鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

浄妙寺に寄ることにした

2016-12-30 | 寺院仏閣


2 0 1 6 年 1 1 月 1 2 日 ( 土 )

午 後 1 時 5 7 分

神 奈 川 県 鎌 倉 市

報 国 寺 入 口 付 近



やや遅いランチを堪能し、時刻は午後2時前。
帰りの集合時間が午後4時45分なので、鎌倉駅までの戻りの時間を考えると、もう1ヶ所くらいは行けそうです。
なのでスマホさんの助力で、報国寺付近の寺院仏閣を調べてみると、

「浄妙寺  枯山水の庭が美しい寺院」

という記述がありました。
庭好きの私にとってはなんとも魅力的な響き。
即決して、徒歩で向かうこととしました。




金沢街道から脇道に入って歩くこと約2分、山門に到達しました。
山門をくぐってすぐの受付で、拝観料100円を支払います。

 

本堂へ至る参道の両側に、さっそく枯山水の庭が広がっています。
こちらの枯山水は、石庭よりむしろ植わっている草木がメインのようにも見えました。
この日の紅葉はまだ色づき始めといった具合ですが、樹冠の部分の紅葉はとても美しいものでした。



色づき始めの紅葉だけでなく、



路傍の草花も美しい。

 (C)傍の御前

野菊に止まるハナアブ
御前の画像はなぜだかわかりませんが、動物がよくカメラ目線になります。



振り返ってみると、なんだか山の中にいるような感じ。
鎌倉の狭い地形が織りなす光景ですね。



本堂でお詣り。
その裏側は墓地になっています。



その中にぽつんとある1基の墓、足利貞氏公の墓
足利貞氏は、のちに室町幕府を立てる足利尊氏の父です。




本堂から脇に入ると、白石の美しい枯山水が見えます。



ツバキ越しの枯山水。



このあたりから枯山水に近寄ることができるかと思ったのですが、どうにもたどり着けません。









木々の色づきを見ながら境内を歩いていくと、

 

崖が現れ行き止まり。
そしてここには足利直義墓がありました。



この人が足利直義源頼朝ではありませんよ~。
足利貞氏の子で、尊氏の弟です。
戦は強いが精神的には弱いところがある尊氏を政治面で支えた弟。(弟は戦がかなり弱かったのですが)
敗走する尊氏軍の立て直し、室町幕府の屋台骨の形成など、裏方で辣腕を振るいました。
しかしながら足利家の執事・高師直と対立し、兄が師直に加担することで兄とも対立してしまいます。
師直の排除には成功しましたが、兄はなんと敵であるはずの南朝に降伏
直義は次第に追い詰められ降伏しますが、鎌倉で幽閉され、直後に変死してしまうのです。


ちなみに「頼朝」と教えられてきたこの肖像は、現在では足利直義のものであるというのが定説になってきています。
兄の尊氏の肖像も、じつは尊氏ではないそうです。


足利直義墓から引き返し、小ざっぱりとした枯山水に向かいます。



「石窯ガーデンテラス」・・・ここでもない。


本堂付近まで戻り、脇道をよくよく探してみると、





枯山水にたどり着くことはできました。
できましたが・・・なかなかよろしい画角が見当たりません。
よさげなのは、枯山水に隣接している茶屋の中から見た画のようですが・・・茶屋から枯山水を望むにはお抹茶(500円)を飲まなきゃならない様子。
お抹茶は竹寺でいただいたので、もういいかな~・・・・・・

この寺は茶一杯飲まねぇと、庭一つ見せてやらねぇってか!

傍の御前の前でボヤいてしまいました。







枯山水をよく見られなかったのは残念でしたが、色づき始めの木々と蒼天は美しく、我々は晴れ晴れとした心持ちで浄妙寺を後にしました。





ハイソフト「日本の名城」4枚目

2016-12-29 | 日記


2 0 1 6 年 1 2 月 2 7 日 ( 火 )

千 葉 県 某 所

拙 宅 に て



2016年も暮れてあとわずか。
おやつは決まって森永ハイソフトキャラメルです。


さて本日の名城カードは・・・



大正義! No.7 松本城!!
名城の中の名城だけあって、ここは外せないでしょう。
「烏城」とも称される黒色の天守閣は、日本に12しかない現存天守のひとつで、さらに5つしかない国宝のひとつです。


松本城は、元を深志城といい、戦国時代には守護の小笠原氏の支配に属していました。
しかし当主・小笠原長時の代に、甲斐の武田晴信(信玄)が侵略してきました。
長時は追放され、深志城は武田氏の支配下となります。

