◆ スターやヒロインが互いに引き抜き合戦になるのを防ぐため、日本の5大映画会社でカルテルを結成(1953年=五社協定)。 ◆ フランスが生んだ死刑器具のギロチンがこの日を限りにお役御免となる(1977年)。 ◆ 木村剛の銀行商売がぶっ潰れ、財務省がその尻拭いをさせられる破目に(2010年= 日本振興銀行が経営破綻)。
◎ ◎ シリーズ・登山家の横顔 = 英国の才児 / ジョージ・マロリー = 【 07/9 】 ◎ ◎
=【 壺公夢想 】 冒険記譜・挑戦者達 | 登山家ジョージ・マロリーの横顔=07/9= | 2015/10/26 =
☆マロリーの残した言葉☆
-1924年-、第3回遠征時の折に・・・・・・
「打ち負かされて降りてくる自分の姿なぞ、とても想像できない」
「それがどんなに私の心をとらえているか、とうてい説明しきれない」
「ほかの人達が私抜きで頂上の征服に取り掛かるのを見たら、あまり良い気持ちがしないだだろう」
「どれほど今年に期待しているか、とても言い表せない」
「もう一度、そして、これが最後。そういう覚悟で私達はロンブク氷河を上へ上へ前進してゆくく。
待っているものは勝利か、それとも決定的敗北か」
「この冒険はこれまでになく必死なものとなっていきそうな・・・」
等々、日記に記している。
6月6日、22歳の若いアンドルー・アーヴィン1人を連れてジョージ・マロリーは第4キャンプを出発、再びノース・コル経由で山頂を目指した。 2人はシェルパ8人を伴って第5キャンプ(標高7710m)を目指した。 ここに到着するとマロリーは書き付けを託して4人のシェルパを戻した。 書き付けには「ここは風もなく、見通しは明るい」と書かれてあった。
翌6月7日早朝、マロリーとアーヴィンと4人のシェルパは第6キャンプ(標高8230m)に押し進んだ。 ここでマロリーは再び書き付けを託して、4人のシェルパを戻している。
遠征隊の撮影係ジョン・ノエルに宛てた書き付けには、「親愛なるノエル。この晴天を利して、出発はおそらく明日早朝。当方の姿を探すのに早過ぎる事はないでしょう。午前8時にはピラミッドの下のロックバンド(頂上ピラミッドを取り巻く、灰色の石灰岩の帯)を横切っているか、もしくはスカイラインを登高中の予定」 記し、
ノエル・オデールに宛てた書き付け、「親愛なるオデール。何ともだらしない有様で誠に申し訳ない。出発直前に調理用ストーブを落としてしまった。 明日は明るい内に帰幕の予定にて、間違いなく早めに第4キャンプへ降ってもらいたい。 そちらのテントにコンパスを忘れてきた模様、力添えを頼む。コンパスなしでここに居る。 ここまで2日間で90気圧の消費、明日は、おそらく酸素ボンベ2本ずつで頂上へ向かうだろう。 これは、クライミングにはえらいお荷物だ。天候の方は理想的だ!」
・・・・・・今回のマロリーは、1922年のフィンチ隊の健闘を見て酸素器具に対する認識を改めて、自らも積極的に使うことにしていたのだ。 また、日記や連絡メモから 彼の登行意欲が高揚している事が覗える・・・・・・・
6月8日推定午前5時半、この日はマロリーが書いたように理想的な晴天に恵まれた。 マロリーとアーヴィンは第6キャンプを後にすると、頂上攻勢に出発した。 現在、エベレストを目指すにはネパール側からとチベット側からの二通りのルートが開かれているが、ネパール側からの方が難度が低いとされており、こちらが一般的に用いられている。 しかし、マロリーが挑んだのは、チベット側からのルートであり、行く先には数々の難所が待ち受けている。
イエローバンド=石灰岩の急な一枚岩の連なりで、砕けやすく、無数の岩屑が乗っている地帯=、ファーストステップ=高さ30メートル程のほぼ垂直な岩壁=である。 その後は強風が吹き晒す、危険な山稜ルートが山頂へと続く。
セカンドステップ=高さ30メートル程の岩壁で、ファーストステップより遥かに難しく、巡洋戦艦の切り立った艦首とも形容される。 岩場は特徴のある三つの部分に分かれていて、上部は垂直=である、この難所を超えると、技術的に困難な箇所はなくなる。 後は広い台地の緩やかな登りとなり、雪に覆われた山頂ピラミッドへと続く。 マロリーはコダック社のカメラを持参しており、頂上で記念写真を撮る予定であった。 さらに妻ルースの写真を頂上に埋めてくると言っていた。
ノエル・オデールは2人をサポートすべく単身第5キャンプ(7,710m)に登り、6月8日の朝8時過ぎに第6キャンプ(8,230m)を目指して登り始めた。 オデールはマロリーに頼まれたコンパスと2人のための食料品を届けるため第6キャンプに向かっていた。
その途中(高度8,077m付近)でオデールはふと顔を上げ、雲が晴れ上がって頂上が青い空の中に現れるのを見た、そこで目にしたものを彼は生涯忘れることがなかった。
“12時50分頃だった。 私が初めてエベレストで化石を見付けて大喜びしていたまさにその瞬間、空が突然晴れ上がり、エベレストの山頂が姿を現した。 私は山壁に1つの小さな点を見出した。 稜線上のとある岩の段差の下、小雪稜上に小さな黒点が一つ浮き出し、そのまま動いて行く。 また一つ黒い点が現れると小雪稜上の黒点に合流すべく、雪の上を進んで行く。 第1の点が岩の上にとりつくと第2の点も続いた。 これは明らかに人影であった。 そこで再び雲が山を覆い、何も見えなくなった。”
