ブラジルを代表するものと言えば、サッカーとカーニバルを連想される人が多いと思います。
キリスト教の宗教行事(謝肉祭)としてのカーナバルの由来はおいて、観光ポイントとして広く報じられるリオのそれはあまりにも有名で、すっかり観光の目玉に変質しているようです。
どんな小さな町でも1年のうち最大のお祭りです。それぞれの地方で歌や踊りに特徴を持っているようでした。それは庶民が中心の祭として構成されていました。
2年を暮らしたスザノのカーナバルも、市を南北に貫く中心の大通りに観覧席が設けられていました。自慢の美声を張り上げる男のサンバの歌声と、打楽器のリズムに乗って、明るく踊り狂う群れに、観客席も立ち上がって一緒に手拍子と歓声でサンバに同化します。
この期間中は、役所も、銀行も、工場、学校も、すべてお休みです。この国では、カーナバルが終わってはじめて新しい年が始まるとさえいわれています。
裕福な人たちは、各自の所属するクラブで、または、ホテルで、仮面を付け、仮装して、無礼講で踊ります。バイレ(舞踏会)とは名ばかりの乱痴気騒ぎのところも少なくないようです。
今年の祭りは2月28日から3月5日まででした。久しぶりにベイジャ・フロールのチームが優勝したと便りがありました。
毎年、40度を超す暑さと、ピンガの強い酔いが引き起こす事故で、死傷者が多数出るようです。
友人の中には、「カーニバル!、カーニバル!」(カウナバウと発音しないと通じません)と騒ぐ私に、顔をしかめる人もかなりいました。
この喧騒を嫌って、国外への旅をする人も多いのですが、野次馬の私は、すっかり喜んで夜の街に見物、(踊り)に出かけたものです。
リオで暮らしていた折、1度だけ、カーニバル会場・サンボドロモで見物したことがあります。あの打楽器だけで盛り上げる強烈な大音響の中では、誰もひとりでに体が動き出してしまいます。1チーム2500人から3000人で構成されるパレードは、500人の楽隊を含んでおり、1チームの通過に約1時間はかかります。見物客36万人を巻き込んでの興奮は夜を徹して続きます。見物にもかなりの体力が必要でした。
喧騒は会場の外でも同じで、町中がサンバのリズムに包まれて酔い痴れています。
祭りの日のある明け方、一年の収入をつぎ込んで作ったかのきらびやかな衣装のまま、コパカバーナの海岸でぼんやり海を見ていた踊り子に出会いました。あの悲しい目は忘れられません。
<思い出のカーニバル |
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画像は昔撮影したものや、毎年送られくる画像から。
盆踊り会が大阪でもありました。翌朝の清掃・片づけが大変でしたね。
ブラジルのカーニバルの翌日もさぞ・・・。
夜を徹して踊りつかれた女性の翌朝の寂しそうな表情
と記されていますが、分かるような気がします。
大きな催しの後って、心が空白になってしまうものでしょうね。
例外もあります、そう、甲子園球場のタイガースfan
は試合中、祭りに参加する踊り子とそっくり、
終了後も燃えています。
あの有名なカーニバル見学、若い時に行っとけば良かったが、”後の祭り”。
普通の公立高校の、普通の球児の粘り強い活躍に
さわやかな後味を、味わっています。
最後まで諦めないことを教えられた気がします。
カーニバルの朝は、清掃車の行列でした。お世辞
にもマナーがいいとはいえない人たち、200トン
とか聞いていたように思います。
お歳を召してからでも、遅くはないと思います。
あの熱狂の中に身を置くと、考え方が変化する自分
を発見します。こせこせと思い煩うのが馬鹿らしく
なることだけは確かです。