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クリスチャンファミリー

【なお二日とどまられた】(ヨハネ11章1-16節)

2013-10-30 10:20:17 | 祈り

【なお二日とどまられた】(ヨハネ11章1-16節)
筑波福音自由基督教会
2013年10月20日主日礼拝説教梗概
メッセンジャー 森 正義 牧師

1 先月(9月22日)礼拝(ヨハネ11章1-5)の復習
(1) ラザロとはどんな人物か。
A. 「或る人」という冒頭の紹介の言葉
B. 続いて「ラザロ」という個人名について
C. イエスの愛を感じながら生活した人物。
(2) 主イエスはラザロをどのように見られたか。
  A 私の友 弟子ではない。ヨハネ15章14-15節
B 私たちの友
C ラザロの病名をイエスは「死んで終わる
だけのものでない病気」という診断をされた。
この病気には続きがある。それは神の栄光、イエス
ご自身の栄光即ち十字架の贖いの死へと続く。

2 今日は6節を中心にその続きを学びます。
(1) ヨハネ11章6節。イエス様は「ラザロの
病気の知らせを受けてからなお二日そこに
留まられた。」それは、ヨルダン川の東側で、
ベタニアから20キロ「一日の道程」の場所。

(2) 使いの者が到着してから、なぜ二日間もそこに
留まられたのか。
「そのようなわけで」とはどんなわけか?
  A 「死ぬほどではないから二日とどまられた」と
    言うことを考えられます。
B マリヤ・マルタの使いの者の言葉に緊急性が感じ
られない。という考え。

チャールス スポルジョン Spurgeon Charles
1834 - 92年
もし私たちの願いを全部イエスと言って、私たちの
願いどうりになるのであれば、それは、呪いにこそなれ、
祝福にはならない。なぜなら私たちの人生の責任を私たち
が負わなければならないからです。それは、私たちを
不安に陥れるだけです。
(私 参考 映画「ブルースオールマイティー」)

C 5節「イエスはマルタとその姉妹とラザロとを愛し
  ておられた」から二日もそこにとどまられた。これが
  神様の取り扱いである場合がしばしばある。
  出エジプトのイスラエルの民に対する神の取り扱い。

  ジョン・カルバン (John Calvan) 1509 -1564年
  「人が必要とする早さで神の助けがこない場合、私たちはの
その願いを持ち続けることを学ばなければならない。」
その遅れがどれほどであっても、決して神は眠っておられず、
その御民を忘れておられるのではない」
(私 参考 映画「エバンオールマイティー」)


D 主イエスの愛する家族に対する態度
  ヨハネ2章のカナの婚礼の時。
  ヨハネ7章、仮庵の祭りの時、
(ヨハネの福音書7章3-10節)イエスの兄弟たちとの会話
ここに、母マリヤの信仰を見られた主イエスの姿、
また兄弟だからとの義理人情に縛られず、自分の生き方を
貫き通すイエス様の見ることができます。
また、ラザロの姉妹マルタ・マリヤがこの苦しみに耐え得る
ことを見られた主の姿を見ることができる。

神の時がある。
 伝道者の書3章1節以下にすべてに時がある。と述べて、
 3章11節 神のなさることは、すべて時にかなって美しい。
 神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、
 神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめことが
 できない。

祈りに対する神の答え 
「Yes イエス」、「No ノー」、「Wait 待て」の三つがある。

第一コリント10章13節 あなたがたの会った試練はみな人の知ら
ないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、
耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。
むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくだ
さいます。

3 この二日間はマリヤやマルタ、或いは弟子たちだけでなく、
イエス様ご自身の忍耐の時でした。
この忍耐の時を経て、新しい局面が展開します。
* 7節「もう一度ユダヤに行こう」と宣言された。
* ユダヤとはどういう所か。
ヨハネ11章8節 イエス様の殺されるところ(ルカ9章51節)
* 「ベタニヤへ行こう」ではなく「ユダヤに行こう」である。
  イエス様の最終目的地、死を意味する場所ユダヤへ行こうと
  言われた。
* それも「弟子達にユダヤへ行け」でも「わたしはユダヤへ行く」
  でもない。「一緒に行こう」なのです。
弟子達の意見を求め、同意を求めるイエス様です。
信仰生活とはイエス様と一緒に歩みことです。
* 道中の会話 ラザロの「死」「眠り」を明言された。

結び
私たちの信仰生活には分からないことが多々ある。然し主の
真実を疑うことができない。
第二テモテ2章13節 私たちは真実でなくても、彼は常に
真実である。彼にはご自身を否むことができないからである。



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