Bravo! オペラ & クラシック音楽

オペラとクラシック音楽に関する肩の凝らない芸術的な鑑賞の記録

12/25(金)クリスマスのコンチェルト演奏会/青木尚佳・中桐望・萩原潤・他/精鋭たちにによる夢の饗宴

2015年12月25日 23時00分00秒 | クラシックコンサート
音楽ネットワーク「えん」第4回コンチェルト演奏会
Concertos at Christmas


2015年12月25日(金)18:45~ 渋谷区文化総合センター大和田・さくらホール 自由席 1階 1列 12番 4,500円
指 揮:橘 直貴
オーボエ:最上峰行
クラリネット:大成雅志
ホルン:大森啓史
ファゴット:井上直哉
ヴァイオリン:青木尚佳
バリトン:萩原 潤
ピアノ:中桐 望
管弦楽:特別編成オーケストラ
主 催:音楽ネットワーク「えん」
【曲目】
モーツァルト:オーボエ・クラリネット・ホルン・ファゴットのための協奏交響曲 変ホ長調 K.297b(最上/大成/大森/井上)
ブルッフ:スコットランド幻想曲 作品46(青木)
マーラー:さすらう若人の歌(萩原)
ショパン:ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調 作品11(中桐)

 本ブログでもずーっと告知を載せていた、音楽ネットワーク「えん」主催による「第4回コンチェルト演奏会」がようやく開催の運びとなった。人選や選曲などコンサートの根幹部分ではないが、準備段階の当初から会場運営に至るまで、様々なカタチで関わって来たので、この日を迎えるにあたっては感慨深いものがある。まぁ、ここで裏方の苦労話を書いても仕方がないので、やはりコンサートの内容について話を進めていこう。

 このコンサートが企画された主旨についても省略するが、なぜクリスマスになったのかというと、コンチェルトだけのコンサートを開くに当たって、ソリストとして選ばれたヴァイオリンの青木尚佳さんとピアノの中桐 望さんのお二人が海外留学中のため、同時に帰国していてブッキングできるのがこの時期しかなかったからである。コンサートを開くには良いような悪いような微妙な日であり、週末で、月末で、年末で、クリスマス当日で・・・・。出演する方も聴きに行く方も大変忙しいし、イベントも多い日なので、心配事も多かったかが、けっこう沢山のご来場者があり、演奏の素晴らしかったので、結果的には大成功であった。

 音楽ネットワーク「えん」は、「小規模」「非営利」「手作り」を基本に、リサイタルや室内楽のコンサートを開催しているが、今回は本格的な協奏曲のみのプログラムを組むために、特別にオーケストラを編成した。60名に及ぶオーケストラは、過去に「えん」のコンサートに出演したことのある人たちから選定されていて、音楽大学・音楽高校の学生さんからプロのオーケストラの団員やソリストに至るまで、実力中心のメンバーたちである。音楽コンクールの上位入賞者や海外留学経験者も多い。コンサートマスターは、大阪フィルハーモニー交響楽団と名古屋フィルハーモニー交響楽団のコンサートマスターを兼務している田野倉雅秋さんが務めてくれた。力強い助っ人である。指揮は橘 直貴さんである。これらの皆さんを「えん」代表の佐伯 隆さんがひとりで組織化した。その広い人脈とプロデュース力にはまったく脱帽する思いである。

 曲目は3曲の協奏曲と1曲の声楽曲。「コンチェルト演奏会」といっても、3大協奏曲のような、いわゆる名曲コンサートにはせずに、ソリストの個性や能力に合わせた選曲にしたので、珍しい演目も含まれることになった。

