ある雨の朝、新聞を取りに出かけていて、(配達のシステムはありません)石畳の隙間にサンダルの踵を落として勢よく滑り、左足を骨折、足の付根までギブスを巻かれ、40日間ベットに拘束される生活となりまた。
全身麻酔で手当てのあとは、2週間は絶対に動かないようにといわれ自宅に帰されました。
痛みは、ギブスが取れた後のリハビリのほうが大変でした。寝ている間はほとんど苦痛もなくて、持参していた本も読みつくし、退屈のあまり旅のスケッチブックから選んで、麻の芯地に鉛筆で下絵を描き、黒の木綿糸一本だけで、ペン画風に刺してゆくことを思いつきました。
これだと人手を煩わさずに、針一本と黒糸だけで済みます。その上、糸の品質が悪いため、太さが均一性を欠いているのが幸いして、思いがけない味が出るのです。
勝手に「糸絵」と名付けて自分で喜んでいました。
お蔭で、とかく苛々しがちな時間を生産的な時間つぶしに替えることができました。
色がない分,かえって題材の持っているロマンが漂って、見る人の想像を掻き立てるとみえて、保存されている古い町並みや、教会、朽ちかけた水車小屋などは好評で、お世話になった方々に、記念にとせがまれて、プレゼントしました。
手元には次の4枚だけが残りました。文字通りの「怪我の功名」となりました。
今もう一度といわれても、刺しあげる根気も辛抱も続きそうにありません。あの拘束状態と、環境が産み出したものでしょう。
恨みの石畳ですが、この石畳は、埋設物の工事の折など便利で、並レンガ2枚分ほどの大きさの石を,堀り上げて路肩に積んでおき、工事終了後元通りに敷いていました。省エネでリサイクルされる石畳は、つるつるに磨耗し、肩もなだらかな曲線を描いています。早朝、牛乳の缶を積んだ荷馬車が音を立てて行く風景は情緒がありました。
幹線道路から少し入った所にはまだこの石畳は普通に見られます。
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全身麻酔で手当てのあとは、2週間は絶対に動かないようにといわれ自宅に帰されました。
痛みは、ギブスが取れた後のリハビリのほうが大変でした。寝ている間はほとんど苦痛もなくて、持参していた本も読みつくし、退屈のあまり旅のスケッチブックから選んで、麻の芯地に鉛筆で下絵を描き、黒の木綿糸一本だけで、ペン画風に刺してゆくことを思いつきました。
これだと人手を煩わさずに、針一本と黒糸だけで済みます。その上、糸の品質が悪いため、太さが均一性を欠いているのが幸いして、思いがけない味が出るのです。
勝手に「糸絵」と名付けて自分で喜んでいました。
お蔭で、とかく苛々しがちな時間を生産的な時間つぶしに替えることができました。
色がない分,かえって題材の持っているロマンが漂って、見る人の想像を掻き立てるとみえて、保存されている古い町並みや、教会、朽ちかけた水車小屋などは好評で、お世話になった方々に、記念にとせがまれて、プレゼントしました。
手元には次の4枚だけが残りました。文字通りの「怪我の功名」となりました。
今もう一度といわれても、刺しあげる根気も辛抱も続きそうにありません。あの拘束状態と、環境が産み出したものでしょう。
恨みの石畳ですが、この石畳は、埋設物の工事の折など便利で、並レンガ2枚分ほどの大きさの石を,堀り上げて路肩に積んでおき、工事終了後元通りに敷いていました。省エネでリサイクルされる石畳は、つるつるに磨耗し、肩もなだらかな曲線を描いています。早朝、牛乳の缶を積んだ荷馬車が音を立てて行く風景は情緒がありました。
幹線道路から少し入った所にはまだこの石畳は普通に見られます。
発想の面白さ 糸の節のアクセント 味、 確かなデッサン 観照の力。以前拝見したときから惹かれておりました。
