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仕事中に学んだことが、その会社や地位を離れた途端に、何の役にも立たない

2017年07月28日 | 人生訓

壮年期には、みんな一生懸命に働いている。仕事の場では常に学ぶことがある。だから壮年期によく仕事をしてきた人は、学び続けてきたという自覚がある。

 ところが、これが案外錯覚なのである。

 荘の時、壮年時代というのは、その人の人生の中で最も働き盛りで、仕事も充実している時なのだが、だからこそ、ごまかされやすい。仕事に打ち込んでいる時には、真剣になって仕事についての勉強もし、新しい情報にもどんどん接する。そして、勉強すればする程仕事も面白くなっていく。だから、「学んでいる」と思い込んでしまうのだ。だが、こうして一生懸命に働いて定年を迎え、ではこれから何をやっていこうか、と考えた時、ハタと、何も学んでいなかったことに気づく。やることが何も思いつかない。仕事中に学んだことが、その会社や地位を離れた途端に、何の役にも立たないことに気づく。こういうことが多いのだ。これでは、荘にして学んだことにはならない。忙しく仕事をしているから、学んでいるように誤解しているだけで、決して学んではいない。仕事上の勉強を、自分自身の勉強と勘違いしただけなのだ。

「荘ニシテ学ベバ、則ち老イテ衰ヘズ」というのは、

必ずしもそういう学び方のことをいっているのではない。

必ずしも仕事上での「学ぶ」を意味しているわけではない。

まずこのことに注意する必要がある。

 

 


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