ぶたのあな

安定の愚痴率

旧態依然も時代の流れとともに

2010年10月30日 19時11分43秒 | ダメ人間観察記
私はよく職場を「旧態依然うぜぇww」と罵りますが、
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私も旧態にしがみついているわけでして、
つまり旧態依然って揶揄の言葉は、世代の一番前の人が
後ろを振り返って使う言葉なんだな、
相対的には私も割と世界で後ろのほうやねん。世界。
とか考えたりしながら今日は東京より帰宅しました。

「みそくそ一緒」という言葉が構造主義の理念をあらわしていると言ったのは、
みそくそ一緒という言葉では、一般常識や概念の中では
「調味料」「排泄物」と違うカテゴリにわけられて別物とされている二つの中に、
「共にペースト状である」という不変の構造を見出し、
その発想をもとに「みそもくそも同じものである」と発言しているところから
そう思いました。
構造主義も同じく、共通概念や一般理解の中では違うとされているもの
(たとえば「神話」と「少女コミック」)などの中に、
細かな事象を排除していった先に共通する構造を見つけ出して
カテゴリの枠をこえて「同じ構造が存在する」と考えるやり方なので、
その発想ができている日本人やっぱパネェ。みそくそ一緒パネェ。
と思ったわけです。

そもそもみそが「調味料」くそが「排泄物」というカテゴリわけ自体
文化や習俗によって左右される揺れ動くものであるし、
「ペースト状である」という変化しないそのもの自体の性質を
取り出して「似たものである」としたこの発想、すばらしいよね。

なんかこの、表面上のカテゴリわけや「名づけ」は文化によって変化し、
そのもの自体の性質は一定である、という考え方は、
現実界などの考え方にも共通するところがあり、
「みそくそ一緒」深ぇ、マジ深ぇ。
とか就業中にはげしく感動したのはたぶん水曜日か木曜日あたりだったと思います。

昨日は、ここ一ヶ月くらいの懸念であった研究発表という名の
私のプレゼンテーションに職場全体でプゲラしようぜ大会が
終了するやいなや、すべての土日にやるべき仕事を
職場に投げ出して大学まで、友人主催のハロウィンパーティー出席のために
飛び出した私の青春ストーリーを過ごしておりました。

結果的に、終了30分前に到着&主催者以外顔見知りなしのこじんまりパーティー
という悪条件にめぐまれたおかげで、
ハロウィンパーティーは息抜きというよりは
「私の社会適応力のなさ反省会PARTもう何回目か忘れた」になったわけですが、
主催者の友人に会えたことは素直にうれしかったよ。

そしてその後、予備校時代の友人宅に押しかけて
だらだらと自分の職場の愚痴を語った挙句、
パジャマもかり、ハブラシもかり、酒と夕飯をゴチになり、
翌朝化粧品までかり、昼飯をお母様におごっていただく。
という悪行の限りを尽くし、
一人だけすごい上機嫌になって帰宅してまいったわけです。

帰宅途中には、車を置いておいた駐車場の清算機に、
雨でぬれたお札を
「え、やだ塗れたお札とか。こんなの千円じゃない。」とつっかえされ、
ブチギレながらビックル66円を買って小銭を作り
なんとか脱出するなどの小競り合いもありつつ、
今現在は自宅にて明日の結婚式二次会に着ていく服の
見当がつかない
などの危機に直面しているわけです。

「ちょっとよそゆきのかたくるしすぎないワンピース」という
オーダーが入っているんですが、それが一番難しいです。
「ジーパンOK」か「スーツ」の指定をしてもらわなければ、
私は必ず場違いな服を着ていくというスタンド能力の持ち主です。

それにしても、土日にやる仕事を投げ出しているのはいつものことだとして、
月曜以降の仕事予定や準備をまったくしていないのに、
明日も遊び歩く予定をいれるこのチンカス野郎こと私です。
誰が仕事がんばるの?ねえねえ??
今のままの状態で月曜日を迎えて、一週間どうやって乗り切るの?
などの非難がたくさん囁かれていますが、
なんか、火曜日とか、仮病で休んでみる?
みたいな方向性になりつつあり、
しかもその火曜日も遊んでしまう予感もあり…。

ひどいですね。

でも、香山さんの本に「なんにもしないで無駄にする時間があってこそ人はがんばれる」
とかなんとかいう言葉があったので、
絶賛無駄にするのが今の私に必要なことだという主張。

一年間で終わらせなければいけない仕事が大幅に遅れていることは
見てみぬふりイェー。
私悪くないし。フォローしてくれない周りが悪いんだし。(ゆとりの底力)

