遥かな轍(日々雑感)

大根サラダを食いまくってカリカリな体になってみよう(笑。

Sunshine Blues Band

2008年09月21日 03時03分06秒 | バンド
随分と久し振りの投稿です。今日は音鉄ネタの続きを書こうと思って記事を用意していたのですが、ちょっと上手く纏まらないので次回に先送りして・・・僕のバンドネタでお茶を濁して置きます。
さて、って事で今日は以前にも何度か書いてきた僕のバンドのお話でも如何ですか?。僕のバンドと一口に言ってもこれまでそれなりの紆余曲折があって、今、これまでの活動を振り返ってみると結構凄いんですよ。そんな過去の出来事を其々の時代の音と共に語ってみたいと思います。あんな事やこんな事もあったと語りだすようになると、俺も「オヤジ」になったなァ・・・なんて思うんですが、今になって振り返って色々と語ることが出来る歴史が自分にはあるんだと思える事はある意味幸せなのかもしれませんね。過去の栄光に縋ってばかりいるとろくな事にはならない訳ですが・・・まァ、細かい事は抜きにして進めてみます。
僕達のバンドは、バンドとしてのレベルは別として、プロ顔負けの歴史があって(それだけ永い間やって来たって言う事ですよね)、そして色んな人達が色んな場面で関わってきました。今ではもう二度と会う事はないだろう人もいれば、遠方に居てめったに会う事が出来ない人も居ます。でも基幹となっているメンバー同士は何とか今も交流を保ちながら活動を続けています。僕達は活動を始めた当初、プロを目指しての活動が大前提だったのでメンバー全員がとってもハングリーで社会に対してもかなり反骨的な考えを持っていました。メンバー同士でもプライベートな付き合いは兎も角、バンドに対してはかなりシビアな考えがあって、活動して行く中で何度となく衝突もしました。10代の頃は本当にハングリーだったなァと思う事が今でもあります。音楽に対してかなり貪欲で、僕の場合は太鼓に対してどんな事でも吸収して行った頃です。次々とブチ当たる壁との闘い。現実と理想のギャップに悩まされた10代。特に1986年にバンドとして活動を始めてから1990年までの4年間は非常に混沌とした活動でした。僕達は何故かライヴパフォーマンスに関してあまり興味がなくてどっちかって言うとスタジオに篭ってリハーサルとレコーディングばかりを繰り返したバンドです。だから、ローカルな面でもあまり人目に触れる事がなかった水面下での活動がメインでした。いや、だからこそ自分達のプレイスタイルに付いて冷静に且つ、客観的に吟味できるのであってそれがバンドのサウンドに安定感を齎した上、さらに躍動感や適度な緊張感もある程度再現出来るようになって行ったのではと思う今日この頃です。自分達の音を常にチェックできる環境と言うのは意外に整えにくいものです。そんな訳で僕達は今風に言うと、少しでもバンドのスキルアップを目指すべくスタジオでのセッションに重点を置いてきた訳です。でも、たまには外へ飛び出して気の合う仲間を沢山招待して、極々プライベートでのライヴパフォーマンスも結構やっていたんですけど、本当に局地的と言うか、なんか変わったバンドだなァと思ってしまいます。心斎橋のスタジオで8時間近くリハーサルしたりなんて事もありました。この1986~1990年までの4年間が僕達の第一期活動期と言えるものでプロデビューという明確な目標がありながらも、それに対するメンバー全員の思いが強すぎて空回りして活動が混沌としていて行き詰まり、頭打ちしつつもがき苦しんだ時期で、メンバー各人の「あせり」みたいなものが重く圧し掛かっていた時期ではないかなァと思います。この頃のバンドに参加していたメンバーは今でも活動している3人(Kuro-B.G.Key.Vo/Teru-G.Vo/Chihiro-Dr.Vo)に途中から参加したYoshi(G)を合わせた4人でした。バンド名は今回のエントリーの表題でもあるSunshine Blues Band。86年から約一年は3人での活動でしたが87年に音楽雑誌「Player」か「Young Guitar」だったかでメンバー募集欄に投稿したところ、長野県出身で神戸の大学に通っていたYoshi君が手紙をくれて僕たちと運命を共有する事になりました。彼の参加で僕達はよりアグレッシヴでファンキーなサウンドになりました。元々、各メンバーのカラーが全く違う所にこれまた方向性が異なるYoshiの参加はとっても刺激的だったように思います。ちなみに各人の表現する音をジャンル分けすると・・・
Teru(G.Vo) R&R
Yoshi(G) R&B
Kuro(B.G.Vo) H&M H&R
Chihiro(Dr.Vo) ???
TeruはBeatlesやRolling-Stonesを中心とするR&Rの熱狂的なファンで彼のプレイに60年代のブリティッシュサウンドが大きく反映されています。YoshiはEric Clapton等の白人R&B心棒者。Kuroはメタル系で当時は特にイングヴェイにかなり入れ込んでいました。で、僕はと言うと???になってますが、プログレやサイケに嵌っていて少しジャジーなプレイに興味を持ち始めて居た頃です。いやはや、よくぞこの4人で一つのバンドとして纏まっていたなと思う今日この頃ですが、やっぱりTeruとYoshiの音の衝突は否めない訳で、しかしそこが妙な緊張感を醸し出していて微妙な処でバランスされていて手前味噌ながらスリル感溢れるサウンドになっていました。TeruとYoshiのギターバトルをKuro君の堅牢なベースがしっかり支える事で安定したサウンドを作り出す事に成功していたのかなと思います。しかし、そのKuro君の絶妙なフォローを僕の非常にクセのある太鼓でぶち壊すみたいな(笑。さあ、それではこの頃の音源を聞いて頂きましょう。現在残っているマスターから2曲引っ張り出してきてリマスターしてみました。元々のマスターが古くて音質に難ありですがサウンド的には僕達らしからぬ位纏まっています。

