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もし、明日死ぬとすると

2021-11-27 18:40:08 | 読書日記
田坂広志著  『言葉との邂逅』


1 

「腫瘍の転移を知り、死を覚悟した井村医師は、
 『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ』 の中で、

 その夕刻、自分のアパートの駐車場に車を止めながら、不思議な光景を見た。世の中が輝いて見える。スーパーに来る買い物客が輝いている。走り回る子供たちが輝いている。犬が、垂れ始めた稲穂が、電柱が、美しく輝いている。アパートへ戻って見た妻もまた、手を合わたいほど尊くみえたのでしたと。



また、画家の東山魁夷は、赤紙をもらい、戦争へ行くことになった。
 行く前に、熊本城の屋上から熊本平野を見ると、輝いて見えたという。
 その時、もし、再び絵筆をとれるなら、この感動を、いまの気持ちで描こうと。


 才能の開花を願う限り、才能が開花することはない。なぜなら、才能を開花させたいとの思いが、我々の純粋な心を曇らせるから。
生命力の根源的な力を抑え込んでしまうから。

では、生命力はいかなる時に開化するのか。



 いま、この日々を生きていることへの純粋な感動と感謝。それを抱く時、我々の奥深くから、生命力が開化し始める」と。


(死を間近にした人の本を読むと、輝いて見える、という表現が多いようだ。

死があと五分後だとわかると、あの時、なぜ真剣に生きなかったのか、と後悔するだろう。今、死が迫っていると濃厚に意識すると、感性豊かな人間になるだろう)









 2 私を意識しすぎると?


「我々は、我が社、我が国、という言葉と自己を一体化する。

その言葉とともに、ライバル社や敵国という概念を生み出し、その他者との争いに勝つことを喜びであるといの幻想に陥る。際限のない葛藤が生まれる。


 自分の精神こそが自己であり、肉体は他者であると感じるとき、我々は心身症になり、体の不調を味わう。

 また、自分の精神の中に、本当の自分と偽物の自分がいると感じる時、精神分裂病に陥る。


 葛藤や苦しみの根源が、自らの心の中に作り上げる境界との幻想であることに気づく。

(我が社とか、私は、というと、知らず知らずのうちに競争意識をうえつけられるということだろうか?)



 3 なぜ、多くの知識を欲しがるのか?



「クリシュナムルティの日記に、
 
 あなたは、多くの知識を持っているが、心は貧しい。そして、心が貧しいほど、知識への欲求は大きくなるのだ」と。


(やはり、出世欲があるから、知識を欲しがるのだと思う。わずかな知識でも組み合わせて知恵にするのが精神的貴族と言えようか)


 4 人類は品格を向上させたのか?

「SF小説の巨匠、アーサー・クラークは

 『地球幼年期の終り』の中で、

 我々人類は、まだ、幼年期の時代を歩んでいる。

それは、いまだ、この地球上を、戦争、テロ、飢餓、貧困、抑圧、差別が覆っている現実を見るなら、誰もが頷くメッセージである」と。


(人類は誕生以来、殺し合いをしていまだ、止まらない。技術は発展しても、精神は未熟のまま。将来、人間同志で絶滅しても全くおかしくない)


 5 読書はある言葉を読んで、いかに魂を揺さぶらすか?




「言葉の意味は、我々の脳に、理性に、表層意識に伝わってくるが、言葉の響きは、我々の心に、感性に、深層意識に、深く働きかけてくる。その言葉の働きこそが、言霊を生み出す力であろうと。





 たとえ文章であっても、一つの言葉と出会うとき、それは実は、他者の言葉と出会う一瞬ではない。
 それは、自分の心の奥深くの魂の声が聞こえてくる一瞬。その一瞬を求めて書を読む」と。

(中学生の頃、初めて見る景色なのに、どこかで見たなつかしい感じがしてならないことが多くあった。
言葉も同じだろう。惹かれる言葉を探すのも読書の楽しみだろう。

声に出して、いいなあ、と思える文章を集めるのが趣味になりっつある。)