その頃、一つ目の黒点は、大きな岩の段差に接近しており、ほどなくその上に現れた。 二つ目の黒点も同じような動きであった。 幻想的とも言えるその光景はやがて雲に覆われてゆき、まもなく搔き消えた。 遠目にも分るほど、2人はてきぱきとした身ごなしで動いていた。 そこから山頂に達して第6キャンプに戻るまで、明るい時間がそう長くないと意識していたからだろう。 2人が目撃された場所は、頂上ピラミッドの基部からほど近い、よく目立つ岩の段差であった。
オデールが午後2時に第6キャンプへ到着した頃、風雪が強かった。 彼は、2人があの地点から山頂に辿り着くまで、後3時間はかかるだろうと見なした。 2人の下山が遅くなるのは確実だった。 だが、オデールは意志堅固なあの2人なら登頂を成し遂げ、「ついに征服した!」と知らせてくれるだろうと思い、さほど心配はしていなかった。
また、しばらくして戻ってくる2人が吹雪でキャンプを見付けられないといけないと考え、テントを出て口笛を吹いたりヨーデルを歌ったりしていたが、人の気配はなかった。 下山する2人のための用意任務を終えたオデールは、4時半に第6キャンプを後にし 第4キャンプへと降っていった。
下りながらオデールはたびたび山頂方向を眺めたが、下山する2人の姿はついに見ることができなかった。 その夜は晴れ渡っており、オデールは何か動きはないか、救難信号が出ていないか、と夜通し見張ったが何も見えなかった。 第4キャンプで1泊した6月9日の早朝から、双眼鏡で上部調べる。 しかし、2人の気配はまるでなかった。
雲も出始め、視界を遮る。 オデールはこの日の正午、嫌がるシェルパ2人を連れて、第5キャンプへの登行を決意、2人の捜索に向かった。 しかし、そこには誰もおらず、何も手がつけられていなかった。 オデールは、 “盛んに流れていくちぎれ雲をすかして、嵐を告げるような夕焼けが時折覗き、やがて夜の帳が降りるにつれて、風と寒さが募っていった。” と追憶している。
翌日の6月10日、 シェルパ達はこれ以上登るのを拒否したので、オデールは彼らを帰らせると1人で登っていった。 第6キャンプに辿り着いたものの、やはり2人の姿はなかった。 凄まじい風が吹き荒ぶ中、オデールはただ1人、危険を顧みずに山頂に向かって2時間進んで2人を捜索した。 だが、暗く重い大気の下、強風が吹き荒れるのみで、親しい友人2人の痕跡を見つける事はついに出来なかった。
オデールは捜索をあきらめ、下山に取り掛かろうとした時、山頂へ振り返った。
“それは冷たいよそよそしさで、私というちっぽけな存在を見下ろし、風の咆哮に乗せて、私の切なる願いを嘲笑っていた。 秘密を明かしてくれ、2人の我が友にまつわる謎を明かしてくれという私の切なる願いを・・・”
マロリーとアーヴィンはエベレストに消えた。 そして、彼らが頂上に到達したのかどうかは、世界の登山史上に残る謎となった。
※; マロリーとアーヴィンの最後の難関・セカンドステップの通過はオデールの証言以外にこれを証明するものはなく、彼らがセカンドステップにたどり着いたのかどうかわからない(ファーストステップ周辺には空の酸素ボンベや1933年に見付かったアーヴィンのアイス・アックスがあった)が、逆に言えばたどり着かなかったという証拠もない。
2001年に発見された第6キャンプの位置から、2人がそこから頂上に到達するのに11時間を要したと考えられる。 当時2人は2本ずつ酸素ボンベを担いでいたが、これは普通に使えば8時間分であり、おそらく頂上にたどり着く前に酸素がなくなったのであろう(もちろん、少しずつ使う、あるいは使わずにいくことも不可能ではないが)。
酸素ボンベのうち1本がファーストステップの手前で発見されている。 これをもとに彼らの移動スピードを推測すると、彼らがセカンドステップに到着したときの酸素残量はよくて1時間半。 セカンドステップから山頂まで少なくとも3時間かかるとすれば、酸素を切らさずに登頂するのは難しかったろう。
現代の登山家で無酸素登頂に成功している者もいるが、彼らは充分にトレーニングを積み、酸素をしっかりと吸い込んで最新の超軽量防寒着を着込んだ上、訓練されたシェルパの助けによって登頂している。 マロリーがもし登頂できるとすれば、アーヴィンをファーストステップで待機させた場合のみだが、そうするとマロリーの腰についたザイルの傷が説明できない。 ある者は2人がセカンドステップを諦め、北壁ルートをたどろうとしたのではないかと考えるが、傍証はない。
Lost On Everest - The Search For Mallory & Irvine. 1/5 https://youtu.be/Z7KyVKop3sc
・・・・・・・・明日に続く・・・・・・
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