Tsukuba Scientific, Bridge Seminar

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花粉まみれの中でウクライナを学ぶ

2023年03月08日 | 照千楽園
 
バフムトの美しかりき建物 [左]プーチン前、[右]プーチン後

ヒットラーもスターリンもここまではやらなかった。🗡

バフムトとは、マホメットのことだそうな。。(本稿は主にWikipediaに依る。)

後者はいつ頃からだったかムハンマドと言うことになったし、正式な音声・音韻学のことは知らねども、子音のBとMの親縁性は、ボンベイとムンバイ、ビルマとミャンマー、漢字の馬主の馬と馬子の馬の例を見ると入れ替われるのでしょう。そうするとマホメットであるムハンマドがバフムトに変わることも有りかということでしょう。

あの辺の地名は全く訳が分かりませぬが、意味が分かったら、これまでよりも共感出来るやも知れませぬ。

やっと覚えたマリウポリは、彼のエカテリーナ女帝が、後継皇帝の嫁さんのマリアの町と命名したという。言われて見ればポリは都市のポリスに通じる。

ドネツクはスターリン時代は「スターリノ」だった。それならプーチンが取りたがるわけだ。で「プーチノ」とするのが夢だろう。否本人としては、手が届き掛けているつもりだ。ドン川の支流のドネツ川に因みフルシチョフが1961年にドネツクに改称した。

日本人にとっては記号に過ぎないような名前の町に、長い歴史と由緒と先祖代々の住民が居ることに、感慨を覚えます。

だんだん面白くなって来ました。もう一つくらい行きますか。

ハリコフとハルキウは、私は幸い人生で敬遠して来れた「鍼灸」のハリキュウを手掛かりにして、ペアにしてやっと覚えました。毎日その看板を否応無しに見せつけらながら帰宅するので。

さて由来は❓

ん❓❓❓  実は同一都市⁉️ 前者はキエフのようにロシア語、後者はキイウのようにウクライナ語ということなのですねえ。由来の一つは、平凡にハリコフ川からと言う。

もう一つは最初の入植者が「ハルク」という名前だったからと言う。更に平凡だとせせら笑いかねない貴方や貴女は、傲慢です。

1655、6年にウクライナ・コサックの集落が出来た。将軍綱吉、クロムウェル、鄭成功の時代ですね。彼等はウクライナ貴族の不満分子が中央を離れたものだったから、馬賊として強かったし、組織の身分制と一定の文化も持って居た。印象的なのは、

🖤ウクライナ・コサック第一のポリシーは「自由と平等」で、これに反する者はその身分に拘らず社会から追放された。(Wikipedia)

彼等の血筋か精神を受け継いで居る者が居たら、頼もしい。もしかしたら今のウクライナの抵抗の背景にそれも有るのか。


🗡 ヒットラーは、ユダヤ人虐殺以外は、労働者が皆買えるようにフォルクスワーゲンを開発させたように存外人道的だった。労働者のアパートも有名なのが残っていて、観光対象になっている。毒ガスはガス室には使っても、戦争には使わなかった。

一方で「カチンの森」の虐殺はスターリンがやって、バレる迄ヒットラーのせいにしていたし、シベリア抑留者に限らず、少数民族やインテリゲンチャ層を虐殺したり、大量死させたりした。プーチンの「スターリン性」を認めたがらない日本の左翼的インテリゲンチャはまだまだ多かろうが。

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