曽野綾子著 『ただ一人の個性を創るために』
1 貧しさゆえに、自殺する前にすべきことは?
「実際に自殺を決行する前に、母は私に二つのことをしてみるようにと真顔で言った。まず事情を縷々と説明し、人に憐れみを乞い、何とかして金を恵んでもらうことである。それには、いかに自分たちが一生懸命やってきたのに運命に見放されたを、他人の心に打つように説明できなければならない。
もう一つは、母は私に、死ぬ代わりに盗みをなさい、と言ったのだ。だたし盗みは、盗まれる人に非常に迷惑をかける。だから、店頭ですぐ見つかるように盗みなさい、と。
すると、私はその場で取り押さえられ、盗もうとした品物は店の主人に返されて実害は出ない。私は警察にしょっぴかれ、事情がわかれば、取り調べ中でも、食事は与えてくれる。こういうシナリオである」と。
(僕は、後半の盗みをして刑務所へ行け、とは、最近の無職の若者が人を刺した刑務所へ行くシーンを思い出す。このようなことが多く起こる可能性がこれからもっと増えるのではないか、と思うが。)
2 なぜ、日本人は幸福度が低いのか*
「途上国では、今夜の食べ物さえあれば、幸福で一杯という程度の死活者たちである家は一間だけ。トイレも風呂場もない。電気がないから夜は星空に覆われ、寒さが忍び寄る。
そんな時、子供たちと父母と瘠せた犬は玉ころのように抱き合って寝る。今夜食べ物があってさしあたり空腹ではない、というだけで、その一家は満ち足りているのだ。
しかし、日本はこの貧しい一家が持っていないものを持っているのに、幸福ではない。
徳とは、満足を生み出す能力だ。教育のあるなしにかかわらず、天からこっそりある個人の懐に降ってきた星のように感じられる」と。
(あるもので満足する能力を身につければ、幸福度が上がるのではないか。極端な話、事故で右手を失っても、左手があれば幸福と感じられる能力だと思う。それには、一つ一つの行為に感謝するしかないだろう。
テレビなどで、途上国の子供の顔を見入ると、日本の子供よりも、。。目が輝いている。
インターネットをすると、あれもこれも欲しくなる。欠乏力があるかないかで幸福度は決まる。)
3 小説家になるには?
「私は日曜日毎に作文ノルマがいやでたまらなかった。が、とにかく母が恐ろしいので続けているうちに、次第に書くことが楽に楽しくなってきた。楽、と、楽しい、という単語が、音は違うのに同じ字だとということは、考えさせられることだ。人はたぶんタノシクなければやらず、同時にラクでなければタノシクないのだろう。初めは強制だったが、読書が書くことの中心に位置する哲学を見つけれくれた。
私は学校でも、いつも白昼夢を楽しんでいた。現実から遠ざかれば、それで心が救われたのである。そしてたぶん、そういう状況も私が作家になれた一つの理由だったと思っている。
上流階級が楽しむ、ゴルフ、ブリッジ等が苦行に感じられた。有名人と付き合って全く小説になったためしはない。しかし、無名人との付き合い創作意欲を掻き立てられ、すぐに短編小説を書きたくなる。
小説は思いつきや妄想で書くのではない。そういう書き方をすると、すぐにネタに尽きる。小説はおこがましくも、人生を捉えようとするのだ。もちろん分を知っているから、小さな範囲で捉えた人生を描く。だから大説、と言わず、小説、なのである」と。
(小説家になるには、日記をつけることから始めてはどうか。自分に強制するしかない。
そして、散歩して現実離れした夢を得描いてみることだろうか。)
4 教育とは?
「人は教会からも女郎屋からも学ぶ。激しいスポーツからも怠惰な昼寝の時間からも何かを感じ取る。学校が知識のみ教える場所であり続けたら、むしろ異常なのだ。
禁欲的だった。お金ができても、長い間テレビを買わなかった。子供には、ここは親の家だから、私たちの自由にしますと。人のうちにはあって、うちにはないもものもあります。人のうちにはなくて、うちにはあるものもありますからと。
うちはうちだ、と居直れる心境だ。
家庭は民主主義と関係がない。家庭では多数決で決められるものごとなど全くない。小遣いの額、今晩のおかずなどは、親が一方的に決めることなのだ。
しかしおもしろいことに、教育というものは、あらゆるものから学ぶ、ということなのである。例外は、子供に迎合する甘い親で、そういう親からはほとんど何も学ばない。抵抗がない親は印象が薄いのである」と。
(自分の過去を振り返ってみると、恐い先生に泣かされたことや、苦しい運動をさせられた時の思いが残っている。やさしい先生では、名前も忘れてしまっている。)
5 新しい情報を知っても無駄か?