 1曲目は、モーツァルトの「オーボエ・クラリネット・ホルン・ファゴットのための協奏交響曲」。偽作の疑いが強く、モーツァルトではないかもしれないが、良い曲には違いない。ソリストが4名必要であり、偽作の疑いもあり、有名ではあるが演奏されこる機会はあまりない曲だ。CD等では聴いたことがあっても、ナマの演奏を聴くのは初めて、という人も多かったのではないだろうか。独奏を受け持つのは、オーボエが最上峰行さん、クラリネットが大成雅志さん、ホルンが大森啓史さん、ファゴットが井上直哉さんで、いずれもプロとして活躍中の皆さんである。皆さんエロイカ木管五重奏団のメンバーでもある。
 第1楽章が始まると、いかにもモーツァルトっぽい音楽の中、古典的な協奏風ソナタ形式で、まずはオーケストラだけでふたつの主題提示部となるが、オーケストラの演奏がクオリティが高いことに気づく。とくにモーツァルトの時代を意識したような演奏ではなく、十分にロマン的な濃厚な音色が出ているが、弦楽の緊密で透明なアンサンブルは、とても臨時のオーケストラとは思えない程の一体感がある。そこに4名のソロが互いに絡み合うように入って来る。変ホ長調として調性は、管楽器が美しく鳴る。オーボエが軽快に転がるように歌うと、対向側からクラリネットが伸びやかに応える。間に挟まれた位置で、ホルンが滑らかに旋律をなぞり、ファゴットがとぼけた味わいを見せる。前に並んだソリスト4名が室内楽を演奏し、オーケストラとの協奏関係を見事に創り出していた。
 第2楽章は緩徐楽章になるがこちらも変ホ長調で書かれていて、その辺りが偽作を疑われる理由のひとつにもなっているようだ。穏やかな主題をそれぞれのソロ楽器が交替で演奏するように展開していく。4種類の楽器の音色の違いが鮮やかな色彩感の変化をもたらし、穏やかな曲想の中にも絢爛豪華な雰囲気を生み出しているのは、やはり4名の演奏の質感が、音色も表情の描き方もとても上手いからであろう。
 第3楽章も変ホ長調で、変奏曲形式。主題の提示はオーボエが中心となり、木管四重奏のような緊密なまとまりと連携を見せる。非常にリズミカルで、音楽の流れがとても良い。4名がひとつになって、大らかで自由な精神に溢れ、豊かに、しなやか、質感の高い演奏を聴かせ、逆にオーケストラの方は、しっかりとした硬めのアンサンブルでまとまっていて、ソリスト達とをうまく浮き上がらせている。多方面にバランスの取れた素晴らしい演奏であったと思う。珍しい曲を最前列の目の前で聴くことができたのも得難い体験であった。

 2曲目は、青木尚佳さんによる、ブルッフの「スコットランド幻想曲」。ブルッフはヴァイオリン協奏曲を3曲書いているが、第1番があまりにも有名で人気があり、私なども毎年複数回は聴いていると思うが(今年2015年3月に尚佳さんも東京ジュニアオーケストラと共演している)、第2番と第3番が演奏される機会はほとんどない。むしろこの「スコットランド幻想曲」の方が、時々はオーケストラのコンサートでプログラムに載ることがある。親しみやすく美しい旋律の宝庫であるスコットランド民謡のいくつかを題材にして、ブルッフが独奏ヴァイオリンとハープを加えたオーケストラのための協奏曲風に作った曲であり、「幻想曲」としたのは協奏曲の形式にとらわれずに、序章と4つの楽章という自由な形式になっているからである。
 尚佳さんは、ご承知のように、高校生の時に日本音楽コンクールに優勝して、大学はロンドンの王立音楽大学へ留学。昨年2014年に大ブレイクして、中国国際ヴァイオリンコンクールと、ロン=ティボー=クレスパン国際音楽コンクールでともに第2位に入賞した。現在もロンドンに留学中のため、日本ではまだまだ演奏する機会が少ないのが現状だが、今回は特別編成のオーケストラをバックに珍しい曲に挑戦してくれる。実は私もこの曲をナマで聴くのは初めてなのである。
 実は、前々日のリハーサルを少しと、今日のゲネプロも聴いていたので、仕上がり具合はあらかじめ分かっていたつもりであったが、やはり本番の演奏は違うものである。リハーサル2回(2日)しかなく、ゲネプロだと合わせても本番が通して演奏する4回目(これは他の人たちも同じ条件)。短期間に仕上げる集中力もスゴイが、やはり本番での緊張感と集中、そして爆発が音楽に生命を吹き込む。極めて正確な音程と弱音から強音まで質感の高い均質な音を出すことができ、その上で豊かな歌心のある節回し。そこにはためらいも葛藤もなく、明るく大らかに歌い、瑞々しい生命力に溢れているのである。そして何よりもスゴイと思うのは、まだまだ伸び白があるということだ。聴く度に確実に上手くなっていくのが実感できるのに、また次回に期待を残す。現在の立ち位置は新人ヴァイオリニストなのだから、当たり前といえばそれまでだが、現在の完成度の高さも誰しもが認めることなのに、その上での伸び白があるように感じられるので、将来どこまで伸びるのか、楽しみなのである。
 さて肝腎の演奏の方は、まず重々しく序章が始まりソロ・ヴァイオリンががすすり泣くように入って来ると、辺りが急に濃厚なロマンティシズムに染められていくような感じになる。オーケストラ側がどちらかといえば端正で律儀な造型なので、尚佳さんのヴァイオリンが細やかなニュアンスを持って歌っているのが浮き彫りになるのだろう。
 続けて演奏される第1楽章はAdagio cantabileになり、抒情的で詩的な曲想である。曲全体を貫く主題が濃厚な音色のヴァイオリンで提示される。スコットランド民謡「森を抜けて、若者よ」が素材になっていて、極めて歌謡的な旋律だ。オーケストラが引き締まった分厚いアンサンブルで、雰囲気を盛り上げる。ハープの分散和音も、しっとりとした佇まいの中にある。ヴァイオリンの艶のある音色が感傷的な叙情を誘うように濃厚に歌っていた。
 第2楽章はスケルツォ楽章に相当する3拍子で、「粉まみれの粉屋」という民謡が題材になっている。躍動的で数新緑のある主題をヴァイオリンが元気に弾けば、オーケストラが全合奏で強いアクセントを付ける。尚佳さんのヴァイオリンはあくまで明るく、大らかで瑞々しい。終盤に第1楽章の主題が回帰してきてロマンティックに静まっていき、そのまま第3楽章へと続く。
 第3楽章は「ジョニーがいなくてがっかり」が主題となり、再び緩徐楽章となる。主題は極めて歌謡的で、息の長い民謡風の美しい旋律。感傷的で抒情的。それがヴァイオリンによって、切なげに歌い、ロマンティックに嘆く。主題が変奏されてオーケストラに引き継がれていくあたりはヴァイオリン協奏曲第1番にも似た雰囲気がある。オーケストラが引き締まったアンサンブルのままクレシェンドしていくと、なかなかドラマティックな装いを見せた。
 第4楽章は「スコットランドの民よ」というスコットランドのもうひとつの国歌ともいうべき有名な民謡で、元気の良いフィナーレである。これもヴァイオリン協奏曲に似ていて、ヴァイオリンのソロでハギレ良く主題が提示され、オーケストラに受け継がれていく。縦横に駆け巡るヴァイオリンは、明るく躍動的で、劇場的なドラマティックになるかと思えば、時にはハッとするような抒情性を描いたりする。こうした表現力の幅の広さや、主題を変奏していく際の正確な技巧と押し出しの強さは、音楽に深みと彩りを与えてくれる。最後に第1楽章の主題が回帰してきて、劇的なフィナーレ!! 会場から一斉にBravo!!の声が上がった。
 オーケストラもパンチがあって素晴らしかったし、尚佳さんの伸びやかなヴァイオリンの音は、弱音でも強音でもよく通っていて、存在感をしっかりと主張していた。素晴らしい演奏だったと思う。Bravo!!間違いなし!!

