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明日は明日の風が吹くのだ

人生いつでも波瀾万丈

taka_mkivさんの主張。

2012-01-18 23:41:23 | インポート

taka_mkivさんの主張です。以下すべて、taka_mkivさんのコメント引用文。

「198円が2点で396円になります。」に対して。

初めまして。ちょっと気になる話題なので意見を書いてもよいでしょうか。

自分は義務教育時代の算数・数学で苦労した事があまりない側なので、予想されてる通り8×6も6×8も変わらないと考える側です。記事全文を拝読しましたが、少し気にかかる点があります。

そもそもこの問題は四則演算をもっと叩きこむ時期に、無駄な文章題を解かせていること自体が間違っている・・のではないかとすら考えます。分数やそ の結果理解できると期待される「単位」の理解を抜きに、ここで問われている文章題の内容は問われるべきではないと思うのです。少なくとも、この採点手段は 数学的にナンセンスな差別であること自体は議論の余地がありませんから、やはり教育のあり方そのものに問題があると考えます。ナンセンスなものを教えなけ ればならない時点で、今の算数教育は致命的な問題を抱えてると断定して良いのではないでしょうか。

その昔、日本では「読み書き・そろばん」をとりあえずやらせていた(そして、それで特に問題が生じたということはなかった)ことからも、小数や分数 を含めた四則演算の習得と、四則演算を実世界に当てはめる能力の開発には時間的なズレがあって構わないと思うのです。自分の場合を振り返っても、「とりあ えず計算力だけ身につけておく」というのは常に非常に有用でした。(高校で微積分で躓いた時も、意味がわからずとも計算力をつけて、それから考える問題に 取り組むようにしたところ、最終的には余裕を持ってクリアできましたので。)スポーツでも、基礎体力はあるだけ良いケースがほとんどなのと似ています。

話を今回の問題に戻すと、「かける数」「かけられる数」に分けるという発想がやはり問題なのではないかと感じます。特に「かけられる数」は行列じゃ あるまいし、と感じてしまいます。(3つ以上の掛け算を要求する自体にシームレスに対応できるのかも疑問です。)日本語の発想だと2つの数の掛け算であれ ば、だいたいのケースで掛け算の順番は自然と決まります。が、世の中には欧米式の順序で物を考える子だっているでしょう。( 2(枚)×4GB=8GB  で売られてるメモリなどからも、順序はお国柄というか、「人に依る」ものだと考えられます。)日本に育ちながら、たまたま欧米式の発想で考えた方が本人に とって楽・自然という子が、合理性のない理由によって貶められる必要もないと思います。そういう子は日本なら「まずいない」のは事実でしょうが、これは大 人に依る後付の理屈ではなく、実際にそういう発想の人は世界にまで話を広げれば多数派である可能性すらある存在であることは気にとめておくべきかと思いま す。

小学2年生に無理に文章題を解かせようとして、しかも変な所で出来ない子に「気を利かせて」こういう概念を設けてしまったが故に、こんなナンセンスな現象が見受けられるに至ったのではないか・・と感じます。

もし、どうしても掛け算を習ってすぐにこのような文章題も解かせたいというのならば、答えを導くにあたって「何と何をかければ答えに至るか」と「単 純な四則演算」を切り離すことを教えるべきです。「一人あたり何本」と「人数」をかければ答えに至ることこそが問題の本質であって、一人が何本もらえるの か・もらえる人は何人いるのか、はケースバイケースでそれ自体には意味がありません。そして、何と何をかければいいのかを理解した上でなら、掛け算は順序 を入れ替えても結果は同じという性質を利用させることを教えるべきなのです。

この場合の利点は、「何と何をかければ良いか」を考えさせることが習慣付けば、次のステップである「単位」の概念も分数さえ習えば抵抗なく理解でき るであろうと期待できることです。かけ算の順序自体がどうでもよいという真実に目覚めてしまった子の【「なんでもいいから、かけとけばいい」という発想】 への対処法が必要になりますが、これは実に簡単で「文章に全く関係ない数字を混ぜて3つ以上の数字を登場させる」だけでよいのです。(e)にある意見を重 視するなら、こういうことを最初の頃からすべきです。ほんとに最初の5~10問くらいは「とりあえず2つ出てきた数字をかければいい」という問題で肩慣ら しをさせて、ちょっと行ったら考えさせる。こうするだけで奇っ怪な順序で悩む必要は消え去るのではないでしょうか。

