「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

移ろう季節

2006年11月19日 | 季節のうつろい
深秋といふことのあり人も亦
彼一語我一語秋深みかも


 どちらも高浜虚子の句です。
 季題の「深秋」「秋深し」は、歳時記によると、「すべてのものが冬に移ろうとする静けさを湛えたことをいうのだが、心の持ち方によって、浅くも深くも感じられる。・・・一年のうち最も自然の姿の身に沁みる時季であろう」と解説されています。

 昔はわかりにくいと思っていたこの句を、今はたまらなくいとおしんでいます。 人の心の中にもたしかにまた、「深秋」は存在します。それを言葉で表現するのはむつかしいのですが、胸に去来する感情、いや激情と呼んでいいものを持ちながら、それを沈潜させ、しかも諦観までには至らずに、深く湛えている状態とでも表現したらいいでしょうか。
 やがて遠からず冬の季節に入ってゆくのをじっと見据えている気分が深秋でしょう。


 退院を予告されてもう二回の延期です。昨日も、もう大丈夫でしょうから、来週あたり退院ですねと、告げられました。三度目の正直とも言いますから、今度こそと期待しています。
 入院も一ヶ月を超すと、緊張感を持った危険な状態ではないだけに、さすがに飽き飽きして、病人も、付添うほうも将来への展望も明るいものではなくなります。
 延期の原因は、MRSAという菌が検出され、そのため状態が安定しないからです。
 つまり、大手術後の弱った抵抗力の体に細菌が感染したものです。耐性の細菌で、抗生物質が効きにくいのだそうです。
 出入りする看護師の方たちは、マスクに手袋です。付き添う私への感染を心配する患者に、健康な人への感染はありませんと告げていました。

 最先端の技術を駆使した高度な手術が成功しても、術後の対応に少し配慮が欠けていたのかもしれません。病院内の細菌を管理することは不可能でしょうが、忠実に指示に従っていて、個室で療養に専念している立場からは、毎日訪問してくださる医師たちの熱意に感謝の念を持つ一方で、癌の手術だけであれば、もう、2週間も前に退院できていたのにと思うと一抹の不満を拭えません。

 前向きの考え方が難しくなっている病人を前にして、山を越えただけに、様々な思いが湧いてきます。
 入院が長引くことでご心配くださる方々へのご報告です。

画像は毎日通う病院へのお気に入りのコースの銀杏並木です。


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10 コメント

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秋深し (紫草)
2006-11-19 17:12:33
boa!さん 此方では朝から冷雨が降り秋の深まりを感じさせております。色付き出した庭の草木も何と無く寂しさを漂わせ鬱っろんでいるようです。
今日は寒さの故、コタツに火を入れパソコンに向っておりましたら「斎藤史の詩集」を見つけましたので下記を投稿させて頂きます。

  斉 藤 史 の 栞といたします。

昭和を代表する歌人の一人、齋藤史(さいとうふみ 1909~2002)は明治四十二年二月十四日、東京四谷の生れ。陸軍軍人にして佐佐木信綱門下の歌人であった父齋藤瀏((りゅう)、母キクの長女。
史の生涯には二つの事件が大きな影を落としている。一つは昭和十一年(1936)の二・二六事件である。この時父の瀏は幇助罪を問われて位階勲功を剥奪されたうえ禁固刑を受け、史の幼馴染みであった青年将校は処刑された。前年結婚したばかりで、初めての子を身ごもっていた史の受けた衝撃ははかりしれない。長女が生れたのは、事件の三カ月後であった。

暴力のかくうつくしき世に住みてひねもすうたふわが子守うた

昭和十五年に出版された処女歌集『魚歌』の名高い一首である。仮にも暴力を「うつくしき」と呼ぶことに抵抗を覚える方もおられるだろうが、ナチズムに最も典型的に見られるように、暴力と美が結び付いて大きな力をふるった時代があった――いや今も我々はそういう時代に生きている。
大雪の日の叛乱、二・二六事件には恐ろしいまでの「うつくし」さがあった。三島由紀夫はそれゆえ此の事件と蹶起した青年将校たちに魅入られたのだった。蹶起の動機にも「うつくし」さはあったろう。が、青年将校たちは「一審即決」で断罪され銃殺される。
そんな「世に住みて」、終日子守唄を歌う我。「ひねもすうたふ」とは詩的修辞には違いないが、子育てとはまさに「ひねもす」のわざであり、決して誇張ではない。そして我らの生きる世は「暴力」を「ひねもす」感じ続けざるを得ない時代であるゆえに、子守唄は「ひねもす」歌われねばならない。その唄はまた若くして逝った友への鎮魂歌でもあるゆえに…。
『魚歌』においてこの歌の次に置かれた一首も挙げておきたい。

