【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

現代の探検家《河江肖剰》 =006=

2017-05-17 06:16:02 | 浪漫紀行・漫遊之譜

○◎ Great and Grand Japanese_Explorer  ◎○

新たなピラミッド像を追って、エジプト考古学の魅惑の世界=河江肖剰=

= Webナショジオ_“河江肖剰-新たなピラミッド像を追って”より転載・補講 =

☠ 発掘調査と先端技術によって、古代のピラミットの実像に迫る ☠

◇◆ 第三回 情熱あふれる発掘のプロたち = 1/2= ◇◆

世界中で、1カ所、発掘現場を選ぶとすれば、迷うことなくギザのピラミッドを選ぶ。 その場所にいま自分がいる――レーナー隊に入り、ピラミッド・タウンの発掘を始めたとき、最もいたい場所で、したいことをしているという高揚感は、これまで覚えたことがないものだった。

 夜明け前に起きて朝食を食べ、住んでいたカイロ市内のアパートから、ギザのディグ・ハウス(Dig House=宿舎兼研究室兼アーカイブ保存所)へ向かう。 早朝のミーティングに参加し、その日のチーム全体の動きや注意点を聞いた後、他のメンバーたちとともに機材を持って、トヨタの古いハイエースに乗り込み、ぎゅうぎゅう詰めになりながら現場へと出発する。

 ギザの現場はいつも清涼としていた。 凛とした冷たい空気。 民族衣装を着たエジプト人の人足たちの歌声(彼らは威勢をつけるときに皆で歌う)。 つるはしで地面を削る音。日の出前の透き通るような青から、徐々に赤みを帯びてくる空。 朝日に照らされ、燃え立つように赤く染まるピラミッド。 掘り返されたばかりの足下の遺跡。ここにいるだけで幸福感が強く、静かに湧いてきた。

 レーナー隊には、実に20カ国以上の様々な国籍の人たちが参加していた。 彼らの多くは、発掘や製図や写真を生業とする専門家で、エジプトだけでなく世界中の現場を渡り歩き、プロジェクトごとに雇用契約を交わす、言わば考古学におけるプロの傭兵のような人々だった。

 彼らはミッションからミッションへ、季節ごとに、世界中を渡り歩く。 例えば、1月から4月まではエジプト、5月から7月まではイギリス、8月から9月はトルコ、10月から12月はバーレーンと。

 この連載前記第一回に書いたように、エジプト学と考古学は似て非なるものである。 ピラミッド・タウンの現場には、エジプト学者がほとんどおらず、大半は考古学者だった。 ちなみに現場では、彼らは、自分たちのことを考古学者ではなく、ディガー(digger=発掘家)と呼んでいた。 それは、発掘に重きを置く現場主義の自負と、学者でありながら、いつも砂や泥にまみれている照れのようなものがあったからだ。

 ディガーのなかには、エジプトの歴史をまったく知らず、「あそこに見えている2つのピラミッドって、どっちがクフ王のものだっけ?」と聞いてくるメンバーもいたが、彼らは層位(地層の時間的関係)や遺構の切り合い関係(どちらが新しく、どちらが古いかを示す、重複の痕跡)を読むことに長け、丁寧に発掘し、きめ細かく記録をとることができるプロだった。

 あるインタビューのなかで、レーナー博士は、自分のチームのことを聞かれた際、次のように答えている。

「このチームを一言で表すのであれば、“マーベリック”だ。 そして、我々の原動力は“パッション(情熱)” だ。 夜明け前に起き、日が沈むまで現場で働き、ディグ・ハウスに戻ってからも報告書や地図の製作、写真の整理など、真夜中過ぎまで作業している。それが数カ月間も続く。パッションがないと、とてもできない仕事だろう」

 マーベリックとは焼き印の押されていない仔牛のことであり、そこから、どの組織にも所属しない一匹狼を指すようになった。 レーナー博士は古代エジプト調査協会(Ancient Egypt Research Associates, Inc.)という組織を自ら立ち上げてはいたが、独立した研究者としての自負を持っていた。 そしてピラミッド・タウンの発掘メンバーも、そのほとんどが大学機関に所属している教員ではなく、プロの発掘家や専門家として働きながら研究している人たちだった。

 私はこのチームの一員になったことを心から誇りに思っていたが、大学では歴史学たるエジプト学しか学んでいなかったために、恥ずかしながら、発掘方法についてはほとんどなにも知らなかった。 そのためレーナー隊に入った後、知らないということを包み隠さず、分からないことがあれば、貪欲にあらゆることをメンバー一人一人に尋ねようと決め、ことあるたびに、質問を浴びせかけた。

 しかし、ありがたいことに、そういったことを嫌がるメンバーはここには誰もいなかった。 ベテランのメンバーである古植物学者のマリアンに色々なことを質問した後、「なんでもかんでも聞きすぎて、すいません…」と謝ったときには、「気にしないで。ユキ、あなたはパッションで有名だから」と笑われた。 そのときには、ほっとすると同時に、レーナー博士の話を思い出し、少し嬉しくなったものである。

///// ピラミッドの不思議 ///////

=不思議 その一= ピラミットの不思議なことは、東西南北を正確に向いている。 太陽や星の動きを参考にしていたとする説がある。 ギザの三代ピラミッドを例に挙げると、この三つのピラミッドは同時期に作られたものではないが、最初に作られたのはクフ王のピラミッドです。 このときの星の位置から計算していくと、残る二つのピラミッドの東西南北も恐らく太陽や星の動きから方向を決めたのだろうと推測できます。 しかし、太陽や星の動きを参考にすると年代が違うのでズレが生じてくる。

確かに3~14分のズレが生じていますので、太陽と星の動きを基準にしたのではないかと言われたが、反論する説もあります。 このズレの差を計算すると、クフ王のピラミッドは定説よりも古くなければいけないのです。 こうして様々な説が論じられているが、結局は解明されていないのです。

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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