Money(The Beatles) 1988年録音 Sunshine Blues Band MP3-192kbps/4.02M 2:55

まず1曲目はビートルズのカバーです。TeruはJohn Lennonを神と崇めていてこの曲は彼にとってのライフログと言っても良いでしょう。その彼の選曲です。元々、原曲はパレット・ストロングのR&Rナンバーですがそれをジョン・レノンがカバーし、ビートルズ時代のセカンドアルバム「With The Beatles」でレコーディングし収録しています。とってもアメリカンR&Rらしいアレンジでジョージ・マーティン(ビートルズの名プロデューサー)が軽快なピアノを弾いていて「With The Beatles」のラストを飾るに相応しい格好良いナンバーなんですが、僕達がやるとどうもドロドロしてしまうようで、ジョン・レノンのトロントでのライヴでプレイされたマネーに近い感じですね。僕自身はアラン・ホワイト(トロントのサテライトライヴでドラムを叩いていた人。後にプログレ界の大御所バンドYesのドラマーになった人)のプレイをかなり意識していますが・・・。特に聴いて欲しいのはTeruとYoshiのギターバトル?です。リードギターはTeruです。ギターソロのところでの軽快なソロプレイも彼です。彼のプレイも最高ですがその後ろで目立たないながらも高度なテクで自由奔放に弾きまくっているのがYoshiです。彼のプレイ、よーく聴いてみると凄いですよ。完全にR&Bしてます。もうクラプトン本人が弾いてるのか?と思うほどクラプトンを意識したプレイです。TeruとYoshiのプレイが好対照ですよね。ベースはKuroです。ちなみにKuro君のベースとコーラスは後からオーバーダビングして被せています。というのもこの曲のレコーディングは大阪の野田(千葉じゃないよ。大阪市福島区です)にあったレコーディングスタジオで行ったんですが当日、Kuro君が参加できなかった為です。コーラスはTeruも加わっています。太鼓はさっきも書いた通り僕ですがジョン・レノンのトロントでのサテライトライヴでのアラン・ホワイトのプレイをかなり意識しています。僕のプレイは非常にクールで悪く言うと冷めていますよね。なんか、当時の僕の心境を物語っているようですw。1988年録音。
僕は当時、まだ17歳でした。KuroとYoshiが19歳、Teruは16歳です。4人とも10代ですよ。メンバーの年齢とそれぞれの置かれていた環境を考えると今でも信じられないくらい大人びたサウンドです。個人的な事を書くと僕はこの頃、音楽の道でメシを食う事を決意し高校を2年で中退しました。安定した将来の人生の為に学校を取るか、それとも、今の自分の可能性に全てを掛けるか、かなりの葛藤がありました。でも、やっぱり平凡な人生がなんとつまらないものか、周りの大人達の生き方が酷く滑稽に思えて僕は茨の道を選んだのです。僕一人ではない。仲間が居る。Kuroが居る。Yoshiが居る。Teruが居る。僕にとってかけがえのない人達。その仲間達を僕は選んだのです。大いなる夢の為にキツい坂道を登ることになった。でも僕は、後悔したくなかった。たとえゴールに辿り着けなくても、周りの大人達にバカにされようとも、正々堂々と生きてやるって思って太鼓を叩いていました。結局ゴールには辿り着けないままの自分が今の自分です。でも後悔はしていない。この時の自分の行動が今の自分の首を絞めているとしても、それはこの時に既に判っていたから。別に悔しくもないし、その代わり僕はこの頃の自分の気持ちを何時までも忘れたくない。この時の自分が選んだ道のお陰で、平凡に生きていれば経験しようのない事を多く経験した事を誇りに思っています。この頃の「内村 千尋」という偉大な男に感謝しています。