11月にひとつ飲み会を主催しなくてはいけなくて
非常にめんどksく思っているのですが、
やると言った手前、なんか、私がやるんだろうなあ。謎だけど。
正直だいぶめんどくせーです。自分で企画してほしいです。

でも、別方面で、いつも私が企画しないと動いてくれなかった
人たちが自主的に飲み会を主催して誘ってくれたので、
プラマイゼロ的な。ぜんぜん関連性はねぇけど。


ともかく私は仕事したくないです。
仕事しないですむにはどうすればいいのか知りたいです。
ものすごく職場がいやだとか、ひどい実態だとかいうことはないのですが、
むしろ恵まれたところにいるほうだとは思いますが、
なんしろ生きるの長いっす。

この間ジョーバ乗ってる時にも思いましたが、
人生、長いっす。
なにもせずにこのまま生きていくには、すんげぇ長い。
「人生は何もせずにすごすには長すぎるが、
 何かを成し遂げるには短すぎる」という誰かの名言が
ありましたが、その前半を痛感中。
じゃあ何かを成し遂げるかってとこなんすが、
なに成し遂げましょうかねってお話で。悩みます。
やりたいこと全部やってみればいいってか。
したらとりあえず一番身近な夢は某隣町公園でのミュージカルを成功させることです。
あと、本も出してみたいな。
変なプライドを捨てて、経験者の友人達にやり方を教わってみようかなと思います。


本業に関する夢とか成し遂げたいことは
びっくりするほどないんですが。
あ、美術教師の資格とりたい。音楽でもいい。

絵の教室、ボイストレーニング、乗馬教室、日本舞踊、バレエなど
に興味があります。
本業に関する修行しようみたいな気持ちはびっくりするほどありません。
周りはなんか「もっとスキルアップしないと!」みたいに
休日もスキルアップ講座とか言ってる人が多いんですが、
私はどうも休みとなると仕事から離れよう離れようと動く気がします。
東京で夜通し飲んでみたりな。
だから、芯から今の仕事世界になじめる人間ではないんだなと思います。


ちょっと話は飛びますが、昨日の勇気を出して飛び込んだ
ハロウィンパーティーでわかったことは、
私がこの歳になっても、初対面の同年代男子の前に出ると
モジ山モジ子の中学生女子状態になるということ。
われながら気持ち悪いぐらいモジついてしまいました。

酔っ払ってる時に会ってるとかなら普通に話せるし、
慣れた人になら女子と同じように友達感覚を出せるようにはなったのですが、
まだモジ山モジ子は健在だったようです。
もう死んだと思ってた。
いったいいつまで私は思春期なんだろうなとか思うわけです。

デートの時どんな話すればいいの!
とか
何回目のデートでキッスするの!
とか
そういう話題で未だに盛り上がれるデブス23歳、気持ち悪いです。
そろそろ周りもそのレベルの話題に冷たくなってまいりました。
もうなんならね、結婚とかだからね。子供とかだからね。
レベル高すぎて話題ぜんぜん入れない。
私の最高レベルは乙女ゲーEDのキスちょい前スチルぐらいの関係です。
プラトニック!

しかし本当に乙女ゲーのように、
一緒に冒険したり毎日行動したりする中で
お互い好きになっていくのって、いいよね。ウラヤマだよね。
と、最近本当に思います。
最初から恋愛対象ではじまるのではなく、
最初は「協力者」とか「ビジネスパートナー」ぐらいの
関係ではじまるのがちょうどいい。
一番苦手なのは、「はい、この人が恋する相手ですよ」と用意されて
つきあいがはじまる状況なんだと思います。自己分析。

まずは人間的に好きになって、そこからもっと独占したいみたいな
気持ちが育っていくのがいいなーと思いますが、
なかなか現実ではねえ。そうはいかないよねえ。
二人ででかけたら「デート」みたいな風潮がねえ、
なんかやりづらくしてるよねえ。と思います。特に田舎。
ヒューヒューされると恥ずかしくなるじゃないですか。
ヒューヒューされるともう絶対肯定できない。好きでも「好きじゃねえよ!」
って言うでしょう。恥ずかしいでしょう。
と思うんですが、違うらしいですね。
ヒューヒューされたら「テヘヘ」ってやればいいらしいですね。
できん。


すいたほれたの話は好きだし、人が人を愛することはとても
すばらしいいいことだなと思うけれども、
それを明言したり、周りに知らしめたりするのが恥ずかしい。
素直じゃないなあ、われながら。