武田信玄の死後、跡を継いだ子の勝頼長篠の戦いで大敗。
その後織田信長による侵略が始まり、天正10年(1582年)天目山の戦い(甲斐国)にて滅亡。
甲斐・信濃は一時的に織田領となります。

直後、信長が本能寺で斃れると、そのどさくさで徳川家康がこの地を攻め取り、小笠原長時の子・貞慶が城主に返り咲き、名を松本城に改めました。

徳川家康が豊臣秀吉に帰順すると、家康は関東に転封となり、小笠原氏もこの地を去りました。
後を受けたのは、もと家康の重臣・石川数正(かずます)でした。

石川数正と子の康長の代に、城下町・松本が形成され、「烏城」ともうたわれる天守が築かれました。
石川康長はのちに江戸幕府により改易されてしまいますが、その後の6氏21藩主の治世を経て、天守は400年の風雪に耐えて現存しています。



この松本城こそ、私の城攻めの原点です。
この天守を目にして、その端整さ、美しさにただただ感動し、全国の城を見てみたいと感じたのです。

松本城以来の私の城攻めは、ようやく100名城の半分を登城できました。
このカードを目にして、城攻めに対する新たなる決意が掘り起こされた思いです。


そしてハイソフトに対しての新たなる決意も掘り起こされた思いです。
16名城の制覇まで、私はハイソフトを食べ続けます。





ハイソフト「日本の名城」初ダブリ&3枚目

2016-12-29 | 日記


2 0 1 6 年 1 2 月 2 6 日 ( 月 )

千 葉 県 某 所

拙 宅 に て



クリスマス明けの月曜日、私のおやつは当然ハイソフトです。

ハイソフトとの闘いはこの日で3食目。
今回の「日本の名城」カードは・・・・・・



早くもダブリが出ました!
天皇誕生日にゲットした犬山城が再び登場です・・・。

それにしても3食目でダブリを出してしまうとは・・・
その確率は、
  (16*15*2)/(16^3)≒11.7%
う~ん、微妙だ・・・。

ちなみに初めてダブリを出す確率をまとめてみると、こんな感じ。

 2食目 (16*1)/(16^2)=6.25%
 3食目 (16*15*2)/(16^3)≒11.7%
 4食目 (16*15*14*3)/(16^4)≒15.4%
 5食目 (16*15*14*13*4)/(16^5)≒16.7%
 6食目 (16*15*14*13*12*5)/(16^6)≒15.6%
 7食目 (16*15*14*13*12*11*6)/(16^7)≒12.9%
 8食目 (16*15*14*13*12*11*10*7)/(16^8)≒9.4%
 9食目 (16*15*14*13*12*11*10*9*8)/(16^9)≒6.0%
10食目 (16*15*・・・*9*8*9)/(16^10)≒3.4%
11食目 (16*15*・・・*8*7*10)/(16^11)≒1.7%
12食目 (16*15*・・・*7*6*11)/(16^12)≒0.7%
13食目 (16*15*・・・*6*5*12)/(16^13)≒0.2%
14食目 (16*15*・・・*5*4*13)/(16^14)≒0.06%
15食目 (16*15*・・・*4*3*14)/(16~15)≒0.01%
16食目 (16*15*・・・*3*2*15)/(16^16)≒0.0017%
ダブリなし (16*15*・・・*3*2*1)/(16^16)≒0.0001%

私の引きのなさが顕れてしまっています。
鬼ヅモ年末大会が間近に迫っているというのに、これは凶兆・・・・・・?


ハイソフトのカード集めをしていることをわがお局様に話したところ、
「だったら、もしダブりが出たら裏にメッセージ書いてちょうだいね(^^♪」
というわけで、さっそく一筆したためることになりました。


あまりの引きの悪さに悔しさがこみ上げ、私はついついハイソフトをもう1箱お買い上げしてしまいました。
そして引いたカードは・・・・・・



この雲海・・・竹田城か?・・・いや天守もあるから違う・・・とすればおそらく・・・
No.5 越前大野城!

またしても日本100名城ではない城からのチョイスです。
やはり画になる城を中心に画材にしているようです・・・って当たり前ですよね(^_^;)
天守は、史実に基づきながらも現代の工法で再現された復興天守にあたります。
しかしながら連結する小天守の位置が、史実とは異なっていることが判明しています。


越前大野城は、織田信長の家臣・金森長近が、越前の一向一揆平定の恩賞として大野郡が与えられた折に建てられました。
長近は城郭の東ふもとに短冊状の城下町を造成しました。
本能寺の変後、長近は柴田勝家に属し羽柴秀吉と敵対しますが降伏。
のちに飛騨高山に移って、ここでも城下町を形成しました。