私も何度か家庭教師をやっていて、そこで「信じがたい底辺側の学力」の子に教えた経験もあるが故に、どうしても気になってしまい書いてしまいました。

ところで、コメント欄のコミュニケーションだとかの話で思ったことがあります。それは「契約書に特約で書いてあれば何でも有効になるか?」という話 で、実社会では「あまりに不合理な内容はそもそも無効」という判断が定着しつつあります。そこから考えると、先生が事前に宣言していたからというだけでこ の問題は片付けられないと考えます。(こちらは私の仕事柄、契約書をよく作成するので気づいた話です。)

以上、長文失礼致しました。

横槍ですみません。前回に引き続きお邪魔します。

Q4で交換法則を習っていないとのことですが、九九で習ったことはツールとして使ってはいけないのでしょうか。(二桁×一桁やその逆が出てこないという前提ですが)九九を習った段階で、順序を入れ替えても結果が変わらないことは教えられているに等しい状態です。

それはさておき・・
『担任教諭はテストの前に「教えた順番通りに書きなさい」と教室の全生徒の前で宣言した』ことが今回はキモのようです。しかし、この発想で行くと 「6×8=14」と教えた先生がいたとして、その先生が「自分が教えたことに反することはバツだ」と宣言すればその内容は無条件で有効になるのでしょう か。前回コメントで特約云々と述べたのはそういうことです。私はさすがに「限度」があると思います。

今回の教師の行動は「テストは習ったことを問う」とは別で「教師の言うことに無条件で従うかどうかの踏み絵」に近い性質なのではないかと感じます。これを是とするには一市民として抵抗があります。

突きや絞め落としを例に挙げておられますが、何よりも「若年層には危険すぎる」というだけで広く理解を得られていると思います。ルールに定めがある その「背景」までもが理解されているが故に広くそのルールが受け入れられているのだと思います。今回の件は教師の「宣言」がルールとなるのでしょうが、そ のルールの背景が広く理解されるにはほど遠いことが問題です。(100%は数学的真理云々を切り離せない背景がここにあります。)また、競技のルールな ら、「納得できないからそのルールの大会には参加しない」という選択肢があり得ます。が、義務教育で行われているテストに参加しない、というのは選択し得 ないことも考慮に入れるべきではないでしょうか。

あと、「8人に1本ずつ6回配る」ではなく、単に「8人に6本ずつ配る」という日本語で件の娘さんは理解できてしまうがために8×6=48と答えた ようにも感じます。また、小学2年という極めて初等的な段階で、「ずつ」という単位の概念に限りなく近い発想のみを使える相手に、今回の件はそもそも問わ れるべきではないのかもしれません。それこそ直感的に「これは掛け算で答えが出るな」ということだけクリアしていれば良しとするのが正解だったように思え ます。式を書かせたことで、掛け算を用いていることは明白です。6+6+・・・=48と書かなかっただけ、99%教えたことは理解していたはずなのです。 残り1%の「先生の言うことを聞かなければ全てバツ」だけは理解できなかったようですが・・。

今回の件は教育という観点で考えて、やはりあるべき姿勢からはかけ離れているように感じられました。

これ以降は長文控えます。すみません。

メールのやりとり以降ROMになってしまっていました。
厚かましいことこの上ないかとは思いますが、今年もよろしくお願いいたします。

自分が30ちょいという微妙な世代なので、この日記に書きこんでいいのか怪しいところですが、簡単に一言二言。(・・のつもりがまた長い・・ 本当にすみません。)

