夫婦というのは、簡単にいってしまえば、組み合わせだ。
別の組み合わせだったとしたら、必ずしもうまくいったとは限らない。
だから、結果が良ければ、いい夫婦なのである。
いい女といい男が結婚しても、いい夫婦になるとは限らないのは、
結婚が組み合わせで、しかも結果のみが問題だからだ。
そしてその結果というのは、
男の場合で言えば、どういう業績を残したのかが目安になる、というわけだ
知らない世界へ行けば、楽しいことも多いが、
それだけでなく、何かとトラブルが生じたりする。
それを二人で何とか解決したりすれば、
その記憶は楽しかった以上に残る。
楽しいことばかりのノッペラボウな人生は、
後々の記憶としては薄れがち
■味わう
どんな人でも中年になれば、人生と人の理解がずっと深まる。
それは純粋に快楽が増えるということだ。
映画館や劇場だけで人生を楽しむのではない。
一番素晴らしい劇場は、生きているこの場だけである。
そこを通過するあらゆる人にドラマと魅力を見出すことも楽しい。
醜い、惨めなことにも手応えのある人生を見出せる。
人生は中年を境に、老年と死に向かい合う。
だが、「中年以後」にしか人生は熟さない。
失うことを受け入れる心を持つのと引き替えに、
この時期にしか見えてこないもの、味わえないものがある。
難しくも、手応えのある「中年以後」をどう過ごし、乗り越えればいいのか。
仕事でも趣味でも自分が楽しめる実生活の規模でも、
自分の手に余ることがないよう、
その範囲を賢く現実的に見定める気力体力で行く。
中年以後は、自分程度の見方、予測、希望、などが、裏切られることがある、
と納得し、その成り行きに一種の快感を持てること。
北村透谷「最後の勝利者は誰ぞ」より
明日は即ち永遠の始めにして、
明日といえる希望は即ち永遠の希望なり
明日という未知の日を、
特に意識もせず怠惰な今日の延長と捉えるより、
永遠の希望と捉える方が、
よりよい明日をきっと迎えることができる。