越前大野城は長近の移封後めまぐるしく城主が変わり、江戸幕府成立時には越前松平家(徳川家康の次男・松平秀康を祖とする家系)の支城となります。
天和2年(1682年)大老・土井利勝の四男・利房が入封されてからは、明治まで土井家が城主となりました。



越前大野城のある福井県大野市は、県東部の山あいにある城下町。
市街地を清水が流れ、「北陸の小京都」と称される町です。
鉄道で大野に行くには、福井からJR九頭竜線(越美北線)に乗車します。
九頭竜線の途中にある一乗谷には行きましたが、越前大野には時間の関係上行けませんでした。
機会を設けて行ってみたいですね。
それに一乗谷の登城も中途半端に終わっていますので、是非とも再訪したいです。



ハイソフトとの闘いはまだまだ序盤戦。
今日も明日も、旅とおやつにはハイソフトを食べ続けます。





鎌倉ランチ~よねこ&百舌

2016-12-25 | グルメ


2 0 1 6 年 1 1 月 1 2 日 ( 土 )

午 後 1 時 2 6 分

神 奈 川 県 鎌 倉 市

報 国 寺 を 後 に す る



ミシュラン★★★の名刹・「竹寺」報国寺を後にした我々は、そろそろ空腹を満たすべく、あらかじめ調べておいたお店へと足を運んだのでした。



金沢街道ぞいにあるパン工房・「よねこベーカリー」です。
「よねこ」という店名からなんとなく想像できるかもしれませんが、ここのパンは小麦粉ではなく米粉を使っているのです。

ここで米粉パンを買って食べ歩き、というのが当初の計画・・・だったのですが、



ちょうど隣りに「魚菜佳肴 百舌」というお食事処があったので、ここで食事をすることにしました。

傍らの御前はご飯よりもパンが好物。
そして肉類は一切食べられず、野菜と魚は食べられるので、この2店舗はわが御前にとっては最良の組合せではないでしょうか。



それでは「百舌」に入店。
私は「本日のランチ」かんぱち丼をオーダー。



朝〆かんぱち、うまし!
盛ってある器はおよそ丼とは非なるものですが、かんぱちの刺身がうまかった!



御前「本日のランチ」釜揚げシラス丼をオーダー。
シラスと鎌倉野菜?の組合せは、御前にとってはまたとない最高の組合せだったことでしょう。

少食の御前はシラス丼の3分の1を残して、私に食べさせてくれました。
これも普通にうまかった!



「百舌」を出て、こんどは「よねこ」に入店。



(レシートが散逸してしまったため)何のパンを買ったか忘れてしまいましたが、とにかくパンを4個ほど買い、店を後にしました。

ここで買ったパンは、帰りの電車でおいしくいただきました。





WTCの夜景

2016-12-25 | 夜景


2 0 1 6 年 1 2 月 2 4 日 ( 土 )

午 後 4 時 1 0 分

東 京 都 港 区

J R 浜 松 町 駅



今年のクリスマス・イヴは、JR浜松町駅から。
浜松町に何があるのか??

近くには大正義・東京タワーがありますが、東京タワーには参りません。


浜松町駅の改札を出たところにある、世界貿易センタービル
本日の目的地はこのビルの40階にある展望台です。

今年のイヴも、夜景です。

展望台に上るには、まずビルの地下1階に下ります。
そして、展望台へ上るエレベータの前に設置されている券売機で、入場券(大人1人620円)を購入します。

この券売機、富士そばあたりでよく見るタイプのやつです。
さらに入場券も、富士そばあたりで見られる食券のようなやつ。色気も素っ気もありません(・_・;)

入場券を購入したら、エレベータ前に立っている職員のおねいさんに誘導されてエレベータに入ります。
このエレベータ、地下3階から地上40階までのボタンがズラ~~~リ並んでいるのですが、おねいさんがしっかり「地上40階」行きのボタンを押してくださいますので、黙って見ていれば問題なし。

エレベータから外の景色を望むことはできませんが、短時間でエレベータは上昇。
・・・誰かがいたずらして途中階のボタンを押しまくったらどうなるのだろう???
そんな小悪魔的な発想が出てきますが、それを実行する時間も度胸もなく、地上40階まで上ってきました。



エレベータから出ました。
クリスマスらしく、純白のクリスマスツリーが据えられています。
ここを右折して、受付へ。
富士そばの食券のような入場券を提示して、入場します。