 休憩を挟んで後半は、バリトンの萩原 潤さんによるマーラーの「さすらう若人の歌」である。この曲もオーケストラのコンサートで全曲演奏されることはそれほど多くはないものと思われる。楽曲はマーラーが作詞・作曲した初期の傑作である。「さすらう若人eines fahrenden Gesellen」というのは、親方(Meister)の称号を得るためにドイツ語圏を渡り歩いた遍歴職人のこと。当時のドイツにはそういう習慣ががあった。ここでは、恋人に捨てられた嘆き、哀しみ、葛藤を歌っているので、「若人」と訳されることになったようである。第2曲と第4曲の旋律が、後に交響曲第1番「巨人」の第1楽章と第3楽章に転用されていることも知られている。マーラーの声楽曲に馴染みがなくても、「巨人」を知っていれば親しみやすいはずである。
 萩原さんは日本の声楽界でもトップクラスのバリトン。東京二期会や新国立劇場を中心に数々のオペラに出演している他、ソリストとしても活躍している第一人者である。今日のコンサートでは、ちょっと異質な曲目と存在になってしまったが、さすがと思わせる見事な歌唱を聴かせてくれた。ソフトで甘い声質で、しっとりとした情感を込めて歌う。技術的にも、声量も、ドイツ語の発音も、表現力もまったく申し分のない出来映えで、トップ・プロの実力を見せつけられた感じである。