「個性は自分で伸ばすもの」・・実に耳の痛い話ですが、まさにその通りです。が、個性を伸ばすにも「それなりの素養・土台」が必要だとも思っていま す。公教育における国語や算数・数学はその土台を提供するものだと思っています。なので、個性以前にその個性の土台となるであろうものにヒビを入れてしま う可能性が多いにあるやり方はあって欲しくないな、と思うのでした。(最初の198円が2つで~の記事につけたレスでは「個性かもしれない」、という論点 を用いていましたが、今振り返るとその説得力には不満があります。議論が発展した故に、今では不十分な切り口になっている気がします。)

この土台・基礎を作り上げるべき段階で深刻な躓きに遭遇すると、もはや個性云々を期待できる次元にすら達しない現実があります。そういう事態だけは 避けたい。(その極端な例として、そもそも人間としての教育機会に恵まれなかった狼少女・・を引用しようと思ったのですが、wikipediaで調べると 今は「狼少女は詐欺的なつくり話」という説が強いようなので止めておきます。言いたいことの論拠を失ってしまったのですが、それとなく言いたいことは察し てもらえると勝手に期待しつつ。)

教育は、教師が知識を生徒に一方的に与えるだけのものではなく、(教師から生徒への流れが主たるものであることは変わらないにしても)その過程にお いて教師自身も教えられる・教育されていくもの、と思います。同じように教育システムも、過去の様々なやり方を通して得たフィードバックを糧にして、日進 月歩していくものだと思います。システムという側面からすると、「教育は技術」でもあるので、基本的に古い時代のものよりも現代のものは進歩していると期 待したいところです。(期待できます、とは言えないところが悲しくもあり、むず痒くもありますが。)

「褒めて伸ばす」を基本戦略に据える教育システムは、今まで日本で行われてきた大半の教育システムよりも優れている・・と私は思っています。特に幼 少期においては、もう少し自己を肯定的に捉えられる傾向を伸ばすべき時期だと考えられますので、いびつな評価方法で(その時点で教師が置かれている状況を 優先して捉えると、それなりの説得力があることはわかってきたのですが)ダメだしをするやり方に、やはり賛成しきれない部分があります。

少し角度は変わりますが、ノーベル賞を受賞した小柴さんの言葉に「そのころ(中学1,2年)の子供というのはその先生が好きだからその先生が教える 教科が好きになる。その逆じゃないですよね。」というものがあります。これは中学生の頃を指した話ですが、小学校の話にも十分準用できる話だと思うので す。「答えがあっていると褒められるからその教科が好きになる」という感じです。(先生が嫌われていないことが必要条件ですが、低学年の小学生は中学生ら に比べて無垢ですから、そう簡単には嫌われていないはずだ・・と考えました。)教える側としても、その教科を好きになってもらう方が助かるはず。故に、苦 労してダメだしのための理論武装をする位なら、如何に子供を褒められる機会を日常的に見出すか、に知恵を絞ったほうが価値的だと思います。

「いくら理不尽に踏みつけても伸びてくるほどの個性だけが求められていて、そんな状況に置かれても伸びてくる個性こそが国の命運を握っているから、敢えて 国の命令でそういう教育システムを敷いてる」 なんていう別解を本気で示されたら・・ 「ちゃんと伸びなくてすみません」と謝ってしまいそうですが・・ (←少し弱気


真理を追求する皆様に質問。
に対して。

すごくいまさらなのですが、一応大学・大学院で物理を学んでいたのにスルーもまずいかと思うので端的に述べますと・・

「物理は近似の学問」という考え方というか本質があります。古典物理の近似が成り立つ範囲である限り、ニュートン力学(古典物理)は紛れも無く真実 です。(逆の例えになりますが・・、例えば量子力学では、なんでもかんでも簡単に波動方程式で原子・原子核レベルの現象を表現できるかというとそういう訳 でもありません。新たな原子核モデルや近似を持ち込んだりしないと、複雑怪奇な自然現象の現実には立ち向かえません。実世界における実用性は十分である量 子力学ですら、「真理」の領域になるとそんなものです。)

そして、古典物理が通用する範囲は極めて広範囲に及びます。(統計などが絡む領域は大の苦手なので詳しく語れませんが、熱力学の奥底に本気で突っ込 みだしたりしない限り、)少なくとも応用の分野であり実社会で使われている学問でもある工学の大半は古典物理の知識で十分です。