受付の前にもクリスマスツリー。
この先の階段を上がると、展望回廊「シーサイド・トップ」へ。
いざ、行かん!・・・としたところ、

「男性2、女性1、中学生1、カップル2」

受付のじいちゃん職員が客数をカウントしちゃっています、しかも朗々と声に出して。
それにしてもカップルの組数って重要なのでしょう・・・ね。




午 後 4 時 1 7 分

シ ー サ イ ド ・ ト ッ プ 1 周 目


時はすでに夕刻。
まずは夜景になる前の東京をぐるりと見ていきます。



東京の高層ビル群が手に取るように見えます。
シーサイド・トップは地上40階。
そして周囲のビルも高い建物が多いので、ほかの展望台とは異なる風景を見ることができます。
なかなか興味深いです。

傍らの方も満足げに見入っている様子。本当によかった・・・・・・(#^.^#)

かくいう私も想像以上の光景に、デジカメさんを酷使して写真をカチャカチャ。
いささか傍らの方を放置してしまったかな~と感じてしまうほどです。(ごめんなさいね m(__)m )




ではあらためて、北東の景色から。
右側にJR山手線・京浜東北線・東海道線そして東海道新幹線のレールが南北に走り、その右にはゆりかもめの高架が走っています。
ゆりかもめが通じる向こう側は汐留の高層ビル群です。

左側にひときわ目立つ建物は、虎ノ門ヒルズ森タワー
地上52階建てで、高さは247mと、東京で2番目に高い高層ビル・・・なのですが、実際の高さ(先端部までの高さ)は255mで、東京一の高層ビルです。

また中央部に少しだけ見える緑は、皇居の杜です。
私はあまり気が付きませんでしたが(・_・;)



次は西側。

大正義・東京タワーが天に向かって立っています。
タワーが大きく、美しく見える西側のゾーンは大人気。
夜景を獲物とするカメラマンたちに占拠されている有様です。
ここの展望台は、申請さえすれば三脚の使用が認められているので、我々のような平凡な夜景好きは、三脚軍団の合間をぬっての撮影となります。



東京タワーの足下には、増上寺の境内が広がります。
増上寺は徳川将軍家の菩提寺でもあり、江戸城の裏鬼門(南東)の方角に位置し、徳川秀忠ら6人の徳川将軍の墓があります。

東京タワーの左隣に見える高層ビルは、六本木ヒルズ森タワー
高さは238mで、東京では5番目の高さを誇ります。
このビルも虎ノ門ヒルズと同様に、森ビルが手がけたビルです。

東京タワーの右側は、まず公式で東京一(実際は東京第二位)の東京ミッドタウンミッドタウン・タワーです。
そしてその隣は置いといて・・・
その右のやつは仙石山ヒルズ仙石山森タワーです。
こちらも森ビルさんの高層ビル。わかりやすいです。
ちなみに私は「せんごくやま・もりタワー」ではなく「せんごく・やまもりタワー」だと思っていました(^_^;)

ミッドタウンとやまもりタワーの間にある建築中のビルは・・・・・・わかりませんでした。
手持ちのパンフレットにこいつの姿はありません。
東京は今もなお高層ビルが生えている、恐ろしく生き生きした大都市なんですねぇ。



東京タワーは今もなお東京のシンボルであり続けています。


南西方向を見やると、



画像中央に見える山の影、これぞ富士山です。



この日は天候に恵まれ、また冬の澄んだ空気もあって、山頂がよく見えました。
ちなみに左下の高層ビルは恵比寿ガーデンプレイス恵比寿ガーデンプレイスタワーです。



こんどは南側。



こんなところにチャペルが・・・!
傍らの御前は、「こんなところで結婚式を挙げても、別れるものは別れるのよっ!」と毒づいていました。
・・・・・・私は何も言いません。


さらに進んで南南東方向。



海が開ける東側、レインボーブリッジが芝浦と台場をつないでいます。
その真ん前に建っているこやつ・・・!
その名もズバリ浜松町ビルディング、かつては「東芝ビルディング」と呼ばれ、東芝の本社がありました。
現在東芝の本社は川崎(ラゾーナ川崎)に移転したため、現在の名称となっています。
レインボーブリッジの真ん前に立ちはだかるビルですが、竣工したのはこちらの方が先です。

足下には南北に伸びるJRの大動脈、それをまたぐ高架が東京モノレールです。



モノレールのすれ違いも見ることができました。



南東方向には、台場と有明の景色。



足元には旧芝離宮恩賜庭園【国指定名勝】。
鉄道と高速道路に囲まれた大名庭園という、なかなかに面白い組み合わせです。



最後に東側。



隅田川と、それを取り巻くビル群を見ることができます。
画像中央にある双子のビルはTHE TOKYO TOWERS(ザ・トーキョー・タワーズ)というなんともまぎらわしい名前の高層マンションです。
左がミッドタワー、右がシータワーというそうです。


