私はよく職場を「旧態依然うぜぇww」と罵りますが、
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そっと「前のバージョンに切り替える」ボタンを押すくらいには
私も旧態にしがみついているわけでして、
つまり旧態依然って揶揄の言葉は、世代の一番前の人が
後ろを振り返って使う言葉なんだな、
相対的には私も割と世界で後ろのほうやねん。世界。
とか考えたりしながら今日は東京より帰宅しました。
「みそくそ一緒」という言葉が構造主義の理念をあらわしていると言ったのは、
みそくそ一緒という言葉では、一般常識や概念の中では
「調味料」「排泄物」と違うカテゴリにわけられて別物とされている二つの中に、
「共にペースト状である」という不変の構造を見出し、
その発想をもとに「みそもくそも同じものである」と発言しているところから
そう思いました。
構造主義も同じく、共通概念や一般理解の中では違うとされているもの
(たとえば「神話」と「少女コミック」)などの中に、
細かな事象を排除していった先に共通する構造を見つけ出して
カテゴリの枠をこえて「同じ構造が存在する」と考えるやり方なので、
その発想ができている日本人やっぱパネェ。みそくそ一緒パネェ。
と思ったわけです。
そもそもみそが「調味料」くそが「排泄物」というカテゴリわけ自体
文化や習俗によって左右される揺れ動くものであるし、
「ペースト状である」という変化しないそのもの自体の性質を
取り出して「似たものである」としたこの発想、すばらしいよね。
なんかこの、表面上のカテゴリわけや「名づけ」は文化によって変化し、
そのもの自体の性質は一定である、という考え方は、
現実界などの考え方にも共通するところがあり、
「みそくそ一緒」深ぇ、マジ深ぇ。
とか就業中にはげしく感動したのはたぶん水曜日か木曜日あたりだったと思います。
昨日は、ここ一ヶ月くらいの懸念であった研究発表という名の
私のプレゼンテーションに職場全体でプゲラしようぜ大会が
終了するやいなや、すべての土日にやるべき仕事を
職場に投げ出して大学まで、友人主催のハロウィンパーティー出席のために
飛び出した私の青春ストーリーを過ごしておりました。
結果的に、終了30分前に到着&主催者以外顔見知りなしのこじんまりパーティー
という悪条件にめぐまれたおかげで、
ハロウィンパーティーは息抜きというよりは
「私の社会適応力のなさ反省会PARTもう何回目か忘れた」になったわけですが、
主催者の友人に会えたことは素直にうれしかったよ。
そしてその後、予備校時代の友人宅に押しかけて
だらだらと自分の職場の愚痴を語った挙句、
パジャマもかり、ハブラシもかり、酒と夕飯をゴチになり、
翌朝化粧品までかり、昼飯をお母様におごっていただく。
という悪行の限りを尽くし、
一人だけすごい上機嫌になって帰宅してまいったわけです。
帰宅途中には、車を置いておいた駐車場の清算機に、
雨でぬれたお札を
「え、やだ塗れたお札とか。こんなの千円じゃない。」とつっかえされ、
ブチギレながらビックル66円を買って小銭を作り
なんとか脱出するなどの小競り合いもありつつ、
今現在は自宅にて明日の結婚式二次会に着ていく服の
見当がつかない
などの危機に直面しているわけです。
「ちょっとよそゆきのかたくるしすぎないワンピース」という
オーダーが入っているんですが、それが一番難しいです。
「ジーパンOK」か「スーツ」の指定をしてもらわなければ、
私は必ず場違いな服を着ていくというスタンド能力の持ち主です。
それにしても、土日にやる仕事を投げ出しているのはいつものことだとして、
月曜以降の仕事予定や準備をまったくしていないのに、
明日も遊び歩く予定をいれるこのチンカス野郎こと私です。
誰が仕事がんばるの?ねえねえ??
今のままの状態で月曜日を迎えて、一週間どうやって乗り切るの?
などの非難がたくさん囁かれていますが、
なんか、火曜日とか、仮病で休んでみる?
