三味線名人であり竪琴の名手でもありまた職人でもあり唄者でもある
阿世知幸雄さんが数日前に亡くなられたと聞いた。
非常に残念である。
あの三味線や竪琴の音色、そして遠慮がちに唄うハスキーな唄声が大好きだった。
故人のおご冥福をお祈りします。
8年前にもこのブログで書かせてもらったエピソードをもう一度。
(以下原文)
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祖父のビデオコレクションの中からまた新たなテープを発見した。
『アセチ琴』と背表紙に走り書きされたそのVHSテープを再生してみると名瀬の三味線名人・阿世知さんが手作りの竪琴で演奏するシマ唄が何曲も収録されていた。
背景から察すると阿世知三味線店の店内のようだ。よいすら節、行きゅんんにゃ加那節など数曲を演奏したあと阿世知さんは徐に話し始めた。
昭和30年に神戸に移住した事、まだ17~8歳だったのでシマが恋しくて毎日船着き場へ行き奄美航路を見ていた事、「寂しくなったらこれを唄いなさい」と
祖母が黒だんど節の歌詞を教えてくれた事、その唄を岬で唄ったら涙があふれてきて最後まで唄えなかった事、などを訥々と話し始めたのだ。
そして「風邪でちょっと声が悪いのですが」と前置きし、すぐに「風邪でなくても声は悪いのですが」と言い苦笑しながら竪琴で黒だんど節を唄い始めた。
私は味のある阿世知さんの唄声が大好きだ。“悪い声”だなんてとんでもない。
♪鳴きゅん鳥ぐゎ 岬ぬ端なんて 吾きゃシマ向かとて
思じ泣き 阿母と慈父が
【訳】岬の先で自分の故郷に向かって鳥が鳴いている
故郷の両親を思い出して泣いているのだ
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