以上の2点から、高校でニュートン力学を教えていることには十分な合理性があります。タイトルにある真理という面でいうのなら、1点目にあげた近似云々が特に大事かもしれません。


ぎんさんの主張。

2012-01-18 23:29:28 | インポート

ぎんさんの主張です。以下、全文ぎんさんのコメントから引用。


「考えて」さんに返信。
に対して。

教えてもらってないことを回答したらアウトっていう姿勢が日本の没落を招いていると思うんですよね。微積使って物理の問題といて何が悪いってことです。

8×6も6×8も同じだということを教えることの方がずっと重要で、式と答えが(数学的にあっていれば)正解とする方が正しい姿勢だと自分は考えます。

もちろん数字を取り違えたりしてもたまたま当たることもあると思うけど、そしたら他の問題では間違えて、そこに気づくはず。そのために問題はたくさんあるのだから。

では聞きます。かける数、かけられる数。数学的に区別できますか?

dは定義になりませんね。かける数、かけられる数は区別できません。

さらに進めば、区別できないっていう誤謬の上に区別をつけようとすれば、b、”未証明の概念を用いて次の論理段階に進んではならない。”に反しますね。つまりaに反しますね。

証明っていうのは小学校2年生がわかるとかわからないとかそういう議論ではないのですよ。純粋に数学的にキレイなものであればそれが正しいのですよ。

好みでいえば、自分は数学的なキレイさが好きなんです。小学生がどうかとかは関係ないです。小学生にもそこを理解して欲しいと思います。だって真理だから。AB=BA(ただし自然数)。キレイでしょ?

 


真理を追求する皆様に質問。に対して。

ニュートン力学、量子論、相対論、矛盾しますね。でも数学とは別問題では?


おいらも色々考えた。

2012-01-16 19:37:53 | インポート

極めて偏った内容ですが、その時それなりに一生懸命考えて書いてきました。取材量が少なく基礎知識が不十分ですから、その辺りを補っていただけるコメントは大歓迎です。考える基盤となるべき知識が増えれば結論が異なってくると思いますから、一方的な結論批判のための批判はご容赦くださいね。中の人、話せばわかる人のつもりですので。特に国防・原発関連のものは、内容は稚拙であっても、それぞれの作品の発表時期を御覧いただくと、どれくらいの覚悟で書いたものかは容易にご想像いただけるかと思います。

算数教育関連記事。~個性を伸ばす教育~
「198円が2点で396円になります。」というエントリーがGIGAZINEで紹介されました。「6×8と8×6は違うのか?」に端を発して、算数から教育、処世術などあちこちに話題が飛びます。

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主に時事問題をヒントにしたショートショートです。短いので、お暇な時にでも。個人的なお気に入りは「世界の中心で我意を叫ぶ。」ですね。手が込んだ仕掛けをご用意したのは「デマ3部作」ですが、ちょっとヒネリすぎたかも。算数教育小説もここに収録。

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最高の生徒役。~数学の本質さんへの返信を通じて~

2012-01-14 14:13:00 | インポート

これまでの一連の算数記事で、HN「数学の本質」さんが果たして下さった役割が非常に大きいことは、読者の皆様にも容易にご理解いただけると思っています。

自分は、算数教育についての議論を管理人として進行する一方、議論への参加者やギャラリーの皆さんに何の断りもなく、ブログでの討論を勝手に「バーチャル授業」に見立てて、管理人自身の「教育者としての潜在能力」の証明につき合わせるという、かなりヒドイことをやってきました。その辺りについて、茉莉花さんへの返信で「茉莉花さんだけに水をかけるのは不公平だと思っていますので、次回の記事では算数関連記事にコメントいただいた皆様もれなく全員にカオサン並み(行ったことないけど...笑)に大水を浴びせかけるべく仕込みをしています」と書いています。ただし、このコメントの後半部分にもあるように、「悪気は全くないんですが、この方法でしか今後の話が展開出来ないので、その辺の事情を汲んでいただき、皆様にはお許しいただきたいと思います。どちらかというと、皆さんに水がかかるというより、そういうことする自分の人間性が問われかねない感じ」と書きました。それで、前回のエントリー「最高の妙手」で、管理人の教育能力を証明する必要性を説明させていただいています。事前にお断り出来なかった理由ですが、これは極めて簡単で、議論の前に「これから自分が先生役でバーチャル授業を始めます」なんて言ったら、誰もコメントしてくれなくなるから。「アホか、なんでお前が上やねん」と。なので、ディスカッションでのコミュニケーション能力、説明能力を証明出来れば、教育能力の間接的な証明として納得してもらえるだろうと考えました。