みたいな方向性になりつつあり、
しかもその火曜日も遊んでしまう予感もあり…。
ひどいですね。
でも、香山さんの本に「なんにもしないで無駄にする時間があってこそ人はがんばれる」
とかなんとかいう言葉があったので、
絶賛無駄にするのが今の私に必要なことだという主張。
一年間で終わらせなければいけない仕事が大幅に遅れていることは
見てみぬふりイェー。
私悪くないし。フォローしてくれない周りが悪いんだし。(ゆとりの底力)
11月にひとつ飲み会を主催しなくてはいけなくて
非常にめんどksく思っているのですが、
やると言った手前、なんか、私がやるんだろうなあ。謎だけど。
正直だいぶめんどくせーです。自分で企画してほしいです。
でも、別方面で、いつも私が企画しないと動いてくれなかった
人たちが自主的に飲み会を主催して誘ってくれたので、
プラマイゼロ的な。ぜんぜん関連性はねぇけど。
ともかく私は仕事したくないです。
仕事しないですむにはどうすればいいのか知りたいです。
ものすごく職場がいやだとか、ひどい実態だとかいうことはないのですが、
むしろ恵まれたところにいるほうだとは思いますが、
なんしろ生きるの長いっす。
この間ジョーバ乗ってる時にも思いましたが、
人生、長いっす。
なにもせずにこのまま生きていくには、すんげぇ長い。
「人生は何もせずにすごすには長すぎるが、
何かを成し遂げるには短すぎる」という誰かの名言が
ありましたが、その前半を痛感中。
じゃあ何かを成し遂げるかってとこなんすが、
なに成し遂げましょうかねってお話で。悩みます。
やりたいこと全部やってみればいいってか。
したらとりあえず一番身近な夢は某隣町公園でのミュージカルを成功させることです。
あと、本も出してみたいな。
変なプライドを捨てて、経験者の友人達にやり方を教わってみようかなと思います。
本業に関する夢とか成し遂げたいことは
びっくりするほどないんですが。
あ、美術教師の資格とりたい。音楽でもいい。
絵の教室、ボイストレーニング、乗馬教室、日本舞踊、バレエなど
に興味があります。
本業に関する修行しようみたいな気持ちはびっくりするほどありません。
周りはなんか「もっとスキルアップしないと!」みたいに
休日もスキルアップ講座とか言ってる人が多いんですが、
私はどうも休みとなると仕事から離れよう離れようと動く気がします。
東京で夜通し飲んでみたりな。
だから、芯から今の仕事世界になじめる人間ではないんだなと思います。
ちょっと話は飛びますが、昨日の勇気を出して飛び込んだ
ハロウィンパーティーでわかったことは、
私がこの歳になっても、初対面の同年代男子の前に出ると
モジ山モジ子の中学生女子状態になるということ。
われながら気持ち悪いぐらいモジついてしまいました。
酔っ払ってる時に会ってるとかなら普通に話せるし、
慣れた人になら女子と同じように友達感覚を出せるようにはなったのですが、
まだモジ山モジ子は健在だったようです。
もう死んだと思ってた。
いったいいつまで私は思春期なんだろうなとか思うわけです。
デートの時どんな話すればいいの!
とか
何回目のデートでキッスするの!
とか
そういう話題で未だに盛り上がれるデブス23歳、気持ち悪いです。
そろそろ周りもそのレベルの話題に冷たくなってまいりました。
もうなんならね、結婚とかだからね。子供とかだからね。
レベル高すぎて話題ぜんぜん入れない。
私の最高レベルは乙女ゲーEDのキスちょい前スチルぐらいの関係です。
プラトニック!
しかし本当に乙女ゲーのように、
一緒に冒険したり毎日行動したりする中で
お互い好きになっていくのって、いいよね。ウラヤマだよね。
と、最近本当に思います。
最初から恋愛対象ではじまるのではなく、
最初は「協力者」とか「ビジネスパートナー」ぐらいの
関係ではじまるのがちょうどいい。
一番苦手なのは、「はい、この人が恋する相手ですよ」と用意されて
つきあいがはじまる状況なんだと思います。自己分析。
まずは人間的に好きになって、そこからもっと独占したいみたいな
気持ちが育っていくのがいいなーと思いますが、
なかなか現実ではねえ。そうはいかないよねえ。
二人ででかけたら「デート」みたいな風潮がねえ、
なんかやりづらくしてるよねえ。と思います。特に田舎。
ヒューヒューされると恥ずかしくなるじゃないですか。
ヒューヒューされるともう絶対肯定できない。好きでも「好きじゃねえよ!」
って言うでしょう。恥ずかしいでしょう。