仲良くはなりたいんですよ。うん。たくさんの人とね。
でも、素直に「ありがとう」とか「好き」とか言い合う関係は、
今まで気づいてこなかったので、修行が超必要だなって感じる次第です。
愛情の確かめ方法は、殴り合いかケンカしか教わってこなかったってばよ。

しっとり疲れ

2010年10月28日 21時56分09秒 | 日常腐り目線
すっげえつかれた、というわけではないんだけども、
なんとなく元気がでない日が、継続中。
休みの日に予定いれるのがいけないんかな。
友達と遊ぶと楽しいし癒されるんだけど、動いてる分芯のところに疲れが残ったまま
次の週を迎えてしまう気がする。

完全休日はほとんどないからなあ。
それかなあ。
なんもしなくていい1日、というのがずっとないから、ゆるやかに体力が減っていってる感じ。
体力減っても体重増えてるんだけどね。
夕食抜いて体重ふやす奇跡の身体。

とりあえず明日が終われば……と信じて。
明日の夜の移動がけっこう不安だが。
間に合うのかなー。安易に参加表明しすぎたな。
やっぱり平日夜に都内の人たちと飲もうってのは難しいか。


あー明日無事に終わるといいなー。
好きな人ほしいなー。
その人みただけで、勝手に幸せになれる奇跡の人。
いないなー。
さむいなー。

しあさってに追われて明日を無駄にする私は。

2010年10月26日 20時27分50秒 | 太腕繁盛記
なんかいまさらになってシウカツサイトから
「あなたのスキルに合う企業が見つかりました!」っていう
メールがきてて「うははww^^」ってなった。
世が世なら私もまだシウカツしてたかもしれないんだな…
鬱だったな…シウカツは……。

なんだかんだで私の周りはほとんどの人が
なにかしらの職業につき、それなりにがんばっており、
えらいなあと日々感じたりするわけですおなかすいた。

週末の都会に出かける予定に向けて
一週間ムリムリダイエットを強行するために
今晩はパパイヤジュースが夕食なのですが、
やばい、これ、思考力ガタ落ち。
風呂に入るとか歌を歌うとか本を読むとか、
あるいはこういう頭を使わない文を書くとかの
エネルギー消費の少ない行動ならいくらでもできんが、
仕事に立ち向かう行動がまったくとれねえ。

あ、でもそれいつもと同じか。
本当は明日の準備が全然済んでないので
本を読んで勉強したり考えたりしなくちゃいけないのですが。
が。
ちょっとなんか気力ないわあ。
今日出張だったから早く帰ってこられたのに
結局ボーッと漫画読んで終わりだわあ。
いつものパターンだわあ。

寝床付近の本がいい加減ジャングルになってきたので
ひとまずタワーにしてみたら、
ほとんど夢遊病に近い状態で大人買いし、一気読みし、
埋もれさせていた本がたくさん出てきて
ちょっとびっくりしました。
そういえば読んだなあ、って。

最近本の読み方が雑になってきたのか、
一回買いたてで読んだ時は最後まで読んだ気になってても、
ちょっと間をおいて落ち着いてからもう一回読み返すと、
あれ、こんな話だったんだ、とか、
あ、ここ伏線だったんだ、とかようやく気付く。
ほとんどすっとばして流し読みに近い状態で読んでることに、
気づいてなかった。
私は何をそんなに生き急いでいるんだろう。

そういえばこの間、
ほんの三日ほど一緒に働いたところの館長さんが私の職場にいらっしゃった時に、
向こうがうれしそうに「やあ」ってやってくれて、
私もすごくすごくそれでうれしくなったなあ。
正直言って、館長さん自体がすごく好きというわけでもないし、
三日働いている中で会話したのもほんのわずかなんだけど。
私のこと覚えていてくれて、親しみを感じてくれたんだなあというのが、
とてもうれしかったです。

この世界に私を認識して、好感をもってくれる人が
いたんだなあ、と感じられてとてもうれしかった。
普段、なかなか好意って向けてもらえないからね。
だから私も好意は出していかなきゃーと思ったり思わなかったりで。

昨日の夜に、久しぶりの方から二通メールが届いて、
両方とも、私の存在を否定していなくて、
近づいてくれようとしていて、
おお私生きていていいんだなあ、という自信がもてたので、
その勢いで三人ぐらいに遊んでちょうだいメールを送りました。
その中で今のところ帰ってきたのは二人だけど、
すぐに返事をくれた人もいて、そこは素直に嬉しかったのよ。
全然動いてはくれないけど(笑)。

