弾正丸から眺めた本丸の石垣(上)。二の丸と三の丸を結ぶ伝馬場の石垣(下)はV字状に破却
肥前名護屋城は、国内を統一した豊臣秀吉が、さらに朝鮮半島・中国大陸へ向けて出兵(文禄・慶長の役1592~1598年)するため、その軍事拠点として築かせた城である。

大手口

伝馬場

天守台

二の丸から見た天守台

天守台から北東方向に見える呼子大橋

弾正丸から見える玄海原発(数キロ?)

中心の石の上二つの石・左右の石・下二つの石は、割った面を石面にして近くに積んだ石垣
昨年12月末、先週の木曜日と佐賀県鳥栖市の仕事が入ったのだが、昨年12月末はホテルがとれず、先週は腰痛が酷くて「名護屋城・唐津城」の城巡りを断念。
もう、「名護屋城・唐津城」の城巡りは無理だと思っていたのに、またまた佐賀県鳥栖市の仕事が入るとは・・・