と思うんですが、違うらしいですね。
ヒューヒューされたら「テヘヘ」ってやればいいらしいですね。
できん。
すいたほれたの話は好きだし、人が人を愛することはとても
すばらしいいいことだなと思うけれども、
それを明言したり、周りに知らしめたりするのが恥ずかしい。
素直じゃないなあ、われながら。
仲良くはなりたいんですよ。うん。たくさんの人とね。
でも、素直に「ありがとう」とか「好き」とか言い合う関係は、
今まで気づいてこなかったので、修行が超必要だなって感じる次第です。
愛情の確かめ方法は、殴り合いかケンカしか教わってこなかったってばよ。
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私も旧態にしがみついているわけでして、
つまり旧態依然って揶揄の言葉は、世代の一番前の人が
後ろを振り返って使う言葉なんだな、
相対的には私も割と世界で後ろのほうやねん。世界。
とか考えたりしながら今日は東京より帰宅しました。
「みそくそ一緒」という言葉が構造主義の理念をあらわしていると言ったのは、
みそくそ一緒という言葉では、一般常識や概念の中では
「調味料」「排泄物」と違うカテゴリにわけられて別物とされている二つの中に、
「共にペースト状である」という不変の構造を見出し、
その発想をもとに「みそもくそも同じものである」と発言しているところから
そう思いました。
構造主義も同じく、共通概念や一般理解の中では違うとされているもの
(たとえば「神話」と「少女コミック」)などの中に、
細かな事象を排除していった先に共通する構造を見つけ出して
カテゴリの枠をこえて「同じ構造が存在する」と考えるやり方なので、
その発想ができている日本人やっぱパネェ。みそくそ一緒パネェ。
と思ったわけです。
そもそもみそが「調味料」くそが「排泄物」というカテゴリわけ自体
文化や習俗によって左右される揺れ動くものであるし、
「ペースト状である」という変化しないそのもの自体の性質を
取り出して「似たものである」としたこの発想、すばらしいよね。
なんかこの、表面上のカテゴリわけや「名づけ」は文化によって変化し、
そのもの自体の性質は一定である、という考え方は、
現実界などの考え方にも共通するところがあり、
「みそくそ一緒」深ぇ、マジ深ぇ。
とか就業中にはげしく感動したのはたぶん水曜日か木曜日あたりだったと思います。
昨日は、ここ一ヶ月くらいの懸念であった研究発表という名の
私のプレゼンテーションに職場全体でプゲラしようぜ大会が
終了するやいなや、すべての土日にやるべき仕事を
職場に投げ出して大学まで、友人主催のハロウィンパーティー出席のために
飛び出した私の青春ストーリーを過ごしておりました。
結果的に、終了30分前に到着&主催者以外顔見知りなしのこじんまりパーティー
という悪条件にめぐまれたおかげで、
ハロウィンパーティーは息抜きというよりは
「私の社会適応力のなさ反省会PARTもう何回目か忘れた」になったわけですが、
主催者の友人に会えたことは素直にうれしかったよ。
そしてその後、予備校時代の友人宅に押しかけて
だらだらと自分の職場の愚痴を語った挙句、
パジャマもかり、ハブラシもかり、酒と夕飯をゴチになり、
翌朝化粧品までかり、昼飯をお母様におごっていただく。
という悪行の限りを尽くし、
一人だけすごい上機嫌になって帰宅してまいったわけです。
帰宅途中には、車を置いておいた駐車場の清算機に、
雨でぬれたお札を
「え、やだ塗れたお札とか。こんなの千円じゃない。」とつっかえされ、
ブチギレながらビックル66円を買って小銭を作り
なんとか脱出するなどの小競り合いもありつつ、
今現在は自宅にて明日の結婚式二次会に着ていく服の
見当がつかない
などの危機に直面しているわけです。
「ちょっとよそゆきのかたくるしすぎないワンピース」という
オーダーが入っているんですが、それが一番難しいです。
「ジーパンOK」か「スーツ」の指定をしてもらわなければ、
私は必ず場違いな服を着ていくというスタンド能力の持ち主です。
それにしても、土日にやる仕事を投げ出しているのはいつものことだとして、
月曜以降の仕事予定や準備をまったくしていないのに、
明日も遊び歩く予定をいれるこのチンカス野郎こと私です。
誰が仕事がんばるの?ねえねえ??
今のままの状態で月曜日を迎えて、一週間どうやって乗り切るの?
などの非難がたくさん囁かれていますが、
なんか、火曜日とか、仮病で休んでみる?
