「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

所変れば

2007年08月12日 | 私のブラジル
所変れば


外人

 ブラジル人(ポルトガル系)経営の会社勤務だった夫の関係で、日系人社会とは、お付き合いがあまり深くはありませんでした。
 そうしたなかで、私が一番奇異に感じたのは、日系以外の人を「がいじん」と呼ぶことです。ただし、アジア系はこの中に入らない場合が多く、微妙な区別があるように思えました。
 この国で暮らす限り、自分たちのほうが「外人」なのではと感じたものでした。


左の写真は馬祭りの日のアミーゴたち                               
 概して、古い移民で苦労して現在の安定した地位を築きあげた人たちは、過去の古きよき時代の日本人のイメージをそのまま強固に保持した家庭を築いているように見うけました。
 家長は一家の中心として尊敬され、力を持った強い存在です。そして、一様に子弟の教育に並々ならぬ強い関心を持っておられました。
 こうした誠実な暮らしの日系移住者への、現地の人の評価と信頼は、かなり高いものがありました。

「人種のるつぼ」と言われるこの国には人種差別は存在しません。ヨーロッパ系.CABOCLO,MULATO,MOLENAと肌の色の濃さで、言葉の上での区別はありますが、それはアメリカで感じたような差別ではなく、何の拘りもないようでした。


ニックネーム
                           
 隣町への列車を待つホームで、私の耳に飛び込んできたのは、顔なじみの肉屋のお兄ちゃんの声でした。
「OH、ドウゼントス!」(duzentos)とは、200グラムを意味します。ブラジル見聞録1で記したように、キロ単位が普通の肉屋(部位によってはメイヨ・キロ=500グラムはあります)で、渡伯早々の私は、平然と200グラムの指示をしたものです。よほど印象深かったと見えて、駅のホームで大声の挨拶をしてくれたのでした。
 この、あまり有難くないニックネームは、スザノ滞在中の2年間、ずっと,買い物のつど彼に使われました。肉屋もグレードの高い品を売る店と、女中さんなどの労働者対象の御用達とは分かれていました。Duzentoshは、前者のほうです。
 仲間内では、ニックネームで呼び合うのは日本と同じですが、ユニークで、ユーモアを含むものが多く、なるほどと思うものが多かったようです。出身地の地名や、名前の略称も割合多かったようです。

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4 コメント

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伯国の文化 (紫草)
2007-08-13 20:21:16
   暑いねと 言うまいと思ふ 暑さかな

伯剌西爾と比べ今年の暑さは如何なのでしょうか、久しぶりの夏らしい天気が続いておりますがお元気のことと存じ上げます。

過日、下記の記事を見ましたが伯国の人が見ましたらどんな印象で捉えるのでしょうか。

アメリカ人の詩人―ギルバートは茶室の露地の飛び石を見て、日本人は世界でもっとも自然の美を愛する審美的な国民であると礼讃した事があります。門から部屋まで最短距離で行くには直線の道を付けなけばならないという欧米人とは違い、日本人は曲がりくねった非機能的な道(飛び石)を作って庭園を色々な角度から鑑賞する様にしたという訳です。然し韓国人にすれば、日本の飛び石は自然の美とは反対に、人工的、画一的な物としてうっるのです。自然に溶け込んで生きようとした韓国人の目には、飛び石と言う人為的な道をつけたこと自体が、不自然と映るのであり、尤も自然な人間の歩幅や歩き方まで、あらかじめ飛び石が限定させてしまったことを不自由と考えるのです。

盂蘭盆会を向かえお忙しいことと存じますが暑さにめげずお体を大切に。  
記録より記憶 (渚一号)
2007-08-14 08:33:48
記録より記憶に残る選手でありたい・・と言ったのは
新庄君でしたね、そう、メッツの4番をはった男。

同窓会をやるが、今回はxxx先生を呼ぶ。
知らんね、そんな先生は。
あの”赤鬼”だよ。
ああ、あの怖い先生か?

なんて会話がよくありますね。

昨今は、固有名詞が直ぐに出てこなくて困ります。

200gのあの奥さん、今頃、日本でどないしてはるやろか?
いつまでも記憶に残る女性である幸せを噛み締めて
ください。
路地の飛び石 (boa !)
2007-08-14 10:24:52
裕福な日系人の豪邸で、木造の茶室に案内されたことがあります。別棟のそれは茶室だといわれても、そうですかとしか言いようのないものでした。

まして、左右相対に並んだ路地の御影石は、飛び石とは無関係の、屋敷の主が桂離宮で見てきたものを模したというものでした。

石造りの家に暮らす人々に、日本人のもつ柔軟な情感は、頭で理解したと思っても、形を取るときにはまるで異なる表現になるようです。
日本文化は、彼らには憧れの東洋の謎めいたある種の神秘性を感じさせるようです。

日系の人たちの茶道への関心は高く、一種のステータスシンボルのようなものになっていました。和敬はともかく、静寂は、伯国に暮らす場合、表面的になら可能でも、それは侘び、寂びにはつながることのない世界のようでした。
記憶 (boa !)
2007-08-14 10:48:49
むかしは、よく先生方にあだ名をつけましたね。

今も我が命名による”椿彦”は仲間うちで健在です。ご本人はとっくにあちらの世界ですが。
講義に熱がはいると、唾がはでに飛び散りました。
もののない時代、”匂の君”や、”テストパターン”といったお気の毒な名前もありましたが、・・・・・

固有名詞が出てこないのは、当方は、もう大分以前からの症状で、「ほら、あの人が言ってたあの時のあれは、」状ですが、怖ろしいことに、それで結構話が通じてしまうことです。

いまだに私が忘れないのですから、ハンサムだった彼もdozentoshを覚えていてくれると思いたいですね。