White Room(Cream) 1991年録音 Sunshine Blues Band MP3-192kbps/8.10M 5:54

続いて2曲目はCreamのWhite Roomです。この曲はCreamの3作目でライヴレコーディングとのカップリングだった「Wheels Of Fire」に収録されているEric Claptonの曲です。方向性が全く違う僕達4人をバンドの親和性を高めて纏めようとするとR&Bが一番しっくり来るんじゃないかと言う事になってやってみたのがCreamのカバー。そのなかでも比較的まとまり易いと思われたのがこの曲です。Yoshi君のギターがそれこそまさに自由奔放に暴れまくっています。特に後半のソロはかなりクオリティーが高いです。Teruはリードギターに徹している為、ギター同士の衝突がなくて少し緊張感に乏しい気もしますがしかし、そこはウチのバンド。今度はKuro君のベースがボヨンボヨン暴れまくっていてまるでリッケンベースみたいな音になっています。でも実際はフェンダーのプレシジョンですが。彼の手は大きいですよ。だからこそプレシジョンでもこのサウンドなのかな・・・。で、僕はというとやっぱり冷めていると言うか、でもそれなりに暴れていますが目立ってない(泣。この録音も僕たちの成せる業と言うか、方向性が違う4人なのにアンサンブルだとギリギリの処で上手くコントロールされて纏まってしまう不思議さが出ています。一歩間違えば空中分解してしまう、でも際どい所でバランスされているんですよね。方向性は違えども、お互いの人間関係が上手く行っている証かな。音楽はハッタリが通用しない事を物語っていますね。手前味噌ですが僕以外3人のプレイはお見事と言う他ないです。寝屋川のRock House DAITOにて1991年録音。ボーカルはKuro君です。
さて、このWhite Roomを録音した頃、既に僕達4人はプロになる道を諦め始めていて活動が散発的となっていた時期でした。それでも、やっぱり音楽って人を魅了する不思議な力があって、行き着くところはどうであれともかくこれまで積み上げて来たものに対して否定的になるのも許しがたかったので、若干ペースを落として、でも4人の絆を絶たないよう活動を続けようとしていた頃です。そんな中でのレコーディングだったんですが、確かリハーサルは殆ど無しでいきなりブッツケでやった記憶があるんです。それにしては纏まっているところはちょっと自慢しても良いんじゃないかと自分では思っています。僕自身はプロになると言う重荷から解放されて気が楽になって弾けたプレイが出来る喜びみたいなのを感じる事が出来たレコーディングでした。実は僕がドラマーとして成長してゆくのはこの頃からだったりするんですが、みんなとはワンテンポずれているところが僕らしいなと思ってしまいます。

