警官の供述と青山氏の証言は、大きく食い違っています。両者とも真実を語っているということはあり得ません。どちらかがウソ。
裁判となった場合に警察が何を望むかと言えば、2人の警官の無罪に決まっています。なにしろ、過去の警官を訴えた付審判事例では、警官が有罪になることなんてまずないのだと分かっています。ですから、なりふり構わず無罪を狙っていきます。
無罪になる条件は何か?
I) 発砲という判断が妥当であること。
II) 殺意がないと証明すること。
この2点が揃っていなければなりません。特に、II)に関しては、「未必の殺意」も否定しなければなりません。「未必の殺意」とは、「殺すつもりはなかったんだけど、それで死ぬかどうかまで考えてなかった」ということ。「殺そうと思ったんじゃないけど、それで死んじゃったんならしょうがないよね」と言ってしまうと、「未必の殺意あり」と判定されます。例を挙げれば、住人を殺す目的でなくとも、家に放火して亡くなった人が出れば、「未必の殺意があった」とみなされることになります。一方、「家に誰もいないことを確認してから火をつけた」となると、殺意はないとみなされます。
発砲が妥当となる条件としては、「警官および周囲の市民の安全が脅かされており、発砲以外の手段では収拾できないという状況である」ということが絶対に必要です。そうなると、無罪判決のためには「逃走車が暴走をやめず、警官も轢かれそうになっていた」と言わなければなりません。
次に、「未必」を含めた殺意がないと主張するにはどう言うか?
「確実に当たると自信をもって、腕だけを充分に狙って撃ちました」
セリフはこれしかありません。こう言わなければ、「未必の殺意」が発生します。
これらを合わせると、
「逃走車は危険な暴走を続けていました。警官は轢かれそうになり、周囲の車も危険だったので、発砲するしかありませんでした。発砲の際には、運転手の腕だけをよく狙って射撃しており、決して車内の2人の頭や体に当たることはないと考えていました」
と供述することが、無罪を得るためには絶対に必要です。
という前提で、実際の警官の供述と比べると、まさにこの通りです。無罪を狙うためには、これ以外の供述はできません。となると、警官の証言には耳を傾ける価値はまったくないのです。そういう視点で、a)~h)の供述を評価してみましょう。
一方、青山氏の証言「両手を挙げたのに撃たれた」が本当かどうかはどこにも証拠がないので、ここで検討することはできませんし、またその必要もないでしょう。
以下、警官の供述を検討。
a) 「暴れ馬状態」だったことにしないと発砲の正当性が失われますから、こう供述するのは当然です。
b, g) わざわざ15mも離れたところにパトカーを停めるのは変だし、一般車の目撃証言「車1~2台分」とも食い違います。さらに、後になって供述が変わり、15mが19mに伸びます。これは、パトカーが逃走車両にビタづけしていたら、「逃走車両は実際には暴走できない状態だった」ことになってしまって都合が悪いからです。一般車両の証言がウソで、警官の供述の「19m」が真実であれば、今度は「ちゃんと挟み撃ちにしてなかったから暴走したんだろうよ」と非難されなければならないはずです。後になって19mと主張することで、暴走の場面設定を強固にしたつもりでしょうが、その代償として「発砲の必然性」が低くなってしまいました(「発砲以前に、まずちゃんと挟んでスペースを潰せ」ということ)。また、当然ですが供述の信用を失います。
主張のa)、b)の2つを採り上げるだけで、既に矛盾が出てきましたが、さらに検討を続けます。
c) これは大嘘です。警官の銃口のわずか数m先には、一般車両の列が並んでいるのです。しかも、その車列の向こうには無防備な一般市民がいます。運転席側から撃てば、流れ弾が歩道の歩行者に当たるかもしれない。助手席側から撃てば、右側は交通遮断されていない対向車線で、ガラス1枚とて身を守ってくれるもののないバイクが走るでしょうし、その先にはやはり歩道があります。流れ弾がこれらの一般市民に当たらなかったのは幸運にすぎません。
ちょっと想像してみて頂くといいんですが、自分のすぐ近く止まった車に向けて、四方八方から8発も鉄砲が撃たれりゃ、自分なら生きた心地しません。車1台はさんでいるとはいえ、警官の銃口が自分のほうに向いてて、バンバン撃ちまくられたらたまんない。