 最後は、中桐さんによるショパンの「ピアノ協奏曲第1番」。今日のコンサートの中では、唯一、誰でも知っているような名曲であるので、楽曲についてはあえて説明は必要ないだろう。
 中桐さんは主にショパンの研鑽を積むためにポーランドに留学中で、ショパンの生まれた国の環境に身を置くことによって、勉強だけではない多くの音楽的な世界観を吸収している最中なのであろう。現在の演奏も素晴らしいが、将来への期待度の高い存在でもある。2009年の第78回日本音楽コンクールで第2位、2012年の浜松国際ピアノコンクールで第2位(日本人では歴代最高位)に入賞し、注目を集めた。私は、ちょうど1年前の2014年12月28日に「えん」主催のサロン・コンサートで初めて彼女の演奏を聴いた。その時もショパンが強く印象に残っている。その後はポーランドに戻ってしまい、今年2015年4月に一時帰国して浜離宮朝日ホールでデビューCD発売記念のリサイタルを開いた。その時はオール・ショパン・プログラムで、メインにはピアノ協奏曲第2番を室内楽版で演奏している。こうして中桐さんは、私の中では「ショパン弾き」というイメージが強くなっていったのである。
 第1楽章、主題提示部がオーケストラのみで延々と続く。この部分のシンフォニックな雰囲気は割と好きなのだが、今日のオーケストラはピリッと引き締まった弦楽アンサンブルととくに木管群の質感の高さなどから、ちょっといつもとは違う印象で曲が始まった。室内オーケストラ的な緊密なショパンである。そしてピアノが入って来る。中桐さんはやや抑制的に、音量も少し抑えめだろうか、出だしもガツンと叩かないし、第2主題などもサラリとしたイメージで、むしろ淡々としたショパン像を描き出している。過度に思い入れて抒情性を煽るようなことはなく、むしろ淡々とスコアに忠実に演奏することで、楽曲の本質的な美しさを強調しているようにも思える。音質的にも低音部を抑制的にしているために、全体に軽めのイメージで仕上がっていたようである。高音部は音の粒立ちが均質で、ガラス玉を転がすような煌めきがある。またオーケストラが硬めのアンサンブルでカッチリした演奏をしているので、ピアノの自由度が少し奪われていたのかもしれない。全体の印象は、緊密でちょっと律儀な演奏、といった感じだ。
 第2楽章は緩徐楽章。弱音器を付けた弦楽の柔らかい序奏に続き、ピアノで美しい主題が提示される。左手の分散和音に右手で旋律を乗せるといった単純な構成だが、音楽が単純化されているだけに、表現力勝負の楽章である。中桐さんのピアノは、比較的インテンポを保ちつつ、その中で淡々と主題を変奏させていくが、微妙に変化する情感の表現が淡い陰影を生みだし、抒情をそそる。音質は極めて透き通っていて、美しい。個人的には、もっと濃厚に歌わせる方が好きではあるのだが・・・・。
 第3楽章はロンド。この民族舞踊的なロンド主題だが、中桐さんの演奏はディテールまでしっかりと音が構築されているといった印象で、ちょっと教科書的すぎるような気もする。弾む心や気分の高揚感というような感じが少なく、冷静で、造型が固い印象も感じるのだ。しかし一方で、演奏はひとつの音も無駄に流すようなところはなく、すべての音符にはっきりとした意志を込めて演奏していることはよく分かる。また最前列のピアノ下(鍵盤側)で聴いていたので、ピアノをちょっとでも雑に弾くと、音が荒れるのがよく分かってしまうのだが、今日の中桐さんの演奏ではそのようなことが一度もなく、この席位置で聴いている割りには、極めて美しい音に支配されていた。
 中桐さんのピアノは、非常にシッカリしている反面、自由度が不足しているという印象もあり、またそれはオーケストラ側にも同様なことがいえるような気がした。もちろんこれは個人的な好みによる印象に過ぎない。会場は十分過ぎるくらいに熱狂していたので、聴き手に訴える力は強かったのだろうと思う。

 演目がちょっと盛りだくさんになってしまい、18時45分開演したのに、終了したのは21時30分という長尺のコンサートになった。さすがに4曲は多すぎたかな、とも思う。優れたソリストの皆さんと、特別編成とはいえ一級のアンサンブルを聴かせてくれたオーケストラの演奏も見事であった。ごく短時間のリハーサルで、珍しい曲を含めてキチンとまとめ上げた指揮の橘さんのチカラによるところも大きかった。また、コンサートマスターの田野倉さんが力量を発揮し、第2ヴァイオリン首席の水村浩司さんとアイコンタクトを交わしながらアンサンブルを集中させていく様子が手に取るように分かった。

 さて、コンサートは終わってみれば、成功といっていいだろう。企画段階からのプロセスをある程度しっているだけに、運営面で色々問題があったことも事実だが、何とか成功裏に終わらせることができて、感慨深いものがあった。しかし何より良かったのは、演奏が素晴らしかったことであり、聴きに来てくれた大勢の方たちも概ね満足されたことと思う。私の友人達も、初めて「えん」のコンサートを聴きに来た人も含めて、皆が大絶賛してくれた。ありがたく思うと共に、とても嬉しい。年末を締めるコンサートとして、とても充実した2時間45分であった。

 従来ならここで演奏家の皆さんとの交流の場面があり、記念写真などを掲載したいところなのだが・・・・。今日は、会場側との契約で、22時完全撤収であったので、実はステージの雛壇をバラしたり椅子を倉庫に片付けたりと、大わらわ。何とか22時に全員がホールから退出することができたという次第だ。だから写真の1枚も撮る間すらなかったのである。また後日、関係者の方々から写真をお借りできたら掲載しようと思う。

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