Walk Don't Run(The Ventures) 1993年録音 Paradiddles quintet MP3-192kbps/3.74M 2:43

さてさて、今度は上のWhite Roomをレコーディングしてから2年後の1993年の音源です。1992年頃からTeruとKuro、そして僕の3人を除いて他のメンバーの入れ替わりが多くなります。スポットで女の子のベーシストが参加したり、たまにYosi君が帰って来たりしつつ、ライブ活動を真剣に考え始めるようになっていきます。で、まずはシロテン(大阪城公園)でのライヴを目指して改めてメンバーを再編。Yoshi君が抜けて(抜けた原因は確か長野に帰ってしまったからじゃなかったかなァ・・・)新たなギタリストに以前から友人として付き合いのあったKouji(G)と僕の親戚で別のバンドでキーボードを弾いていたHiroki(Key)が加入して再スタート。バンド名も5人編成になったことから小粋にParadiddles quintetと改名。1993年にめでたくシロテンでのライヴデビューとなった訳ですが・・・この時に参加したライヴの主催者側に録音してもらった中からチョイスしたのが上の音源、Walk Don't Runです。他にも色々とやったのですがこの時のマスターが行方不明になっていて実はこの曲しか残っていないんですよね。The Venturesのナンバーですが僕のドラムソロが入っています。プレイ的には非常に下らないです。ハッキリ言って僕のプレイはヘタクソです。バンド全体としては纏まってるかな・・・ですが。Bメロの処でシャッフルに変調するバージョンのカバーですが結構難しかったですよ。またこの時の録音から僕のスネアがラディックの403になっています。シンバルも自前のジルジャンです。その他のシェルとハードウェアは主催者側のものです。ハモンドオルガンはHiroki。Koujiがリズムギターを弾いてますが殆ど聴こえないのは何故なんだろう(汗。今回唯一のライヴパフォーマンス音源です。1993年録音。大阪城公園。


One After 909(The Beatles) 1995年録音 Anythig Will Do MP3-192kbps/4.16M 3:01

この音源は以前のエントリーで紹介した中ノ島でのライヴの後、暫くして活動を再開した時に録ったものです。シロテンでのライヴの後、一応目的は達成されたとして一旦活動を休止していたParadiddles quintetですが、再びライヴをやろうという事になってスタジオでのリハーサルを再開したのですが、メンバーの結婚や仕事の多忙化などで頭数が揃わなくなり再びメンバーを再編。この時の再編は非常に内容が厳しいもので、僕たちの心棒的存在であったKuro君が抜け、入ったばかりでこれからと言う時だったギタリストKoujiも抜けてしまい3人に。Teru(G)とHiroki(Key)、そして僕(Dr)の3人。これは本当に痛かった。でも、まあともかく活動を続ける事にした訳です。で、Hiroki(Key)にベースを無理やり押し付けるなど問題を孕んだままとは言え何とか中ノ島ライヴ(この時の音源はこちらにあります)を乗り切り、再びスタジオに引き篭もった?頃に録ったのがビートルズのOne After 909です。これ、聴く人が聴くと判るでしょうが、Let It Beに収録されているバージョンではなく、ビートルズデビュー当初のバージョンの方です。当時ビートルズアンソロジーがリリースされて全世界が再びビートルズショックに騒然となっていた頃です。そしてこのバージョンはそのアンソロジーに収録されていますが、非常に軽快で僕も久し振りにビートルズでガツンと大きなショックを喰らった曲です。ボーカルとコーラスはHirokiですが別の日にレコーディングしてオーバーダビングしました。しかしこの音源は、香里園のN'sというスタジオでのリハを適当な機材でモニターしただけなので音質的に非常に貧弱です。ただ、3人共結構良いプレイをしているので上げてみました。でも、Sunshine Blues Bandの頃と比較するとかなり線が細くなってしまっているのが惜しいところです。


