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裏は水道記念館の場所を示すMap
大阪市東淀川区の柴島浄水場(大阪市立)の中にある「水道記念館」です。
〔柴島は「くにじま」と読みます〕
以前紹介した長柄橋(ながらばし)の北詰めからすぐの淀川沿いにあり、中之島公会堂(中央公会堂)とよく似た煉瓦と御影石の建造物は有形文化財に指定されています。
1914年(大正3年)から1986年(昭和61年)までの72年間、浄水場の「第1配水ポンプ場」として活躍していましたが、設備の老朽化のためその役目を終えました。
1995年(平成7年)に、大阪市の水道通水100周年の記念事業の一環として、この歴史ある建物は「水道記念館」に生まれ変わり一般公開されました。
水道の歴史や、水源である淀川の魚介類を飼育展示し、親子でも楽しめるように工夫が凝らされています(もちろんカップルでも、ひとりでも)。入場は無料。
中は、そんなに広くはないですが、川の魚介類の豊富なこと。
今では幻の魚といわれるイタセンパラ、アユモドキ、オヤニラミ等を含む186種、12,532個体(2007.11.01現在)が飼育され、淡水魚の水族館としてはかなり充実した施設です。
淀川には元々こんなに多くの魚介類が棲息していたのかと驚き、もうこの施設でしか見られないことに寂しさを感じ、かつては棲んでいた魚たちを大切に保存飼育しているその努力に感動も覚えました。
魚介類だけでなく大阪の水の歴史も充実していました。
明治初めまで、大阪は「水屋(みずや)」と呼ばれた水売り業者から飲料水を買っていたことを知って、これには本当に驚きました。(アルバム下段(13))
以下は館内の説明板に書かれていたことです。
〈水屋のいた大阪〉
江戸時代、大阪には井戸があったものの、飲み水には適していないものが多かったため、
大阪の人々は主に淀川の水を飲んでいました。
しかし、人出のない家庭では毎日の水汲みは大変な仕事です。
そこで活躍したのが、水屋という水売り業者です。
水屋は水船を出して大川から汲んできた水を町中で売り歩いていました。
水を買う家庭などでは軒先に「水入用」の木札をぶらさげたといわれています。
(注)大川とは当時の淀川のこと。〈注記は説明板に無し〉
〈井戸〉
一般家庭において井戸水のほとんどは
洗たくなどの生活用水や火災時の消火用水として使われていました。
海面から陸化した土地である大阪平野の地下水は、塩分を多く含んでいたことから、
飲み水として適さなかったのです。
飲料用の水を毎日川から汲む作業は大変だったため
水道創設が強く望まれるようになりました。
去年「梅田も難波も海の中」で上町台地を除く今の大阪市内はほとんど海中にあったことを書きましたが、その影響が井戸水にも出ていたんですね。
水屋の存在もなるほどとうなづけました。
水道施設が出来るまでの大阪は飲み水に苦労していたことを知り、大阪に限っては「湯水の如く」の譬えは無かったのだと思いました。
蛇口をひねるとすぐ水が出る便利な水道の有り難さを実感した水道記念館でした。
【追記】11月10日 6:21pm
辞書で「ポンプ」を調べると、
ポンプはオランダ語で、これに「喞筒」の漢字を当てた、とありました。
アメリカを「亜米利加」、オランダを「阿蘭陀」と漢字に当てたのと同様ですね。
アルバムの上段(4)の建物の入り口上にある古い漢字「送水喞筒場」は「送水ポンプ場」と読むことがわかりました。
大阪市内は良い井戸水が得られず水売り(水屋)が天秤棒を担いで売り歩いていたという事は、私もつい最近知りました。
(東横堀川水辺再生会議の勉強会にて)
淀川の淡水魚がたくさん飼育されているとあらば是非とも見に行かねば・・・
新参者としてブルーギルやブラックバスなんかも養われているのかなぁ。
建物もなかなかオシャレでゆっくり楽しめそうですね。
ここ、気に入りました。
あまもりさんに教えてもろて行きたいとこいっぱい!
なかなか行かれへんねんけど 大阪の魅力どんどん発信して下さい。
私も今回初めて行きました。淀川の堤防をサイクリングして。
(以前の「淀川の秋」はその行きしなに撮ったもの)
煉瓦造りのこの古い建物は長柄橋を渡る時いつも見てるけど、浄水場は古い建物を大事に保管してるなぁぐらいでした。水道記念館があることを知ったのはつい最近、近所の人から聞いたんです。
おっ、水屋のこと、スイポテさんは、eよこ会で知ってはったんやね。さすがeよこ会、川の歴史に造詣が深い。
新参者のブラックバスもブルーギルも居ました。
もちろん他の魚とは別々にね。
大阪、探せばまだまだ面白いとこいっぱいありそう。
とても立派な建物です。こういうレトロ調の建物は是非に残したいですね。
アプローチは本当にシャレています。
へえ~昔は水の都大阪でも水は買うものだったんですね。
水屋さんがカメに水を入れていくんですね。きっと。
当時の生活は大変だったものの今のように化学物質は無いから却って川の水でも飲めたのかもしれませんが
私の母の実家が都島区にあったんですが、戦争で焼かれたらしいです。
この地図にあまもりさんの家の印が無かった~
それは大きすぎて書ききれないのかもしれません。
何しろ淀川と神崎川が庭ですから。
神崎川が向こうに見えてますね。
この辺りのことは私は分かりませんね。
水道記念館を素敵な画像表現と巧みな文章表現で解説していただきありがとうございました。上段の最初の画像を見たとき、”どっかで見たな”と感じましたが中ノ島公会堂だったのですね。当時はレンガつくりのとてもハイカラな建物で目立ったでしょうね。
この水道記念館にはいろんな展示物があって面白そうですね。カメさんのいる池まであるのですね。建物表示が漢字で、しかも右から左に書いてあるのを見ると歴史を感じます。送水ポンプの漢字は読めそうに無い字ですが、明治の人たちの翻訳力に感服します。この翻訳に関連して話は飛びますが、明治時代に英語の科学用語を日本人が漢字にしたものを、今では漢字の本家である中国では沢山使っているようです。感謝してもらいたいですね。
川の魚介類の紹介もあるのですね。大阪の小中学校の生徒もここの見学に沢山来るのでしょうね。本で読むより理解に役立ちますね。
水屋の話もなかなか面白いですね。水を桶に入れて天秤棒でかついで売り歩いたのですか。水の豊富な江戸でもその商売があったと本で読んだことがあります。昔の台所の様子ですが、昭和30年代では千葉の田舎ではこんな恰好をしていましたよ。
私も、大阪に5年おりましたが、毎日伝書鳩のように、家と職場を行ったりきたりの生活で、大阪のことは観光名所しか知らないですね(花ぐるまも第1配水ポンプ場は記憶に無いそうです)。是非何時の日か行ってみたいです。
有難うございました。オオキニ
お洒落なアプローチをくぐって中に入ると
野川にも沢山居る亀さんのお出迎え・・・フフフ・・
水時計は始めて見たのですが、
太陽、雲、月、星と
なかなかお洒落なデザインですね。
水のトンネルをくぐったらお魚の勉強室有り、面白い設備も
作ってあり子供もこれなら大喜びですね。
なんと言っても水屋が良かった!
