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鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

大混雑!東北本線

2019-06-16 | 鉄道の旅


平 成 3 0 年 ( 2 0 1 8 年 ) 9 月 1 日 ( 土 )

午 前 1 1 時 4 0 分

福 島 県 田 村 郡 三 春 町

J R 三 春 駅



三春城から戻りました。



駅に戻ってはじめて、伊達政宗の正室・(めご)の実家だったんだよアピールが見られました。


時刻は、午前11時40分。
この日は朝食を食べていないので、良い具合に空腹になってきました。



次の目的地は宮城県の白石なので、今度の電車は11時58分発 磐越東線 普通列車 郡山行きとなります。
発車時刻まで20分弱ですが、ここでなんとか食事をしておきたいところ。



天ぷらそば、うまい!

駅のファストフード、駅そば。
三春駅構内のばんとうプラザにあるそば屋さん。
ここで天ぷらそば(350円)と、炙り三角揚げ(200円)の食券を購入。
食券を出して数分たたないうちに、天ぷらそばは出てきたのですが・・・炙り三角揚げがなかなか出てきません。
やはり「炙り」は時間がかかるのでしょうか?
刻々と迫る発車時刻にやきもきしながらも・・・



炙り三角揚げ! うまい!!
厚みのある三角形の油揚げに、甘めの味噌がとても合います。
ゆっくり味わいたかったのですが、発車時刻の関係で急がなければならなかったのが残念ですね。


三春を発つ前に「城攻め」を行い・・・
三春駅からはだいぶ距離がある瀬戸川館(本宮市)を攻略できました。



列車は定刻どおりに発車し、



定刻どおり、2駅先の郡山駅に到着しました。




午 後 1 2 時 1 1 分

J R 郡 山 駅




約2年ぶりの郡山駅
とはいえ当時はただ通過しただけで、今回もほぼ通過するだけ。
ただ滞在時間は30分弱ほどあるので、



昼飯!
三春駅? あれは遅すぎた朝食ですよ。



天ぷらそば、うまい。
・・・ただ、三春駅で食べたそばのほうがうまかったかな。

さらに時間があったので、郡山が誇る菓匠「三万石」のショップへ。



「ミルクたっぷり ママの味」で有名なままどおる(5個入り540円)。
知名度ではままどおるに一歩及ばないものの、その味はままどおるを上回るというエキソンパイ(8個入り1,350円)を購入しました。



おみやげを買った時に、おまけでもらったままどおる。



「笑顔いっぱい ママの味」ですね!


さてさて、郡山駅からは・・・



12時42分発 東北本線 普通電車 福島行きに乗ることになります。
しかし駅構内アナウンスより、「須賀川方面からの電車が遅れている」ので、その接続を待つとのこと。

発車予定時刻から約5分後、須賀川からの下り電車が到着。
乗換客が大挙して乗り込み、2両編成の電車はなかなかの混みっぷり。
土曜日の昼間にしても、この混雑は・・・何かイベントでもあるのだろうか?
そう思いながらも、電車は8分遅れで郡山駅を発ちました。



混雑する車内、着席したのは通勤タイプのロングシート。
車窓からの景色も楽しめず、こうなりゃ「城攻め」あるのみ。



日本100名城・第11番、二本松城攻略!
二本松城の最寄駅・二本松駅では、ほかに田地ヶ岡館(二本松市)も攻略できました。



「伊達三傑」、武の伊達藤五郎成実&智の片倉小十郎景綱
まさか二本松で小十郎さんに出会えてしまうとは・・・彼はてっきり白石にいるんじゃないかと思っていました。
ですが伊達成実も片倉景綱も、政宗の奥州攻略の段階で二本松城の城代を務めていました。
そのため、二本松で伊達三傑のうちの二人が一挙に登用できたのですね。
こうなりゃあと一人、政の鬼庭綱元も見つけたいですね。

二本松義国さんは、その苗字が表すように元の二本松城主で、畠山氏の流れをくみます。
畠山氏は室町幕府の管領を務めた家柄で、各国に所領をもっていましたが、二本松畠山氏の所領は小さく、周辺大名の顔色を窺いながらの苦しい立場だったようです。
安田能元(よしもと)さんは上杉景勝の家臣で、景勝が会津120万石の所領を有していたころに二本松城の城代を務めていました。


13時21分、松川駅八丁目城(福島市)を攻略、遠藤基信を登用。
遠藤基信は、政宗の父・輝宗に重用され、景綱を政宗の傅役(もりやく)(教育係)に推薦した人物です。

13時32分、南福島駅大森城名倉城(いずれも福島市)を攻略、伊達実元、平林正恒を登用。
伊達実元は輝宗の叔父(政宗からだと大叔父)で、成実の父にあたります。
平林正恒はもと武田家臣で、武田滅亡の際に同盟を組んでいた上杉景勝の下に逃れ、その家臣となりました。


混雑している2両編成のワンマン電車。
電車は遅れを取り戻すどころか、遅れが広がっていきます。
終点の福島駅には、本来ならば13時27分に到着するはずでしたが、14分遅れの13時41分に到着しました。




午 後 1 時 4 1 分

J R 福 島 駅


福島駅からさらに北へ。



今度の電車は、13時45分発 東北本線 普通電車 仙台行きです。
乗換時間が4分弱ということで、駅名標の撮影も車両の撮影もナシ。
先ほどの2両編成からは倍増して4両編成ということで、混雑からは解放されるかな~と思っていたのですが、とんでもない。

乗車率、推定150%。

座席、つり革はすべて埋まり、立乗客の肩が触れ合うくらいの混みっぷりです。
なんでこんなに混みあっているのでしょうか???
隣りに居合わせた♂どもから伝え聞いたところによると、

「乃木坂46」

・・・とかいうのが宮城スタジアムでライブコンサートを行うのだとか。
やれやれ、あんなところまで行くなんて、お疲れさんだすなぁ~。
(※宮城スタジアムは、仙台ではなくて近隣の利府町にあって、最寄駅のJR利府駅から1時間ほど歩かされるという、アクセスが最悪なことで有名)
そんな同情なんかより、てめえら仙台まで新幹線で行けよ!と内心思っていましたが。


肩と肩が触れ合う車内で、福島駅発車前に「城攻め」を行い、



福島城(福島市)を攻略し、伊達晴宗、本庄繁長を登用しました。
伊達晴宗は政宗の祖父で、父の稙宗と対立して東北地方一帯を巻き込む天文の大乱を招きますがこれに勝利します。
晴宗が隠居して居住したのが福島城の前身である杉目城でした。
本庄繁長は上杉家臣で福島城主を務め、政宗の軍勢を松川の戦いで破った名将といわれています。


電車は4分遅れの13時49分に発車。



・・・・・・誰も降りねえなぁ。


13時59分、伊達駅大鳥城(福島市)を攻略、



岩井信能、伊達輝宗、中野宗時、牧野久仲を登用。
伊達輝宗は政宗の父で、天文の大乱後の伊達家を立て直していきましたが、降伏した二本松義継に拉致されてしまい、意を決した政宗に義継ごと射殺されてしまいます。
中野宗時・牧野久仲父子は伊達晴宗に仕えた権臣でしたが、輝宗の代に反乱を企てたために追放されてしまいます。
岩井信能は上杉家臣で、本庄繁長とともに松川の戦いで伊達政宗の大軍を破っています。

14時02分、桑折駅桑折こおり西山城(伊達郡桑折町)を攻略、



伊達稙宗を登用しました。
政宗の曽祖父にあたり、婚姻政策を駆使して勢力を広げ、また戦国時代最大の規模の分国法である塵芥集を制定したことでも有名です。
塵芥集は試験でよ~く出ます。伊達稙宗はほとんど試験では出題されませんが・・・。

それにしても政宗の曽祖父、祖父、父と登用できました。
果たして政宗本人にめぐり合うことはできるのでしょうか?!

14時03分、桑折駅発車後石母田城(伊達郡国見町)を攻略。
14時06分、藤田駅阿津賀志山防塁(伊達郡国見町)を攻略。



藤田駅、そして貝田駅を通過して、電車は宮城県へ。

県境を過ぎて最初の駅・越河(こすごう)の次・・・



ついに白石駅に到着しました。
しかし電車を下りた人数は、私を含めてごくわずか。
混雑したままの電車は、このまま北の街・仙台を目指して走り出したのでした。



【今回の乗車記録】

JR東日本 三春駅 2番線 11時58分発
磐越東線 普通 郡山行き 2両ワンマン
郡山駅 6番線 12時11分着

郡山駅 4番線 12時50分発(遅れ8分)
東北本線 普通 福島行き 2両ワンマン
福島駅 3番線 13時41分着(遅れ14分)

福島駅 4番線 13時49分発(遅れ4分)
東北本線 普通 仙台行き 4両
白石駅 1番線 14時22分着(遅れ3分)

*所要時間 2時間24分 (移動時間 1時間37分 待機時間 47分)
*移動距離 92.0km
*運賃 18きっぷ使用(使用しない場合、IC運賃 1,663円)





20年ぶりの磐越東線

2019-04-30 | 鉄道の旅


2 0 1 8 年 9 月 1 日 ( 土 )