Punk Of Changes(Teru) 1996年録音 Anythig Will Do MP3-192kbps/3.37M 2:27

この音源は1996年の録音で僕達のMTRでのセルフレコーディングです。スタジオは再びRock House DAITOです。この曲はTeruが日本のミュージックシーンを強烈に批判している曲なんですが歌詞の内容がちょっと稚拙な気が(笑。ジャンル的にはPunkに近いです。Teruのギターは中々スピーディーで良いのですがHirokiのベースは少し無理があります。この頃、僕はバンドが衰退傾向にあることに非常に失望していて何とか立て直そうともがいていました。その為か否か、僕の太鼓は凄まじい事になっています。兎に角1フレーズにどれだけの音が放り込めるかという無謀なプレイにトライしていてひたすら叩きまくっています。譜面にすると僕のドラム譜は訳が分からなくなる位のプレイです。僕の可能な限りの最大限のプレイでバンドの音の厚みを出そうとしていたんですね。しかしレコーディングの音作りの段階でHirokiの意見と激しく衝突。折角の僕のアグレッシブなプレイが右側に大きくパンされていて音が潰されています。これには非常に怒りを覚え今でも当時のことを思い出すと苦々しく思います。と言って、僕のプレイがどれだけ凄いかと言うと結局は大した事ないんですけどね。でも僕自身が思うにこの頃がドラマーとしての僕が一番脂が乗っていて最高のパフォーマンスを発揮出来ていたんではないかと今でもフト思うことがあります。このレコーディングが元でHirokiと僕の確執が顕著になって行きました。

さて、1990年代後半頃からメンバー間の音楽的思想の行き違いからのトラブルと女が原因でのドロドロした争いがバンドの活動を停止させてしまい、メンバーは空中分解。再びステージに上がる事はないかに思えた僕たちですが、それでも年に数回顔を合わせる事があって大きく傷付いた絆を徐々に修復させて、2006年頃からバンド再開が現実化しました。Yoshi君は長野へ帰り、Hirokiはバンドを去りました。そして帰ってきたKuro君。そこへ僕とTeruが合流し原点に帰ることになりました。Sunshine Blues Bandの復活です。バンド名もTeruの提案で新たなネーミングを取る事にしてViolence Brothersとしました。名前の由来は僕達のサウンドが何故か物凄く悪ぶっていてクールに決めようとしてもついつい本性が出てしまう事からViolence Brothersにしたんです。本当はみんな温厚で優しい人達なんですよ。でも何故か楽器を手にすると本性が出てしまって隠しようがなくなるって言う・・・。困ったもんです。俺達ってホンマに「ワル」な音出してるなって思います。さて、最後のナンバーは以前のエントリーでも紹介したブルースナンバーです。


Crazy Dogs Counterattack(Sunshine Blues Band) 2006年録音 Violence Brothers MP3-192kbps/9.11M 6:38

前回のものを再びリミックスしたもので最後を締めくくる事にしましょう。僕たちはやはりこのメンバーがベストなようです。昔の勢いが戻ってきたと狂喜したものです。ここにYoshi君が居ないのは残念ですがいつか彼とのコラボレーションも実現する事でしょう。いや是非とも実現させたいです。
ということで僕たちのバンドの歴史を過去の音源と共に振り返ってみました。昔の音源はマスターの保存状況があまり良くなくて聞き苦しい点もあると思いますが少しでも聴いて頂ければ幸いです。僕のパフォーマンスは既に峠を越えてしまっていて下降傾向にあります。これは非常に残念ですが仕方ない事だと思って諦めています。でも、何とか現状を維持できるよう日頃からトレーニングを欠かさないようにしています。しかし、Kuro君の凄まじいテクとTeruの独創的なプレイが健在である限り僕は太鼓を叩き続けるでしょう・・・ホンマにヘタクソですけどね。お耳汚しにしかならなかったかもですが最後までお付き合いいただけて光栄です。温かい眼差しで僕たちの今後にご期待頂ければ望外の喜びです。

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