◆ 8月07日な君は明日か明後日か明明後日の予習をした方がいいかもしれない。いやはや、“松崎しげるの日(日本記念日協会認定)”なんだ!!?。 ◆ いやいや、ロリコンで妹萌えな某守護天使によれば、本日は世界人類の最も聖なる日である妹の日とのこと。 ◆ パレスチナのゲリラが、一遍に5機の航空機をゲットする快挙を達成(1970年= PFLP旅客機同時ハイジャック事件)。ヨルダンの砂漠へ全機集めたものの、使い途に困り結果的に爆破処分する破目に。
◎ ◎ シリーズ・登山家の横顔 = 英国の才児 / ジョージ・マロリー = 【 03/9 】 ◎ ◎
=【 閑仁耕筆 】 冒険記譜・挑戦者達 | シリーズ・登山家の横顔=004-② | 2014-03-21 =
《ジョージ・マロリーのエベレスト挑戦》 http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=gR0aWPQZa_0
☆ エベレスト ☆
1953年5月29日、ヒラリーとテンジンがエベレスト(海抜高度8848m)初登頂に成功する事から遡る事29年、1924年に、このジョージ・マロリーがエベレストに初登頂していた可能性がある。 エベレストは登山家なら一度は挑戦してみたいと願う山だが、人間が足を踏み入れるには非常に過酷な地・第三の極地である。
ここで、エベレストがどのような山であるか、説明してみよう。 まず、標高について・・・・
7500メートル以上の高山では、酸素は平地の三分の一(1/3)となり、高山病(頭痛・吐き気・倦怠感・眠気・めまい)や肺水腫(呼吸困難・咳き込み)、脳水腫(無気力・精神錯乱・方向感覚喪失・昏睡状態)にかかるリスクが非常に高くなる。
また、超高所では紫外線も強烈で、そこで見る太陽は巨大な光の球の様に映る。 雪面は、その紫外線を反射するので、サングラス無しでは すぐに重い雪盲に罹ってしまい視界を奪われる。 もし、サングラスを外して太陽を見つめたなら、10分足らずで網膜は火傷を負い、完全に失明してしまうと言うのだ。
エベレストではこうした高山特有の症に加え、滑落・雪崩・天候悪化による遭難などによって2008年の時点で、約200名の登山者が命を失い、また、その遺体を回収する事も困難な場所であるとされている。 エベレストの頂上付近まで行くと、登山者の疲労と酸素欠乏は甚だしく、本人が動けなくなると、大抵そのまま放置されて死を迎えねばならない。
このような危険な場所では、ろくに動けない人間を担ぐなり、引きずるなどして、下山させる事は不可能に近い。 エベレストには座り込んだままの姿で、疲労凍死した登山者の遺体が散らばっている。 以上の様な条件から、7500メートル以上の超高所はデスゾーンと呼ばれ、死の危険・死神との同行を余儀なくされる。 また、このような高所では、休息をとったとしても体力の回復は進まず、むしろ長く留まるほど衰弱してゆき、それはテントの中であったとしても、そこに留まっている限り、人は徐々に死んでゆくしかないのです。
高山病にかかっても誰も助ける事はできず、それでも助かりたければ自力で下山し、高度を下げる他回復する術は無い。 マロリーは、そのような過酷な山に現代では考えられないような貧弱な装備で挑み、少なくとも8600m付近までは登ったとみられている。
1924年6月8日、当時38歳のマロリーは22歳のパートナー、アーヴィンと供にエベレスト頂上直下270メートル付近を登っているところを、遠征隊のメンバーであるノエル・オデールによって目撃されている。 やがて2人は、雲に包まれて見えなくなり、その後、完全に行方不明となった。 マロリーがエベレスト登頂を果たしたかどうかは、世界の登山史上最大の謎となり、それは現在でも明らかとはなっていないのです。
話の先を急ぐことなく 今一度、マロリーがエベレスト山麓に現れるまでの経緯を確認しておこう。
1865年 “尊敬する前長官のサー・ジョージ・エベレスト大佐 (Colonel Sir George Everest) は、すべての地形に現地での呼称を採用するよう、私に教えてきた。しかしこの山には、おそらく世界最高峰であろうこの山には、現地での呼称を見いだすことができなかった。もし仮にそれがあったとしても、私たちがネパールへの立ち入りを許可される前に、それが見つかることはないだろう。今のところ、この高峰を名付ける特権と責任とは、同等に私に委譲されているものと思う。この山の存在が、市民と地理学者に広く知られ、文明国家に深く浸透するかは、この高峰の名称いかんにかかっているであろう。