不用意な発砲は、流れ弾によって周囲にいる一般市民に生命の危険を生じます。停車状態から発進した犯人の車がぶつけてきたって、車が凹む程度のことで、命に別状はありゃしません。逃走進路をこじ開けようとするなら、ドア付近ではなく車の前端・後端のいずれかにぶつけてくるでしょうから。でも、至近距離の流れ弾なら、当たれば大怪我、サイアク死ぬかもしれません。
警官と逃走犯の関係だけに限定しても、威嚇射撃やタイヤへの発砲もないまま、いきなり狙撃するほどの切迫した状況だったのか、極めて疑問です。
まず、後続のパトカーがしっかりと逃走車両の動きを封じるべきだったでしょうし、やむを得ず発砲するとしても、まずはタイヤへの射撃から行うべきではなかったのでしょうか。タイヤへの射撃は威嚇効果も持つでしょう。タイヤを撃つに当たって、逃走車両の前後方向からの射撃なら、その先にあるのは警官が降車した後のパトカーですから、跳弾が当たったって修理代がかかるだけ。市民に危険はありません。前から撃てば、発砲している警官の姿を犯人に見せることも出来ます。
d, h) これは興味深いですねえ。最初に言ったことと、後で言い直したことがまるで逆。d)「飛び退きながら撃った」は、犯人の車が危なかったことにしたいから。h)「『構え』で撃った」は、決して外さないようにちゃんと狙って撃ったと言いたいから。いくら気が動転しても、ここまで記憶が食い違うことは有り得ない。どちらかがウソなので、この警官は裁判の席で少なくとも一度はウソをついたと自ら証明してしまいました。ついでに言えば、そこまで記憶が不確かなくらい気が動転していたのなら、とても正確な射撃なんて無理でしょうね。
e) 「腕だけ狙った、必ず当たる」
狭いスペースで暴走している車両を思い浮かべてみましょう。行く手はパトカーで塞がれているので、ハンドルを右に左に回しながら、周囲の車を押しのけて抜け道を切り開こうとしているはずです。暴走している車の中で、忙しくハンドルを回す腕を、百発百中で狙い撃てるような人は、ゴルゴ13くらいしか思いつきません。実際、「絶対当たる」と思って撃った「必中」であるはずの8発の弾丸は、一発も腕には当たらず全弾が外れ、3発が頭と首に当たりました。なんじゃそりゃ?
f) 「ドアミラー付近から撃った」は、実際の車両では助手席ガラスの後方から撃ち込まれていますので、ウソ。助手席ガラスの後方から撃つと、高い確率で中の乗員の頭や体に当たります。しかし無実を狙うなら、助手席ガラス越しだと「ドアミラー付近から撃った」と供述するしかないのです。
ドアミラー付近から運転手の腕を狙って撃ったのに、何で助手席ガラス後方から弾丸が入って、助手席の高氏の頭や首に当たるのか? どう考えてもおかしい。
ちょっとだけ想像して頂きたいのですが、自分が乗用車(4ドアセダン)を運転していて、車外から立射で自分の腕だけを狙撃するならどこか?フロントガラス以外はスモークで内部が見えず、間違っても体や頭に当ててはいけないという条件。この条件では、「助手席側の、左前輪付近からフロントガラス越しに撃つしかない。他から撃てば外すと腕以外に当たる可能性が高い」と想像できると思います。その位置から射撃した警官は1名もいません。
ということで、警官の供述は穴だらけ、矛盾だらけなので、まったく採り上げる価値がない。無罪判決を得るために、言葉の体裁を整えているだけです。真実に迫るためには全く役に立ちませんから、供述はゴミ箱に捨ててしまって、事実だけから考えることにしましょう。
発砲は、逃走犯が武器を所持していなかったという結果論的な見方で言えば、警官と市民の安全を守るためとは言えず、むしろ市民をさらに危険にさらすものでした。
警官の証言通りに車が暴走していたら、暴走する車の中で忙しく動くドライバーの腕を狙撃するのは極めて困難ですから、未必の殺意は存在します。警官の証言と逆で、ホントは暴走していなかったら、発砲の必要性が大幅に格下げされます。
警官の証言通りであれば発砲の必然性が低く、また未必の殺意が存在することによって、警官2名は少なくとも特別公務員暴行凌虐致死傷に該当しますし、殺人罪に該当する可能性もあると考えます。それが、事実と法律だけから導く結論です。
誤解を招きそうなので註釈しますが、この結論には何のバイアスもなく、客観的に検討を進めて法律をそのまま適用するとそうなる、ということです。警官擁護でも高氏擁護でもなく、事実と法律によってのみ話を進めるとこうなるのです。
でも、これでいいのか?