「インターネットの知識は浅はかだ。一年経ったら古くなる知識も多い。そうでなければ、せいぜいで百科大事典に書いてある程度の知識だ。誰でも簡単に手に入れられ、使える程度の知識は、何の特徴にも専門にもならない」と。
(特に、パソコンや携帯は半年もたてば、お古になる。あの時、高価で買っても、今は二束三文。
健康情報も然り。あの時の健康にいい食材が今は病気になると。糖質制限は最たるもの。
新刊書を求める人は多いが、一か月もすると、本屋の書棚から降ろされる。
すると、何を信じればいいのだろう。
古典や古くから残っている伝統しかないようだ。要するに、人が嫌がるものを読むしかない)
6 喧嘩言葉を無視する方法とは?
「罵倒されても気にしない。仮に相手が失礼なことを言ったとしても、それは言われた私の問題というより、多くの場合、言った方の醜さを示すことになるからだ」と。
(相手と口喧嘩をして、ののしり言葉を発すると、自分にかえる。
どうみても、傍からすると、何て卑劣な性格だろう、と思うだろう。
喧嘩しそうになると、深呼吸して、無言で見守るのが一番だ。
相手も、おのずと、ののしるうちに、嫌になるだろう)
7 これからは、ますます格差が
「ニクマレグチを叩けば、電車の中でメールばかりしていて、少しも活字を読まない男女にろくな未来はないであろう。
読む人はそれだけ勉強しており、ケータイにしか興味のない人は、それだけ怠けているからである。
平等という観念は、誰にでも同じ状態が与えらえることではない。努力した人にはそれだけの報いをすることであり、怠けている人はそれだけ報われないことになる。
人よりおもしろい人生を送りたいなら、今流行りの三姫(電車の中で居眠り、携帯メールの指運動、電車の中での化粧)にならないことだ。徹底して自分の時間と自分の運命の支配者になることだろう。その場合、幸運は比較的たやすくその人に微笑みかける。
本を読まず、おかしな記号つきの短文で通信を楽しむケータイで人とつき合ったと思い、テレビゲームの架空世界の冒険をしっような気になる日本人は、どんどん精神の衰弱で病気になり、今にそのか弱い精神のゆえに死ぬだろう。
(これは、日本だけではない。世界中の現象だが、世界の将来が危ないということか。
しかし、生き残るにはん、読書が基本だと思う。)
1 貧しさゆえに、自殺する前にすべきことは?
「実際に自殺を決行する前に、母は私に二つのことをしてみるようにと真顔で言った。まず事情を縷々と説明し、人に憐れみを乞い、何とかして金を恵んでもらうことである。それには、いかに自分たちが一生懸命やってきたのに運命に見放されたを、他人の心に打つように説明できなければならない。
もう一つは、母は私に、死ぬ代わりに盗みをなさい、と言ったのだ。だたし盗みは、盗まれる人に非常に迷惑をかける。だから、店頭ですぐ見つかるように盗みなさい、と。
すると、私はその場で取り押さえられ、盗もうとした品物は店の主人に返されて実害は出ない。私は警察にしょっぴかれ、事情がわかれば、取り調べ中でも、食事は与えてくれる。こういうシナリオである」と。
(僕は、後半の盗みをして刑務所へ行け、とは、最近の無職の若者が人を刺した刑務所へ行くシーンを思い出す。このようなことが多く起こる可能性がこれからもっと増えるのではないか、と思うが。)
2 なぜ、日本人は幸福度が低いのか*
「途上国では、今夜の食べ物さえあれば、幸福で一杯という程度の死活者たちである家は一間だけ。トイレも風呂場もない。電気がないから夜は星空に覆われ、寒さが忍び寄る。
そんな時、子供たちと父母と瘠せた犬は玉ころのように抱き合って寝る。今夜食べ物があってさしあたり空腹ではない、というだけで、その一家は満ち足りているのだ。
しかし、日本はこの貧しい一家が持っていないものを持っているのに、幸福ではない。
徳とは、満足を生み出す能力だ。教育のあるなしにかかわらず、天からこっそりある個人の懐に降ってきた星のように感じられる」と。
(あるもので満足する能力を身につければ、幸福度が上がるのではないか。極端な話、事故で右手を失っても、左手があれば幸福と感じられる能力だと思う。それには、一つ一つの行為に感謝するしかないだろう。
テレビなどで、途上国の子供の顔を見入ると、日本の子供よりも、。。目が輝いている。
インターネットをすると、あれもこれも欲しくなる。欠乏力があるかないかで幸福度は決まる。)
3 小説家になるには?
