「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

器用貧乏

2006年01月07日 | 塵界茫々
 

 昔から聞く言葉に「器用貧乏」というのがあります。貧乏だから器用になるのか、器用だから貧乏になるのか、両方考えられます。
 
 辞書には「何事についても一応はじょうずにできるため、かえって一つのことに集中できずに終わること。」とあります。吾が身に照らして「上手に」を除いて、納得できる当を得た説明です。

 それもこれも、ナイナイづくしの時代に育って、なによりも発想の貧困が土台になっています。手当たり次第に、それまでの飢餓状態を埋めるべく読み漁った書物。世の中が、習い事が出来る状況になると、真っ先に油絵、次が謡曲、これは仕舞、囃子へと拡がり、木彫、様々な手芸も同時進行、琴は尺八との合奏のため、それと乗馬、この二つは連れ合いの影響からと際限もなく、興味と関心が次から次へと移り変わりました。
 
 生来、欲深で、何事につけても自分でやってみなければ納まらないのです。時には自分でも呆れるほどの手の拡げようで、その軽薄を反省することもありました。
 何事についても、ある程度習得すると、興味の対象はすでに次なるものに移っています。その上、思いつくと直ぐ実行というせっかちな質ですし、もとより貧乏性ときています。気概をもって取り組みたいと、頭の中では常々考えているのですが、一つのことに徹しきれないでは、大成のあるはずもなく、いつもそこそこの中途半端で終わってきました。

 自分では「この道一筋」の人の持つ、奥深い凛とした筋の通しように、こよなく憧れるのですが、持って生まれた本性は矯正のしようもなく、それからそれへと展開していきました。

 よくしたもので、年を重ねるということは、もはや体が気持ちのように動いてはくれなくなり、針の耳が糸を受け付けなくなると、連れて根気も無くなっては、自然消滅するものが次から次です。
 膝を痛めて、正座ができなくなれば、人と合わせる囃子とも縁が遠くなりました。
 短期で決まりのつく墨彩画と、謡、リハビリ代わりの水泳だけが残ったものです。が、この水泳も車の運転ができなくなれば、プールに通うことも困難になります。「あはれ」の物語です。
 
 代わって新たに登場したのが、パソコンとの巡り会いです。3年の月日が速やかに過ぎ去り、この頑固で、頭脳明晰な愛すべき「つわもの」に、楽しく振り回されています。
 
 マイナス思考に縁のない私は、この今までの道草が、ささやかな暮らしを自分なりに味のあるものにしていると思うことにしています。
 
 芭蕉翁も死を前にしてなお「かけめぐる夢」を抱えていました。次元に雲泥の差があるとはいえ、私も器用貧乏を今しばらく楽しむことにしました。
 

源氏物語絵巻の修復

2006年01月07日 | 絵とやきもの

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 テレビのお正月番組で、偶然、源氏物語絵巻の修復が、19切、全て完成したと報じているのを目にしました。

 名古屋の徳川美術館の分と、最後に東京の五島美術館の分四図。1999年から始まった、現代科学の技術を駆使した精密調査に基づいての、日本画家による復元作業が紹介されていました。

 東京オリンピックの折、馬術競技を見るためと、併せて日本を代表する品々が展示された東京博物館の見学を兼ねて上京しました。そのとき、上野毛の五島美術館を予定に組んだのは、ひとえにこの源氏物語絵巻に会いたいためでした。
 閑静な住宅街の中、美術館とは思えない佇まいの、奥深いこじんまりした建物の中で、静かに観賞できました。

 今回の調査と復元作業のなかで、「鈴虫」の、従来、女三の宮とされてきた女性像が、どうやら三の宮に仕える女房らしいと判断されたようです。(髪が長い、装束の色、裳をつけている等、画像の左、柱の影の女性)
 源氏に贈られた鈴虫の音に耳を傾けるうつむいた女房と、後姿の尼姿の女房の身を起こした姿、これらの意味する、俗世にあるものと、出家したものの、象徴的な人物の心理、それは中心をなす女三の宮をわざと描かず、源氏もその一部のみといった伝統的な、高度に洗練された手法と受け止めました。

 最近発見された、歌麿の肉筆画とされる(朝日新聞1月四日)「月見」も、月を描くことなく、端近に活けられた秋草と、顔を上げた母子の視線で月の存在を暗示する表現手法の洗練と同質のものでしょう。
「御法」の紫の上の死の場面を描いた図も、大きく風にたわむ萩に源氏の心情を託しています。平安時代の画家たちの、高度な洗練された感覚に学ぶところが多いようです。

 今日は七草、春の気配は遠い今年ですが、それでも庭の若菜を摘んで刻みました。