さて、授業ということであれば、「脱線」はつきものなので、本題に入りもしないうちから、余談をひとつ挟みます(笑)。

お気づきの方もあるかも知れないのですが、今回自分が採用している「教育問題を語る資格を証明する」というアイデアは、一連の記事の中で既に述べられています。若者向け記事「個性を伸ばす教育」なるもの。~頑張れ、若者よ~の中で、筆者は龐統という人物を例に引いて、「能力があっても、それを証明する努力をしなければ無為である」という話をしています。その次のおっさん向け記事では、上司の動かし方も書いてみました。

謙遜が美徳とされる日本人の感性には合わないところもあるのですが、能力の証明をしないと自分のやりたい方法で仕事を任せてもらうことはなかなか出来ないのです。まず上司が強要する古いやり方で上司以上にうまくやって見せて認めさせ、上司を褒めて動かし、そしてその次の段階として自分の思うアイデアを採用するように誘導するというステップを踏むと良い、と自分は書きました。

「誘導」というアイデアは、「『やってみてわかったんですが、こうしたらもっと良くなったりしますか?』って訊いてみな。」という形で、上司に決定させるという表現に込められています。「こっちでやりましょうよ」ではなくて、上司自身が自分の判断で良いアイデアを採用したという手柄をとらせる形にして「いい気分」にさせる一方、決定したのは上司なのだから、何かあれば責任は上司に押し付けるという(笑)、少々狡猾なやり口です。

ま、そんなこんなで、「訊いてみな」のようなたった一言の表現にだって、色々考えて書いてます(笑)。ブログ記事ですから、字数の関係でアイデア全部は記事に盛り込めないのですが、行間を読む人には分かってもらえているはず。

それで、今回の「バーチャル授業」の流れは、まさに若者向け記事、おっさん向け記事に書いた通りのアイデアをなぞって実行しているのです。結果として成功したかどうかは分かりませんが、方法論は自分が書いた原則通りです。「古い方法だと思っても、まずその通りにやってみせる」ことは、ディスカッションでは「相手の考え方をきちんと理解していることを、相手に分かるように示す」ってことです。それがある程度は実行されていることは、無記名さんがコメントしてくださってます。ここでお互いがお互いの考え方を理解しているという確認が出来たので、議論が次の段階に進んでおり、新たな批判が発生しています(内容割愛)。この無記名さん、直前のコメントでは誤解のもとに筆者を「わかってない」と痛烈に批判し、「トランプ配り」のリンク先までご紹介いただいたのですが、そのおかげで世間には根強い「トランプ配り信仰」があることがわかったので、その洗脳を解く記事として 「それでも「うちではトランプ配り」と仰る方に。」が生まれました。有り難いお話です。蛇足ですが、今回の算数問題を取り扱う中で、「討論相手に一方的で痛烈な批判を加える人ほど、何かと見落としが多い」という印象も受けていますね。まあ、理由は分からんでもない。

「相手のアイデアが、相手の考える背景の中では成立することを認める」のは、「上司を褒める」ことに相当します。これをやらないと、「アイツは俺の言う事をわかってないクセに、批判だけはしやがる」になって、何かと不毛になります。なので、今回のディスカッションでも筆者は頂戴した意見ほとんどに「あなたの視点から見れば理解出来ますね」という内容が返信の中に読み取れるようにしてあるはず、です。その上で、「でも、別の視点から見るとこうなりますよね」と書きます。