おそらく、車は発砲直前まで動いていたはずです。パトカーだけでなく、周囲の車にぶつけ、押しのけようともしていたでしょう。かなり悪質な動きです。しかし、その速度は大したことはない。片側2車線の道路幅から考えると、逃走車両の左右には余裕のスペースはほとんどないし、前後に使えるスペースは長くてもせいぜい10m程度。この状況で逃走車両が多少動いたところで、周りの一般車両に大怪我をする人は出ないでしょう。
しかし、スモークフィルムで中が見えないセドリックが、パトカーと一般車にぶつけながらまだ逃げようとするのを眺めるだけで放っておくわけにはいきません。かといって体を張って止めようとしたら、轢き殺されるかもしれない。それに、逃走車はスモークフィルムで中がよく見えないから、車が止まった瞬間に銃を取り出して乱射してくるかも知れない。最初は窃盗犯だと思って追跡し始めたのだけれど、この逃げっぷりだと、よほどの余罪がある凶悪犯の可能性が極めて高いから、撃たれるまで待っているのも危険。となると「もう、銃を使って止めるしかない」って判断も全く間違いとはいえないでしょう。
しかし、正直に「中が見えなかったから危険と判断して撃った」と言うと、「未必の故意」どころか明確な殺意を認めることになります。となると、無罪どころか殺人罪で有罪になる可能性がありますから、警察はそんなことは言えません。
供述では、フロントガラス以外は黒くて内部が確認出来ないことには触れられていないでしょう(報道で採り上げられなかっただけではなくて)。もし内部が見えないなら、少なくとも未必の殺意が存在したことになってしまうからです。「腕だけを良く狙った」と主張するなら、「中がよく見えなかった」とは口が裂けても言えません。
ただ、「腕だけを良く狙った」という供述は、その時点では車内の2名とも武器を手にしていなかったと自ら証言したも同然です(腕がよく見えているわけですからね)。武器を手に持っていないとハッキリ分かっている犯人をいきなり狙撃するのはどう考えても「やり過ぎ」なのですが、裁判で無実を狙うなら、「腕を良く狙って撃った」ことにするしかない。
警察なりに色々考えた結果、無実を主張するために可能な証言はひとつしかない。「警官と一般市民を危険にさらす暴走を止めるには発砲しかなかった。運転操作を止めるために、運転手の腕だけを良く狙って撃った。腕だけを狙撃する自信はあった」
この証言が如何にウソ満載であるかを暴くのは、上記の如くに極めて簡単なのだけれど、「じゃあ、周囲の車にぶつけてまで逃げようとする、窓が真っ黒のセドリックはどうすりゃいいの?」という素朴な疑問には答えられません。
要するに、今回の事件は既存の法律が想定する状況を超えていたのです。警察官職務執行法7条だと、犯人逮捕に当たっては「懲役3年以上に該当する犯罪者が逃走しようとしているのでなければ危害を加えてはいけない」ことになってます。今回の場合、高氏は窃盗犯でも交通犯でもないのだから、射殺どころか警棒で殴ったって警職法違反(だから警察は青山氏に「高がやったことにしろ」と言うわけです)。