生れ來てあまりきびしき世と思ふな母が手に持つ花花を見よ
戦後、史は疎開先の長野県長野市に留まり、夫はこの地で医院を開業する。ところが昭和四十三年、母キクは失明して次第に老耄を加え、次いで四十八年には夫が脳血栓に倒れる。もう一つの「大きな影」とはこのような家庭内の「事件」であった。六十代になっていた史は以後母と夫の介護に明け暮れることとなる。
老(おい)不氣味 わがははそはが人間(ひと)以下のえたいの知れぬものとなりゆく
現に「認知症」の老母を介護している私は、この歌の「人間以下」等の語をできれば否定したい。そんなことを思うのも、わが老母の症状がまださほど惨くないためだろうが、「不氣味」「えたいの知れぬ」にはやはり胸を突かれ、激しく頷きたい衝動と、やはり激しく首を振りたい衝動に同時に駆られるのである。
しかし、次のような歌に出逢う時、上のような歌の酷さも清められ、勇気づけられるのを感じる。

死の側(がは)より照明(てら)せばことにかがやきてひたくれなゐの生(せい)ならずやも
死の側から、この生を照らしてみたらどうか。どれほど無惨な生であろうと、死という決して知り得ない故に底知れぬ深淵であり冷たい暗黒である世界から見れば、生は「ひたくれなゐ」の―みなことごとく紅に輝く、美しい燃焼の世界ではないか。
夫に続いて母が亡くなった時、史は七十歳になっていた。その後も現役歌人として活躍を続け、平成十四年四月二十六日、九十三歳で世を去った。作歌生活は七十余年に及んだ。
『齋藤史全歌集』は昭和五十二年と平成九年と、二度にわたって大和書房より刊行されている。
最後に、史の作中、私の最も愛する一首を。

野の中にすがた豊けき一樹あり風も月日も枝に抱きて

平成九年正月宮中御歌会始に召人となって詠んだ歌である。史はこの年八十八歳であった。

boa!さん。私はこの歌を知り絶句いたしました。愛別離苦を、人生の苦難、辛苦を重ね最後の心境であり辞世歌になるのでしょうか、感涙いたしました。もう一度!!
『野の中にすがた豊けき一樹あり風も月日も枝に抱きて』
水垣久 一文より                         寒さの砌、ご主人様の病躯が一日も早く治りますように祈っております。
                        
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豊けき一樹 (boa !)
2006-11-19 19:25:44
斉藤 史さんに事寄せた深い人生観照の一文、胸にこみ上げてくるものがありました。

むさし野の冬めき来る木立かな  高木晴子 の句です。

まもなく、不気味な老いを生きることになるわが身を、切なくいとしく思います。実母と、姑と、それぞれの老いの姿がありました。認知症に向き合うことの大変さと、虚しさは、実際に経験した者にしか理解される事はないでしょう。

紫草様の豊かな情感が、すこしでも事態を和やかなものに構築してゆかれることを願っています。

お見舞いありがとうございました。
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粥うまし (香HILL)
2006-11-19 19:31:07
”ぞんぶんに人を泣かしめ粥うまし”
なんてご主人さんは思っておられましょうか?
2年前の11月のブログで紹介された川柳の一つ。
今は粥から飯でしょうね。

本日が本ブログの満2歳のお誕生日ですね、
おめでとうございます。
今頃は、ショートケーキでも買って一人で・・。

ところで、弱気になっているからこそ、付き添いサンの出番なのです。医者や看護師の職務外。
勇気を与え・心をlight upする事に注力されますように。

気疲れする短歌・俳句よりも今は、狂歌や川柳の世界を覗かれませんか?
そう、何事も笑い飛ばすようになれば、前向き志向に向かうものです。

病院の院内感染対策への不平不満なんかより、
これも一流病院の証なんでしょうね・・なんて
言うと、気分が落ち着きます。

anyway ご帰還後の祝いの膳は何でしょうか?
赤飯は固めだし、チラシ寿司にしましょうか。
澄まし汁の具には何を?
なーんて考えるだけでも楽しくなりますね。








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お説 かたじけなし。 (boa !)
2006-11-19 21:36:29
素直な生れつきですので、つい相手に感化されて、引きずられてしまいます。
ゆとりを持って、明るく振舞うのが肝要ですね。