そういうことで、今回の議論に対して自分が立てた討論戦略は、「結果が間違っていても、方法が正しければ部分点を与える」という教育界の原則に照らせば、部分点はもらえるはず。ただまあ、その方法だって「人として倫理的に正しいかどうか」という判定基準に照らせば怪しくなってきますけれど、とりあえずそういう計画で始めちゃったんだから、もうこのまま押し切るしかあるまい。

で、やっと本題に戻って生徒役のお話です。

HN「数学の本質」さんは、バーチャル授業の生徒役としてはホントにあり得ないくらい理想的なんです。以下に理由を列挙しますが、表現に失礼あればご指摘とご容赦を。

・まったくの初対面(馴れ合いや阿吽は存在しない)
・知識欲旺盛である
・納得するまで絶対に話をウヤムヤに流したりしない
・自分の意見と違っていても、正しいことは正しいとちゃんと言う
・みんながよくやる典型的な間違いを、期待通りに犯してくれる
 (失礼...m(__)m)
・それを指摘されても決してへこたれず、頑張って解決して次に進む
・匿名なので、もし管理人のコメントが「やり過ぎ」になっても、実生活に
 迷惑をかけなくて済む

どうでしょう?これ以上理想的な生徒役、鐘や太鼓で探したって絶対に見つかりっこない。なので、彼には本当に感謝しています。

で、こんなこと書いちゃったら、数学の本質さんが今後コメントしてくださるかどうかわかんなくなっちゃいますが、まずはとにかく再度お礼をしようと思ったわけでした。

んで、期待通りの「よくある間違い」については、次回以降ゆっくりお話して行くことにしましょうか。ただし、質疑応答で止まっていた議論全体の流れをそろそろ動かしたいので、「よくある間違い」の話は数学の本質さんからのコメント状況次第で。あ、タイトルと記事内容見直したら、まだぜんぜん返信してねえや(苦笑)。

算数教育関連記事。~個性を伸ばす教育~ INDEX
おいらもいろいろ考えた。INDEX


算数教育関連記事。~個性を伸ばす教育~

2012-01-13 20:03:57 | インポート

「198円が2点で396円になります。」という記事を発端にして、算数をとりまく教育問題について、「個性を伸ばす教育」という観点を交えて皆さんと一緒に考えてみました。下記のリストは時系列順です。取り扱う内容があちこちに飛びますので、理論体系を基準に順序を組み直してもよいのですが、コメントを含めて時系列でお読みいただかないと、インターネットブログの特性を利用した伏線、仕掛けがご理解いただけないので、あえて時系列順に列挙します。中の人的には、時間が勿体ない方には「198円が2点で396円になります。」「かけ算の授業。~おはじき編~」の2編を御覧いただければ大枠は把握出来るはずと思っていますが、釈然としない方は関連記事を個別にお読みいただければ。

「198円が2点で396円になります。」
発端の記事はこれです。かけ算のテストで順序が求められたことに納得いかない親御さんのブログを見て書きました。ネタ元は、リアルではお目にかかったことのない、とある方のtwitterから。

「考えて」さんに返信。
上記記事にHN「考えて」さんから頂戴した短いコメントに対する返信。短いコメント文に対して、筆者がその説明に要した文字数は膨大(苦笑)。一部の優秀な子よりも、全然分からなくて途方に暮れる子を重視したい。

「算数問題でお越しいただいた皆様に。」
なぜか「198円~」記事がGIGAZINEで紹介され、通常の「コメント受信・即返信」対応ではまったく収拾つかなくなってきたので、読者の皆様にお願い。

「それ、真理なのかい?~8×6は違憲合法~」
一見真理に見えるものでも、その真理同士が矛盾する事がある。その場合、どちらを優先すべきだろうか?