みたいな方向性になりつつあり、
しかもその火曜日も遊んでしまう予感もあり…。
ひどいですね。
でも、香山さんの本に「なんにもしないで無駄にする時間があってこそ人はがんばれる」
とかなんとかいう言葉があったので、
絶賛無駄にするのが今の私に必要なことだという主張。
一年間で終わらせなければいけない仕事が大幅に遅れていることは
見てみぬふりイェー。
私悪くないし。フォローしてくれない周りが悪いんだし。(ゆとりの底力)
11月にひとつ飲み会を主催しなくてはいけなくて
非常にめんどksく思っているのですが、
やると言った手前、なんか、私がやるんだろうなあ。謎だけど。
正直だいぶめんどくせーです。自分で企画してほしいです。
でも、別方面で、いつも私が企画しないと動いてくれなかった
人たちが自主的に飲み会を主催して誘ってくれたので、
プラマイゼロ的な。ぜんぜん関連性はねぇけど。
ともかく私は仕事したくないです。
仕事しないですむにはどうすればいいのか知りたいです。
ものすごく職場がいやだとか、ひどい実態だとかいうことはないのですが、
むしろ恵まれたところにいるほうだとは思いますが、
なんしろ生きるの長いっす。
この間ジョーバ乗ってる時にも思いましたが、
人生、長いっす。
なにもせずにこのまま生きていくには、すんげぇ長い。
「人生は何もせずにすごすには長すぎるが、
何かを成し遂げるには短すぎる」という誰かの名言が
ありましたが、その前半を痛感中。
じゃあ何かを成し遂げるかってとこなんすが、
なに成し遂げましょうかねってお話で。悩みます。
やりたいこと全部やってみればいいってか。
したらとりあえず一番身近な夢は某隣町公園でのミュージカルを成功させることです。
あと、本も出してみたいな。
変なプライドを捨てて、経験者の友人達にやり方を教わってみようかなと思います。
本業に関する夢とか成し遂げたいことは
びっくりするほどないんですが。
あ、美術教師の資格とりたい。音楽でもいい。
絵の教室、ボイストレーニング、乗馬教室、日本舞踊、バレエなど
に興味があります。
本業に関する修行しようみたいな気持ちはびっくりするほどありません。
周りはなんか「もっとスキルアップしないと!」みたいに
休日もスキルアップ講座とか言ってる人が多いんですが、
私はどうも休みとなると仕事から離れよう離れようと動く気がします。
東京で夜通し飲んでみたりな。
だから、芯から今の仕事世界になじめる人間ではないんだなと思います。
ちょっと話は飛びますが、昨日の勇気を出して飛び込んだ
ハロウィンパーティーでわかったことは、
私がこの歳になっても、初対面の同年代男子の前に出ると
モジ山モジ子の中学生女子状態になるということ。
われながら気持ち悪いぐらいモジついてしまいました。
酔っ払ってる時に会ってるとかなら普通に話せるし、
慣れた人になら女子と同じように友達感覚を出せるようにはなったのですが、
まだモジ山モジ子は健在だったようです。
もう死んだと思ってた。
いったいいつまで私は思春期なんだろうなとか思うわけです。
デートの時どんな話すればいいの!
とか
何回目のデートでキッスするの!
とか
そういう話題で未だに盛り上がれるデブス23歳、気持ち悪いです。
そろそろ周りもそのレベルの話題に冷たくなってまいりました。
もうなんならね、結婚とかだからね。子供とかだからね。
レベル高すぎて話題ぜんぜん入れない。
私の最高レベルは乙女ゲーEDのキスちょい前スチルぐらいの関係です。
プラトニック!
しかし本当に乙女ゲーのように、
一緒に冒険したり毎日行動したりする中で
お互い好きになっていくのって、いいよね。ウラヤマだよね。
と、最近本当に思います。
最初から恋愛対象ではじまるのではなく、
最初は「協力者」とか「ビジネスパートナー」ぐらいの
関係ではじまるのがちょうどいい。
一番苦手なのは、「はい、この人が恋する相手ですよ」と用意されて
つきあいがはじまる状況なんだと思います。自己分析。
まずは人間的に好きになって、そこからもっと独占したいみたいな
気持ちが育っていくのがいいなーと思いますが、
なかなか現実ではねえ。そうはいかないよねえ。
二人ででかけたら「デート」みたいな風潮がねえ、
なんかやりづらくしてるよねえ。と思います。特に田舎。
ヒューヒューされると恥ずかしくなるじゃないですか。
ヒューヒューされるともう絶対肯定できない。好きでも「好きじゃねえよ!」
って言うでしょう。恥ずかしいでしょう。
と思うんですが、違うらしいですね。
ヒューヒューされたら「テヘヘ」ってやればいいらしいですね。
できん。
すいたほれたの話は好きだし、人が人を愛することはとても
すばらしいいいことだなと思うけれども、
それを明言したり、周りに知らしめたりするのが恥ずかしい。
素直じゃないなあ、われながら。
仲良くはなりたいんですよ。うん。たくさんの人とね。
でも、素直に「ありがとう」とか「好き」とか言い合う関係は、
今まで気づいてこなかったので、修行が超必要だなって感じる次第です。
愛情の確かめ方法は、殴り合いかケンカしか教わってこなかったってばよ。