台湾食材 BETHESDA KASHIWA

美味しい台湾食材をはじめ何だかんだ日々のこと書き綴ります。
クリスチャンファミリー

【朝の息子へイライラ!】

2010-09-23 01:26:09 | 日記
【朝の息子へイライラ!】

朝をのんびりとくつろぐ息子・・・
パンをおもむろに千切って、ゆったりと
口へと運ぶ!
スープをまったり、ゆったりと味わい
啜る!
パパは、イライラ イライラ
ついつい
「もう、大丈夫なの ぉ」
「もう、時間だ ょ」と口からは出てしまう。
その声は、初めは優しいが、じょじょに
険しくなり、荒立ってくる。
果ては、とうとう怒鳴ってしまう。
「さっさと学校へ行かないと遅刻するゾォ~~~」
そんなパパの怒鳴り声に、肝が据わった息子も
やっと重たい腰を上げランドセルを背負いだす。

パパ
「ホォ~~~」

するとまたも息子!
パパの隙を見抜いたが如くに
ランドセルを下ろして
「チョット トイレ・・・」
パパは、
頭から湯気が昇り始めて、
「いいかげん遅刻するゾォ~~~」と
また、怒鳴り声を高ぶらせる。

それからやっと玄関で
イエスキリストへの信仰告白を
ペラペラペラと早口で済ませて
アーメン と出て行った。

その息子の後姿にパパは、
「もうチョット心をこめなさい」と
また怒鳴る。
息子は、聞こえないのか、パパの声を
振り切るように飛び出して出て行った。

しばらくしてから
息子がコソコソコソと帰ってきた。
抜き足差し足忍び足で玄関を開けて入って
くる。
何かを探し玄関の方へまた向かう。
パパが、気がつき息子に
「どうしたの!」と聞くと。
息子は、「習字道具を忘れたの」と
照れくさそうに笑い
そそくさとまた飛び出して行った。

でも、キッチンを手入れしにパパが、
キッチンに入ると、そこには、今日
持って行くために息子が準備していた
水筒(すいとう)がヒョコットとまだ
置いてある。
(困ったものだ)

パパが、
「あいつ忘れたネ」とママに微笑むと
ママは、「これも忘れたネ」と別の方を
指差した。
其処には、洗ったと思われる
習字の筆が三本並んで置いてあ。
「あいつ忘れたネ」
「あいつ習字の時間、青くなるネ」
「まったく あいつ・・・」
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【この世とあの世】

2010-09-21 02:02:47 | 日記
【この世とあの世】

死は眠りではない。
「神の国」または「ゲヘナ」に入る
中間状態「パラダイス」または「ハデス」は、
最後の審判を控えての、さばきかいのちかが
判明していない不明瞭な中立的な取り扱いを
受ける状態ではない。
その後ついては、死の前にすでに決まっている
のである。
ゆえに、私たちは死後の状態に過度に注目する
のでなく、今に目を向け、イエス・キリストを
信じて神の国に行く約束を信じて歩み、人々に
伝えてものである。

この世からあの世に入る前にすでに、
中間状態「パラダイス」または「ハデス」に
入ることは定まっている。
そして終末を迎えたときには、
「パラダイス」から「神の国」へ送られ
「ハデス」から「ゲヘナ」へと送られて行く

煉獄(れんごく)の思想=中間状態に関しては、
聖書が十分に語っていないことから生まれて
きたカトリックの教理、中間状態では、罪の
ために魂が苦しみを受けるが、その罪が償われ
るならきよめられるとする。

1、 センカドチャンス論-第一ペテロ4章6節
根拠となる聖書箇所は多くない。
2、 死後の魂の存在を否定する霊魂絶淢説。
3、 死後の状態を、復活までは無意識であるとする
睡眠説。
4、 不信者の霊魂については消滅あるいは
無意識となると説く条件的不滅説(エホバの証人)。

聖書の中間状態について十分な説明をしない。
それは私たちが、十分には知る必要のない
ことなのではないか。
イエス・キリストを信じているなら、死後の
ことについては安心してよいと受け取り、
今をどう生きるかを考えていきたい。

(参考: 土浦めぐみ教会 水曜礼拝より)

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【パラダイス】

2010-09-20 09:33:16 | 日記
   【パラダイス】

ルカによる福音書23章43節
「わたしとともにパラダイスにいます」
→ イエスは、デイスマス(良い盗賊) が死後、
キリストとともに、ただちにパラダイスに入ると
語った。
第二コンント人への手紙12章4節
「パラダイスに引き上げられて、人間には
語ることを赦されていない・・・ことばを
聞いたことを知っています。」→ パウロは、
主から与えられた幻に言及(げんきゅう)し、
「第三の天」、つまり神の住みかである「パラダイス」
での親密的体験を述べています。
黙示録2章7節
「勝利を得る者に、わたしは神のパラダイスに
あるいのちの木の実を食べさせよう。」→
終末時における義人の住まいとして備えられている
場所のことと取れる。

中間状態に関して聖書は十分な見解を述べて
いないが、死後、信者は祝福の場所である
パラダイスに、不信者は苦しみと刑罰の場所
(第二ペテロ2章9節)に置かれると理解していいの
ではないか。
(参考: 土浦めぐみ教会 水曜礼拝より)

(参考)
イエス・キリストと一緒に十字架に掛かった
盗賊を、
デイスマス(良い盗賊) が死後、
ゲスマス(悪い盗賊) と言う。

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【ハデス】

2010-09-19 06:29:10 | 日記
【ハデス】

[ハデス]
マタイによる福音書16章18節
「ハデスの門もそれには打ち勝てません」
イザヤ書38章10節
「よみの門」に対応するもので、「死の力」を
意味していると取れる。
ルカによる福音書16章23節
「その金持ちは、ハデスで苦しみながら目を
上げると・・・」
イエスのたとえの中で、「ハデス」は、
「悪人りための苦しみと刑罰の場所」として
描かれている。
黙示録20章13節
「死とハデスも、その中にいる死者を出した・・・」
ハデスが死者を出したとは、さばきを受けるために、
よみがえったことと解される。
ハデスの中間状態への言及(げんきゅう)と取れる。

ハデスは、カトリックでは、煉獄(れんごく)と
されている。
ハデスで悔い改めれば神の国に入れるとも、
されているところもある。
ハデスは、「死」・・・
新約聖書で約9ヶ所のところに出てくる。
「アブラハムの懐(ふところ)」と「ハデス」に
分けられている。
(参考: 土浦めぐみ教会 水曜礼拝より)

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【シェオール】 写真:金曜祈祷会風景

2010-09-18 08:51:03 | 日記

 

 

【シェオール】

[シェオール]=[よみ](創世記37章35節)

[よみ]
聖書の旧約書では、死後の世界に区分なく、
死者の住む場所や状態を総称して「よみ」と
表現していると理解できる。

死を「眠り」(詩篇13章3節)と表現するが、
死の比喩的(ひゆてき)な表現であって、
魂は意識的に存在し続けると考える。

[シェオール]
聖書の新約書では、「よみ」の概念が明確化
され、「よみ」は、単に死者の存在する場所3
ではなく、義人のための祝福の場所と、
悪人のための刑罰の場所の2つの場所に
区分され分かれた。シェオールの概念に、
道徳的な区別が付け加えられるようになった。

「よみ」の言葉は、聖書に60ヶ所以上書かれて
いるという。

(参考: 土浦めぐみ教会 水曜礼拝より)


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