午 前 5 時 2 9 分

千 葉 県 柏 市

J R 柏 駅



先週の沼田城&名胡桃城の登城に続いて、9月最初の土曜日も城攻めに赴きます。



旅の出発地は、おなじみとなってきましたJR柏駅
私自身、柏に引っ越してから1年がたち、すっかり生活の一部となってきましたね。
今回は東口から、柏高島屋ステーションモールを仰ぎつつ、駅へと入っていきます。



今回の旅最初の電車は、5時38分発 常磐線 快速電車 勝田行きです。
鬼ヅモ大会前に登城した土浦城笠間城と同じ方向ですが・・・今回はもっと先へとまいります。
笠間城のリベンジは、今回はしません。


リベンジといえば、私は様々な事情により登城を未完とせざるを得ず、涙を呑んで引き返す場面が多々ありました。
振り返ってみると・・・

姫路城・・・・・・2回登城したが、2回とも大修復期間だったため天守閣に入れず。
観音寺城・・・・・・夕刻だったため登城を見合わせ、スタンプのみゲット。
湯築城・・・・・・次に登城する今治城の登城時間を考慮し、スタンプゲットのみ・・・だったのに私のカン違いで列車の発車時刻を1時間以上早く見積もってしまう。(ホントはしっかり登城する時間があった。西条北条事件)
久保田城・・・・・・「北日本完全制覇」と銘打ったが旅行日数が足らず、通過を余儀なくされる。
本佐倉城・・・・・・スネークの大好きな私が、マムシにおびえて退去。
笠間城・・・・・・ヤブ蚊の大群を前に、あえなく撃沈。
唐沢山城・・・・・・携帯の気象レーダーを見て雷雨に遭いそうだったので取りやめ、忍城に転進。
岩櫃城・・・・・・到達予定時刻が夕刻になりそうだったので、登城を断念。

こういった城は必ずリベンジするのが義務というもの。
そして今回は・・・



城攻め旅第2弾「福島二千円の旅」にて門前払いを食らった白石城のリベンジを最終目標といたします。


昔話でやや尺を稼いでしまいましたが、進路を北にとり水戸方面へ。
そういえば水戸も久しぶりですね~、水戸の手前の友部まではよく来ていましたが。
友部から先の常磐線は、「城攻め」空白地帯。



この日最初の攻略は6時47分、内原駅加倉井館(水戸市)を攻略。
続いて6時51分、赤塚駅河和田城(水戸市)を攻略。



6時55分、偕楽園駅付近で見川城(水戸市)を攻略。
この日最初の浪人、佐竹義堅、佐竹義久、江戸忠通、車斯忠(つなただ)を登用しました。




午 前 6 時 5 7 分

J R 水 戸 駅




水戸駅に到着。
電車はひとつ先の勝田駅まで行くのですが、水戸駅から北へ向かう始発電車が出るので、ここで乗り換えます。



今度の電車は、7時03分発 常磐線 普通電車 いわき行きです。
発車標を見ると、「仙台」の表記が復活しています。
(平成26年に水戸城を訪れたときは、「仙台」の表記は隠されていました)
常磐線の不通区間は、福島県の富岡駅から浪江駅までを残すのみとなりました。
東日本大震災からの復興はまだまだ道半ばではありますが、常磐線の完全復活まではあと少しのようですね。

さて水戸駅では、



日本100名城・第14番、水戸城攻略!
さらに武熊城吉田城(いずれも水戸市)と勝倉城(ひたちなか市)も攻略できました。



水戸城主・佐竹義宣登用!
水戸の殿様といえばやはり「水戸黄門」徳川光圀があまりにも有名ですが、関ヶ原の戦い以前は佐竹氏が水戸のお殿様でした。
佐竹義宣は関ヶ原では石田三成に味方し、徳川家康に援軍を派遣しなかったため、戦後秋田に移されてしまいます。
その腹いせに、水戸の美人という美人を秋田に連れ去ってしまい、そのため秋田は「三大美人」、水戸は「・・・・・・・・」となってしまった、とか。


電車は水戸駅を定刻どおりに発車。



那珂川を渡り、水戸市からひたちなか市へ。


7時12分、佐和駅多良崎城(ひたちなか市)と南酒出城(那珂市)を攻略。
7時17分、東海駅石神城(那珂郡東海村)と額田城(那珂市)を攻略。


電車は日立市内に入り、7時24分に茨城屈指の難読駅・・・



大甕駅へ。


7時35分、日立駅助川城(日立市)を攻略。
7時49分、高萩駅松岡城(高萩市)を攻略、戸沢政盛を登用。
7時57分、磯原駅車城(北茨城市)を攻略。

戸沢政盛は角館(秋田県)の殿様でしたが、関ヶ原後、高萩に移されてしまいます。
その後山形で最上氏が改易になると新庄に移り、戸沢家は明治維新まで代々新庄を統治することとなります。


茨城県最後の駅・大津港駅を過ぎると、常磐線の車窓から太平洋が見え始めます。



景勝地・五浦(いづら)海岸を右手に眺め、



しばし海沿いを走り、トンネルを過ぎて海から離れると県境を越え、福島県いわき市内に入ります。



8時09分、福島県最初の駅は屈指の難読駅・勿来駅
「なこそ」・・・「勿」の字が「な」で、「来」が「こ」だとして、「そ」って何よ???

かつて国語の古文の時間に、「***」で「***してはいけない」という文法を習いました。
なので「なこそ」は、「来てはいけない」という意味があります。
朝廷の支配が東北地方に及んでいない奈良・平安時代においては、未開の地の入口であるこの地は、まさに「来てはいけない」地だったのです。


歴史と古典のお勉強にもなる勿来駅を後にして、電車はいわき市内を走ります。
かつては、日本一面積の大きな市であったいわき市。
(平成の大合併を経て、現在日本一面積の大きな市は岐阜県高山市。いわき市は12番目)
いわき市最初の駅・勿来駅から26分かかって、



8時35分、終点・いわき駅に到着しました。




午 前 8 時 3 5 分

J R い わ き 駅


先ほど述べたとおり常磐線はこの先に不通区間があります。
白石城のある宮城県に到達するには、ここで列車を乗り換える必要があります。



今度の列車は、8時41分発 磐越東線 普通列車 郡山行きです。
磐越東線は磐城・越後を結ぶ路線の東側、いわき駅・郡山駅間を結ぶローカル線。
乗車するのは大学生のとき以来・・・・・・時の流れは恐ろしや。



列車はキハ110系気動車というそうですが、大学のときもこんな感じの車両だった気がします。
なんとなく時代に取り残されてしまったような感じがします。


いわき駅でも「城攻め」

 

磐城平城高久の古館(いずれもいわき市)と真壁城(双葉郡富岡町)を攻略。
佐竹貞隆、岩城重隆、岡本顕逸、佐藤好信の4人を登用できました。



8時41分、磐越東線の気動車は定刻どおりいわき駅を後にしました。



はじめのうちはいわきの市街地を走る列車も、ものの数分で田園地帯に。



人家もまばらになっていきます。



9時01分、いわきから3駅目の江田駅
山川迫る小さな集落にある無人駅ですが、駅前のお食事処の寂れ具合を見ても、時代に取り残された感じを覚えます。



その先は人家も途絶え、渓流沿いを進んでいきます。
川の名前は夏井川というそうです。





車窓に見える夏井川渓谷



川を離れれば、田。



田を離れれば、川。
東北地方第2の人口を誇る市とは思えないような景色とともに、いわき市を脱出します。


「城攻め」は・・・9時20分、夏井駅小野城(田村郡小野町)を攻略しました。
このあたりはあまりお城がなかったのでしょうね。




なにやら川沿いに並木が立っているように見えます。
夏井千本桜という桜の名所なのだそうです。
ここを過ぎると小野新町(おのにいまち)へ。
小野新町からは徐々に乗客が増え、車窓にも町が見え始めます。



10時05分、



三春駅に到着。
白石に行く前にここで下車し、この日最初の登城へと向かいます。



【今回の乗車記録】

JR東日本 [JJ07]柏駅 4番線 5時38分発
常磐線 快速 勝田行き 10両
水戸駅 4番線 6時58分着

水戸駅 3番線 7時03分発
常磐線 普通 いわき行き 10両
いわき駅 2番線 8時35分着

いわき駅 6番線 8時41分発
磐越東線 普通 郡山行き 2両ワンマン
三春駅 2番線 10時05分

*所要時間 4時間27分 (移動時間 4時間16分 乗換時間 11分)
*移動距離 256.2km
*運賃 18きっぷ使用(使用しない場合、4,750円)





ゲリラ豪雨を駆け抜ける

2019-04-13 | 鉄道の旅


2 0 1 8 年 8 月 2 5 日 ( 土 )

午 後 3 時 2 1 分

群 馬 県 利 根 郡 み な か み 町

水 上 温 泉 街 を 歩 く



水上温泉ふれあい交流館で日帰り入浴をした私は、JR水上駅へと歩いていました。



通りの横を駆け出していく機関車。
この日に走る臨時列車・SLみなかみ号です。
こういう機関車を条件反射的に撮ってしまうあたり、私も「鉄の者」の血が流れているのでしょうか。

 ※現在は「SLみなかみ号」ではなく「SLぐんま・みなかみ号」として運行されているようです。



JR水上駅に到着。
駅舎の頭上にかかる、怪しげな雲・・・余計な散策は控え、駅でじっと待つとしよう。
対面の土産物屋で何も買うことはなく、



帰りの電車を待ちます。
今度の電車は、15時53分発 上越線 普通電車 高崎行きです。
上りの電車は1時間に1本の割合で発車しますが、下りはなんと1日にたったの5本
関東地方屈指の地獄表が、この水上駅には存在するのですね。

 ※「地獄表」 みうらじゅん氏の造語で、はまったら地獄のように出られないほど本数の少ないダイヤの時刻表をいうそうです。




高崎行きの電車に乗り込み、水上駅を後にします。







ゲリラ豪雨、ついに襲来!