北東方向。



ビルの谷間からは東京スカイツリーが見えます。
ですがここではあくまで脇役、といったところです。



展望回廊を一周し、あたりは徐々に暗くなっていきます。
それとともに、街の明かりがぽつぽつと灯り始めていきました。




午 後 4 時 4 1 分

シ ー サ イ ド ・ ト ッ プ 2 周 目


展望回廊2周目。
夜景が最も美しい時刻とされる「トワイライト・タイム」に入りました。

 

今宵の東京タワーは、クリスマス仕様の特別ライトアップです。
う~む、私は白と赤の東京タワーが見たかったのですが・・・まあいいでしょう。



台場方向の景色・・・と、ここに新たなる強敵が出現。
非常口の表示です。
画像左上、もののの見事に非常口の矢印が写ってしまっています。



お台場方向に煌く大きな円。
パレットタウンパレトタウン大観覧車です。



東側。
ここにもクリスマスの飾りが写ってしまっています。



ザ・トーキョー・タワーズの向こうには、葛西臨海公園ひまわりの大観覧車
東京を代表する2大観覧車?の競演を見ることができました。



谷間のスカイツリーも、存在感を出しています。





北側。
やっぱり東京はきれいだなぁ。




午 後 4 時 5 9 分

シ ー サ イ ド ・ ト ッ プ 3 周 目


さらに展望回廊を回ります。
回廊にあるベンチは二人連れが占拠、東京タワーが輝く西側にはいっそうの人だかりができています。



やっぱりクリスマス仕様の東京タワーも素晴らしい!



富士の高嶺はその姿を徐々に隠していきます。



失敗作(?_?)



その名のとおりの「虹色の橋」。



スカイツリーもさることながら、首都高速都心環状線の車列の光線が美しい。



北側はすっかり暗くなり、街の明かりがとても綺麗ね、虎ノ門(^^♪



海の闇とビルの明かりが対照的で美しい東側。ひまわりも大輪の花を咲かせています。



あざらし? ぺんぎん?
傍らの方は、こいつと夜景のコラボがいたくお気に入りのご様子でした。



こうして大満足で展望台を後にしました。

 

来年はどこの夜景を見ようか?



完全私的旅5「私的な年末2016」 完


ハイソフト「日本の名城」2枚目

2016-12-24 | 日記


2 0 1 6 年 1 2 月 2 3 日 ( 天 皇 誕 生 日 )

千 葉 県 某 所

拙 宅 に て



陛下が81歳の誕生日を迎えられたこの日、私のおやつは当然ハイソフトです。

ハイソフトとの闘い・2日目。
この日の「日本の名城」カードは・・・・・・



ここは見覚えがあります! No.8 犬山城!
最初の城攻め旅で訪れた国宝5天守のひとつですね。
森永さん、さすがに国宝は外さなかったようですね。


犬山城は、はじめ織田信長の叔父・信康によって建造されました。
足下を流れる木曽川を天然の濠とするこの城は、対齋藤家の戦いにおいて最前線の要害でした。

時は流れ、豊臣秀吉が信長の後継者として天下統一に乗り出します。
その最大の障害は、信長の同盟相手でもあった徳川家康です。
両者が衝突した小牧長久手の戦いでは、秀吉が12万の大軍を率いて犬山城に入り、家康と対峙しました。

秀吉が亡くなり家康の天下が訪れると、尾張徳川家の付家老である成瀬正成が犬山城主となりました。
以後犬山城は、(あいだに明治政府の接収があったものの)なんと平成16年まで成瀬家が城主を務めていました。

犬山城の天守が建てられたのは、天文年間(信長の時代)と慶長年間(秀吉の時代)で学説が分かれているものの、その様式は日本最古のものとされています。



2010年の犬山城登城記の記述を丸パクリさせていただきました(^_^;)


順調に2枚目をゲットし、カードは残り14枚。
ハイソフトとの闘いはまだまだ始まったばかりです。





ハイソフト・待望の新シリーズ!

2016-12-24 | 日記


2 0 1 6 年 1 2 月 2 2 日 ( 木 )

千 葉 県 某 所

拙 宅 に て



勤務中、同僚のS君から思いがけない情報を耳にしました。

「ハイソフトのおまけが変わったそうですよ」

「ハイソフト」とは、森永製菓が製造している「森永 Hi-Soft」というキャラメルのこと。



そしてハイソフトには、風景写真のついたメモカードがおまけで入っているのです。

 

表が風景写真で、裏がメモの小さなカードのことです。


そして密かに、私はこのカードを集めていて、前回のシリーズ・「日本の世界遺産」はコンプリートしました。






カードは全部で16種類。
これらをコンプリートするのに約半年かかりました。
当然おやつは毎日ハイソフトです。

15番目の石見銀山のカードがやたらとダブった記憶があります。
最後の白神山地のカード(2番目)が出た時は、達成感やら寂寥感やら感情が複雑に交錯したものでした。



そして今回のシリーズは、「日本の名城」です。
城攻めをライフワークとしている私にはなんともピッタリな題材ではありませんか!