「真理を追求する皆様に質問。」
高校でニュートン物理学教えてますけど、いいんでしょうか?(全文)

「テストってなあに?~目的と手段、授業と絡めて~」
テストは点数をとって喜ぶためのものではなくて、勉強した内容を児童一人でもちゃんと実行出来るかを確かめるためのもの。原発のストレステストを例に。習った通りの考え方でなくても、きちんと理解していて答えが出せるなら、テスト中じゃなくて授業中に先生に聞いてみよう。きっと褒めてくれますよ。

「算数問題でお越しの皆様に(その2)。」
返信遅延のお詫び等。

「直感性の検証。~単位は大事~」
「6×8」と「8×6」、いずれがこの問題を直感的に説明出来るか?数式を使って検討してみました。単位を無視してはいけません。

「それでも「うちではトランプ配り」と仰る方に。」
「『8×6』でも『トランプ配り』で理由付けが出来るのだから、バツにするのは間違いだ」と仰る方が多いので、「子供はたぶんそう考えてないと思いますよ」というお話。「お菓子配り」はもはやかけ算の問題ですらないことにも言及。ただし、「お菓子配り」は算数以外の面でメリットがあるので、小さい子のいる家庭では用いる意義があるでしょう。

「算数問題、中間まとめ。」
「誰が何を言っているのか分からない」との一読者の声を受けて、これまでの議論の流れを整理しておきました。「『6×8』『8×6』のどちらでも理由が付けられるから『8×6』にもマルを与えるべきだ」という方に対する説明は既に終っていますが、「かける数もかけられる数も存在しないのだからマルだ」という方はまだ納得していないであろうことを、ここで確認しています。

「『個性を伸ばす教育』なるもの。~頑張れ、若者よ~」
「8×6を認めないなんて、『個性を伸ばす教育』はどこへ行った!」と憤慨される方が多いので。そんなもん、個性って言うんかいな?という筆者の思いを、若者への激励の言葉に託しました。本来「おっさん」が読むことを禁止していますが、読んじゃってもクレームコメントつけなきゃOKってことにしています。個性は自分で伸ばすものであって、伸ばしてもらうもんじゃない。「自分のことを棚に上げて、なんでも社会のせいにする腐った大人になるな」とのメッセージ。

酔っぱらいの部屋。~頭の固いおっさんのみ入室可~
若者向けの記事を書いたので、今度はおっさん向けに書きました。

「反抗ということ。~誰のために逆らうのか~
誰のため、何のために逆らうのか?自分ひとりが褒めてもらえないから教師に逆らうなんて、小さい小さい。職業軍人だったウチの爺ちゃんの実話を紹介。

「1/4000。~「伝えること」の難しさ、議論の楽しさ~」
コミュニケーションは大事です。どんなに言葉を重ねても、思いや考えを伝えることは難しくて、その過程では相手の発言の背景を読み取ることが極めて重要。その難しいことをやらなければならないのが、究極のコミュニケーションである「教育」です。「相手の立場で考えよう」という文字を読んでもらうことは出来ても、それを実行に移せるほどに理解してもらうことがどれだけ大変かを、「198円~」記事を読んだ初対面4000人の中から、わずかに「数学の本質」さんただ1人しか言葉通りに実行してくださる方がいなかったことを例にとって紹介。また、議論の醍醐味についても、HN「数学の本質」さんのコメントを御覧いただければと思います。

「個性を伸ばす教育(2)。~茉莉花さん、#kyo31さんへの返信を通じて~」
尾崎豊、ウチの祖父。バランスに欠けた人を完全否定するなら、それは「個性を伸ばす教育」を支持する人の発言とは矛盾してしまう。また、やりたいことを何でも好き放題やらせることが「個性を伸ばす教育」ではない。プロになりたいほど歌が好きな子には、本人が嫌がっても楽譜を読む訓練をさせてやるのが個性を伸ばす教育なんじゃなかろうか。

「最高の妙手。」
ディスカッションにおける最高の妙手とは?

最高の生徒役。~数学の本質さんへの返信を通じて~
ほんと、HN「数学の本質」さんがいらっしゃらなかったら、今回の議論は絶対に進められなかったです。本当に感謝。

かけ算の授業。~おはじき編~
かけ算の授業をBroccobirdがやったらどうなるか?小説仕立てにしてみました。そんなにうまく行くはずないって?まあまあ、小説ですから。