打ち付ける豪雨に耐えながら、電車は南へひた走ります。
そして沼田駅付近・・・



続日本100名城・第138番、沼田城攻略!
同時に小中城(利根郡片品村)も攻略し、



矢沢頼綱さんを家臣に加えました。

頼綱さんは真田頼昌の三男で、幸隆の弟、昌幸の叔父にあたります。
兄の幸隆とともに武田信玄に仕え、岩櫃城の攻略、沼田城の攻略を指揮したといいます。
沼田城の城代に任じられてからは北条氏邦などの侵攻を撃退し、真田の沼田領を固守し続けました。

そういう経歴もあって、知行は1万石ですが能力値はなかなか高めですね。

沼田城に登城したのに「城攻め」を忘れるというミスをしましたが、なんとか挽回できたようですね。






利根川とともに、南へ。



綾戸ダムを通過。


16時30分、渋川駅に到着。



先に水上駅を発ったSLみなかみ号が待避線に入っています。
渋川駅でSLを置き去りにして、電車は進んでいきます。



鉛色の雲は、赤城山の方へ向かっています。



前橋市内に入り、青空が見えてきました。
電車は豪雨の中を駆け抜け、ついに雨雲の下を脱出したようですね。
心なしか、向こうの群馬県庁舎も美しく見えますね。




午 後 4 時 5 6 分

J R 高 崎 駅


水上から約1時間、



16時56分に高崎駅に到着しました。
この先は「城攻め」も完了しているので、淡々と進みましょうか。



高崎駅からは、16時59分発 高崎線 普通電車 上野東京ライン・東海道線直通 小田原行きに乗車。
なんと群馬県の入口から、神奈川県の西の方まで乗り換えなしでいけるのじゃ、便利な世の中になったものよのぅ。



18時48分、上野駅に到着。



18時54分発 常磐線 快速電車 勝田行きに乗り込んで、



19時25分、旅の終着地・柏駅に着きました。
今回の画は南口の駅看板にしてみましたが・・・ブレてしまいました。



【今回の乗車記録】

JR東日本 水上駅 1番線 15時53分発
上越線 普通 高崎行き 4両
高崎駅 8番線 16時56分着

高崎駅 7番線 16時59分発
高崎線 普通 上野東京ライン東海道線直通 小田原行き 10両
[JU02] UEN 上野駅 7番線 18時48分着

[JJ01] UEN 上野駅 10番線 18時54分発
常磐線 普通 勝田行き 15両
[JJ07]柏駅 4番線 19時25分着


*所要時間 3時間28分(移動時間 3時間19分  乗換時間 9分)
*移動距離 189.6km
*運賃 18きっぷ使用(使用しない場合、IC運賃 3,024円)




午 後 8 時 3 0 分

本 拠 地 に て


駅前でラーメンを食し、女王様のもとへ戻りました。



今回の貢物はコチラです。



さっそく開封♪
吉本ばなな女史のメッセージカードとともに、まさに樫の木のごとく身の詰まったバウムクーヘンが登場。



ひっ、ひぃぃ・・・
卓上に置いてあったのは、この日に新調したというパン切り包丁です。
おおぅ、バウムクーヘンを割くになんぞ大包丁を用いんや・・・



日本100名城登城の旅・第17弾「上州の六文銭」 完

ホーム画面に戻る。


後閑駅へ走れ

2019-04-13 | 鉄道の旅


2 0 1 8 年 8 月 2 5 日 ( 土 )

午 後 1 時 0 2 分

群 馬 県 利 根 郡 み な か み 町

名 胡 桃 城 址 案 内 所





名胡桃城の検分を終え、



荷物を預けていた名胡桃城址案内所へと戻り、ひとときの休息をしていました。


この日の群馬県の天気予報は、晴れのち曇り、ところにより一時雨、雷を伴い強く降るでしょうというものでした。
そして私のアイフォンさんにブックマークされている「気象庁・レーダーナウキャスト」によると・・・

強い雨が・・・激しい雷が・・・こっちに近づいている・・・・・・。

私は決断を迫られます。
案内所に留まって雷雨をやり過ごすか、案内所を出るか。

案内所の紳士の意見を参考にして、私は同じルートをたどってJR後閑駅に戻ることとしました。



案内所から駅までは、約2.7km。



そのうちの半分は下り坂となります。
傾斜は6%、これが約1.4kmも続くのです。
往路ではこの坂に苦しめられましたが、復路でも足に大きく負担をかけそうです。
そしてこの坂の間は雨宿りできるところはありません。

意を決して、歩きます。

後ろから迫り来る、いや~な感じの雲。

次第に早歩き、そして小走りに・・・・・・。




午 後 1 時 3 5 分

J R 後 閑 駅 に 到 着


空からしずくがぽつり、ぽつりと落ちてくる中、



雷雨にあうまえに、なんとかJR後閑駅に到着できました。

ゴロゴロゴロ・・・ザーーー

雷鳴とともに、大雨が降ってきたのです。



JR上越線の時刻表。
この駅も電光発車標がないので、これを見て次発の電車を確認。


群馬県の続100名城、残るは岩櫃城【東吾妻町指定史跡】のみとなりました。
岩櫃城の最寄駅は、JR吾妻(あがつま)群馬原町駅です。
そこで今度の電車は・・・14時32分発 上越線 普通電車 高崎行き・・・。

後閑駅で1時間近く待つことになります。
さらにこの先の行程は・・・

JR東日本 後閑駅 3番線 14時32分発
上越線 普通 高崎行き
渋川駅 2番線 14時58分着

渋川駅 1番線 15時37分発
吾妻線 普通 大前行き
群馬原町駅 16時22分着

乗換駅の渋川で40分の連絡待ちが発生し、群馬原町に着くのは夕方にしまいます。
岩櫃城は岩櫃山の中腹にある山城、夕刻の登城は危険です。



残念なことではありますが、今回は岩櫃城の登城、達成ならずということで、この旅は終了・・・・・・。



しかし、このまま帰路につくのも惜しい気がします。
そういえば、ここはみなかみ町
みなかみ(水上)といえば、水上温泉があります。

名胡桃城から速足で戻ったため、疲労した脚を癒し、汗ばんだ体を洗い流すには温泉が一番ですね。

そういうことで今度の電車は、14時00分発 上越線 普通電車 水上行きです。


画ではよくわかりませんが、夕立の降る後閑駅。



発車時刻に近づくにつれ、雨は弱まっていきました。



「城攻め」も忘れずに行い、5人の武将を登用しました。

沼田景義は、沼田城を築城した沼田顕泰(あきやす)の子で、沼田を巡って真田昌幸に謀殺されてしまった武将です。
真田信吉は、真田昌幸の孫で、真田信之の嫡男で、父が松代城に移った後も沼田に残り、沼田領を統治しました。
矢沢頼康は、真田昌幸、信之二代に仕え、沼田城の城代を務めました。
滝川益重は、織田家の滝川一益の甥で、一説によれば「花の慶次」前田慶次郎利益の父ともいわれています。
織田が武田を滅ぼし上州が一益に与えられると、益重が沼田城の城代に任じられました。

以上4名は大なり小なり沼田城に関係する人物なのですが、沼田祐光(すけみつ)だけは、一族が沼田氏らしいというだけ。
祐光は津軽の津軽為信の軍師となった人物で、弘前城の築城にもかかわっていたとか。
沼田城には関係の薄い人物ですが、この沼田の地で登用できました。


雨はすっかり止み、電車は定刻どおり後閑駅を発ちました。





夕立に洗われて、よりいっそう澄んだ空気。
田圃の稲が、まぶしく黄緑色に輝いています。





山に視線を転ずると、鈍い色の怪しげな雲が立ち込めています。



河岸段丘の底を流れていた利根川が、左側の車窓に見えてきました。



見えてきた吊り橋は、諏訪峡大橋
橋の中央にバンジージャンプ台がある橋で、この日も勇猛果敢な者たちが川に飛び込んでいました。





電車は利根川とともに北へと進み、



14時13分、定刻どおりに水上駅に到着しました。



【今回の乗車記録】

JR東日本 後閑駅 1番線 14時00分発
上越線 普通 水上行き 4両
水上駅 1番線 14時13分着

*所要時間 13分
*移動距離 12.5km
*運賃 18きっぷ使用(使用しない場合、240円)





鶴舞う形の群馬県へ

2019-02-17 | 鉄道の旅


2 0 1 8 年 8 月 2 5 日 ( 土 )

