59歳「じージ」の癌治療日記

2005年11月、胃がんと診断された3人の孫を持つ59歳男性の治療記録

あきらめない

2006-08-05 08:40:50 | Weblog

8月4日(金曜日)
今日も暑い。
病院へ行くバスの中で本を読んでいて、涙か止まらず困った。
鼻水をすすりながら読んでいたので周りの人は不思議がっただろう。
諏訪中央病院元院長の鎌田實先生が書いた「あきらめない」という本だ。
諏訪中央病院は末期がんやそのほかの病気で緩和ケアが必要な患者さんを主に引き受けて治療しているようだが、治療方針が患者の立場に立った患者本位の医療を心がけている病院だ。
「がんばらない」という本を基にしたテレビドラマも西田敏行主演で放映されたらしいので見た人も居るかもしれない。残念な事に私は見ていない。
私の読んだ「あきらめない」は末期のがんやそのほかの病気でなくなっていった何人かの患者さんのなくなるまでの闘病生活をつづったものだ。
それぞれの患者が真剣に生きようとし、それを病院スタッフが本気で手助けする姿が描かれている。

最後の章に書かれている40代女性の胃がんの患者さんの話は親子の情愛がにじみ出ていてついつい涙してしまった。
悪性度の高いスキルス胃がんだった。既にがん性腹膜炎で腹水がたまっていた。「余命3ヶ月、もう手の施しようのない胃がん」と病院から家族は説明を受けていた。すでに腸閉塞になりかかっていた。腹部に大きな塊があり、お腹が張って吐き気の為食事が取れなくなってきていた。胃の出口の幽門近くの胃壁が、がん細胞の増殖で狭窄を起こしていた。腹腔内にがん細胞が播種されて横行結腸とS状結腸の癒着がおきており、腸の内腔も狭くなっていた。尿管の周りにもがんが広がって、右側の腎臓では水腎症もおきかかっていた。
諏訪中央病院で痛みが緩和されると、「私、生きたい」と言う。
「辛い時はそんな事は思わなかったけど、痛みが取れたら、もう少し生きたいと思うようになった」 と。
彼女にいは子供が2人いて、上の子が男の子で高校3年生、下の子が女の子で高校2年生だった。
「子供の卒業式まで生きたい」
彼女の最初の希望だった。なんと彼女は抗癌剤治療を続けながら長男の卒業式に出席した。
「家族のために生きたい」という彼女の思いが身体の奥に内在する、治ろうとする免疫系の細胞を活性化して、ナチュラルキラー細胞やマクロファージやがん抑制遺伝子ががん細胞の暴走に抑止的に働いたのだろう、と書かれている。
彼女は一つの希望が達成されると、新しい希望を次々と持っていた。
「末っ子の推薦入学が決まる秋まで生きていたい」
だが、その時の状態ではとてもそこまで生きられるとは誰も予想できなかった。しかしすごい事が起きた。
彼女には手術もできず、抗癌剤も効かなくなっていたがいつも明るく不思議なパワーを持っていた。主治医は家で過ごす最後のチャンスを考えていた。 そして彼女は一時退院した。
身体の調子の良いときに台所にたった。常識的には彼女にはもう、お勝手の仕事をする体力は残っていないと思われた。
娘のお弁当を作った。
娘は学校で久し振りにお母さんの作ってくれたお弁当を明けた。
なつかしさがこみあげてきた。うれしくて、せつなくて、せつなくて涙がポロポロと落ちてきた。
40日間の一時退院の後、彼女はまた緩和ケア病棟に帰って来た。
そして3月の娘の卒業式を迎えられた。式には出席できなかったが余命3ヶ月と言われた命は1年8ヶ月生きた。
病気の全てを受容した上で「子供のために生きたい」命があった、「あきらめない」、「生きたい」という思いが想像を超えた結果を作り出した。
医学や科学では分からない事が人間の身体の中にはある。

鎌田先生の言葉に
「がんばらない、でも、あきらめない」というのがある。
病気になって、ともすれば早く良くなりたいがゆえに、ついつい本人も頑張ろうと思うし回りも「がんばって」と声をかけたくなる。
だけど、頑張るという事は目標を定め、わき目も振らず、寄り道もせずに一目散に目標に向けてひた走るイメージが強く、患者にとってはストレスになる。それよりも道はいくつもあり、どの方法を選ぶかは自由で、途中の道草もあって良いじゃないか、間違ってたら別の道に変わればいい。
だからそんなに頑張らなくて良いんだよ。
だけど、生きる事をあきらめてはいけない、命に関しては真剣に取り組まなければいけない。現実を受け入れながら、あきらめずに、丁寧に生きる事が可能なのだろうか、と鎌田先生は問いかけている。
その答えが前述の胃がんの女性の生き方に形として示された。

健康な状態でこの本を読んでいたら、
「世の中にはいろいろ大変な人も居るんだな」
程度の感想だっただろう。
自分も癌を患い治療中の身であればこそ、これだけ感激したのかも知れない。