最近の おおらかな墨絵とも違う 繊細で、あたたかさも宿る。 色がない分 想像も広がります。 入院を慰め 嬉々として向かわれた愛しき日々が甦ります。良い時間になりましたね。多彩な一面が又ひとつ…
生ける世に我はいまだ見ず言絶えて… すばらしい作品を 楽しく拝見できました。ありがとうございます。
やがて、聞き伝えた友達が見舞いにやってきましたが、まだ、会話が成り立たず、それが辛かったです。
気持ちだけは不思議に伝わるものです。
日系の人たちに随分お世話になりました。どこかから車椅子も調達してくださいました。ギブスが取れた日、私はそのまま歩いて帰れるものと思い込んでいて、ブラジレイロの男性看護師に背負われてタクシーに乗せてもらったのも懐かしい思い出です。
今も私の寝室にこの「糸絵」はかかっています。
大人になっても手足口のバランスが大事、崩れると
ストレスが溜まりますね。
手足口の夫々秀逸な能力をお持ちの主宰が足は動かせず・口は話す相手がおらず、手onlyの状態から生まれた手作業の傑作集ですね。
しかし、当時、パソコンが普及していたらどうでしたかな?手先を動かすだけでメールでお喋りを楽しんでおられたかもしれませんね。
いずれにせよ、水に濡れた敷石や風呂場での転倒は要注意ですよね、捻挫一つでも・・。
ところで、ブラジルには日本語新聞はあるのですか?
当時、パソコンなど思いもよらず、・・・・・惜しいことをしました。
お尋ねの日本語新聞はサンパウロには2紙(サンパウロ新聞・日伯新聞)がありました。契約すれば、他の地区でも何日か遅れで郵送されます。
記事、内容は、日本の新聞のイメージとはかけ離れたもので、日系社会の動向が中心です。
日本のこと、世界のトピックスも、送信されたものの見出しに肉付けした程度のものでした。
ただ、短歌、俳句の投稿は盛んで、1ページをまるまる使っていました。選者のあまりに断定的な批評と、添削に腹が立って、私は、元歌のほうがいいのではなどと反発の投稿をしては、物議をかもしていました。論争が、4分の1ページを割いて、連続掲載になったたこともありました。
この投稿のお蔭で、「もしかして、私の知っている方では?」と、新聞社に問い合わせて、260キロ離れた地から尋ねて見えた方もあり、思いがけない交流も生まれました。
この新聞は、京都祇園の山鉾の写真に、博多祇園と見出しが書かれていたこともありました。
ほとんどのニュースはTVからでした。言葉からではなく、画像で理解していました。住まいを移してからは、日系人も周りにいなくて、新聞の購読は止めてしまいました。
ニッケイ新聞(Jornal do Nikkey)というのが、1998年から刊行されています。検索すればすぐに見つかります。無料のメルマガもあるようです。最近の特報では、井上祐見という演歌歌手(ということになっている)が取り上げられ、日系人挙って応援しているようです。なかなか味のある歌と歌声です。
帰国後のことで、新知識です。脱帽ものですね。
滞在中も”カラオケ”は、日系社会の流行で、ブラジレイロにも波及していました。
ますます、おつむも回文の筆も冴えて、上手に誑かされますね。
釣り上げられ、引っかかって、まごまごウロウロの半世紀、もはや後戻りも、飛躍も賞味期限切れ、溜息をついて、自分をなだめています。
「知らず珍し」 NETでいただきました。ほんとうのことです。boa!さんやR.Hさんのように、自在にこなせるようになるには、どうしたらいいでしょうか。
生真面目な詩人のなす業にあらず。
ときにふと浮かぶとき、(たいてい講義を聞いている時など)メモしています。
7,8字のものは、当然ダブルこともあると思います。
「ナウイというな。」「くどい解読」など、自信作と思っていましたが、先例があったやも知れません。
所詮遊びです。あまり真面目にお考えにならないでください。