午 前 4 時 5 3 分

千 葉 県 柏 市

J R 柏 駅 ・ 常 磐 線 各 駅 停 車 ホ ー ム



信州の高島城松代城を登城してから、まだ1週間とたたないこの日。
朝早くやってきたのはわが本拠地の最寄りである柏駅



18きっぷに、「柏駅」の検印が押されます。
そして私は、普段あまり利用しない常磐線各駅停車の発着する1・2番線ホームへ。



群馬へと向かう最初の電車は、4時59分発 常磐線 各駅停車 代々木上原行きです。
この時間、上野駅へと向かう快速電車は動いていないのです。



7分後の5時06分、3駅目の新松戸へ。




新松戸からは、武蔵野線に乗り換えます。
今度の電車は、5時14分発 武蔵野線 各駅停車 府中本町行きです。


この日も、朝から「城攻め」をして参ります。



この日最初の「城攻め」は5時21分、新三郷駅西袋陣屋(八潮市)を攻略。

5時27分、越谷レイクタウン駅宇田家屋敷(越谷市)を攻略。
5時31分、南越谷駅越ヶ谷御殿(越谷市)を攻略。
5時35分、東川口駅赤山城(川口市)と代山城(さいたま市緑区)を攻略。




新松戸から10駅目、南浦和駅で下車。



南浦和からは、京浜東北線にお乗り換え。
今度の電車は、5時54分発 京浜東北線 各駅停車 大宮行きです。
電車を3本乗り継いで、ようやく大宮駅にたどり着きます。
柏から大宮は、意外と遠いのかもしれませんね。


柏・大宮間は、東武野田線で一本なのですが・・・
これだと始発は5時13分とやや後れます。
そして所要時間は62分かかって、大宮駅到着は6時15分となってしまうのです。


JR線を乗り継いできた私は、6時05分に・・・



高崎線が発着する大宮駅に到着しました。



今度の電車は、10両編成6時10分発 高崎線 普通電車 高崎行きです。
野田線経由ならば、この6時10分発の電車には乗れず、次発15両編成の電車に乗ることになります。


高崎線では「城攻め」も済んでいるので、寝ます。


電車は北西へと進み、私が惰眠をむさぼっている中、上毛かるたのいう「鶴舞う形の群馬県」に入りました。




午 前 7 時 2 9 分

群 馬 県 高 崎 市

J R 高 崎 駅


大宮から1時間19分



群馬県最大のターミナル・高崎駅に到着しました。

この日は高崎駅で朝食。



山菜そば!ズズズズ・・・うまい!


今回登城しようというお城は、「鶴舞う形の群馬県」に3つ。

続100名城第115番・名胡桃(なぐるみ)【群馬県指定史跡】。
続100名城第116番・沼田城【沼田市指定史跡】。
続100名城第117番・岩櫃城【東吾妻町指定史跡】。

この3つは、すべて真田氏の支配下にあったお城なのです。
今回は、真田の六文銭の旗印が翻っていたであろうお城の姿を、時間と気力の許す限りお送りいたします。


最初に登城するのは、沼田城



沼田城の最寄駅は沼田駅なので、今度の電車は7時45分発 上越線 普通電車 水上行きとなります。
この電車に間に合わせるために、柏から常磐線、武蔵野線、京浜東北線と電車を乗り継いできたのです。


東武野田線で大宮に到達した場合、大宮6時26分発の電車に乗ることになります。
所要時間が同じく1時間19分と考えるなら、6時26分に大宮を発った電車は7時45分に高崎に着き、ギリギリで乗り継ぎができると思われます。
しかし実際には7時45分の上越線に乗り継ぐことは不可能で、大宮を発ってから1時間22分後の7時48分に高崎に到着するのです。
それは、15両編成の高崎線は、必ず籠原駅で車両切り離しを行うから。
籠原以北はホームの長さが15両編成に対応していない駅が多いので、籠原での切り離しが欠かせないのです。
東武野田線の始発で大宮に行ったならば、高崎駅でかなりの足止めを食らうこととなります。

東武野田線を利用しなかったのは、このような理由があるのです。

・・・ホントの理由は、単に野田線の運賃(590円)を出し渋っただけなんですけどね。


それはさておき、水上行きの電車は、定刻どおり高崎駅を発ちました。



高崎の市街地、前橋の住宅地を抜けて、





電車右側の車窓には、赤城山が大きく見えます。
「裾野は長し 赤城山」、上毛かるたに謳われるとおりの姿ですね。


吾妻(あがつま)の分岐点である渋川駅を過ぎると、



利根川を渡ります。上越線利根川第一橋梁というそうです。
そういえば、柏からここまでに利根川は渡っていませんでしたね。支流の江戸川は武蔵野線で渡りましたが。
「利根は坂東一の川」、私の実家がある下流域のように広々とゆっくりと流れて大海に注ぐという印象が強い私にとって、上流域の渓流のような利根川の姿は、かなり新鮮なものに見えますね。


この間の「城攻め」は・・・

8時06分、八木原駅剣城渋川城白井城(いずれも渋川市)を攻略。
8時17分、敷島駅長井坂城(渋川市)を攻略、



この日最初の浪人、長尾憲景を登用しました。


ふと車内を見ると、群馬県が生んだ元祖バラエティーアイドル・井森美幸女史が語りかけます。



なんで来ないのよ。
早く来なさいよ。


・・・もうすでに群馬県にいますけど。
群馬県真っ只中の上越線ではなく、埼玉県以南へ向かう高崎線で掲示したほうがいいんじゃないんですかねぇ。


なおも電車は北上し、



渋川から2駅目の津久田駅を発車したところで、2回目の利根川を渡河。
上越線第二利根川橋梁です。



その2分後、上越線第三利根川橋梁



さらに1分後、上越線第四・・・以下省略。
利根川は進行方向右側に移ります。



少し見えづらいですが、綾戸ダムの堰堤が見えます。



あまり大きくはないですが、綾戸ダムのダム湖です。
利根川とともに、上越線の電車はなおも北へ。




岩本駅。沼田まではあと1駅。



到着目前にして上越線第五・・・を渡り、



8時33分、沼田駅に到着しました。



この日最初の登城は、沼田駅より始まります。



【今回の乗車記録】

JR東日本 [JL28]柏駅 1番線 4時59分発
[JL]常磐線 各駅停車 東京メトロ千代田線直通 代々木上原行き 10両
[JL25]新松戸駅 2番線 5時06分着

[JM15]新松戸駅 3番線 5時14分発
[JM]武蔵野線 各駅停車 府中本町行き 8両
[JM25]南浦和駅 5番線 5時42分着

[JK42]南浦和駅 4番線 5時54分発
[JK]京浜東北線 各駅停車 大宮行き 10両
[JK47] OMY 大宮駅 1番線 6時05分着

[JU07] OMY 大宮駅 8番線 6時10分発
高崎線 普通 高崎行き 10両
高崎駅 2番線 7時29分着

高崎線 5番線 7時45分発
上越線 普通 水上行き 4両
沼田駅 3番線 8時33分着

*所要時間 3時間34分 (移動時間 2時間53分 乗換時間等 41分)
*移動距離 155.9km
*運賃 18きっぷ使用(使用しない場合、2,590円)





嗚呼、軽井沢

2019-02-06 | 鉄道の旅


2 0 1 8 年 8 月 1 9 日 ( 日 )

午 後 5 時 5 7 分

長 野 県 北 佐 久 郡 軽 井 沢 町

軽 井 沢 駅 前





避暑地・軽井沢にやってきました。



駅前にあるバスプール。
これに乗って、ペンションにでも赴きましょうか・・・・・・。


むなしい・・・・・・。


停車中のバスは、JRバス関東 碓氷線 横川駅行き
軽井沢の東にそびえる碓氷峠を越え、群馬県の横川へと向かいます。
JRグループではありますが、18きっぷは利用できません。
運賃の510円を乗車前に支払うこととなります。


バスに乗車すると、空席はすでに五指に数える程度。
発車時刻は18時05分だそうですが・・・横川へ向かう人々をすべて収容しきることができるのでしょうか?

予想どおり、発車時刻を待たずに空席は埋まってしまいました。
すると運転手氏、後れてやってきた乗客には補助席を使うように指示します。

通路の最後尾から順番に補助席が埋まっていき、最前列まで達しようかというところで、発車時刻を迎えました。

軽井沢での滞在時間、わずか10分。


発車直前の18時04分に「城攻め」をし、峠の向こうの群馬県にある坂本城(安中市)を攻略できました。



路線バスは軽井沢の駅周辺をうろうろ進んだのち、国道18号・碓氷バイパスへ。
バイパスに入ってからは、最初やや上り、峠を越えてからはただひたすら下ります。

制限速度50km/hの碓氷バイパスを、その速さで下っているであろうバス。
傾斜はかなり急なようで、バスのエンジンブレーキの音がいやでも耳に入ってきます。
なかなかに怖いバスですねぇ。


傾斜が落ち着くと、ほどなくJR横川駅へ。
所要時間35分のところ、4分ほど早く到着しました。




【今回のバス乗車記録】

JRバス関東 軽井沢駅バスターミナル 5番のりば 18時05分発
碓氷線 直通 横川駅行き
横川駅バス停 18時36分着(早着4分)

*所要時間 31分
*移動距離 20.3km
*運賃  510円




午 後 6 時 3 7 分

群 馬 県 安 中 市

J R 横 川 駅


横川といえば、「峠の釜めし」



釜めしを提供する荻野屋は、現在もなお横川に本社をおいているようです。



横川駅
かつてはJR信越本線の途中駅でしたが、現在は終着駅になってしまいました。



残念ながら、お弁当屋さんは閉まっていました。


 