今回もカードは16種類。
パッケージを見る限り、世界遺産・姫路城、雲海が美しい「天空の城」・竹田城、琉球の王宮・首里城の3種類がありそうです。
あとは不明・・・・・・たぶんGoogle先生に尋ねてしまえば、たちどころにわかるのでしょうが、それはやらないでおこうと思います。



それでは最初の1枚目・・・・・・



むむっ!! この城はわからん・・・・・・。
裏面を見てみると・・・・・・No.2 横手城!
なんと日本100名城に指定されていない横手城をチョイスしてきましたよ、森永さんは!


横手城は秋田県の南東部を支配した小野寺氏の居城でした。
ナムコの「独眼竜政宗」では最北に位置して、放っておくと軍備が増強されていく厄介な存在です。(史実では、小野寺と政宗とは一切絡んでいないのですが)
それはともかく・・・
小野寺氏は輝道の代で最盛期を迎えますが、その子・義道の代になると没落の一途をたどります。
山形城主・「出羽の驍将」最上義光が南から、角館城主・「夜叉九郎」戸沢盛安が北から圧迫し、勢力を縮小していきました。
豊臣秀吉の天下統一に際してはいち早く臣下に下ったものの、最上義光の謀略に掛かってさらに勢力を弱めてしまいます。
関ヶ原の戦役では周囲の大名が軒並み東軍に付く中、義道は西軍の上杉景勝に応じて寝返り仇敵・最上を攻めますが、惨敗。
戦後に領地を召し上げられてしまいました。

横手城は、関ヶ原の後に秋田に移封させられた佐竹義宣のものとなりました。
佐竹氏は、秋田の久保田城を本城としました。
武家諸法度における一国一城令で、横手城は破却されるはずでしたが、佐竹氏が幕府に働きかけたため例外として認められ、破却を免れました。
以後は佐竹氏の家臣・戸村氏の居城となりました。

戊辰戦争では、東北諸藩が奥羽列列藩同盟に加盟する中、佐竹氏は唯一新政府につきました。
そのため横手城は列藩同盟軍に攻められ、落城しました。
新政府軍は東進し、佐竹軍はなんとか持ちこたえ、東北諸藩は新政府に降伏することとなります。

明治に入り、横手城は廃城となりました。



横手城のカードは天守を映したものになっています。
しかしながらこの天守、史実では存在しておりません。
愛知県にある岡崎城をモデルにした、模擬天守なのです。
遺構もあまり残っていなかったためか、100名城の指定は逃してしまいました。



私にとってはまったくノーマークだった横手城を皮切りに、ふたたびハイソフトとの闘いが始まります。





報国寺~TAKEDERA

2016-12-20 | 寺院仏閣


2 0 1 6 年 1 1 月 1 2 日 ( 土 )

午 後 1 2 時 3 3 分

神 奈 川 県 鎌 倉 市

功 臣 山 報 国 寺



鎌倉のシンボル・鶴岡八幡宮、鎌倉最古の寺院・杉本寺に寄り道して、ようやくこの日の目的地に到達しました。



コスプレ中の男女に続き、三門をくぐります。



境内に入ると、繁れる草木が我々をお出迎え。
この日の紅葉はまだほとんど色づいてはいませんでしたが、傍らの方はじっくりと眺めています。

 

 

草木もさることながら、私はぽつんとあった枯山水に目が移ります。

 

草木繁れる参道を進むと、



趣深い茅葺きの鐘楼



正面には「報告禅寺」の扁額がかかる本堂

ここでお詣りをしまして・・・・・・ここからが報国寺のメイン。
「竹の庭 入口←」の表示のとおり、本堂の左に受付があります。
拝観料は大人200円、お抹茶とセットで700円となっています。
お抹茶を味わいたい我々は、迷うことなく後者を選択。


それではいざ、竹の庭へ!

 

・・・とその前に、本堂裏の枯山水にも注目。
三門すぐの枯山水よりもずっと大きく、広い泉水が表現されているようです。



それではようやく、竹の庭へ!