まず返事をしよーって私に思ってくれた
その気持ちが嬉しいので、もろもろそれ以上を求めて
文句言うのは、相手に求めすぎなのかな。そんな気もするね。
と、やさしい気持ちになれました。

やっぱり、人からやさしい気持ちをもらうと
自分も人にやさしくできるよね。
そうやって愛の連鎖がつながっていけばいいけど、
私からの愛はなんかあまり伝わらないことが多くて、
いつも連鎖を私でとめちまってる気はしています。

表現方法が若干わかりにくいけど、全部愛なのよ。かまってちゃんなのよ。
文句であれなんであれ、反応を示すってことは
「君がだいすき」って言ってるのとおんなじことだからね。
私の場合は特にね。

物事、というか人の気持ちを、いいほうにいいほうに解釈していきたいね。
とかいうと、騙されやすそうに見えるかもしれませんが。
少なくともはじめから疑いのまなざしで入るのはなくしていきたいなと思いました。

なんで私今日いきなりこんな菩薩トークなのかというと、
おなかすきすぎて若干ヘヴンが見えかけているからなんじゃないかなとか思います。
すげえふわっふわしてんの。頭の中。
そんで手足の先は氷みてえなの。

私はでも一番つらいとこは通り抜けた系なので、
ふるって周囲の応援団にまわっとこうかなっと。喜捨喜捨。

それともまたもうちょいしたらすごいビックウェーブ来たりすんのかな。
コンスタントにやらなきゃいけないことは少しずつ堆積していってるけど、
なんかもう地層になってるので焦りすらわかねえ。
地道に掘削していくしかねえ、みたいな状況で。

明日明日と追われる仕事もあるにはあるけど、
なんかねえ、それやってっと疲れちゃうし。
のんびりしたいよねえ。

世界の人が幸せだといいなあ、と思うんですよ。
誰かが不幸だと、その不機嫌がめぐりめぐって私のところにもくるでしょ。
みんなが幸せでニコニコしてれば、こっちも幸せなのにね。
でも幸せって感じるのに、少なからず優越感が混じってる回数の多さを
考えれば、それもなかなか難しいよねえ。

自己満足で幸福になれてりゃ世話ないんだけど。
私もそれはできないわ。一人でも楽しいけど、
幸せって実感するのは、他者の存在なしには難しい。
結局主体って他者という鏡を通してしか認識できないんだよね。
形なきものだからね。それがすごくなんか…不思議だけど、あるあるって感覚だ。

今日はもうこんな感じで、何も達成してないし、明日の
準備も全然できてないけど、終わりにして寝ちゃっていいかなあ。
あっでも今週末は仕事片付ける余裕も全然ないのか…
じゃあ早めにやらないとなあ…
でも今日は疲れたし。やる気しないし。
明日明後日の私に期待。……じゃダメ?

明日明後日の私は、体をきれいにするお仕事もあるし、大変ですね。
体のメンテナンス怠りまくっていたので、
それもけっこう大仕事になってしまっています。
掃除と一緒で、体のメンテも、定期的にやっとけば
そんなに難しい仕事ではないのに、
ためてから片付けようとするからいつもめんどくさい量になって、
さらに次回が遠のくんだと思うよ。

体、定期的にメンテナンスいれてた時期は、
私、女子したなあ。
当時はまだまだ女子じゃねえと思ってたけど、
堕落してみると、毎日服考えたり化粧したり眉毛整えたり、
超女子じゃん。

最近の私は爪切りもめんどうで歯でかみちぎって終わりにするし、
気づくと鼻水垂らしてるし、
化粧は三か月に一回ぐらいになりつつあるし、
牧草地は豊潤にいつも生い茂っているし、
女子力ゼロだよねえ。ほんとすんません。誰に謝ってるのかわかんねえけど。

なんか女子しなくても潤っちゃうからだろうねえ。
女子しなくても相手してくれる人たちがいて、
超いとしいです。
性別なし軍団超かわいい。
あたま悪い感じのやりとりで幸せになっちゃってっから
女子力磨きに身がはいらんのだな。
男子に愛されなくても幸せな時、女子は生まれないのだと思う。

とか強引にまとめてみたりするー。
もう全然頭まわんねえー。

コーヒー牛乳だけおなかに溜めてとっとと寝ちゃおう作戦。
明日のことは明日の私に任せるよ。
サニーは相変わらずかっこいいから、大丈夫だと思う。

えんずぃつきゃーぶ♪

2010年10月24日 19時22分13秒 | 日常腐り目線
久しぶりにカラオケに行きました。
久しぶりに、本当に久しぶりに、なんか、休日っした。
この幸せがこわいの!(←別にほっといていいよ)