横川駅の構内へ。
白い駅名標の脚には、「海抜 三八六、五六М」とあります。
峠を越えて長い長い下り坂を駆け抜けてきたのですが(JRバス関東さんが)、横川もまだまだ高地なんですね。



山の中にある、横川駅のプラットホーム。



レールの先にはどんづまり。
かつては軽井沢駅までレールが繋がっていましたが、長野新幹線(現在は北陸新幹線)の開業と同時に廃線となってしまいます。



1番線ホームに展示されているアプト式レールの模型
横川・軽井沢間は碓氷峠がそびえ立つ難所中の難所。
この難所を乗り切るために、昭和38年までこのアプト式で運行されていました。
アプト式鉄道が廃止されてからは、横川駅で電気機関車を接続することで、碓氷峠を乗り越えていました。
電気機関車接続のための停車時間を利用して売り出されたのが、「峠の釜めし」なのです。
平成9年(1997年)の新幹線開通により、信越本線は第3セクターに移管することとなりましたが、横川・軽井沢間は維持費と採算性の関係で廃線となってしまったのです。

なお、現存する国内のアプト式鉄道は、静岡県の大井川鐡道井川線のみとなっています。



18時50分、信越本線 普通電車 高崎行きが出発しました。




19時03分、磯部駅
窓ガラスにある温泉マーク♨からわかるように、周辺には磯部温泉があります。
そしてこの磯部温泉こそ、温泉マーク♨の発祥の地だといわれています。
寛文元年(1661年)土地境界の裁定を行った幕府の文書に♨のマークが記載されているのが、現存する文書における最古の♨使用例なのだとか。


信越本線内での「城攻め」・・・

18時55分、西松井田駅松井田城(群馬県安中市)を攻略。
19時08分、安中駅安中城(群馬県安中市)と里見城(群馬県高崎市)を攻略。


19時21分、定刻どおり高崎駅に到着。




午 後 7 時 2 3 分

群 馬 県 高 崎 市

J R 高 崎 駅




今度の電車は、19時33分発 高崎線 快速「アーバン」 上野行きです。
発車時刻まで10分弱ありそうなので、夕食として駅そばをいただきました。


19時33分、快速電車が発車。
停車駅は、熊谷までの各駅と、鴻巣、桶川、上尾、大宮、浦和、赤羽、上野です。
地味にさいたま新都心尾久を通過してくれます。


高崎から1駅の倉賀野から、忍城で立ち寄った行田の間は、「城攻め」空白路線なので、この機会にこなしていきます。

19時52分、本庄駅本庄城(埼玉県本庄市)を攻略。
19時57分、岡部駅岡部陣屋(埼玉県深谷市)を攻略。
20時01分、深谷駅深谷城(埼玉県深谷市)、庁鼻和城(埼玉県深谷市)と人見館(埼玉県深谷市)を攻略。



20時07分、籠原駅別府城(埼玉県熊谷市)を攻略。

この日の「城攻め」は、熊谷の別府城で〆となりました。





21時07分、上野駅に到着。



あとはいつもの帰り道。
この日最後の電車は、21時17分発 常磐線 快速電車 取手行き



21時45分、柏駅に到着。



【今回の鉄道乗車記録】

JR東日本 横川駅 1番線 18時50分発
信越本線 普通 高崎行き 6両
高崎駅 5番線 19時21分着

高崎駅 7番線 19時33分発
高崎線 快速 アーバン 上野行き 10両
籠原駅 1番線 20時05分着 5両増結
[JU02] UEN 上野駅 14番線 21時07分着

[JJ01] UEN 上野駅 6番線 21時17分発
[JJ]常磐線 快速 取手行き 15両
[JJ07]柏駅 4番線 21時45分着

*所要時間 2時間55分 (乗車時間 2時間33分 待機時間 22分)
*移動距離&運賃 160.2km
*運賃  18きっぷ使用(不使用の場合、2,590円)



この日の旅は、これにておしまい。
ですが18きっぷは残り3日分もあります。

平成30年の夏、その3日分を使って各所の城へ行ってまいりましたが・・・調子に乗って関東地方を脱出してしまいました
なので「関東・甲信地方続100名城・ア・ラ・カルト」の旅は、いったんここで締めといたします。



日本100名城・続100名城登城の旅・第16弾「関東・甲信地方続100名城・ア・ラ・カルト」 完

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行くぞ!軽井沢

2019-02-06 | 鉄道の旅


2 0 1 8 年 8 月 1 9 日 ( 日 )

午 後 3 時 4 5 分

長 野 県 長 野 市

国 道 4 0 3 号 ・ 松 代 城 付 近





松代城&真田邸【国指定史跡】を辞し、付近にある国道403号を千曲市方向へ走っていました。

この先にある高架は、上信越自動車道
これをくぐって、



赤坂橋南交差点から県道385号に入ります。



赤坂橋を渡ります。



流れる川は、日本一の長さを誇る千曲川(信濃川)



渡った先の交差点を左に曲がり、そのまま県道を進みます。
道なりに進んでいくと・・・



JR篠ノ井駅に着くことができます。


そうそう、私はレンタサイクルを使っていましたので、





自転車を駐車場に返し、鍵はセブンイレブンに返します。



【松代→篠ノ井駅の行程】



松代城付近 15時45分発
国道403号・長野県道385号経由
セブンイレブン篠ノ井布施高田店 16時03分着

*所要時間 18分(かなり飛ばしました)
*移動距離 5.7km




午 後 4 時 0 8 分

J R 篠 ノ 井 駅


これより帰路ですが・・・なるべく同じルートを使わないという私の困った性格上、篠ノ井線&中央本線は使いません。だったら・・・

行くぞ! 軽井沢!
どうせ柏に帰っても暑いし、せっかくなので軽井沢に滞在してゆっくり過ごしたいところです。



しなの鉄道は18きっぷが使えないため、あらたに乗車券を購入しなければなりません。



今度乗車するのは、16時25分発 しなの鉄道線 普通電車 小諸行きです。
おおぅ、小諸に行くのも約8年ぶりですねぇ。
残念ながら今回は通過とさせていただきますが。


16時25分、定刻どおりにやってきた電車に乗ります。
篠ノ井駅は乗降客が多いため、扉は自動で開きましたが・・・



なんとこの電車、通常は扉が自動で開かないのです。
そういうことは、仙台暮らしの経験がある私からすれば驚くことはありません。
しかしこの電車は、押ボタンじゃなくて手で開けろというのです。
なかなかレトロな扉です。


帰りは、日没までは車窓を楽しみつつ、「城攻め」を怠りなくこなします。

16時31分、屋代駅屋代城(千曲市)を攻略。
16時37分、戸倉駅到着前で荒砥城(千曲市)と葛尾城(埴科郡坂城町)を攻略、村上国清を登用。



荒砥城の攻略をもって、通算300城攻略を達成しました。
次は500城を目指しましょうっていうからには、500城を達成した時もこんなメッセージが出るのでしょうね。
それでも300城で、まだ10分の1・・・道は果てしなく長いですね。


16時47分、



100名城の旅・第3弾でも取り上げたテクノさかき駅です。
カタカナとひらがなで構成された駅名ってのも珍しいですね~って記述したんだっけかな。
せっかくなので、ひらがな&カタカナで構成される駅名を挙げてみましょう。
 ・アプトいちしろ駅(大井川鐡道井川線)
 ・ささしまライブ駅(名古屋高速臨海鉄道西名古屋港線)
 ・たまプラーザ駅(東急田園都市線)
 ・テクノさかき駅(しなの鉄道)
 ・バルーンさが駅(JR九州長崎本線)
 ・りんくうタウン駅(南海空港線・JR西日本関西空港線)
2010年当時はこれら6駅だったのですが、
 ・とうきょうスカイツリー駅(東武伊勢崎線。「スカイツリーライン」? そんなものは知らん!)
 ・あしかがフラワーパーク駅(JR東日本両毛線)
こいつらが新たに加わり、現在は8駅となっています。


16時52分、西上田駅発車後に岡城(上田市)を攻略。



堀田作兵衛、高梨内記を登用。
大河ドラマ「真田丸」で注目された武将たちですね。
そろそろ真田の本拠地・上田に近づいてきたので、絶え間なく「城攻め」・・・



日本100名城第27番・上田城攻略!



