【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

現代の探検家《河江肖剰》 =015=

2017-06-04 06:23:42 | 浪漫紀行・漫遊之譜

○◎ Great and Grand Japanese_Explorer  ◎○

新たなピラミッド像を追って、エジプト考古学の魅惑の世界=河江肖剰=

= Webナショジオ_“河江肖剰-新たなピラミッド像を追って”より転載・補講 =

☠ 発掘調査と先端技術によって、古代のピラミットの実像に迫る ☠

◇◆ 研究課題との縁 = 2/3= ◇◆

PEAKITとは?

 PEAKITとは、岩手県盛岡市に拠点を構える情報処理会社ラングが開発した、独特な3D形状データの表示方法である。 この技術を用いれば、デジタル標高モデルを演算することによって、「尾根構造」、「谷構造」、「奥行き」、そして物体表面に特定の角度で光を当てたときの陰影を表す「陰影起伏」情報を示す複数の2次元の画像を生成でき、それらを選択的に重ねて表示でき、建造物の構造を考古学的に理解できるようになる。

 この技術を開発したラング社の横山真さんと千葉史さんと出会ったのは、2009年、京都で行われたCIPAという国際学会だった。 私はそこでサッカラの階段ピラミッドやギザのケントカウエス女王墓の3D計測調査のプレゼンテーションを行った。 発表後、同じく発表者であった千葉さんから会場で話しかけられ、彼らが開発したPEAKITという技術を適用することで、新しい知見が生まれるのではないかと言われた。

 非常に魅力的な技術ではあったが、民間企業とどのようにタッグを組めばよいのか、その方法も距離感も分からなかったため、取りあえず、当たり障りのない答えを返しただけで、その場は終わった。 しかし2011年、今度は日本情報考古学会のシンポジウムで、また偶然にも発表者として一緒になったとき、再度、私たちのプロジェクトの手伝いをさせてもらえないかという話をいただいた。

 横山さんと千葉さんは、とにかく丁寧で、穏やかな人だった。 しかし、自分たちが開発した技術が古代エジプトの研究に役立つはずだという強い自負と熱意をほとばしらせていた。 私は、ボスであるレーナー博士と相談のうえ、ケントカウエス女王墓の3Dデータを渡してみることにした。

 結果、出てきた画像は、私たちの想像を超えていた。 それは、構造を示す谷構造や屋根構造が見事に表現されており、奥行き情報も瞭然で、直感的かつ論理的に理解できる2次元画像だったのである。 (参考画像;下図及び前記)

 そして今回、クフ王の大ピラミッドの洞穴と窪みの3Dデータにも、このPEAKIT技術の適用をお願いしたのである。

フランスで学会発表に挑む

 一般的に、この時代のピラミッドの組積造(そせきぞう、石材を積み重ねた構造)には下の図のように三つの仮説がある。 一つ目は、整形された石がきちんと水平に積まれている形。 二つ目は、石材がピラミッドの中心に向かって傾斜しながら重ねられ、レイヤー状の付加構造になっている形。 そして、三つ目は、内部に全体を支える階段状のコアがある形である。

 しかし、最終的に出てきた窪みと洞穴のデータは、これまで考えられていた大ピラミッド内部の組積造とは、まったく違っていた。(参考画像;下図及び前記)

=資料・文献=

エジプト・ピラミッド学(5) =真正ピラミッド=

スネフェルは更にダハシュールにおいて、勾配約43度で、側面が二等辺三角形の赤いピラミッドを建造。 これによっていわゆる真正(しんせい)ピラミッドの外形が完成した。スネフェルが1人で3つもピラミッドを築いている点から導かれる王墓説否定論に対しては、メイドゥームのピラミッドは勾配がきつすぎて崩壊、同様に屈折ピラミッドは一定の高さ以上にできなかったので挫折した妥協の産物でしかなく、最終的に43度のピラミッドが誕生した、という反論がなされてきた。

世界一高いピラミッドは、スネフェルの次のクフ王によって紀元前2560年頃にギザに築かれたギザの大ピラミッドで、勾配は51度52分。底辺は各辺230m、高さ146mに達する。またこれは14世紀にリンカン大聖堂の中央塔が建てられるまで世界で最も高い建築物であった。

第2位のカフラー王のピラミッドもこれに匹敵する、底辺215m、高さ143.5mである。この2つに隣接するメンカウラー王のピラミッドは何故か規模が縮小し、底辺108m、高さ66.5mである。この王の威光が前二代の王と比してさほど劣るものではなかったと伝えられることから、縮小の理由は謎とされている。

3つはギザの三大ピラミッドと呼ばれ、世界有数の観光地となっている。これらのピラミッドはもともとは表面に石灰岩の化粧板が施されており、(現在のような段状ではなく)傾斜のある滑らかな面でできた四角錐で、全体が白色に輝いていたのだが、遺跡を保護するという概念がなかった時代に、その化粧板が剥がされてカイロ市街地の舗装に使われてしまい、現在のような姿となった。化粧板は現在ではカフラー王のピラミッドの頂上辺りとギザのピラミッドの土台元に僅かに残っているのみである。 また、ピラミッドの頂点にはベンベン石(キャップストーン)と呼ばれる四角錐状の石が置かれた。

 

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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