今日の『忍たま乱太郎』は、ドクタケ忍者の稗田八方斎(ひえたはっぽうさい)が軍船を作ろうと言いだした話で、船造りにこき使われていたのはドクタケ忍術教室の講師・魔界之小路(まかいのこうじ)先生でした。
まかいのこうじ先生!まかいのこうじ先生!と劇中何度も名前を連呼されたので、馬飼野康二(まかいのこうじ)先生が連呼されてる~(笑)とテレビの前でオオウケしました。
もちろん、魔界之小路先生は、音楽家の馬飼野康二先生がモデルです。
(「勇気100%」をはじめ、『忍たま』の殆どの楽曲が馬飼野先生の作品です)
ちなみに、馬飼野康二先生は、愛知県豊橋市の出身で、魔界之小路先生も三河国出身という設定になっています。
地元では、松平健が豊橋の出身だと誇らしげに語る人が大勢いますが(まぁ、豊橋ふるさと大使ですし~)、私的には、馬飼野康二先生の方が、偉大な豊橋出身著名人だと思っています。
特にアニソン史上燦然と輝く『戦闘メカ ザブングル』のOP曲、ED曲、挿入歌、劇場曲は、私の中に揺るがぬ金字塔を打ち立てている名曲中の名曲です。
最近は、お笑い芸人のはんにゃが、豊橋のお隣の田原市の出身だということが、しばしば語られます。・・・が、何故か、馬飼野康二先生が豊橋出身だということを語る豊橋人は全くと言っていいほどいません。歌謡曲史にも、大きな金字塔を打ち立てた大先生だというのに、ざんねん~
まかいのこうじ先生!まかいのこうじ先生!と劇中何度も名前を連呼されたので、馬飼野康二(まかいのこうじ)先生が連呼されてる~(笑)とテレビの前でオオウケしました。
もちろん、魔界之小路先生は、音楽家の馬飼野康二先生がモデルです。
(「勇気100%」をはじめ、『忍たま』の殆どの楽曲が馬飼野先生の作品です)
ちなみに、馬飼野康二先生は、愛知県豊橋市の出身で、魔界之小路先生も三河国出身という設定になっています。
地元では、松平健が豊橋の出身だと誇らしげに語る人が大勢いますが(まぁ、豊橋ふるさと大使ですし~)、私的には、馬飼野康二先生の方が、偉大な豊橋出身著名人だと思っています。
特にアニソン史上燦然と輝く『戦闘メカ ザブングル』のOP曲、ED曲、挿入歌、劇場曲は、私の中に揺るがぬ金字塔を打ち立てている名曲中の名曲です。
最近は、お笑い芸人のはんにゃが、豊橋のお隣の田原市の出身だということが、しばしば語られます。・・・が、何故か、馬飼野康二先生が豊橋出身だということを語る豊橋人は全くと言っていいほどいません。歌謡曲史にも、大きな金字塔を打ち立てた大先生だというのに、ざんねん~