「表裏比興の者」真田昌幸
「日の本一の兵」真田信繁

父は家康に次ぐ能力値99、弟は行動力最高の99です。
ふたりとも超一流の能力値を有するため、要求される石高も合わせて25万石です。

とりあえず無事に上田城を「城攻め」できました。
あとは実物を目に入れておきたいところですが・・・



よ~し!
これはたしか・・・東虎口櫓門【再建】と南櫓【長野県宝】です!
北櫓【長野県宝】もちょっと見えていました。




16時54分、上田駅に到着。




このまま電車に乗り続け、終着駅のひとつ前の滋野駅
ここに立っているのが「雷電為右衛門生誕の地」という看板。
気になったので調べてみると、雷電為右衛門はこの地で生まれた江戸時代後期の力士で、254勝10敗、勝率 .962というとんでもない成績を残しているのだとか。
それにもかかわらず、番付の最高位は大関どまりだったそうです。
雷電為右衛門が横綱にならなかったorなれなかった理由は諸説ありますが、この当時は横綱という位がまだ確立していなかったともいわれています。


小諸駅にそろそろ着こうかという17時14分、



日本100名城第28番、小諸城攻略!
ついでに長窪城(長野県小県郡長和町)も攻略し、



仙石秀久、依田信蕃のぶしげを登用できました。
現在残る小諸城は、センゴクさんの普請によるものなのですが・・・九州で大ポカをやらかした御仁なので、能力値は低めですね。



上田城に続いて、小諸城も撮影成功!
小諸城跡の公園・懐古園の入口にあたる、小諸城三ノ門【国指定重要文化財】です。
小諸城はしなの鉄道によって分断されており、線路よりも低位置にある三ノ門の先に二の丸や本丸があります。
城の奥に行くにしたがって土地が低くなるという穴城の構造を、ここからも感じ取ることができます。


電車は定刻どおり、17時17分に小諸駅に到着しました。




午 後 5 時 1 9 分

長 野 県 小 諸 市

し な の 鉄 道 小 諸 駅




小諸駅
しなの鉄道とJR小海線が発着するターミナル駅です。
めざすは避暑地・軽井沢ですので・・・



今度の電車は、17時30分発 しなの鉄道線 普通電車 軽井沢行きです。




小諸駅からしばらくの間は、JR小海線と並走します。
右奥の単線が小海線。



小諸駅を出て最初に見えるJR東小諸駅は小海線のみの駅で、しなの鉄道線は通過します。



東小諸駅の次、JR乙女駅を通過すると、小海線は南へと進路を変えていきます。
しなの鉄道線はこのまま東へ進み、一路軽井沢へ。


沿線風景に別荘やらペンションやらが見えてきたら、軽井沢駅はあとわずか。




午 後 5 時 5 5 分

長 野 県 北 佐 久 郡 軽 井 沢 町

し な の 鉄 道 軽 井 沢 駅




ついに避暑地・軽井沢へ!





レトロ調に装う駅舎を出て、旅は最終章へ・・・・・・。



【今回の乗車記録】

Sしなの鉄道 篠ノ井駅 1番線 16時25分発
しなの鉄道線 普通 小諸行き 3両
小諸駅 2番線 17時17分着

小諸駅 3番線 17時30分発
しなの鉄道線 普通 軽井沢行き 2両
軽井沢駅 1番線 17時55分着



*所要時間 1時間30分 (乗車時間 1時間17分 待機時間 13分)
*移動距離 65.1km
*運賃  1,440円





うばすて山

2018-12-30 | 鉄道の旅


2 0 1 8 年 8 月 1 9 日 ( 日 )

午 前 1 0 時 3 0 分

長 野 県 諏 訪 市

諏 訪 湖 畔



「諏訪の浮城」高島城を登城した私は、その雅称の由来ともなっている諏訪湖のほうへと自転車を走らせました。



復興天守の面する高島公園ぞいの通りを道なりに進んで700メートル。
諏訪湖畔を周回する道路に出ました。



街路樹として植わっているのはリンゴでしょうか?・・・そうではないようです。
案内看板によると、この樹木はカリン
諏訪の地は、江戸時代からカリンの特産地として有名だったそうです。
この時季は夏の強い日差しと落下防止のため、リンゴの場合と同様に果実に袋をかけておくのだそうです。



諏訪湖の周囲は16kmだそうです。
自転車だとゆっくり走って1時間半といったところでしょうか。



湖畔にある片倉館は、国の重要文化財に指定されています。
近代に建造された洋館建築なんだろうなぁ~と思いつつ、片倉館会館【国指定重要文化財】をカメラに収めます。



この煙突のある建物も片倉館かな・・・とりあえずカメラに収めました。
あとでわかったのですが、こちらは片倉館湯棟【国指定重要文化財】で、愛媛の道後温泉本館と同様に、重要文化財でありながら現役の温泉施設なのだそうです。





湖畔を1kmほど進んで、諏訪湖とはおさらばです。




午 前 1 0 時 4 4 分

J R 上 諏 訪 駅




レンタサイクルを返却し、JR上諏訪駅に戻ってきました。



乗車する電車は松本行き、わが本拠地・柏からはさらに遠ざかります。
手持ちの乗車券である青春18きっぷでは特急に乗車できないので、今度の電車は11時08分発 中央本線 普通電車 松本行きとなります。



上諏訪駅構内にて。
荻野屋峠の釜めしが販売されています。
荻野屋さんは碓氷峠を越えた先にも進出しているようですね。

そうそう、上諏訪駅構内といえば・・・



足湯!!
かつての国鉄長野鉄道管理局では「一駅一名物」運動が展開され、上諏訪駅ではホームに露天風呂が造られたのでした。
その後リニューアルされ、露天風呂から足湯になったようです。
現在、駅構内に足湯のある駅は全国各地に点在していますが、上諏訪駅はそのパイオニアとも言えるのです。

それでは、発車時刻まで足湯に浸かるとしましょう。



おおぅ、熱い・・・
お湯の温度はなかなかのもの、だいたい45度弱でしょうか。
東京の銭湯のような、じいさんが平然とは入りつつも真っ赤になっているようなあっちい湯船・・・まではいかないですが、それでも1分も足を入れていられないくらい。
上諏訪温泉の湯質だからなのか、湯槽の底は少しスベスベしていて滑りやすくなっています。

足湯の予想外の熱さに、私は早々にホームへと出てしまいました。



11時08分・・・ではなく3分遅れの11時11分、3両編成の普通電車 松本行きが発車しました。

車窓からは諏訪湖のたたえる水は消えていき、



前には田畑、奥には中央アルプスの山々が目に入ってきます。


塩尻駅からは中央本線を離れ、篠ノ井線に入ります。

車窓を楽しみつつ、「城攻め」も怠りなくすすめます。

11時30分、塩尻駅武居城(東筑摩郡朝日村)を攻略。
11時43分、南松本駅小笠原長時を登用。




午 前 1 1 時 4 7 分

J R 松 本 駅




まつもと~ まつもと~ まつもと~
2011年12月以来、久しぶりに耳にするおばさまのまつもとコールです。



今度の電車は、12時12分発 篠ノ井線 普通電車 長野行きです。
出発時刻まで多少の時間があるので、駅を出て食事をしてきます。



駅の東口にあたるお城口から外へ。
お城口の「お城」といえば、いうまでもなくあのお城のことですが、この日はあいにくご挨拶に伺う時間がありません。
それはともかく、駅近場のお店を探すとしましょう。



信州といえば、やっぱりおそば
生産量は北海道に次いで全国第2位ですが、そばといえば北海道!よりも長野県!!というイメージが強いですよね。
・・・・・・これこれそこの読者どの、「いつもの旅と変わらないじゃないか」とは言わない。



せいろそば! 山賊焼き! うまい!!
さすがは信州、立ち食いそばなのに蕎麦の風味がしっかりしています。それでいてせいろそば1枚500円!
山賊焼きは、端的に言うと唐揚げのでっかいもので200円、なかなかよろし。



店内にはなぜか単なるいたずら書きアハ体験の大学者先生のサインなんかもありました。


松本駅へ戻ります。



松本城天守群【国宝】の模型。
今回は本物にお目見えできないので、こちらで代わりとします。


そうそう、松本駅でも忘れずに「城攻め」



松本城は攻略なりませんでしたが、井川城(松本市)を攻略。
松本城に関係する武将、小笠原信浄、石川数正、石川康長、馬場信春を登用できました。



中でも馬場信春は、「武田四名臣」のひとり。
長篠の戦いで戦死するまで70以上の戦場に赴き、かすり傷ひとつ負わなかったといい、彼の「美濃守」の名乗りと共に「不死身の鬼美濃」と称されたそうです。
また軍師・山本勘助から築城術を伝授されたといわれ、松本城の前身・深志城など多くの城普請を担当したといいます。




12時12分発の普通電車 長野行きは、定刻どおり出発しました。
乗客はなかなか多く編成は2両、私はまたもお立ちとなりました。
私の立ち位置は、いうまでもなく進行方向右側です。


松本駅を発ってから1分もしないうちに・・・

NO PHOTO

松本城さまがチラッと見えたのです!
一瞬のことだったのでカメラに収めることは叶わなかったのですが・・・



日本100名城第29番・松本城攻略!


その後も、山あいの風景を楽しみつつ、「城攻め」

12時18分、田沢駅稲倉城中塔城(いずれも松本市)を攻略。
12時26分、明科駅小岩嶽城(安曇野市)を攻略。
12時35分、西条駅青柳城(東筑摩郡筑北村)を攻略、春日元忠を登用。
12時46分、聖高原駅麻績おみ(東筑摩郡麻績村)を攻略。
13時13分、稲荷山駅付近で屋代勝永、屋代政国を登用。




午 後 1 2 時 5 7 分

長 野 県 千 曲 市

J R 姨 捨 駅 付 近


電車は松本から7駅の姨捨(おばすて)に差しかかるころ。

「まもなく姨捨、姨捨、お出口は左側です。
 なお姨捨駅付近の車窓からは善光寺平を一望でき、『日本三大車窓』のひとつに挙げられております」





車掌氏の案内を聞くまでもなく進行方向右側を陣取っていた私は、その風景を堪能していたのでした。





電車は姨捨駅に入り、さらなる天の配剤が。

「姨捨駅では対向列車通過待ちのため、10分ほど停車いたします

それならば電車を出るしかないでしょう!