でも、そんなこと言ってられる状況だったか?普通の逃走犯ならともかく、こいつは相当悪質です。黒い窓が開いた瞬間、拳銃が乱射される可能性だってないとはいえない。そうなったら、自分が撃たれるかも知れないし、周りの市民も巻き添えを喰うかもしれない。そういう、大カーチェイス直後でアドレナリン出まくり、かつ追いつめたのに有り得ない動きをする逃走車両にビビリまくりの状況下で、上官から「撃て!」と言われりゃ、そりゃ撃ちますよ。もちろん、「凶悪犯」のはずの2人組を狙って、周りも見ないでバンバンと。なので、追いつめる前に「取り囲んでも観念しないなら銃の使用もある。発砲するならこういう手順で。周囲には充分に気をつけろ」とか、予め警察無線で部下に充分に指導しておくべきだったのです。たぶん巡査部長も舞い上がっていて、そんなことまで頭が回ってなかったんでしょうね。
そういうことで、不備のある法律をもとに下す判断は非常に難しいのですが、現在の法律をそのまま私心なく運用するなら、2名の警官は特別公務員暴行凌虐致死傷で有罪。おそらく、裁判官裁判となる1審は同じ結論になるのではないでしょうか。ただし、もし殺人罪としての要件は満たしていても、裁判員が「これは殺人罪だ」という判断を下すとは思えないので、殺人でない理由を一生懸命みつけて殺人罪は不適用になるかと。
ですが、状況をよく考えれば、こんなワケわからん犯人に発砲してはいけないと司法判断を下すのもおかしい。パトカーに挟み撃ちされていったん停止しながら、職務質問を振り切って再度逃走。袋のネズミに追いつめたけど、パトカーや周りの車を押しのけてまだ逃げようとする。しかも黒いガラスで車内が見えやしない。こんな状況でも発砲したら「人殺し」と言われるようでは、警官は仕事をしていられません。そう思えば、どんなに警官の供述がデタラメでも、それに目をつぶって無罪判決を導こうという意志が働くのも理解できなくはない。なので、裁判員裁判ではない2審では警官無罪。で、最高裁は棄却というのが自分の読み。
今回の事件で、ダメだったのは何か?
まず、青山氏が無実の友人を隣に乗せていながら無謀な逃走をしたこと。まさか高氏が警官に射殺されることまでは予想しなかっただろうけれども、片道2車線の大きな国道で信号無視を繰り返したのに死亡事故にならなかったのが不思議。大事な友達なら、車上荒らしは1人のときにやれと言いたい。
高氏も、「もうやめてくれ」と言っても良かった。「車を止めれば友達が捕まる、それは友達を裏切ることになる」と思って、そう言えなかったのかも知れないけれど、結果的に青山氏は懲役6年。10万円の車上荒らしのために6年の懲役とは考えられないんで、逃走の過程で罪状が積み重なり、刑期がどんどん長くなったとしか思えない(余罪が発覚したのかも知れないけれど)。
発砲を命令した巡査部長。こいつはひどい。
部下が舞い上がって冷静な判断が出来る状況でないなら、いきなり「発砲、撃て!」じゃなくて、「タイヤを撃て!」とか、「威嚇射撃!」とか言えば良かった。この巡査部長が冷静だったら、誰も死ななくて済んだし、部下も「人を殺めたと」一生苦しむことはなかった。しかも、この巡査部長は起訴されていないので、裁判の場ではまったく何のお咎めもない。人間誰しもミスはあるけど、事件に関わった人の中で、この人だけが裁きを受けません。やりきれなさを感じます。ただまあ、罰がない代わりに償う機会も与えられないのは気の毒ではあります。
そして最後に、今回のような場面を想定していなかった法律、ですかね。
皆さんの判定はいかがだったでしょう?
「裁判員シミュレーション(2)。~判断材料~」へ
「裁判員シミュレーション(4)。誰にも語られなかった真相に迫る」へ