私をうまく扱える人と扱えない人の差は、さっきついったさんに書いたように、
自分を客観視する自己(要するにツッコミ役)がいるかどうかじゃないのかなと思いました。
「バーカ」って言われた時、同じ次元で「バカって言った方がバカ!」って返してたら話は進まず、それはただの戦争で、面白みはうまれないわけで。
バーカに対して「はいはい」ってできるのは、はっせられた言語をそのままのコンスタティブに受け取るのではなくて、
パフォーマティブな方の意味で受け取れているじゃない。
つまり、「バーカ」を「お前は頭が悪いという攻撃」だと受け取るのではなく、「かまってほしいという心のあらわれ」という意味でとっている。
だからそこに仲の良さが生まれて、笑いも起こるわけで。
お互いに理解しあえない関係に笑いは起きないよね。和む部分がないのだから。
笑いは結局のところ緊張と緩和の反復運動だし。


なんか話ずれたな。

あ、つまり、そういうツッコミ役がいなくて、自分と二次元のキャラに境目のない人というのは、
どうやってできるのかなって。
逆に言えば、境目のある私はどうやってできたのかなって。

私の場合はまあ女の子戦闘力の低さとか自信のなさからある程度は説明できなくもなさそうだが。

でも、私にしろ友人にしろ、びっくりするほど女子部門に自信がない人って、
生育環境を見たり聞いたりするとそれほどのマイナスメッセージは受け取ってないんじゃねーか?と思う。
それなのに今こうして違いが生まれるのはなんでなのかな……。
今思ったのは、「疎外の感覚」あるなしは多少関係するかも。
どこかの集団生活で、決定的に自分が疎外されるものであると気付かされた経験。
同じオタク組に属していても、同じように「自分なすみっこを生きる、明るい場所に住めない人間だから」と言っていても、
やっぱり一人の経験がある人とない人では覚悟の度合いが違うような気がします。個人的にはね。
そっちのほうが社会的にはいいことなんだけど、逃げ道があるだけにどうも最後まで踏み切れない感じが残る。
最後までこの国の滅亡の時まで、肩を並べていることはないな、というのは、やはり感覚でわかる。
てらいなく投げ出せる人と、別の国に奥さんや家を置いて出てきている人。


虚勢が強いのは自信のなさの表れだよね。
自分もそうだからわかるけど、自分のすごさとか武勇伝を語る人のほうが、心はいつもバカにされる不安で怯えている。
自分が一番不幸だ、と思っている人ほど幸福な人は世の中にいないから。
幸福も不幸も、相対評価にしたら上にも下にも無限にいる。
だから、不幸自慢で人をおしまかせて同情をえるよりは、絶対評価で「私はつらい」と言えたほうがはるかにいい。
そのほうがまだ説得力があるから。

強い人をたくさんたくさん見てきたけれど、弱い人も同じだけいて。
ただ私が大事にしたいのは、無理はしなくていいんだけど、明るくしていくほうがよいということ。
それも、全部を押し殺して包み隠して明るくするのではなく、
その人の痛みをすべて吐き出して、自然と明るさがにじみ出てくるように仕向ける方法で。

自分が幸せじゃない人は、誰も幸せにできないんだよ。
人に愛されたい、人を愛したいと願うなら、まず自分を十分に愛し、自分に愛された記憶をたくさん作って、
心の体力を回復させておくこと。
それが一番大切だと思います。
なんかそんなよーなことを考えたり考えなかったり。

大人ぶるのはいつでも誰でもできるけど、若者ぶってゆるされるのは若者のうちだけなわけで、
バカをやる、という若者ぶりは今にこそやっておくべきなんじゃないかなっと私は思う。
今生き急ぐ必要は全然ないよ。
季節がめぐるように、自分の身体も人生も自然とめぐってゆく。
その流れを自然に受けとめて生きていけば、不足なんて全くないと私などは思います。

ゆめにっき

2010年10月21日 05時56分17秒 | 日常腐り目線
私の担任する生徒の父兄が、初恋の人で……アッチッチ☆
というような幸福な夢を見ました。

幸福な夢を見る時は、現実がつらい時、だそうです。

にしても初恋の人は相変わらずすげーかっこよかった。
もうどんだけ美化されてるかわからない。

実際には二回くらいしかしゃべったことないからね、私、彼と。

夢の中ではもう何十回も親しくお話しているけどさ。