姨捨駅の駅名標。
矢印がまっすぐではないのは、この駅がスイッチバック構造になっているからです。



電車先頭から。
レールはこの先で行き止まりとなっています。
電車はいったん戻って反対側のレールに入り、



下方のレールに進入して、急坂を下っていくのですね。





かつては、武田信玄上杉謙信が激闘を繰り広げた決戦の地。
現在は建物も多く立ち並びつつも、緑も残っています。
そして今も昔も、千曲川が悠然と流れています。



捨てられちゃった?・・・わけではないですよね。
姨捨駅・・・その駅名から連想させる「うばすて山」伝説
ですがこの地には、老人を山に捨てるという風習はなかったといいます。



電車はひとりのジジババを捨てることもなく、姨捨駅を発車。




定刻より遅れること約4分、13時20分に篠ノ井駅に到着。
私はここで下車し、この日2つめのお城に向かいます。



【今回の乗車記録】

JR東日本 上諏訪駅 2番線 11時11分発(遅れ3分)
中央本線 普通 篠ノ井線直通 松本行き 3両
松本駅 5番線 11時47分着(遅れ3分)

松本駅 2番線 12時12分発
篠ノ井線 普通 信越本線直通 長野行き 2両ワンマン
篠ノ井駅 3番線 13時20分着(遅れ4分)

*所要時間 2時間09分 (乗車時間 1時間44分 待機時間 25分)
*移動距離 86.9km
*運賃  18きっぷ使用(不使用の場合、1,490円)





中央本線城攻め旅

2018-12-29 | 鉄道の旅


2 0 1 8 年 8 月 1 9 日 ( 日 )

午 前 4 時 4 2 分

横 浜 市 西 区

京 急 井 土 ヶ 谷 駅



約3日間の麻雀が終わり、この日私は帰宅の途に就きます。



やってきたのは京急線・井土ヶ谷駅
私は交通費をケチるためによく利用する京急さんなのですが、始発の時刻も地下鉄より早いのです。
なので今回の旅はめずらしく、



5時06分、井土ヶ谷駅からスタート!
南太田、黄金町、日ノ出町、戸部、そして横浜駅も通過。
神奈川駅をスルーして次の駅、



仲木戸駅で下りました。



赤い電車は、このまま品川へ。



仲木戸駅を出た目の前に、JR東神奈川駅があります。



ここで18きっぷ登場。
2回目の検印は「8月19日 東神奈川駅」。



東神奈川駅は、横浜駅まで行ってくれないことで有名な横浜線の始点。
ここでは5時35分発 各駅停車 八王子行きに乗車します。


横浜線は、「関八州城攻め旅」で回らなかったルート。
この機会に「城攻め」をしていきます。



この日最初の城攻めは5時41分、菊名駅獅子ヶ谷城(横浜市港北区)を攻略。

5時49分、鴨居駅池辺陣屋(横浜市都筑区)を攻略。
5時52分、中山駅榎下城(横浜市緑区)を攻略。
6時00分、成瀬駅成瀬城(町田市)と深見城(神奈川県大和市)を攻略。
6時10分、淵野辺駅淵野辺城(相模原市中央区)と小野路城(町田市)を攻略。
6時28分、片倉駅片倉城(八王子市)と横山党館(八王子市)を攻略。


そして6時31分、電車は定刻どおり八王子駅に到着しました。




午 前 6 時 3 3 分

J R 八 王 子 駅


この日の最終目的地は、わが本拠地・柏です。
そのことを踏まえて、今度の電車は・・・



6時35分発 中央本線 普通電車 松本行きです。
千葉県の柏とは正反対の方向。
それどころか、西八王子、高尾、相模湖、藤野の各駅を経て、関東地方とはおさらばしてしまいます。

「関東地方続100名城・ア・ラ・カルト」を覆す事態ということで・・・

(誤)「関東地方続100名城・ア・ラ・カルト」
(正)「関東甲信地方続100名城・ア・ラ・カルト」


こういうことにして、旅を続行します。
甲信地方・・・ということで、今回は山梨、そして長野にまで足を踏み入れます!



私を山梨、長野に連れて行く6両編成の電車は、定刻どおり八王子駅を発ちました。
この日は学生と思われる若者も多く、私は下車まで終始お立ちとなってしまいました。
(学生を「若者」と表記するあたり、私も年をとったものです)


八王子から2駅の高尾駅
中央線では東京都内で最も西に位置し、東京駅からの電車も大半はここで折り返します。
ミシュラン★★★の観光地・高尾山への拠点であり、お城業界においては100名城のひとつ・八王子城の最寄駅です。
こちらで「城攻め」してみると・・・

6時41分、高尾駅初沢城(八王子市)と小野田城(八王子市)を攻略。
八王子城は攻略できませんでしたが・・・



この日最初の武将・大久保長安さんを登用できました。
長安さんは江戸幕府創業の功臣で、金山・銀山の開発、東海道などの交通網の整備などに辣腕を振るい、「天下の総代官」と称されたほどのスーパー官僚です。
ですが派手好みでも知られていたようで、死後に不正蓄財を暴かれ大久保長安事件という疑獄事件に発展してしまうのです。
戦場での活躍は知られていないことからか、能力値は低めのように思えます。


電車は高尾駅を出て、都県境へ向かいます。
進行方向右側の車窓には、中央自動車道が同じく西へと伸びています。
さらに圏央道が頭上を越えて交差するジャンクション。
この八王子ジャンクション付近にて、



日本100名城・第20番、八王子城



城主であった北条氏照も登用できました。



都県境を越えると、ふたたび神奈川県相模原市へ。
相模湖のあたりも、現在は相模原市になっているのですね。

相模湖もサクっと通過し、ついに関東を脱出。
中央線の電車は、山梨県に入ります。


6時59分、上野原駅上野原城(上野原市)と奥牧野城(相模原市緑区)を攻略。


電車は三遊亭小遊三師匠の故郷・大月に入りました。
鳥沢駅を通過し、



すぐ近くの川を渡ります。
この川はあの相模川
相模川というと神奈川県のイメージが強いですが、源流は山梨県にあります。
ここから少し上流に行けば、「日本三奇橋」甲斐の猿橋という橋が架かっています。


7時18分、大月駅に到着。



駅のホームからは岩殿城が見えるのですが、撮りそびれてしまいました。



大月駅で岩殿城を攻略し、



小山田信茂を登用しました。
小山田は「武田二十四将」のひとりに挙げられますが、天正10年(1582年)の甲州征伐では主君の武田勝頼を見捨てて滅亡に追いやったため、織田信忠信長の嫡男)にその不忠をとがめられて殺されてしまいます。
この経緯もあってか、一部では「二十四将」に小山田を入れず勝頼を加えるものもあるようです。


電車はなおも西へ。
笹子トンネルを抜けて甲府盆地へと入ります。



中央本線は盆地の高台を進むため、車窓からの景色もなかなかものです。





勝沼ぶどう郷駅付近。
日本一のぶどうの産地だけあって、眼下に広大なぶどう畑を望むことができます。



塩山駅付近。
中央本線からの富士山は、あたまがひょっこり見えるだけ。
この日はちょうど山頂にだけ雲がかかっていました。


その間の「城攻め」・・・

7時39分、甲斐大和駅御坂城(南都留郡富士河口湖町)を攻略、初鹿野はじかの昌次を登用。
7時45分、勝沼ぶどう郷駅勝沼氏館(山梨県甲州市)を攻略。
7時49分、塩山駅於曾屋敷(甲州市)と浄古寺城(山梨市)を攻略。
7時52分、東山梨駅連方屋敷(山梨市)を攻略。
7時56分、山梨市駅八田家御朱印屋敷(笛吹市)を攻略。


そして8時09分、



甲府駅に到着しました。
甲府駅の発車時刻は8時16分なので、買い物をする時間はなさそうです。
次発は、8時29分発のスーパーあずさ1号だそうです。

甲府駅は、甲府城のそばにあります。
中央本線が甲府城の縄張りを貫いているのです。
そのため「城攻め」をすると・・・



日本100名城第25番・甲府城、攻略!



