛しているっていう少数派が
なぜか圧倒的多数派の恋愛しないor興味ないorしてないの
軍勢を威圧しているのがふしぎですよね。

私がどれだけ言おうといわゆる負け犬の遠吠えと
くくられてしまうのだろうけれど。
あぶう。

母が帰ってきたので終わるでがんす。
終わるでがんすとフォレストガンプって似てるお。

ノンシリコンシャンプー

2011年12月12日 20時02分00秒 | 喪女っとがんばる道
ノンシリコンシャンプーがいいいいってみんなが
口をそろえていうので
(私の社会は非常に狭いので、「みんな」とは母を指します)
ノンシリコンシャンプー使っているんですが、
けっこうモワッとするしパサパサ感が…
もとからしっとりよりはカサカサによりがちな
ちぢれっ毛なので、
なんだあの、末期のリカちゃん人形の
ギトギトした感じの髪の毛?ああいう感じになる。
あ、今のリカちゃんはきっと年を経てもサラサラですよね。
大昔のリカちゃんは、だんだん子供の手垢や手脂にまみれて
髪の毛はギチギチして、パゲに近くなるほど
脱毛激しかった。
うちに残っているリカちゃんの薄毛具合といったら
アデランス必須ですわよ。

…ちょっと気を抜いたら話がガラパゴス諸島まで飛びました。

ノンシリコンシャンプーの話です。
確かにサラッとした感じにはなるし、
天然素材で体にやさしい☆的な暗示にはかかるのですが、
いかんせんもとがフケ症なもので…
けっこうフケが復活してきて不潔感満載に。

使用感はやっぱり大衆向けの有名メーカーが一歩上な気がします。
それともチープな私の体だから
高級ノンシリコンシャンプーは合わないのか。
よくわからん。

女子力アップどころか、
今わずかに残っている女子力を維持するのも危ういぶたさん。

油断するとものすごい量のヒゲがね…生えるんですよ……。
おっさんになろうとする体の求心力が強すぎて、
わずかながらの「常識的に考えて女子力だろ…」っていう
私の一番苦手な大衆に寄ったご意見など風前のともしびです。

クリスマスの予定ないの?ってお客様に聞かれて
「お客様とのクリスマスパーティーが楽しみです☆」って答えたら
鼻で笑われました。
は、鼻で…。

マジで今はお客様とキャーキャーやるのが
楽しかったりするので、
逆に大人との近況報告に終始するトークの方が
苦手です。

ぷよぷよとかやってればいいと思ったよ。

今日は仕事もやや残っていたのに
「知らんぷー」と(内心で)言って
ほぼ定時退勤をかましました。
あまりの速さに誰も気づかないぐらいの速さで帰りました。

だのに、母が遅いので未だに居間で飯待ってうんちゃかしていると。
このムダ感。

飯食う前にいろいろやれっつー話なんですが、
ええもうガチただの言い訳と言われることは覚悟でいいますが、
私は自分の楽しみを中断されるの嫌いなんです。
漫画読むにしろゲームするにしろ、
やり始めたら満足するまでやりたい。

ところが母は「何が何でも3食食べさせないと」という
義務感に縛られた人なので、
いらないっつってもごはん作る。
そして作ったら鬼も鬼が島捨てて逃げるレベルの怖い声で
「ごはんだよ!」と呼ばれる。

別に遅れていっても何も言われません。
怒られたりもしません。

ただ私はその鬼のような声と、
待たせているという罪悪感に耐えられないのです。

昔からいい子ちゃんで、母の喜ぶことばかり考えて
生きてきた私なので、
母を悲しませることにつながる行為は、
私が好むと好まざるとにかかわらず、
別次元で罪悪感にぶっ殺されるので、
最優先事項で避けなければならないのです。

これがもー、
「母が重くてたまらない」にきっと
共感ポイントがいっぱいあるんじゃないかと
私が常々感じることです。

母好きすぎて、
でも母私の愛情気づかなすぎて、
私知らぬ間に母にがんじがらめになって殺されかける。
というこの構図が、
ずっと変わらない。

きっと母も母なりに私のことは
大好きしてくれていると信じたいですが、
いかんせんお互いに伝える方法が
お互いの望む形ではないので、
伝わらないんだと思います。
伝わってこないだけで、きっとあるんだ、と
なんとか信じようとすることで日々命をつないでいます。

このぐるぐる回る母子密着状態から
解放されたいのだけれども、
恐らくもし母の肉体が消えても、
私のシステムの中に既に母の存在は
価値観や判断基準という形で
組み込まれてしまっているので、
死ぬまで逃れられないんだろうなっていうのは
うすうす感じています。

だから生き続けるのが重荷なんだよおー。
人生とは重荷を背負っていくがごとしだよおー。

すべてをなくしたら、
それはもうものすごいショックで、
立ち直れないかもしれないけれど、
一転ものすごくすっきりするかもしれないなとも思う。

私の家は、家族は、知人は、すべて
私の私として生きてきた証で、
私の連続性を証明するものだけれど、
それが全部なくなったら、
私の証明ができなくなるかわりに、
私は誰でもない私として存在できるのね。って思う。
それは、とても楽なように想像される。満ち足りた現段階では。

…はい今度は話がマダガスカルまで飛びましたね。

もう私論文とか書けないな。思考が散漫すぎて。
タイピングもすげぇへたくそになりました。
日々老化ばかり感じるけれど、
もう私は燃えカスのように思われるけれど、
きっと一年後や五年後の私から見たら
「今勝負しないでどうする!」っていう状態なんだろな。

という根拠は、今の私が日々19~21歳くらいの
「私はもうダメだ」っつってた私に、
「今やらないでどうする!あとは下降するばっかりだぞ!!」って
言いたいから。

もうほんとにね、またこうして肥りだす前に、
結婚相手でも見繕ってきめときゃよかったじゃない。
あのころの私だったら行けたよ。
ちょっとの勇気を出せばいけたよ。

と、過去は誇大評価されがちです。

結婚がすべての幸せの源ではないと思うけれど、
一人で生きていくことの寒くなってくる感じは
本当に心もとないですね。
一人暮らしのおばあちゃんになるとしても、
なにかしら社会とのつながりは持ち続けられるように
していかないとなあ。

老後か…。
退職するまで喪仲間が残っていたら、
グループホームを作りたい。
全然想像できないが、今ワイワイキャーキャーしてる友人たちも、
みんな結婚して子供うんで家庭に入ったりするんだろうか。
30代ころになったら、のきなみ友人の子供の顔が
出そろったりするのかな?
その時私はどんな服きて、どんな顔して、何してる人なんでしょうか。
まったく想像がつかない五年後の私です。

そうかもうあと五年ちょっとで30歳か…。
私はどうやって生きていくんでしょうか。
明日の自分さえ自信がありません。
こんなに先が見通せないのは、
自信のなさか?自分の統一性が保てないせいか?

来年の今日まで仕事続けている確率は、
現段階で40%ぐらいじゃないかなって思っています。
あいや40~60%ぐらいの間をふらふらしているかな…。

明日も元気に生きているって信じて
眠れる人は、今日本にどれくらいいるのかなあ。
同世代の人は、明日を当たり前と感じる人の方が
多いんだろうか。
少ない気がするんだけどなあ。
私だけかなあ。

「明日生きてるかどうか謎だよね」トークを、
久々にしたいでござる。