あまもりのなんやかんや

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今日は62回目の終戦記念日

2007年08月15日 | 社会


城北公園淀川堤防上の千人塚(07年7/9撮影)
昭和20年6月7日、空襲による千人以上の遺体をここに集め供養したその記念塚

戦後62年。兵士として戦争に行かれた方々も80歳前後かそれ以上になるのですね。戦争の記憶がある方々も若くて60歳代。悲惨な戦争を日本も起こしたことを忘れてはいけないと思っています。

学校では戦争の悲惨さは教えてくれました。でも日本が起こした太平洋戦争の原因は教えてくれませんでした。おとなになってから自分なりに知ったっことをここに書いてみます。二度とあの悲惨な戦争を繰り返してほしくないとの思いから。

幕末の屈辱的な不平等条約の後の近代日本。欧米に追い付け追い越せと力(軍事力)を蓄えたものの石油等の資源の無さに焦燥する。しかしその焦燥感の方向を間違えて、本来は手を結び合わねばならないアジア各国を侵略した。それが「八紘一宇」の思想を元にした「大東亜共栄圏」。(八紘一宇を簡単にいえば、世界は一つの家だという意味です)

欧米の白人優先主義に異議を唱え、民族の誇りを取り戻すものとして最初はアジア各国に受け入れられた。やがて大東亜共栄圏の「アジアは一つ」の中心は「日本」であったことを知ったアジア各国は、日本も欧米と同じ侵略者であったことに気付き反発し始める。

一方、アジアに多くの植民地があった欧米は日本の大東亜共栄圏構想を危険視し、経済制裁を打ち出す(中国に満州国を強引に作ったことも経済制裁の大きな原因のひとつ)。孤立した日本は、ヒットラーのドイツと、ムッソリーニのイタリアと三国軍事同盟を結ぶ。これが更に欧米の反発を買うことになった。

経済制裁の緩和を求めていた日本に、アメリカはハルノートと呼ばれる制裁を緩和する条件書を突きつけてきた。日露戦争以降のアジアにおける日本領土の返還と日本軍の全面撤退要求の内容は受諾できるものではなく、これはアメリカの最後通牒であるとして交渉は決裂、開戦を決定した。ついに太平洋戦争へ突入する。日本の真珠湾攻撃は、それまで連合国に加わっていなかったアメリカにとって参戦への恰好の理由をもたらした。
(青字部分は日米開戦に至る経過を簡略しすぎていたので加筆した文です。8/16)

当時の日本は軍部に政権を牛耳られていたためにこんな暴走を許してしまったのか。明治以降の日本はどこで歯車が狂ってしまったのか。それとも始めから狂っていたのか。心ある政治家は口をつぐみ軍部の暴走に歯止めをかけられる人はいなかったに違いない。どちらにしても軍部の暴走は、やがて日本本土がアメリカ軍の爆撃対象となり、多くの民衆の命を奪うことになる。戦争指導者はもう勝てないとわかっていながら戦争を終わらせなかった。天皇制の維持と国体のあり方にこだわり悲惨な戦争を長引かせた。犠牲者の数は日に日に増えていくばかり。兵士や民衆の命をなんだと思っていたのだろうか。国とは民衆あってのもののはず。欧米の真似をした大東亜共栄圏構想と、アメリカを始めとする連合国軍との戦争で追い詰められた日本に、最早まともな判断ができる指導者はいなかったのだろうか。いつの世も犠牲になるのは庶民。

戦争を早く終結させるために広島と長崎に原爆を落としたというアメリカの言い分にも腹立たしさを覚える。原爆の威力を試すための実験台として、また連合国軍内で優位に立つために日本をターゲットにしたのではないのかと。原爆を落とさなくてもこの時期日本の敗北は決まっていた。ポツダム宣言を受諾し、無条件降伏を明らかにした8月14日以降も日本本土への爆撃をやめなかった。終戦当日の8月15日の朝も爆撃を受けて多くの人々が亡くなっている。敗北宣言を出し渋っていたからだとアメリカは言う。

戦争とは、かくも残酷なもの。人の心を失うもの。

敗戦国日本の民主化に戦勝国アメリカは大いに力を尽くした。日本人も復興に努力したが、今ある日本はアメリカの存在なくしては語れない。あまりにも多くの犠牲のもとに築かれた今の平和日本であることを忘れてはいけない。アメリカにとってもその後の東西の冷戦で日本は極東の軍事拠点として重要な友好国となった。

そのアメリカを中心にして作られた現在の日本国憲法。この戦争放棄を謳った平和憲法を最近、戦後レジームからの脱却と称して変えようとしている人々がいる。日米安保条約の下、アメリカ軍に守られている日本は本当の意味で独立していない。憲法を変えて日本は今こそ独立すべきだと。
この戦後レジームからの脱却を唱えている方々、日本軍に侵略された国々の存在を忘れていませんか。アメリカの都合に振り回されていませんか。憲法を変えても米軍基地はなくなりませんよ。日本を再び戦争に巻き込むつもりですか。
憲法第九条の戦争放棄の条項は世界に誇るべきもので、私は生まれてこのかたこの平和憲法しか知らない。与えられたものであっても良いものは良い。この憲法を守ってきた日本に誇りを感じます。今後もそう感じたい。
戦後レジュームと表記していましたが戦後レジームの表現が正しいということで修正しました。
※レジーム…regime(政権、制度、体制)
(レジームなどと英語を使用せずに戦後体制と言えばいいのに。←自分の言い訳と愚痴)

コメント欄は無しにします。
これはあくまで私自身の思いを書いただけですので。ご容赦ください。


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