ー アンドリュー・ウォー(Andrew Waugh) -“と認めた手紙を発信した第一発見者のウォーによって、堺最高峰は命名された。
因みに、チョモランマ(チベット語: Chomolungma, Qomolangma、中: 珠穆朗玛峰 Zhūmùlǎngmǎ Fēng)、サガルマータ(ネパール語: Sagarmāthā)は現地での呼称である。
1922年、英国山岳会と王立地理学協会が組織したエベレスト委員会が第二次遠征隊をエベレスト北側のチベットに送り込まれた。 隊長にはかねてより宿願であったC・G・ブルース准将がつき、E・R・ストラット大佐を副隊長に迎え、前回参加できなかったジョージ・イングル・フィンチ、H・サマヴィル 博士や E・ノートン、同地方の地理にも詳しい医師のT・G・ロングスタッフ、 同じく医師のA・ウェイクフィールド博士、ブルース准将の甥でやはりグルカ連隊所属のG・ブルース大尉と同僚のJ・モリス大尉、さらに前回のメンバーであるマロリー、H・モーズヘッド、遠征隊の模様を映写機で撮影することになるジョン・ノエル 大尉らが選ばれた。
第二次遠征隊は三度の頂上アタックを行った。 7620mの地点に設けられた第五キャンプから第一次アタックチームを率いたマロリーは、酸素ボンベなどは信頼性が低いと考えてこれを用いず、サマヴィルやノートンらと無酸素で北東稜の稜線に達した。
薄い空気に苦しみながら、一同は8,225 mという当時の人類の最高到達高度の記録を打ちたてたが、天候が変化し、時間が遅くなっていたため、それ以上の登攀ができなかった。
次にジョージ・フィンチとウェイクフィールド、ジェフリー・ブルースからなる第二次アタックチームは酸素ボンベをかついで5月27日に8,321 mの高さまで驚異的なスピードで到達することに成功した。
ブルースの持っていた酸素器具の不調で第二次チームが戻ってくると、マロリーはフィンチ、サマヴィルと第三次アタックチームを編成して山頂を目指そうとした。 しかし、マロリーらがシェルパとともにノース・コル目指して斜面を歩いているとき、雪崩が発生して7名のシェルパが命を落としたため、一行は失意のうちにベースキャンプに戻り遠征は終了した。
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※;ジョージ・イングル・フィンチ(George Ingle Finch、1888年8月4日-1970年11月22日)はオーストラリアで生まれ、スイスのジュネーブ大学で物理科学を学んだ 。 フィンチは化学者であり、なおかつ優れた登山家であった。 その技術は、ジョージ・マロリーはフィンチと組まない限り登山隊に関わることを拒む程であり、登山における酸素吸引の先駆者的役割を果たした。
1921年、エベレスト委員会によって組織された第一次エベレスト遠征隊にフィンチは選ばれたものの、健康状態を理由に降板する。 しかし、翌年の第二次エベレスト遠征隊にフィンチは再び選ばれる=フィンチを入れるよう、ジョージ・マロリーが強く主張したとされる=。
第二次遠征隊は三度の頂上アタックを行ったが全て失敗に終わる。 フィンチは第二次アタックチームとして第一次アタックチームの達成した人類の最高到達高度の記録を8321mまで更新した。 この結果により、ジョージ・マロリーは酸素器具に対する認識を改めたとされる。
フィンチは第三次アタックチームにも選ばれたものの、登山途中で雪崩が発生、七名のシェルパが犠牲となり、計画は破棄された。 そして、 1924年、第三次エベレスト遠征隊が組織されたものの、フィンチは離婚した際に不誠実だったという噂を根拠に選ばれなかった。 これは、フィンチがオーストラリア人であるという、国籍を本質的な問題とした人選であったとされる。
その後の1931年、アルプスでフィンチの友人三人が命を落とし、それ以降フィンチは登山を止める。しかし、 1938年、英国王立地理学会に入会。 フィンチは熱心なスキーヤーであり、1908年にアルパインスキークラブの創立メンバーだった。 1959年から1961年までアルパイン・クラブ会長を務め、息子は俳優のピーター・フィンチ。
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《Mallory and Irvine's Route to the Summit and Irvine's Final Resting Place.》 https://youtu.be/I_vx9CbD7rk
・・・・・・・・明日に続く・・・・・・
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