武将15人、一斉採用!
飯富おぶ虎昌、板垣信方、山県昌景、仁科盛信、武田信豊、武田義信、武田信廉のぶかど、土屋昌恒、小畠虎盛、跡部勝資かつすけといった武田の一族や家臣団。
武田の滅亡後に甲州を治めた河尻秀隆、加藤光泰、浅野長政・幸長父子。



悲劇の当主・武田勝頼の姿も。
武田の当主らしく、先祖伝来の日章旗と楯無の鎧に宣誓をしてご出陣なさるようです。


8時16分、定刻どおり甲府駅を発ちました。
甲府にあるもうひとつの100名城・武田氏館が攻略できなかったので、駅を出て少し進んだところでもう一度「城攻め」



武田氏館は攻略なりませんでしたが、さらに秋山虎繁、多田満頼ら4名を登用。



武田信玄の父・武田信虎
甲斐国をひとつにまとめ上げた猛将は、残念ながらモブ顔・・・。



軍師・山本勘助、登用!
一時期は架空の人物説もありましたが実在が証明され、大河ドラマ「風林火山」の主人公ともなった勘助。
顔グラは、ドラマで内野聖陽氏が扮した勘助をイメージさせますね。

さらに8時19分、竜王駅中野城(山梨県南アルプス市)を攻略。


電車は釜無川を渡り、西へ。



武田信玄は釜無川の治水を重要視し、信玄堤を築いて川を治めたといいます。


8時28分、韮崎駅日の出城(山梨県韮崎市)を攻略、甘利虎泰を登用。
8時32分、新府駅で・・・



続日本100名城第127番・新府城、攻略!
あと、能見城(韮崎市)も攻略できました。


8時40分、新府駅から2駅の日野春駅に到着。
ここでは10分近く停車するようで、乗客がこぞって下りていきます。



私も付和雷同して、外へ。



甲府駅で13分遅れて出発したスーパーあずさ1号が、日野原駅で追い越していきました。

「城攻め」も行い、日野春駅では若神子城(北杜市)と笹尾砦(北杜市)を攻略できました。


普通電車は、日野原駅を8時49分に発車。



車窓には、南アルプスと思われる山々が見えています。


8時55分、長坂駅深草館(北杜市)と先達城(長野県諏訪郡富士見町)を攻略。
8時57分、長坂駅発車後に谷戸城(北杜市)を攻略。


9時01分、小淵沢駅小海線との乗換駅です。



私はこのまま中央本線に乗り続けます。
次の駅は信濃境駅、このまま長野県に入ります。


長野県に入っても、抜かりなく「城攻め」
9時26分、茅野駅発車後に諏訪氏城館(長野県茅野市)と朝倉山城(長野県茅野市)を攻略、諏訪頼忠を登用。




午 前 9 時 3 0 分

長 野 県 諏 訪 市

J R 上 諏 訪 駅


八王子駅で中央本線に乗車して約3時間。



最初の目的地・高島城の最寄駅である上諏訪駅に到着しました。



ホームにたたずんでいる足湯に立ち寄ることもなく、駅の外へ。



この日の真の城攻めは、上諏訪駅より始まります。



【今回の乗車記録】

KEIKYU 京急電鉄 (KK42)井土ヶ谷駅 2番線 5時06分発
(KK)京急本線 普通 品川行き 6両
(KK35)仲木戸駅 2番線 5時18分着

JR東日本 [JH13]東神奈川駅 3番線 5時35分発
[JH]横浜線 各駅停車 八王子行き 8両
[JH32]八王子駅 6番線 6時31分着

[JC22]八王子駅 4番線 6時35分発
中央本線 普通 篠ノ井線直通 松本行き 6両
上諏訪駅 2番線 9時30分着

*所要時間 4時間24分 (乗車時間 4時間03分 乗換時間 21分)
*移動距離 204.3km
*運賃  井土ヶ谷~仲木戸 IC運賃 195円  東神奈川~上諏訪 18きっぷ使用(不使用の場合、3,350円)





唐沢山城へ行く予定でしたが・・・

2018-11-25 | 鉄道の旅


2 0 1 8 年 8 月 1 5 日 ( 水 )

午 後 1 2 時 1 6 分

茨 城 県 笠 間 市

J R 笠 間 駅



続日本100名城・第112番、笠間城のスタンプをゲットし、



JR笠間駅に戻ってきました。



紆余曲折はありましたが、茨城県内のすべての100名城スタンプをゲットすることができました。
したがって今度乗車する電車は、西へ向かう12時27分発 水戸線 普通 小山行きです。



朝の大きなダイヤ乱れは収束に向かい、水戸線においては定刻どおりの運行となっていました。



中久喜城攻略!
ここで位置ゲーム「発見!ニッポン城めぐり」を起動。
水戸線沿線で昨年末に攻略し損ねた中久喜城を、小田林駅・小山駅間でゲットできました。




午 後 1 時 2 0 分

栃 木 県 小 山 市

J R 小 山 駅


水戸線に乗車すること1時間弱、定刻どおり13時20分、小山駅に到着しました。

小山から最も近い100名城・続100名城は、まず足利氏館【国指定史跡】です。
最寄駅の足利駅は、小山駅から両毛線で8駅です。
しかしここは、不完全な登城ながら一度訪れたことがあるので、除外させていただきます。

小山から近い城、お次は唐沢山城【国指定史跡】。
JR線の最寄駅である佐野駅は、やはり両毛線で5駅目。
「関東七名城」のひとつに挙げられ、軍神・上杉謙信も攻めあぐねた名城です。
この日の城めぐりでは、唐沢山城こそ真打ちと位置付けておりました。

小山駅から、いざ!

そのように意気込む私を、ふたつの問題点が絡んできました。

ひとつは、天気の問題
ここのところ北関東の山沿い地域はゲリラ豪雨が襲来することが多く、この日の天気もどうもあやしい模様。
豪雨に遭うのはイヤですが、それよりもカミナリ!!はもっとイヤです。

そしてもうひとつは、笠間城で思い知ったヤブ蚊
笠間城も山城でしたが、唐沢山城もまた、山城。
この日は虫よけスプレーの準備はしておりませんでした。

そこで・・・



フレキシブルな対応。
13時22分発 宇都宮線 普通電車 逗子行きに乗り換えることとしました。



宇都宮線沿線は、「関八州城攻め旅」のルートから除外されていましたので、この機会を逃さず「城攻め」を行います。


13時32分、野木駅小谷こや(栃木県小山市)と古河城(茨城県古河市)を攻略、この日最初の浪人・・・



小笠原爆弾 小笠原貞慶を登用!
彼は、「信長の野望・革新」でその能力に見合わない家宝をふたつも持っているので、プレイヤー君主に俸禄をMAXまで上げられてから家宝をボッシュートされることが多いのだとか。
そして「高給取りの凡将」となった彼をわざと相手国に引き抜きさせて、相手国の財政を破たんさせるのに用いられることから、「小笠原爆弾」の異名をもつのだそうです。
そんな彼は信濃国(長野県)出身ですが、武田信玄に領国を追われ、めぐりめぐって徳川家康の家臣となり、最後は古河の地で没したそうです。

そういえば、「村雨の人」足利義氏さんも古河公方の地位にあったお人。
家宝をボッシュートされる方々に縁のある、そんな古河の地へ進みます。

13時36分、古河駅古河公方館(茨城県古河市)を攻略、梁田晴助足利晴氏を登用。




利根川をふたたび渡り、埼玉県へ。


13時47分、東鷲宮駅幸手さって(埼玉県幸手市)を攻略。
13時50分、久喜駅足利政氏館(埼玉県久喜市)を攻略。
14時01分、蓮田駅伊奈城(埼玉県北足立郡伊奈町)と江ヶ崎城(埼玉県蓮田市)を攻略。
14時07分、土呂駅土呂陣屋(さいたま市北区)、大和田陣屋(さいたま市見沼区)と寿能城(さいたま市大宮区)を攻略。




午 後 2 時 1 1 分

さ い た ま 市 大 宮 区

J R 大 宮 駅


埼玉県最大のターミナル・大宮駅に到着しました。
ここからは、



高崎線 普通電車 高崎行きに乗り換えます。
発車予定時刻は14時11分でしたが、朝の人身事故の影響が残っていたのか、6分の遅れで発車しました。
本来ならば14時21分発の電車を利用する予定でしたので、少しだけ早く到着することができそうです。


高崎線沿線も「城攻め」空白地帯だったので、この機会に・・・

14時30分、北上尾駅三ツ木城(埼玉県桶川市)と石戸城(埼玉県北本市)を攻略。
14時34分、桶川駅菖蒲城(埼玉県久喜市)を攻略。
14時38分、北本駅源経基館(埼玉県鴻巣市)と箕田館(埼玉県鴻巣市)を攻略。



14時46分、吹上駅石田堤(埼玉県鴻巣市)を攻略・・・って、城じゃねぇよ!!
でもまぁいいか、浪人はもしかして佐和山城主のあの方かな・・・



あぁ、忍城おしじょうのあなたでしたか・・・ともかく、成田長忠さんを登用。
もう一度「城攻め」をすると・・・



忍城主のお歴々を登用。
成田長泰は一度上杉謙信に従うも、鶴岡八幡宮での関東管領叙任のさいに恥辱を受けたため北条氏康についたといいます。
その子・氏長のときに豊臣秀吉小田原攻めが勃発。
氏長は小田原城に籠城し、氏長のおじ・泰季やすすえ忍城防衛戦の指揮を執りました。
秀吉の天下統一が成ると、成田氏長とその子・長忠は蒲生氏郷の家臣、のち下野国(栃木県)烏山の領主として大名に復帰しました。
代わって、徳川家康の四男・松平忠吉が忍城10万石の領主となりました。


この日最後のお城を忍城と定め、



JR線の最寄駅・行田駅で下車しました。



【今回の乗車記録】

JR東日本 笠間駅 2番線 12時27分発
水戸線 普通 小山行き 5両
小山駅 15番線 13時20分着

小山駅 12番線 13時22分発
宇都宮線(東北本線) 普通 湘南新宿ライン・横須賀線直通 逗子行き 15両
[JU07] OMY 大宮駅 4番線 14時11分着

[JU07] OMY 大宮駅 8番線 14時17分発(遅れ6分)
高崎線 普通 高崎行き 15両
行田駅 2番線 14時50分着(遅れ3分)

*所要時間 2時間23分 (移動時間 2時間15分 乗換時間 8分)
*移動距離 123.2km
*運賃 18きっぷ使用(不使用の場合は、IC運賃2,268円)