【待つべきもの】東京サラン教会2011年9月18日
今日の礼拝から新しいことが始まる。
「待つ」と言う言葉は聖書にとっての
キーワードです。
アブラハムもスタートは、平凡でも
75歳で世界観が変えられ、その約束を
25年待って、子が与えられたように、
ヤコブが石枕で寝、天使天軍の声を聴き
20年以上の歳月を待ち経て、恵みを
得たように、ヨセフのビジョンが叶うまでに
悔しい思いの中で、20年待ち望み
勝利したように、タビデもイスラエルの
リーターとなるまで20年近くの歳月を
煉り作られて待ち望んで立てられた
ように、私たちも待ち望むことで、
その姿は、イエス様の似姿に近づけられて
行くのです。
待つべきものを正しく待つものこそが、
神様の恵みを受け取れるのです。
アッパールーム(カラッパン)に集い祈る
者たちには、父の約束が必ず降る(くだる)
のです。
神様のサタンを破る秘密作戦のコアが、
十二弟子だったように、私たちの今の
格闘は、神様の勝利を見る為の前振り(まえふり)
にしかすぎません。
私たちが私たちのエルサレムに留まり待ち望む
ことが、神様があなたの人生を通して行うことを
語られる期待の時なのです。
それは、世のことを追及することでは
ありません。
心を合わせて祈りなさい。
罪性(ざいせい)を持っていてはなかなか一つに
なれません。
神の信義の分かち合いによって、道は正しく
整えられて行くのです。
そこにある一つの目的は、神の御言葉を
分かち合うことで、天国の前味を
味わうことです。
ペテロが120名の弟子のなかでユダの
話しをし始めたのは、12人の使徒の悔い改め
でした。
イエス様に愛された者たちの敗北を認め
悔い改めることでした。(22節)
イエス・キリストの復活の証人となる決断です。
私は愛であり道であり真理です とイエスの
御名で導く信義です。
弟子たちに御霊と御言葉が備えられたように
おこるべき苦難から逃げず屈せずするなら
その信仰があなたを救い育てるのです。
イスカリオテのユダのように罪に
たたきのめされるのでなく、ペテロの
ように三回の「しらない」の否定を
悔い改めたように、罪の悔い改めをする
なら、待つべきものは、正しく待つ恵みを
受け取れるのです。
臭いモノに蓋(ふた)をしても、やっぱり
中身は、臭いモノです。
十字架の血潮によって、変えることが必要
なのです。
イエス様の似姿に作り変えられることが、
究極な召し(めし)です。
悟りなさい
今日の礼拝から新しいことが始まるのですから
ハレルヤ エーメン
東京サラン教会 2011年9月18日
父の約束を待ち、聖霊の人に変えられる過程
使徒の働き1章13-26節
メッセンジャー 坂本兵部牧師
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