日光山系 ななころびのあの山の向こうに

あの山の向こうには何が待っているのだろう。7回ころんだら7回起き上がる、平凡ハイカーななころびの気まぐれ山行録です。

ずっと気になっていた三角点地は意外なものだった。     塩谷町大宮/ 235.5m

2015-04-17 00:59:00 | ななさんぽ

2015年4月12日(日)  晴 
午前中上沢山を初あるきして、歩道を歩いて旧大宮中のすぐ北に表記のある三角点235mを見に行く所からの続きです。午後1時を過ぎていますが、壬生の総合病院に見舞いに行くのに、まだ小一時間は猶予があるでしょう。

中学は廃校となり現在は他県から別の高校が移転してきて運営されているみたい。詳しい事情は知らないです。
(学校入口への角を曲がって、少し登る。校庭脇に今が盛りの桜が咲いていました。)



学校入口に何かの木で作られた道標が設置されているのは、いつも車を運転していて見て知っていました。でもそこに、何が書いてあるのかは知りませんでした。
初めて読んだ道標には、”西の山古墳群入口”と書いてありました。
舗道を上がるとグランド脇に出てそこには、古墳群の説明がかなり丁寧にされている表示板があります。どうもこの小山一帯が古墳群ともう一つの古墳と城跡などが集まっているようです。



肝心の三角点を探しましたが、見当たりません。地形図と見比べると、上の写真の”現在地(赤)”のあたりにあるようですが、無かったと思います。見落としでしょうか。
古墳にも多少興味があったので、グランド脇の高くなている林の方に登ってみます。三角点はそこにもありませんでしたが、番号付けされた古墳がいくつも点在しているのを見学できました。



それぞれの古墳ごと、わづかな土の盛りあがりがあります。1700年も前の古墳のようですが、その頃のこの周辺にも文明があったのですね。その頃の時代にちょっと訪れてみたいと思いませんか。



東の端の方に行くと大宮城跡の標柱と説明版があります。


その標柱の裏にはいかにも城跡にありがちな複雑な凹凸のある地形が確認できます。(p ↓)1300年代からあった城とのことで、1597年に廃城になったと説明されていました。今でもかなりの田舎の風情のこの周辺ですが、1300年代頃のこの辺はどんな景色だったのでしょう。しばし悠久の時の流れに思いを馳せます。



三角点探しを続けて、西の端のほうに行くとなにやら遠くにあづま屋のような建物を発見。もしやと近づいてみると、あったのは三角点ではなくて、斗光ケ丘古墳の移築再現されたもののようです。本物のその古墳は今ある学校の体育館あたりにあったものらしいです。



一通りざっと見学してでも全ての古墳を確認できなかったです。古墳って見ているようで、もしかして本物を実際に見たのは初めてのような気がしますが、このこ山が古墳群と城山だったとは意外でした。
(その小山をちょっと引いてみるとこんな感じ)



この小山の下にはお寺や保育園があって、この脇を毎日なな”は運転しているのです。この季節この里山風景はいつもいいなと、思って眺めてました。


車を回収するのに、20分くらいは農道を歩く必要があるようです。なな”の友人の元自宅で現在廃屋になっている小川(用水路?)の近くの場所で綺麗に咲いている花なんかを撮影です。
(ハナニラですか。とても綺麗でした。)


ムスカリでしょうか。


周辺の農道は、日曜なので走る車もすくないです。農作業をやってる人も今日はあまりいません。
北に雪のだいぶ溶けたように見える高原山が見えます。
さて、多少は足も使ったし、いろいろ歩けたので今日は満足です。これから、ちょっと離れた壬生の病院までドライブです。  




先ほど登った上沢山だと思われるピークが結構遠くに見えます。右の山林の斜面は後山(まるすてん山)の斜面です。足元の用水路脇の野の花もきれいでした。



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