「私は日曜日毎に作文ノルマがいやでたまらなかった。が、とにかく母が恐ろしいので続けているうちに、次第に書くことが楽に楽しくなってきた。楽、と、楽しい、という単語が、音は違うのに同じ字だとということは、考えさせられることだ。人はたぶんタノシクなければやらず、同時にラクでなければタノシクないのだろう。初めは強制だったが、読書が書くことの中心に位置する哲学を見つけれくれた。
私は学校でも、いつも白昼夢を楽しんでいた。現実から遠ざかれば、それで心が救われたのである。そしてたぶん、そういう状況も私が作家になれた一つの理由だったと思っている。
上流階級が楽しむ、ゴルフ、ブリッジ等が苦行に感じられた。有名人と付き合って全く小説になったためしはない。しかし、無名人との付き合い創作意欲を掻き立てられ、すぐに短編小説を書きたくなる。
小説は思いつきや妄想で書くのではない。そういう書き方をすると、すぐにネタに尽きる。小説はおこがましくも、人生を捉えようとするのだ。もちろん分を知っているから、小さな範囲で捉えた人生を描く。だから大説、と言わず、小説、なのである」と。
(小説家になるには、日記をつけることから始めてはどうか。自分に強制するしかない。
そして、散歩して現実離れした夢を得描いてみることだろうか。)
4 教育とは?
「人は教会からも女郎屋からも学ぶ。激しいスポーツからも怠惰な昼寝の時間からも何かを感じ取る。学校が知識のみ教える場所であり続けたら、むしろ異常なのだ。
禁欲的だった。お金ができても、長い間テレビを買わなかった。子供には、ここは親の家だから、私たちの自由にしますと。人のうちにはあって、うちにはないもものもあります。人のうちにはなくて、うちにはあるものもありますからと。
うちはうちだ、と居直れる心境だ。
家庭は民主主義と関係がない。家庭では多数決で決められるものごとなど全くない。小遣いの額、今晩のおかずなどは、親が一方的に決めることなのだ。
しかしおもしろいことに、教育というものは、あらゆるものから学ぶ、ということなのである。例外は、子供に迎合する甘い親で、そういう親からはほとんど何も学ばない。抵抗がない親は印象が薄いのである」と。
(自分の過去を振り返ってみると、恐い先生に泣かされたことや、苦しい運動をさせられた時の思いが残っている。やさしい先生では、名前も忘れてしまっている。)
5 新しい情報を知っても無駄か?
「インターネットの知識は浅はかだ。一年経ったら古くなる知識も多い。そうでなければ、せいぜいで百科大事典に書いてある程度の知識だ。誰でも簡単に手に入れられ、使える程度の知識は、何の特徴にも専門にもならない」と。
(特に、パソコンや携帯は半年もたてば、お古になる。あの時、高価で買っても、今は二束三文。
健康情報も然り。あの時の健康にいい食材が今は病気になると。糖質制限は最たるもの。
新刊書を求める人は多いが、一か月もすると、本屋の書棚から降ろされる。
すると、何を信じればいいのだろう。
古典や古くから残っている伝統しかないようだ。要するに、人が嫌がるものを読むしかない)
6 喧嘩言葉を無視する方法とは?
「罵倒されても気にしない。仮に相手が失礼なことを言ったとしても、それは言われた私の問題というより、多くの場合、言った方の醜さを示すことになるからだ」と。
(相手と口喧嘩をして、ののしり言葉を発すると、自分にかえる。
どうみても、傍からすると、何て卑劣な性格だろう、と思うだろう。
喧嘩しそうになると、深呼吸して、無言で見守るのが一番だ。
相手も、おのずと、ののしるうちに、嫌になるだろう)
7 これからは、ますます格差が
「ニクマレグチを叩けば、電車の中でメールばかりしていて、少しも活字を読まない男女にろくな未来はないであろう。
読む人はそれだけ勉強しており、ケータイにしか興味のない人は、それだけ怠けているからである。
平等という観念は、誰にでも同じ状態が与えらえることではない。努力した人にはそれだけの報いをすることであり、怠けている人はそれだけ報われないことになる。
人よりおもしろい人生を送りたいなら、今流行りの三姫(電車の中で居眠り、携帯メールの指運動、電車の中での化粧)にならないことだ。徹底して自分の時間と自分の運命の支配者になることだろう。その場合、幸運は比較的たやすくその人に微笑みかける。
本を読まず、おかしな記号つきの短文で通信を楽しむケータイで人とつき合ったと思い、テレビゲームの架空世界の冒険をしっような気になる日本人は、どんどん精神の衰弱で病気になり、今にそのか弱い精神のゆえに死ぬだろう。
(これは、日本だけではない。世界中の現象だが、世界の将来が危ないということか。
しかし、生き残るにはん、読書が基本だと思う。)