コスプレおねいさまの後に続いて、竹林に入っていきます。
着物の女性と竹林って、なんだか幻想的な組み合わせですよね。

 







日常の喧騒から隔離された、幻想的な竹林・・・・・・というにはいささか観光客が多いです。
さすがはミシュラン★★★のスポット、Google先生でも "takedera kamakura" という検索候補が出てくるくらいですから。
観光客の多さを抜きにしても、やはりここは来て良かったとお互いが思える寺院です。
やはりミシュラン★★★は「ぜひとも立ち寄るべきスポット」なのでしょう。



山と海に囲まれた鎌倉の地勢のため、ここ報国寺もすぐ近くに崖が迫っています。



崖に掘られたほら穴にはお墓。
報国寺を開基したとされる足利家時の墓があります。
これらのほら穴は「やぐら」といい、平地の少ない鎌倉では、上流階級の者はこのやぐらに墓を造ったようです。

私がやぐらのほうを見ていると、御前は上を向いています。



どうやら鳥の巣を見つけたようです。J氏の頭を思い描いたのは私だけ?(内輪ネタ失礼)
それにしてもよく気がついたなぁ~。



御前の後に続いて、竹林を歩きます。


そして竹林の中にある茶席へ。



入場券とともに渡された抹茶券を提示します。



その場で点てられたお抹茶、お茶菓子は小さな落雁です。
茶席は混雑していて、竹林を望める席は空いていません。
5分ほど待って、



お抹茶! うまい!
眼前に広がる竹林を望みながらのお抹茶もまた良し!
・・・・・・逆に言えば、茶を飲まねぇやつには、この景色は見せねぇぞ~、ということにもなるわけですね。





竹の緑と、苔の緑。
竹が日に照らされて輝き、苔は陰でじっと生しています。
陰と陽が表現されているかのようです。


 







お茶をいただいた後も、竹林の陰陽をゆっくり味わい・・・・・・たかったのですが、細い通路に観光客が続々と来るので、そんな余裕はあまりなかったです。
それでも、竹林の美しさを感じることができる、さすがの★★★でした。





杉本寺にも寄ってみた

2016-12-06 | 寺院仏閣


2 0 1 6 年 1 1 月 1 2 日 ( 土 )

午 前 1 1 時 4 8 分

神 奈 川 県 鎌 倉 市

鶴 岡 八 幡 宮 の 境 内 を 出 る



八幡宮の境内を出たところの脇道にて。



道沿いの学校に植わっていた巨大なアロエ???
私ひとりなら気づかずに先へ進んでいたでしょうが、傍らの彼女が見つけてくれました。
普段の一人旅とはまた違った視点で街を見られます・・・ありがたいことです。

ちなみに調べたところ、これはアロエではなくアオノリュウゼツランというようです。
リュウゼツラン(竜舌蘭)はテキーラの原料になる植物ですが、この種は原料にはならないようです。


脇道から金沢街道に入りました。
金沢といっても、兼六園の金沢ではなく、金沢文庫の金沢へ抜ける道です。



その名も(わか)れ道という交差点。
私と彼女は別れることなく、ともに金沢街道を歩きます。

・・・そうさ、別れることはないのさっ(^^♪



歩道がいくぶん狭い金沢街道を歩くこと約10分、



大蔵山杉本寺の前までやってきました。

このお寺は鎌倉でも最古の寺院と言われ、また坂東33箇所巡礼の1番札所になっています。
私は5年前、坂東33箇所巡礼を始めた時に参拝しています。
そういえば33箇所巡り、全然進んでいないなぁ(^_^;)
近いうちに再開したいところです。

せっかくなので、杉本寺もふたりで参拝することにしました。



入口で拝観料(大人一人200円)を支払い、



三門から境内へ。
するとさっそく、



本堂へ通じている苔の石段が目の前に現れます。
石段に苔がびっしりと繁茂していて、古寺の雰囲気を際立たせます。
現在は柵が設けられていて通行不可、脇の階段で本堂へと上ります。



本堂側から見下ろした苔の石段。
この日は見事な晴天、苔の緑もきらめいているかのようです。
そして苔の石段の後ろ、



本堂【神奈川県指定文化財】です。
屋根は茅葺きの質素な造りで、それほど大きくない本堂も、鎌倉最古の寺にはふさわしく思えます。



本堂の奥に、本尊の十一面観音3体【うち2体が国指定重要文化財】が安置されています。
本堂に備えられている寺務所で拝観券を提示すると、中に上がり十一面観音を拝むことができます。
杉本寺のご朱印も、こちらの寺務所でもらえます。

我々も靴を脱ぎ、中へ。
本堂の奥は薄暗く、ろうそくの火のみが灯る、落ち着いた空間。
本堂はそれほど大きくはないはずですが、それでも中は広く感じてしまうほど。
ふたりは落ち着き払って、思い思いの参拝をしたのでした。


