【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

現代の探検家《河江肖剰》 =005=

2017-05-15 08:49:36 | 浪漫紀行・漫遊之譜

○◎ Great and Grand Japanese_Explorer  ◎○

新たなピラミッド像を追ってエジプト考古学の魅惑の世界=河江肖剰=

= Webナショジオ_“河江肖剰-新たなピラミッド像を追って”より転載・補講 =

☠ 発掘調査と先端技術によって、古代のピラミットの実像に迫る ☠

◇◆ 第二回 マーク・レーナー博士との出会い = 2/2= ◇◆

 当時、ピラミッドに関する主な研究は、何百万個とも言われている石材の運搬方法や、あるいは宗教の発展についてだったが、レーナーはまったく違う視点でピラミッドを理解しようとしていた。 彼はピラミッド建築を、人間が実際に行う「建造プロジェクト」として見ようとしていた。 ピラミッドを造ることは、周囲の地形に途方もないスケールでの変化を引き起こしたはずであり、そのことを示す人為的な痕跡(特に傾斜路、石切場、港、居住地)がギザ台地のどこかに必ず残っているはずだと考えた。

 この仮説を証明すべく、レーナーはギザ台地全体を改めて測量し直し、その得られた遺構と地形の情報からスフィンクスの南400メートルほどに位置する「鴉(からす)の壁」に注目した。 自然石でできた長さ200メートルのこの壁の南側を発掘したところ、見事、ピラミッド時代の居住地である「ピラミッド・タウン」を発見したのである。

レーナー博士に直談判

 このレーナーの講演をカイロの国際交流基金で聴講したのは、大学4年生のときだった。 そのときの興奮を今でも覚えている。

 私たちの前に現れたレーナーは、発掘現場の熱気をそのまま身にまとった人物だった。 彼が説明する古代のギザ台地は、4500年前の人々の動きが生き生きと見えるようで、それはこれまで自分が知っていたこととはまったく違っていた。

 レーナーは、過去のピラミッド研究は仮説ばかりが提示され、地形や地質を考慮した現場のデータがなく、特に「人間」という重要なファクターが抜けていることを強調した。 そして、息もつかせぬストーリー展開で「ピラミッド・タウン」を発見するまでの過程と、最新の発掘状況について語ったのだった。

 講演会が終わり、レーナーと講演を企画した関係者と共に食事をすることになった。 私はこれまで彼の書いた50本ほどの論文や報告書をすべて読み込み、ファイリングしていたため、食事をしながら、これまで読んできた中で疑問に思ったことをあれこれと質問してみた。 レーナーは「これまで書いたものを一つにまとめると、ここまで分厚くなるのだな」と笑いながら、丁寧に質問に答えてくれた。

 質問の後に、卒業後はどうするつもりだと聞かれた。 私は、一息つくと、冷静でいながら熱意のこもった口調で(あらかじめ、この質問を想定し、実は何度も答える練習をしていた)、「できればどこかの発掘調査隊に入りたいと思っています。 ただ、まず卒業する前に、カイロ・アメリカン大学の自主研究(independent study)の制度を利用して、私が現在最も興味を持っているレーナー博士のギザ台地マッピング・プロジェクトへ参加させてもらうことはできないでしょうか?」と尋ねた。

 レーナーは、ファイリングされた自分の論文と報告書に手を置きながら、私の目をじっと見ると、「きみにやる気があるのであれば、歓迎しよう」と言ってくれた。

ギザのピラミッド群

ギザの共同墓地はエジプトの首都カイロの郊外にあるギザ台地の上にある。 この古代の遺構の一群はカイロの中心街から20kmほど南西のナイル川のほとりにあるギザの旧市街から8kmほど砂漠に入ったところにある。 この古代エジプトの共同墓地はギザの大ピラミッドカフラー王のピラミッド、比較的小さめなメンカウラー王のピラミッド、そしてそれらに付随する、王妃のピラミッドとして知られるたくさんの建築物、スフィンクスで構成されている。

エジプト第4王朝期に建てられたピラミッドは王への信仰と権威を強調するためのものであった。 それらのピラミッドは墓所、そしてファラオの名前を人々の記憶に永遠にとどめておくために建造された。 その大きさと簡素なデザインはエジプトのデザインと大規模なものに対する工学の技術の高さを示している。

紀元前2580年に完成したと言われるギザの大ピラミッドはピラミッドの中で最も古く最も巨大なものであるが、世界の七不思議の中で唯一現存するものでもある。 カフラー王のピラミッドはカフラー王の治世末期である紀元前2532年頃にできたとされており、カフラー王は先祖のピラミッドの隣に自分のピラミッドを建てることに執念を燃やした。

彼のピラミッドは彼の父のものほどには高くなかったものの、ピラミッドの基礎を約10m父のものより高い場所に作ったことにより彼のピラミッドの方が高いような印象を与えることができた。

ピラミッドを建てるにあたって、カフラーは墓所の守護者として大きなスフィンクスを造らせた。 ファラオを想起させる人間の顔にライオンの体というデザインは神性を表す象徴として500年後のギリシャ国家で見られるものである。 スフィンクスは砂岩の巨大なブロックを彫って造られたもので、高さは約20mある。 メンカウラー王のピラミッドは紀元前2490年前後に建てられたものでその高さは3大ピラミッドの中では最も小さい約65mである。

太古にはギザ台地は海の底であり、石灰質の生物の死骸が長い時間をかけて堆積し、その後隆起し、石灰岩の台地が形成された。 そのためギザ台地の石灰岩は硬い層と柔らかい層が交互に積み重なっている。

胴体の凸凹は硬い層より柔らかい層が風化により差別侵食された結果である。 それに加え、ギザ台地はその由来から塩分を多く含み、毛細管現象により表面に析出した塩分が膨張することで表面が脆くなって剥離し、大スフィンクスは建造以来常に、そして現在も、崩壊し続けている。 そのためその歴史において度々修復されており、そのおかげでかろうじて現存しているともいえる。

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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