戒老録 交際
同じ年頃とつき合う
他人に仕事をやらせる時結果だけをみて、そのやり方には口を出さない。
何事にも感謝をあらわす。感謝の表現があるところには、どんなみじめな境遇にあっても、不思議と陽がさしてくる。
自分が正しいと思わない。自分は間違っていると思うほうがいい。
他人の生活に口出ししたり、その行動の善悪を断定したり、変えさせたり、しない。
楽しみを得たいなら、金を使うこと。金も体力も気配りも何も使わず、楽しい思いはない。
生活の淋しさは、誰にも救えない。あくまで自分で自分を救済するほかない。
身内の者になら何を言っても、どんな姿を見せてもいいと思わない。
町を愛すること
嘘をつかぬ。
攻撃的にならぬこと。
冠婚葬祭、病気見舞いに行く時、一定の時期から欠礼する
基本パターンは 個人と自然、家族、組織でも同様。
人格すなわち教養が「倫理観」「宗教観」「芸術性」を学ぶことにより形成される。
ただし、基層には祖先からのDNAが1万年の歴史観を持っている
●倫理学とは美しさの美学に尽きる
●勤勉とは道徳の実践である
●視覚・味覚・聴覚・嗅覚・触覚を受容して、人格(脳の教養)でもって、人体行動する。
大岡信
大切なのは挨拶です。挨拶は、人間関係を保つうえで最も大切な言葉の使用法です。
現在ももちろんそうですし、過去においてもそうでした。
日本人は、歴史的にずっと挨拶を大切にしてきたのです。
人間同士の関係で、第一印象というものは決定的です。
挨拶によって第一印象は変わります。
挨拶の言葉をぜひ大切にしてほしい。そう思いますね。
それから、これは仕事の現場に限りませんが、
言葉をいわば「創造的に乱す」ということがもっとあってもいいのではないかと思っています。
最近日本語が乱れているといわれているそうですが、
僕はあまりそう思わないんです。むしろ、日本語はもっと乱れていいし、もっといじられていい。
日本語というものは、乱されようがいじられようが、
根本から崩れることはない。そういう言語です。大変しぶとい言葉なんですよ。
芭蕉の言葉
物の見えたるひかり、いまだ消えざるうちにいひとむべし。
句作になると、するとあり。
内をつねに勤めて物に応ずれば、
その心のいろ句となる。
内をつね勤めざるものは、
ならざる故に私意にかけてする也。
芭蕉の言葉
或人の句は艶をいはんとするに依て句艶にあらず。
艶は艶いふにあらず。
又、或人の句はしほりなし。
しほらんずるが故にしほりなし。
又、或人の句は作に過て心の直を失ふ也。
心の作はよし、詞の作は好べからずと也り。
芭蕉の言葉
松の事は松に習へ竹の事は竹に習へ 芭蕉
昨日の我に飽くべし 芭蕉
西行の和歌における、
宗祇の連歌における、
雪舟の絵における、
利休が茶における、
その貫道するものは一なり。
しかも、風雅におけるもの、
造化にしたがひて四時を友とす。
見るところ花にあらずといふことなし。
思ふところ月にあらずといふことなし。
像、花にあらざる時は夷狄にひとし。
心、花にあらざる時は鳥獣に類す。
夷狄を出て、鳥獣を離れて、
造化にしたがひ、
造化にかへれとなり。
人間の四要素
徳性 知能 技能 習慣
徳性
一番大事な人間たる本質、人格としての人間たる本質というべきもの。
心の明るさ、清さ、
人として人を愛する、助ける。
人に尽くす、恩を知る。
正直、勇気、忍耐
等、そういう貴い心の働きであり、これらが一番大事な要素である。
知能
これあるによって人が動物より抜きん出ることができたのである。
技能
人間が他の動物よりも発達したのは、前足を手としたからである。
習慣
習慣は第二の天性・徳性である
神話の知者に
輪廻を深々体験して
死と残せるもの
物と心の合体験もの
互いの向上欲をともに共鳴して浸る
祖先の声を聞く、神仏に感謝することを継続し六波羅蜜に至る道を会得する
アンテナを環境・生命・宇宙に向けて高く
深い中空構造を体験
祖先霊魂巡る
樹木と語り合う
中年以後のいつかは「撤収」と「収束」の方向に向かう。この時期をうまく過ごすのはかなりむずかしい仕事である。
盛大に生きてきて、意思の力で徐々に収束を成し遂げることは一種の芸術だ。多くの人は、病気をすることで渋々収束へ向かう方向を容認する。今までのようにひたすら盛大と発展に向かって邁進するのは、もう似つかわしくないということを知らされる。
人生の最後に、収束という過程を通ってこそ、人間は自分を知る。無理なく、みじめと思わずに、少しずつ自分が消える日のために、ことを準備するのである。成長が過程なら、この時期も立派な過程である。余計なものはもう買わない。あげるか捨てて、身軽になって置かねばならない。家族に残してやらねばならない特別の理由のある人は別として、家も自分が死んだ時にちょうど朽ちるか古くなるように消さん出きれば最上だ。
人は大体誰もが平凡で、「ろくでなし」で、「能なし」である。今までうまくやって来たとすれば、運がよかったか、他人が図らずも庇ってくれていたからに過ぎない
人と人との間に横軸で働く正義よりも、神の喜ぶ縦軸の慈悲、ということを納得できるのが、中年。
一瞬でも人や家族に尽くせる瞬間には、それを喜んで大切にする。人間は義理を欠いて、後悔と共に生きない
親と最後までできる限り付き合う。そして運命の自然の恩寵を感じる。
子供は徹底して、親しい他人と思う。
女も男も、その人を評価するとすれば、外見ではなく、どこかが輝いている魂、或いは存在感だ。魂というものは、中年に初めて成熟する。
自然は人を実際に殺すだけでなく、まず、思考を妨げる。自然は理不尽に人の望みを砕き、運命を狂わせる。
組織で働く時、決して組織を愛さない。組織を深く愛すると、必ず権力を持ちたがり、人事に口を出し、組織の力を身辺の人に及ぼそうとする。
いい年をして正義感だけでものごとを判断していたら、人間になり損ねる。
世間は決して無駄なことに金は払わない。
ものごとをなし遂げてきたのは、一部の理性的な計算と、あとは狂的な執着である。
旧約聖書「コヘレトの言葉」より
天の下の出来事にはすべて定められた時がある
抱擁の時、抱擁を遠ざける時
求める時、失う時
保つ時、放つ時
裂く時、縫う時
黙する時、語る時
愛する時、憎む時
戦いの時、平和の時。
草花を育てる
特別な花、ハーブ、果木、四季の花、香りの花、日陰の花、山野草、
動物を飼う
バードウォチング
眺める
居間から、風呂から
行事
お月見、お花見
趣味
日曜大工、絵を書く、読書、日焼け
現実を忘れる
昼寝をする
リサイクル
堆肥を作る