ところで、当人がすっかり失念している2歳の誕生日を覚えていてくださるとは、かたじけなさに涙がこぼれます。

ブログという魔性の虜にならない程度で、自分の記録、メモのつもりでこれからも細々と続けてゆくつもりです。ご叱責、激励のコメントをお寄せくださいますよう、お願いします。

ケーキは苦手ですので、いつもより、もう一杯、重ねることにします。
くだくだしくも、まさに、”よしなしごと”を書き連ねたものと、忸怩たる思いもありますが、社会に害毒は流していないだろうと言い訳して。乾杯。


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深謀遠慮 (R.H)
2006-11-20 11:54:41
 人体は、よくできた構造物です。何処かが悪いと全身も微妙に病んでいるのです。ゆっくり静養してください。見事なイチョウの並木です。ご主人の胃腸も並みになれば退院ですね。最近が一番見ごろでしょうが、黄葉が散る頃は細菌も退散してくれるでしょう。もう少しのシンボウです。病院にはエンリョなく、我が儘を言いましょう。
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蝶々夫人 (boa !)
2006-11-20 23:56:20
銀杏を変換の時、出ていましたので、もしかして、と思っていました。

胃がなくても、食物が消化吸収される不思議、造化の妙です。腸がどう働くのでしょう。

皇后崎の交差点を曲がると、遥かに続く並木です。
今日は、もう道に散りしいていました。退院も間近でしょう。ご心配をおかけしました。
私はそこからが大変な、腸調布陣をあい務めます。
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小春日和 (香HILL)
2006-11-21 20:41:09
ここ数日の寒さに対応バタバタが、今日は穏やかな
お天気に戻り、気分よく新聞のチラシ広告をゆっくりと眺めていますと、博多筑前角帯=3800円、
結城の着物=70万円に眼がとまる。

これですね、旦那さんの晴れ着は・・。

ところで、11月も半ばが過ぎましたが、喪中欠礼の薄墨の葉書は珍しく少なく2枚でした。
小倉在住の知人よりは親父さんが享年93歳と。
あの印刷文は味気ないですよね、下手な字でも毛筆で
書いてもらいたいな・・と。

主宰のお宅は如何でしょうか?
ご主人に代わって奥様が・・・・でしょうか。
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薄墨のハガキ (boa !)
2006-11-21 21:00:35
本日、病院の近くの郵便局で発送しました。
二人分だとかなりの分量です。切手を貼るのに途中で、休憩しました。別納は好みではないので。

あるじは、はじめて毛筆でなく、私に、パソコンでの連名の印刷を一任しました。
「百三歳の天寿を全うして、彼岸へ旅立ちました。」と記して、お礼の挨拶を述べました。

歳のせいでしょうが、今年ももう6枚の喪中欠礼のハガキをいただいています。主宛てのは、友人たちのもので、奥様からです。
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続・深謀遠慮 (R.H)
2006-11-22 09:49:13
 また、やられました。先日は人体の不思議を書こうとしたのですが、boa ! さんは銀杏を出せば私が飛びつくのを先刻ご承知で、思惑通り引っ張り出されました。これこそ深謀遠慮。ところで、胃腸と書くように、胃・腸ではないのです。口から肛門まで、消化器官は一体です。胃にも食道から続く開口部(噴門)と小腸への接点(幽門)があるように、小腸の入り口は胃で、終わりは大腸というわけです。そこで、入り口が小さくなったら本家の一部を入り口に改造して胃の役割を果させようとするのです。新生児は消化器官が未熟なまま生まれてきて、母乳の力でしっかりした身体を創り上げていくように、ご主人も母乳を飲めば回復が早いのですが、まさか、代わりに美人ナースのオッパイというわけにもいかないでしょうから、ここは一番、boa ! さんのオッパイを・・・。これも無理なら、愛情イッパイを注いで差し上げてください。早期快復間違いなしです。
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愛情だけはイッパイ! (boa !)
2006-11-22 21:12:48
晴れたり、曇ったりの繰り返しですが、確実に回復途上にあります。
退院の日もま近とあって、今日は栄養士の方が、部屋に見えて、退院後の食事や、注意事項を、具体的にこまごまと述べられました。
なにか質問は?に、アルコールはいつから、どのくらいまでですか?だけでした。
当分は、分割食で、お粥か、軟らかいご飯、好物のコーヒーは、カフェオレでと注意でした。肉類はミンチが中心です。”胃腸手術後の食事”に書いてあることの反芻でした。1日6食がしばらく続くので、食べることにかかりきりになりそうです。
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