この日は休日とあって参拝客がそれなりに多く、いくぶんせわしない参拝となってしまったかもしれません。
それでも本堂の中では、時間がゆっくり流れていたかのように感じました。


本堂を出た我々は、清々しい心持ちで杉本寺を後にしました。





鶴岡八幡宮に寄ってみた

2016-12-03 | 神社


2 0 1 6 年 1 1 月 1 2 日 ( 土 )

午 前 1 0 時 3 7 分

神 奈 川 県 鎌 倉 市

J R 鎌 倉 駅 東 口



人身事故で1時間押しというトラブルもあり、10時半過ぎにようやく鎌倉駅に到着しました。



休日の鎌倉、さらに紅葉シーズンとあって、駅前は観光客で混雑しています。
もう少し早く到着すれば、人出は多くはなかったかも・・・という思いもありましたが、ここは現実を受け入れ、気を取り直して参りたいところです。

今回の鎌倉旅は、私がどうしても行きたい寺院を訪れます。
その寺院は、鎌倉駅から2キロ以上離れているということで、公式サイトでは路線バスでアクセスするのを推奨しています。
しかしこの激混みっぷり・・・・・・我々はバスに乗車するのをあっさりあきらめ、徒歩で向かうことにしました。




午 前 1 1 時 1 6 分

若 宮 大 路 ・ 鶴 岡 八 幡 宮 二 の 鳥 居




鶴岡八幡宮からまっすぐ由比ヶ浜に伸びている若宮大路へ。
二の鳥居から八幡宮までは段葛(だんかずら)という、若宮大路の中央を一段高い参道が走っていて、本殿に通じています。



しかし、駅に着いたのが10時37分。
それから若宮大路に入ったのが11時16分。
駅から段葛までは至近なのに、これは時間のかかり過ぎではないか?

たしかに私ひとりなら、この程度の移動にこれほどの時間はかけません。
しかし今回はそうではありません。
傍らの御方おタバコを所望されるのです。
人身事故で長時間列車に閉じ込められたため、より一層おタバコを所望されることに。
そして私もチューハイ3缶を空けたため、おなかがゆる~い状態に。

そのため、駅近くのエクセルシオールで、おタバコをまとめて嗜み、あるいは整腸することとなったのでした。



日輪は高らかと由比ヶ浜より照りつけ、人の群れもその数を増していった段葛。
そのとある一基の石灯籠・・・



あの蛭子能収氏が灯籠を奉納しているではありませんか!!
氏といえば吝嗇(ケチ)で有名(ご無礼)な方。
氏の主演番組・「路線バスの旅」でも、「俺は神頼みはしない」という趣旨の発言をしているのに、なぜ灯籠を???
そういえばその発言のすぐあとで、「競艇のときは~~」とも言っているので、そのあたりの理由で奉納したのでしょうか?
それとも、併記されている蛭子悠加夫人に勧められたのでしょうか?

ふたりであれやこれやと話しながら、



八幡宮の三の鳥居前に到着しました。

ここから目的地のお寺までは、八幡宮前の交差点を右折して金沢街道を歩いていくことになります。
しかしこの道は歩道が狭く危険、それにせっかく八幡宮の目の前に来たので、このまま参拝することにしました。



鶴岡八幡宮の境内へ。



最初にお目にかかるのは、池に架かるアーチ状の太鼓橋です。
段葛からそのまま境内に入るとここに到達します。
太鼓橋は「神様が通る橋」という意味合いで、通行はできなくなっています。



先には舞殿、大石段の上に上宮楼門がそびえます。
舞殿は、このあたりで静御前が思い人・源義経を慕う舞を舞ったということで、後世しつらえた舞台です。
この日は舞殿で祝言が執り行われていました。



舞殿までの参道の途中。うといべんこ??
わが御前はたま~に珍妙なセリフをのたまいます。
「疎い便子」?? 便秘のこと??? この御前の傍らはまったく飽きることがありません(#^.^#)


手水舎でみそぎをし、大石段に差しかかったところ。



大銀杏の切り株が残っています。
大銀杏は平成22年(2010年)の強風で倒れてしまいましたが、切り株からふたたび若芽が生えているのだそうです。
伝説では、鎌倉幕府3代将軍の源実朝が、この大銀杏で待ち伏せしていた2代将軍・頼家の遺児・公暁に暗殺されたといいます。



上宮楼門
扁額の「八幡宮」の「八」の字は2羽の鳩で成っています。
鳩は神の使いであるとされているからで、鎌倉銘菓「鳩サブレ」もこの鳩が由来になっているそうです。



八幡宮でわが御前の長久を祈願し、八幡宮の境内を出ました。