【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

550年後、目覚めた英国王=42=

2016-02-21 17:34:48 | 歴史小説・躬行之譜

○◎ 「忠誠がわれを縛る」 ・ リチャード3世 ◎○

◇◆ 残された謎/ 消えたふたりの王子 ③ ◆◇  = ヘンリー・テューダー犯人説 =

  では、前記のように 王子殺しの犯人がリチャードではないとしたら、真犯人はいったい誰なのか。 そこでリチャード擁護派が名前をあげるのは、ヘンリー・テューダーである。 暗殺事件を解くカギは、それによって誰がいちばん利益を得るかということだ。 犯人は、その犯行によっていちばん利益を得る者か、そのそばにいて利益を共有するものである。 リチャード3世に、自分の王冠を守るために王子たちを殺さなければならないという理由があったならば、それと同じくらいヘンリー・テューダー(ヘンリー7世)にも、王子たちを殺さなければならない理由があった。 王冠を手に入れるためである。

 すでに記したように、ヘンリーの母親マーガレット・ボーフォートは、エドワード3世の四男ランカスター公ジョン・オヴ・ゴーントと彼の3度目の妻キャサリン・スウィンフォードとのあいだにできた息子サマーセット伯ジョン・ボーフォートの孫になる。 サマーセット伯は、母がまだランカスター公の愛人のときに庶子として生まれ、その後、母が正妻となったために嫡出子あつかいされるようになった。 しかしこの家系には、ランカスター家の王位継承権は認められてはいなかった。

 ところが、ヘンリー5世、6世とつづいたランカスター家本流の男子直系が断絶してからは、ランカスター派の期待は、いっきにヘンリー・テューダーに集まっていった。 しかし、ヘンリーの体に流れている王家の血は、母から受け継いだものもだけで、それもきわめて薄いものだった。 そこでヘンリーの母親は、エドワード4世の長女エリザベス・オヴ・ヨークに目をつけ、息子を彼女と結婚させようとたくらんだ。 そうすることによって、テューダー家にヨーク王家の血を呼び込み、王家の血を濃くしようとしたのである。 さらに、リチャードに反発しているヨーク家の支持者をも取り込もうとしたのである。

 ヘンリーはというと、彼自身の王権のあやふやさをおおい隠すために、あえてリチャードを簒奪者と決めつけた。 そしてみずからの王家の血の薄さを補うために、ヨーク王家のエリザベスと結婚しようとしたのである。 しかしそのためには、エリザベスが庶子であっては困るのである。 庶子の家系の血では、テューダー家の血を補強することにはならないからである。

 そこでヘンリーは、即位するとすぐに、「エドワード4世の子供は庶子であり、リチャードが正統な王である」とした王位継承令を廃止した。 これでまず、「エリザベスは正統な王家の人間である」としたのである。 ところが、エドワード4世の子供たちは庶子ではないとなると、エドワード5世の王位は正統なもので、その弟ヨーク公リチャードにも正統な王位継承権があることになる。 ここで矛盾が生じてしまうのである。 エドワード5世の王位が正統なものであると認めると、リチャード3世が王位簒奪者ならば、ヘンリー自身も簒奪者になってしまうからである。 

 ではどうしたらいいのか。

 エドワード5世とその弟は私生児ではないとして彼等の王位継承権は認めるが、ふたりが存在しなければいいのである。 ヘンリーにとっては、ふたりが生きていては困る。 都合が悪いのである。 こうなると、ヘンリーには、王子たちを殺さなければならない理由が十分にあったのである。 そこで、王子ふたりを殺し、その罪をリチャードに着せれば、それこそ一石二鳥である。 リチャードは王位簒奪者で王子殺しとなり、ヘンリーはそれを討ったことになるからである。

 では、いつ、どうやって殺したのか。

 ひょっとしたらティレルか。 じつは、彼に王子殺しを命令したのは、リチャードではなく、ヘンリーだったのではないか。 トマス・モアのいう「リチャードの命を受けてジェイムズ・ティレルがならず者を使って王子たちを殺した」という説は、いったい何なのだろうか。

 ジェイムズ・ティレルは、エドワード4世とリチャード3世に仕えた、ヨーク家の家臣だった。 ところが、かれは野心家で、要領もよかったらしい。 テューダー時代になってもヘンリー7世に取り入り、フランスのギュイヌの長官やローマ大使を歴任したという。

 しかしかれは、不可解な死に方をしている。

 ティレルは1502年、ロンドン塔に囚われていたヨーク家の人間の逃亡を手助けしようとした容疑で逮捕され、裁判もなく即刻、処刑されていた。 そして、彼は処刑される前に、20年近く前のロンドン塔での王子殺しを告白した、というのである。 ところが、「ティレルが告白した」ということは、彼の処刑後に公表され、確認のしようがなかったのである。 

 また、彼がロンドン塔に侵入して犯行におよぶとき、塔の鍵をそこの長官をしていたサー・ロバート・ブラッケンベリーから借りた、ということになっている。 しかしブラッケンベリーは、ボズワースの戦いで戦死していた。 これまた、確かめようがないのである。 すべて死人に口無し、あまりにも都合のいい、できすぎた話ではないか。  おそらくティレルは、20年近く前の王子殺しの罪を着せられて処刑されてしまったのではないだろうか。

 

   ところで、ティレルはなぜ裁判もなく即刻、処刑されてしまったのか。 彼は、ヘンリー7世のもとでもうまくやり、優遇されていた。 しかし、なぜか彼の任地は、外国ばかりだった。 ヘンリーにとって、ティレルはそばにいてもらっては困る存在だったのか。 それとも、ティレルがヘンリーのそばにいたくなかったのか。 このあたりから、ふたりの関係が注目されるのである。 ひょっとしたら、ふたりは極秘の犯罪の共犯者だったのではないかと。 そして、ティレルが裏切り行為にでたとき、ヘンリーは王子殺しの罪をリチャードと彼に着せ、彼をさっさと処刑してしまったのかもしれないのである。

 では、ヘンリーが王子の殺害を命じたとすると、それはいつなのか。 リチャード3世の時代なのか、ボズワースの戦いの前なのか、後なのか。 リチャードの在位中ということはありうるだろうか。 しかしヘンリーには、その前にやることがあったはずである。まずリチャードを倒さなければならなかった。 それともヘンリーは、すでにふたりの王子殺害まで計画にしていたのか。 もし そうだとすると、いつどうやってそれを可能にしたのか。 ふたりの王子の姿が見えなくなったという1483年の夏から秋口にかけて、敵陣の奥深いロンドン塔に刺客を送り込んだのか。 それとも、ロンドン塔にヘンリーに内通している者がいて、その者が暗殺を実行したのか。

 だとしたら、リチャード犯人説と同じように、そのとき宮廷で大騒ぎにならなかったのは、なぜなのか。 なぜ、異変があったことが記録に無いのか。 ここが疑問である。  しかしヘンリーには、王位の正当性を主張するためには、ふたりの王子が生きていては困る理由があった。 これが、ヘンリー・テューダー犯人説の、ゆらぎようのない論拠である。

 



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森のなかえ

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