天秤棒担いだおじさんがいいです。
井戸が使えなかったとは、、
水屋が居た事も知らなかったです。
昔の台所の大きな瓶をどこかで見た事があると
思ったら何と我が家のベランダに瓶をひっくり返して
その上に梅の盆栽を乗せているのですわ。
昔も水を買っていたそうですが、今も水を買っているでは
ないですか、、天秤棒ではないけれど
クロネコちゃんが走って届けてくれますね。
歴史は繰り返されますね。
淡水魚の水族館はとても充実した施設ですね。
淀川に魚介類が沢山棲息していたのですね。
昔棲んでいた魚達を大切に保存し飼育されて
いるのに感心しました。
大阪はすごい所です。
あまもりさんを次期 大阪市長に
推薦したい気持ちです。
これだけ上手に大阪を宣伝されるのですもの・・・
『そうだ!大阪へ行こう!』ってね。ホホホ・・
この辺りでは、つい40年前までは井戸水を飲んでいました。ただし、一端沸騰させてから冷やして飲んでいたことを覚えています。
昔の台所の再現写真、とても懐かしく感じました。水瓶が二つ。ありましたありました。火を使ったから安全のために土間でした。それにヘッツイさんが二口ありました。
魚関係の充実した図書館まであるんですね。東京にこんなのあったかなぁ。女性が一人お勉強をしています。静かな雰囲気です。
有形文化財指定の煉瓦造りの建物、綺麗ですねぇ。犬山の明治村へ行かないと見られない建物です。東京駅とか横浜の煉瓦倉庫群では、まだ見られますが、これほど鮮やかではありません。大阪市は太っ腹ですね。入場無料とは。
日頃当たり前のように水を使っている私達。もう少し水道設備に興味を持つべきだと思いました。
感心したのはここの水族館でしか見られなくなってしまった魚を大切に保護している努力の大きさや、このまたまた大作の記事を仕上げたあまもりさんの努力等々です。
そこで学んだことをちゃんと憶えて帰り記事にする頭脳はもう(昔からだった)私には無いようなので余計感心するのですが、大阪という街を改めて見直します。大阪を誇りに思うあまもりさんの気持ちも強く伝わってきます。
おおきに!でした。
柴島にこんなりっぱな建物があったのですか?
柴島をくにじまと覚えられなくて苦労しました。
確か桜の美しいところでは?
大正時代の煉瓦の建物がここにも残っていたのですね。嬉しくなりますね。
イタセンパラ、アユモドキ、オヤニラミなどの魚もみることができるのですか?もう幻の魚になってしまいましたね・・・・
是非一度訪ねてみたいと思います。
そう思っているのなら行かないと意味が無い
あっちも行きたいこっちも行きたい。
そう思っているだけで実際にはなかなか実行にうつせない。
あまもりさんが見てきてくれたからまぁいいか!?
以前の浄水場は広い敷地が必要でプ-ルみたいなのがいっぱいありましたが、最新の高度浄水方式には広い場所は必要でなくなったようです。
確かに以前の大阪の水道水は薬品の臭いが残っていてまずかった。
昔は喉が渇くとそんな水でも蛇口に口を付けてゴクゴクと飲んでいたもんです。
しかし今の水は格段に美味くなりました。
よくTV番組で目隠しをしたレポ-タ-が水道水とミネラルウオ-タ-を飲み比べる場面を目にしますが区別がつかないようにまでなりました。
我が家でも夏場は水道水の湯冷ましを冷蔵庫で冷して飲んでます。これで十分ですよ。
大阪の水道水の元である淀川の水は、滋賀県・京都府でそれぞれ下水処理をされて使った後の残りカスをまた浄化して使っているというイメ-ジがあって、こんな水を飲まなければいけない事に凄い抵抗感がありました。
しかし今ではそんな気持ちもようやく薄れてきました。
ヨ-ロッパの川は何ヶ国にもまたがって流れているから国同士の争いもあるだろうし、中国の川の長さは半端じゃないし汚染された水を流されて困っている下流の国もあるしなぁ。
水に恵まれた日本であまり贅沢な事を言ってはいけませんね。
環境にやさしい生活を心がけましょう。